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最終話

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 3月になってもまだ寒さは衰えず、三寒四温を繰り返していた。
 ほころびかけた桜の蕾も、その日降った湿った雪に凍えていた。
 いつもと変わらぬ一日。

 静かな日曜日だった。
 私は息子の遼と一緒に、夫を見舞った。


 「段々、お花見ね?」
 「みんなでまた、花見がしたいな?」

 夫はかなり衰弱し、黄疸も酷くなっていた。
 掛けられた毛布が、とても薄く感じられた。
 私は亡くなった母の言葉を思い出していた。

 「死期が近づくとね、寝姿が薄くなって来るのよ」

 私は病院に夫を見舞う度、その母の言葉に怯えた。


 「リンゴでも剥きましょうか?」

 静かに頷く夫。
 私は家から持って来たリンゴの皮を剥き始めた。
 すると突然、遼が叫んだ。

 「ママ! お父さんがヘンだよ!」

 私の手から、リンゴとナイフが滑り落ちて行った。

 「あなた! あなたしっかりして!」

 私は慌ててナースコールのボタンを押し続けた。

 「どうしました?」
 「主人が、主人が!」
 「すぐに行きます!」



 あっけない最期だった。
 夫の光明は口元に笑みを浮かべ、天国へと旅立って行った。





 葬儀の時、沙也加は号泣した。

 「部長おおーーーーーっつ!」



 私には、もう流す涙も残ってはいなかった。
 看病に疲れ、身も心もボロボロだった。
 せめてもの救いは、遼が私を気丈に支えてくれたことだった。

 「ママ、僕、お父さんと約束したんだ。「ママのことは僕が守るから」って」

 随分と頼もしい息子に成長したと思う。
 この一言が無ければ、私は夫の後を追っていたかもしれない。
 



 四十九日の法要も終わったが、私はずっと喪服のままでいた。
 納骨もしばらくはしないつもりだ。
 というよりも、墓には入れず、ずっと傍に置いておきたかった。




 その日はもう四月だというのに、季節外れの雪が舞っていた。

 「お母さん、「なごり雪」だね?」

 いつの間にか遼は、私のことを「ママ」ではなく「お母さん」と呼ぶようになっていた。
 
 その雪はエデンの園を追われたエヴァのために天使が花に変えた、「スノードロップ」の花びらのようだった。
 天国に召された夫が、残された私と遼のために、「俺は天国でしあわせにしているから安心しろ」とでも告げるかのように、雪待草、スノードロップを降らせてくれているのだと、私はそんな気がしていた。

 「お母さん、今度の日曜日、お父さんのお位牌を持って、一緒にお花見に行こうよ」
 「そうね、お父さんと3人でね?」
     

                         『Snow Drop(雪待草)』完
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