3 / 21
第3話
しおりを挟む
私には学生時代に付き合っていた、3つ年上の山下浩二という恋人がいた。
半同棲のような学生生活を過ごしていたが、浩二が大学を卒業し、大手商社に就職すると大阪支社に配属となり、遠距離恋愛を余儀なくされた。
私はバイトに明け暮れ、そのバイト代で毎月彼のいる大阪を訪れていた。
それを苦痛に感じたことはなかった。
浩二に会うことが唯一の楽しみだったからだ。
「卒業したら私も大阪の会社に就職するね?」
「そうなったらここを引っ越さないとな?
1Kじゃ狭いから、2LDKのマンションで一緒に暮らそう。
それにここ、壁も薄いし」
「やだもう、浩二のエッチ」
ふたりの夢は広がるばかりだった。
浩二が大阪に移り住んでから1年半が過ぎた頃、彼から電話があった。
私は寝ぼけて携帯を取った。
「どうしたの? こんな夜中に珍しいわね?」
「碧、大切な話があるんだ。明日東京で会えないか?」
「バイトが20時までだから、それ以降なら大丈夫だよ」
「そうか? じゃあ東京駅のメトロポリタン・ホテルのレストランに21時でどうだろう?」
「うんわかった。大切な話って何?」
「それは会ってから話すよ」
浩二はそう言って一方的に携帯を切ってしまった。
私はいつもとは違う浩二の元気のない声が気になった。
(何かあったのかしら?)
翌日、バイトを終えるとトイレで入念にメイクを直し、汗で汚れた下着を替えた。
久しぶりに浩二に会えるかと思うと、私の心は躍った。
店に入ると窓際の席に浩二が座っていた。
私に気付くと彼は軽く手を挙げた。
「ごめん、急に呼び出したりして。バイト、疲れただろう?」
「ううん、平気だよ。浩二に会えてうれしいよ」
浩二はその言葉を無視した。
「お腹空いただろう? 何がいい?」
「そうねー、ヒラメのカルパッチョにウニと手長海老のパスタ、それから少しワインも飲んじゃおうかな? グラスワインを1つ、白で」
「わかった。じゃあ俺はイカ墨のリゾットで」
「やだあ、イカ墨のお口にキスするの? ふふっ」
私は笑ったが、浩二は笑わなかった。
私たちは当たり障りのない普通の会話をしながら食事を終えた。
浩二と腕を組み、人気の少なくなった夜の東京駅の構内を歩いた。
突然浩二が立ち止った。
「碧、俺、子供が出来たんだ。
相手は部長のお嬢さんだ。俺は責任を取らなければならなくなってしまった。
ごめん碧、許してくれ。俺、寂しかったんだ」
私は頭の中が真っ白になり、茫然とした。
「子供が出来たってどういうこと?
寂しいと子供が出来るの? ふざけないで!」
浩二は黙ったまま俯いていた。
「ねえ、どういうことなのって訊いているのよ!
答えてよ! 早く!
何がどうしたのよ! それって別れてくれっていうこと!」
「ごめん、碧」
私はグーで彼を殴った。
何度も殴った。キックもしたが所詮は女の細腕、腕力など知れたものだった。
浩二は抵抗もせず、私にされるがままになっていた。
「気が済むまで俺を殴ってくれ。俺はクズだ、クズ男のロクデナシだ・・・」
「浩二なんてだいっキライ! 死んじゃえバカ!」
「碧・・・」
「あなたなんか死ねばいいのよ! そんなダメ男!
殺してあげる、そしてあなたを殺して私も死ぬから!」
私はそのまま膝から崩れ落ちた。
東京駅のコンコースのコンクリートの床が、とても冷たく感じた。
「消えて! 今すぐ私の前から消えて!
そんな浩二、二度と見たくない!
すぐに消えてよ! 今すぐに!」
浩二は返事もせず、ただ立ち尽くしていた。
「聞こえてるの? 消えなさいよ早く! もう顔も見たくない!
そうじゃないと、生まれてくる赤ちゃんも、そして浩二の奥さんになる人も憎むことになるから!」
私は改札を抜け、山手線の階段を駆け上がり、そのまま電車に飛び乗った。
浩二は追いかけては来なかった。
都会のイルミネーションの銀河の海を、電車は滑るように走って行った。
時折すれ違ういくつもの電車。
私は誰に憚ることなく声を出して泣いた。
メトロポリスの夜景が涙に沈んだ。
今もその時の光景は頭から離れない、深い悲しみになっていた。
半同棲のような学生生活を過ごしていたが、浩二が大学を卒業し、大手商社に就職すると大阪支社に配属となり、遠距離恋愛を余儀なくされた。
私はバイトに明け暮れ、そのバイト代で毎月彼のいる大阪を訪れていた。
それを苦痛に感じたことはなかった。
浩二に会うことが唯一の楽しみだったからだ。
「卒業したら私も大阪の会社に就職するね?」
「そうなったらここを引っ越さないとな?
1Kじゃ狭いから、2LDKのマンションで一緒に暮らそう。
それにここ、壁も薄いし」
「やだもう、浩二のエッチ」
ふたりの夢は広がるばかりだった。
浩二が大阪に移り住んでから1年半が過ぎた頃、彼から電話があった。
私は寝ぼけて携帯を取った。
「どうしたの? こんな夜中に珍しいわね?」
「碧、大切な話があるんだ。明日東京で会えないか?」
「バイトが20時までだから、それ以降なら大丈夫だよ」
「そうか? じゃあ東京駅のメトロポリタン・ホテルのレストランに21時でどうだろう?」
「うんわかった。大切な話って何?」
「それは会ってから話すよ」
浩二はそう言って一方的に携帯を切ってしまった。
私はいつもとは違う浩二の元気のない声が気になった。
(何かあったのかしら?)
翌日、バイトを終えるとトイレで入念にメイクを直し、汗で汚れた下着を替えた。
久しぶりに浩二に会えるかと思うと、私の心は躍った。
店に入ると窓際の席に浩二が座っていた。
私に気付くと彼は軽く手を挙げた。
「ごめん、急に呼び出したりして。バイト、疲れただろう?」
「ううん、平気だよ。浩二に会えてうれしいよ」
浩二はその言葉を無視した。
「お腹空いただろう? 何がいい?」
「そうねー、ヒラメのカルパッチョにウニと手長海老のパスタ、それから少しワインも飲んじゃおうかな? グラスワインを1つ、白で」
「わかった。じゃあ俺はイカ墨のリゾットで」
「やだあ、イカ墨のお口にキスするの? ふふっ」
私は笑ったが、浩二は笑わなかった。
私たちは当たり障りのない普通の会話をしながら食事を終えた。
浩二と腕を組み、人気の少なくなった夜の東京駅の構内を歩いた。
突然浩二が立ち止った。
「碧、俺、子供が出来たんだ。
相手は部長のお嬢さんだ。俺は責任を取らなければならなくなってしまった。
ごめん碧、許してくれ。俺、寂しかったんだ」
私は頭の中が真っ白になり、茫然とした。
「子供が出来たってどういうこと?
寂しいと子供が出来るの? ふざけないで!」
浩二は黙ったまま俯いていた。
「ねえ、どういうことなのって訊いているのよ!
答えてよ! 早く!
何がどうしたのよ! それって別れてくれっていうこと!」
「ごめん、碧」
私はグーで彼を殴った。
何度も殴った。キックもしたが所詮は女の細腕、腕力など知れたものだった。
浩二は抵抗もせず、私にされるがままになっていた。
「気が済むまで俺を殴ってくれ。俺はクズだ、クズ男のロクデナシだ・・・」
「浩二なんてだいっキライ! 死んじゃえバカ!」
「碧・・・」
「あなたなんか死ねばいいのよ! そんなダメ男!
殺してあげる、そしてあなたを殺して私も死ぬから!」
私はそのまま膝から崩れ落ちた。
東京駅のコンコースのコンクリートの床が、とても冷たく感じた。
「消えて! 今すぐ私の前から消えて!
そんな浩二、二度と見たくない!
すぐに消えてよ! 今すぐに!」
浩二は返事もせず、ただ立ち尽くしていた。
「聞こえてるの? 消えなさいよ早く! もう顔も見たくない!
そうじゃないと、生まれてくる赤ちゃんも、そして浩二の奥さんになる人も憎むことになるから!」
私は改札を抜け、山手線の階段を駆け上がり、そのまま電車に飛び乗った。
浩二は追いかけては来なかった。
都会のイルミネーションの銀河の海を、電車は滑るように走って行った。
時折すれ違ういくつもの電車。
私は誰に憚ることなく声を出して泣いた。
メトロポリスの夜景が涙に沈んだ。
今もその時の光景は頭から離れない、深い悲しみになっていた。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる