【完結】陽炎(作品230623)

菊池昭仁

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第2話 晴美

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 一週間後、修一から電話が掛かって来た。

 「栄次、今度の金曜日なんだけど、空いてるよな?
 カノジョもいないお前だから、どうせヒマだろう?」
 「俺はいつも暇だよ、どうした?」
 「じゃあまた、この前の『春団治』に7時な?」
 「いいのか? 俺が一緒で?
 涼子ちゃんとデートだろ? お邪魔じゃないのか?」
 「今度はお前が主役だ! 俺と涼子はお前たちの仲人さん! 愛のキューピットってワケだ、あはははは」
 「俺が主役?」
 「正確には「お、ま、え、たち」だけどな?
 お見合いだよ、お、見、合、い」
 「見合いなんていいよ。まだ俺は半人前だから」
 「いいからいいから、心配すんなって。
 俺に任せておけって。涼子の音大時代の友だちなんだ。
 俺も一度だけ会ったことがあるんだけどな、すっごいかわいい子だから、期待して来い  
 よ。な、栄次?
 彼女の方は結構乗気だそうだ。ほら、この前三人で写メ撮っただろう? イケメンだって喜んでいたそうだ。
 ちなみに男と別れたばかりで今が狙い目だぞ。
 当日、お持ち帰りもあったりしてな? アハハハハ
 時間厳守だからな、遅れるなよ。じゃあ金曜日、7時だからな、絶対来いよ!」

 修一はそれだけ言うと、一方的に電話を切ってしまった。


 
 
 週末、金曜日の夜は、古いフランス映画のような小雨が降っていた。
 涼子とその友人の女の子は、少し遅れてやって来た。


 「ごめんなさい、遅れちゃって」
 「初めまして、三井晴美です」
 「どう? 栄次、凄くかわいいでしょ? 晴美ちゃん。
 涎が出ているわよ栄次のエッチ。うふふ」
 
 涼子は悪戯っぽく笑ってみせた。
 笑った笑顔がとても可憐だった。

 「ホントだ、涎が出ちゃうな。わはははは。
 アイドルみたいだろ? 栄次?」
 「褒め過ぎよ、富田君。
 でも涼子には負けるわ、涼子は女優さんみたいな大人の美人だから。
 それに比べたら私はまだお子ちゃまよ。
 でも、お酒なら涼子に負けないわよ。あはっ」
 「晴美ってこんなに小柄でチャーミングなのに、お酒は底なし沼なのよ。
 だから下心のある男性は、みんな撃沈されちゃうんだから」
 「こんばんは。はじめまして、上田栄次です」
 「どうだい、晴美ちゃん? コイツ、実物はもっとイケメンだろう?
 それに大地主の倅で東大からマサチューセッツ工科大の秀才。
 おまけにNASAの主任研究員だったんだぜ。
 NASAだよNASA、あのスペースシャトルのNASA!
 高校時代は俺と同じラガーマン。コイツがキャプテンで全国優勝。
 どれほど神様に愛されているのかねえ? 栄次の奴」
 「すごーい! スーパーエリートさんじゃないですかあ!」
 「ただの農家の長男ですよ、女子が嫌う」
 「そんなことありませんよ。私、お野菜とか作るの大好きなんです。
 ちっちゃい頃から泥だらけになって遊んでましたから」
 「晴美も中々のお嬢様なのよ。
 お母さんのご実家は誰でも知ってる、あの有名な戦国武将の末裔でね? お父さんは 
 病院経営をしていて地元では知らない人は誰もいないお金持ちなのよ。
 お兄さん二人と、妹さんもドクターだしね?
 私はピアノ科だけど晴美はチェロ科。
 プラハにも留学した経験がある才媛よ。
 それなのにいつも気取らないの。私の親友だから大切にしてあげてね? 栄次」

 「栄次」と私を呼び捨てにして微笑む涼子に、私は心を奪われていた。


 私と晴美はすぐに打ち解けることが出来た。

 「わかるわかる、もぎたてのトマトってとってもおいしいわよねー。
 私も大好き! よく母の畑からこっそり獲って食べてましたもん。
 あの少し青臭いところが最高なのよねー」
  
 晴美は本当に酒が強かった。
 生ビールの大ジョッキを5杯、その後に大吟醸を五合も飲んでいた。
 それでも顔はほんのり桜色になるだけで、肝機能は欧米人並みのようだった。

 修一はいつものように既に出来上がってしまい、居酒屋の座布団を枕に寝かされていた。


 晴美の飲み方はとてもエレガントなものだった。
 決してだらしない飲み方ではなく、明るく楽しい品のある飲み方だった。
 晴美と涼子がいると、居酒屋が王宮のようにさえ感じた。
 酒の飲み方にはその人間の品性が出るものだ。
 晴美の育ちの良さが窺えた。


 「お似合いよ、ふたりとも。羨ましいくらい」
 「何を言ってるのよ、涼子。
 あなたたちの方こそ、ラブラブのくせにー」
 「寝ちゃってるラブラブさんだけどね?
 この人、お酒に弱いくせにお酒が好きなのよ。
 お酒が好きというより、こうしてみんなといるのが楽しいんでしょうけどね?
 寂しがり屋さんなのよ、彼」

 涼子はカシオレを飲んでいた。
 グラスを口に運ぶその仕草が悩ましく、すらりと伸びた細くて白い腕を見た時、こ 
 の美しい肢体を修一が自由にしているのかと思うと、その艶めかしい光景を私は想
 像してしまった。


 「栄次、お代わりは?」
 「じゃあ同じ物を」
 「すみませーん、ハイボールをお願いしまーす」
 「あと、私も大吟醸!」
 「まだ飲むの?」
 「だって久しぶりに美味しいお酒なんだもん」
 「よかったね? 栄次。
 晴美がお気に入りなんてめずらしい事なのよ。
 中々ハードル高いんだから、晴美は」
 「何よ、涼子。さっきから栄次、栄次って呼び捨てにしてー。
 まるでアンタたちが付き合ってるみたいじゃないのー」
 「もしかして妬いてる?
 じゃあ、こんなこともしちゃたりしてー」

 すると突然、涼子が私の腕に抱きついてみせた。
 彼女のやわらかい胸の感触が腕に伝わる。


 「こらー、ダメダメ! 私の栄次君、じゃなかった栄次だぞー! あはははは」
 「ゴメンゴメン、晴美お嬢サマーっ!」
 「わかればよろしい。ちと栄次に近いぞよ、離れるがよい、涼子。アハハハハ」

 私の腕を離した際、涼子はさりげなく私の肩にボディタッチをした。
  

 「修一、帰るわよ」
 「あ、うん・・・。 今、何時?」

 修一は半分寝ぼけている様子だった。


 「もう11時だよ、ほら帰るわよ。
 晴美もウチに泊まって行くでしょ?」
 「栄次のところに泊まるー」
 「ホントに?」
 「ウソぴょーん、次はわからないけどねー。あはははは」

 晴美はそんなに酔ってはいないと思った。彼女は酔ったふりをしているように見えた。
 私は完全にイニシアチブを晴美に握られてしまっていた。


 「じゃあ、栄次。またね、おやすみ」

 帰る時、晴美は振り向きざまに私の頬にキスをした。

 「おやすみ、栄次」
 「晴美、やるーっ! 良かったね、栄次!」

 でもその時、涼子が悲しそうな顔をしたのを私は見逃さなかった。


 私は彼女たちと修一をタクシーに乗せて見送ると、今日の涼子との余韻を忘れることがないように、コルトレーンしかかけない馴染みのジャズ・バーに寄り、閉店までひとりで過ごした。

 店を出ると雨に濡れた夜の舗道を、一匹の白い猫が横切って行った。
 
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