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第3話

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 私は約束通り、彼女をランチに招待した。

 「どうです? このお店は?」
 「ちょっと意外でした。先生ならおしゃれなイタリアンのお店なのかと勝手に想像していました。
 でも良かった。私、和食が好きなので嬉しいです」
 「ここのお店は僕のお気に入りなんです。
 私の設計したお店なんです。いい建物でしょう?」
 「先生のそういうところ、好きです。
 まるで子供が自分の工作を自慢するみたいで」
 「子供の工作? 酷いなそれは?」

 私たちはまるで恋人同士のように笑った。

 「ごめんなさい、「巨匠」に失礼なことを言ってしまって。
 先生にだけはお世辞も嘘も、おべんちゃらも言いたくないんです。
 先生にはこれからもなんでも言うつもりです。怒られても、気分を害されても。
 私は先生を全面的に信頼しているから」
 「それは僕も同じです。
 ここは何を食べても美味しいお店なんですよ。
 2年前、このお店は火事で焼けてしまい、そのご縁で私が建てさせていただきました。
 火災保険も下りず、大将は軽トラの屋台から再起したんです。
 前もすごく流行っていて、ミシュランの話もあったそうです。
 金沢の有名料亭で、二番板だった方です」
 「とてもいい御出汁の香りがします」
 「流石は門倉さんだ、いい嗅覚をお持ちです」
 「私、鼻だけはいいんですよ、ワンちゃんみたいに」
 「ここは利尻昆布と枕崎の鰹節をメインに出汁を取るそうです。
 「赤だし」のお味噌汁もとても美味しいですよ」
 「わあ、楽しみ。私、八丁味噌が大好きなんです」
 「では何にします? お好きな物をどうぞ」

 彼女は真剣にメニューを見詰めていた。

 「その割にメニューは普通ですよね? お値段もお手頃ですし」

 私は笑った。

 「どうして笑うんですか?」
 「食べてみればわかりますよ」
 「それじゃあ、この「中とろ定食」をお願いします」
 「では私は敢えて「海老フライ定食」にしようかな?
 ダメですよ、後でそれも食べたいなんて言っちゃ?」

 そこへオーナーがやって来た。

 「新ちゃん、今日は彼女といっしょかい? キレイな人だね?」
 「大将、のお客さんだよ。俺の大切なお客さん。
 中とろ定食と海老フライ定食をお願いします」
 「はいよ、特別バージョン、新ちゃんスペシャルを出してやるからよ」
 「大将、もう涎が出ちゃうよ」
 「牛じゃねえんだから。あはははは」

 オーナーは笑顔で厨房へと消えて行った。


 「新ちゃんだなんて、随分仲がいいんですね? 友だちみたい」
 「私のお施主さんたちはみんな、家族ですからね? もちろん門倉さんもです。
 私はみなさんと仕事をする時、初めにこう宣言します。


   「あなたたちのことはお客さんだとは思っていません」


 と。そして付け加えます。


   「家族だと思っています」


 とね? だから門倉さんも家族なんです。
 私は門倉さんを家族だと思って家を造らせていただきます。
 私たち家族の家を」
 「それって私の兄ということですか? それとも親戚の叔父さん?」
 「いえ、ロクデナシの夫です」
 「あら素敵。「あ・な・た」、なんてね?」

 本当に笑顔の美しい人だと思った。
 私は彼女の笑顔に見惚れた。


 料理が運ばれて来た。

 「何、なんなのこれ? 定食屋さんじゃないみたい! しかもこのお刺身、チルド?
 艶々してトロリとしているわ!」
 「どうぞ食べてみて下さい。
 私の分もすぐに来ますから」
 「それでは遠慮なく、お先に」

 刺身を口に入れた瞬間、彼女の顔がパッと輝いた。

 「こんなおいしいお刺身、食べたことがないです!
 それにこのご飯、ひとつひとつがちゃんと立っているみたい!
 とてもモッチリとして甘味がある!」
 「ここの大将はね? 「羊の革を被った狼」なんですよ。
 定食屋という名の「高級料亭」なんです」
 「茶碗蒸しには柚子のいい香り、そしてしなやかなうどん。
 薄い白出汁醤油なのかしら? とてもおツユがきれい・・・。
 大葉の天ぷらなんて、銀座の老舗天ぷら屋さんにも決して引けを取らないわ。
 それにこの糠漬の奥深い爽やかさ。
 もう、死んじゃい・・・」

 彼女はそれを言いかけて止めた。

 「ね? 驚いたでしょう?
 私もこんな料理みたいな家づくりを心掛けています」


 女将が料理を私の海老フライ定食を運んで来てくれた。

 「はい先生の海老フライ、お待ちどう様」
 「女将さん、相変わらず大繁盛ですね?」
 「誰かさんの設計と、大将のおかげね?」
 「大将のおかげですよ。そして美人で気の利く女将さんがいるからです」
 「このお店、どんどん私たちにも、そしてお客さんたちにも馴染んで来るというかホッとするというか、何だか安心するのよねー。
 良かったですね? 新ちゃんにお家をお願い出来て。
 この先生、嫌いな人の家は絶対に作ってくれないのよ、生意気でしょう? うふっ」
 「女将、せっかくの海老フライが冷めちゃうよ」
 「はいはい、ではごゆっくり。
 あとでチーズケーキ、サービスしてあげるわね? もちろん珈琲も」
 「ありがとうございます。さあて、熱々のうちに食べようかなあー」
 「随分大きな海老フライですね?」
 「でしょう? 食べたいですか?」
 「食べたい・・・、です」

 彼女は少女のようにはにかんで見せた。

 「では、特別ですよ?」

 私はもう一本の海老フライを彼女の皿にそっと乗せた。

 「あの~」
 「何ですか?」
 「そのタルタルソースもいいですか?」
 「あっ、そうでしたね? これは失礼しました。
 海老フライにはこれじゃないとね?
 ここのタルタルソースは、ピクルスの代わりに「ラッキョウ」が入っているんですよ。
 もちろんマヨネーズもすべて大将の自家製です」

 彼女はその海老フライを食べた。

 「うーん、すごーい!
 こんなに美味しい海老フライ、初めて食べました!」
 「良かった、門倉さんに喜んでもらえて。
 どんな家にするか、今日で大体まとまって来ましたよ。
 土地はいくつか選定しておきましたから、これからクルマで見に行きませんか?」
 「是非お願いします」

 彼女はうれしそうに食事を続けた。
 それはまるで高校生のように。 

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