上 下
2 / 21

第2話

しおりを挟む
 智樹のお迎えにはギリギリ間に合うことが出来た。
 クルマを降りると背後から桃花ママが声を掛けて来た。

 「智樹君ママ、今お迎え?」
 「うん、片付け物をしてたら遅くなっちゃって」

 桃花ママは私を舐め回すように見ると、

 「相変わらず智樹君ママ、凄く綺麗だけど何かやってるの? エステとか。
 今日もお肌が艶々してる」
 「ありがとう桃花ちゃんママ。お世辞でもうれしいわ。
 子育てで精一杯よ、綺麗にしている余裕なんてないわ」
 「そうかしら? なんだかとても輝いているわよ、特に最近の早川さんは」

 (それはそうよ、良いセックスは最高の美容ですもの)



 「恵美子先生、さようなら」
 「また明日ね? 智樹君」
 「今日もお世話になりました。明日もよろしくお願いします」
 「お気を付けてお帰り下さい」

 担任の恵美子先生に智樹と一緒に挨拶をしてクルマに乗り、エンジンを掛けた。

 「智樹、お腹空いてない? 何か食べて帰ろうか?」
 「いらない」
 「お腹空いてないの? お家まで我慢出来る?」
 「バアバ嫌い・・・」

 理由はわかっている。
 帰れば義母の鬼のようなピアノのレッスンが待っているからだ。

 「ピアノ、嫌いなの? 辞めてもいいのよ、嫌いなら」
 「好きだよ。でもバアバは嫌い。すぐに怒るから」

 義母の麗子の智樹に対する執着は尋常ではなかった。
 音大を出てピアニストになる夢を諦めた麗子にとって、智樹は自分の果たせなかったピアニストへの夢を叶えてくれる、最高の才能を持った孫だった。

 智樹のピアノは天才的だった。
 まだ5歳だというのに、ショパンの英雄ポロネーズを平気で弾きこなすレベルだった。
 殆ど毎日のように実家での義母のレッスンは続いていた。


 
 「何度言ったら分かるの! そこはそうじゃないでしょ! こうやるの! こう!」

 義母はまだ幼い智樹の頭に激しくピアノのタッチをした。
 堪り兼ねた私は義母に言った。

 「お義母さん、何もそこまでしなくても」
 「あなたは黙ってなさい! これは私と智樹の戦いなの!
 音楽はね? 「音我苦」なのよ! もっともっと自分を苦しめて苛めないと、立派なピアニストにはなれないわ!
 音楽は心から発して心に還るもの、素人のあなたが口を出さないで頂戴!
 智樹は早川家の宝なんだから!」

 私はそれ以来、義母に逆らうことを辞めた。

 
 義母は私のすべてが気に入らなかった。
 大切なひとり息子を寝取った女狐としか思っていない。

 出来婚など、私の策略だと勝手に決めつけていた。
 私がなぜ、息子の智之と結婚することになったのか、もちろん麗子は本当の理由を知らない。
 だがそんな麗子でも、智樹に対しては別だった。
 麗子は智樹の才能に惚れ込んでいた。
 


 夫である早川との生活は相変わらずだった。
 結婚を承諾する条件として寝室は別、私の事には一切干渉しないというのが結婚の条件だった。
 霧島との関係が深まるにつれ、早川とのこの暮らしに果たして意味があるのかと私は疑問を持ち始めていた。

 (こんな結婚生活に意味があるのかしら?)

 私は霧島に抱かれる自分を想像しながら自分を慰め、深い眠りに就いた。

しおりを挟む

処理中です...