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第1話
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君は火炎木を見たことがあるだろうか?
赤道直下の灼熱の太陽の下、
炎のように狂い咲く、紅の華を抱く樹木を。
ふたりの恋は「火炎木」のように激しく燃えた。
さめざめと泣く、女の涙のような長雨が続いていた。
葛城蘭子は暇を持て余し、毎年この時期になると訪れる、鎌倉の『あじさい寺』へとやって来た。
雨になると混雑する不思議な寺。
雨に濡れた紫陽花と、様々に咲く鮮やかな女傘たち。
それらがしっとりと、そして控えめに佇んでいた。
蘭子はそんな紫陽花とは対照的な、薔薇のように華やかな女だった。
可憐で美しく、いつも多くの人々を惹きつけてやまない薔薇の華。
たとえ一輪であっても絶対的な存在感を放つ薔薇。
しかもその華やかさ故、棘は鋭く、自分の内面にはけっして他人を寄せ付けようとはしない。
集団としての紫陽花の美とは対象的に、独立した薔薇の美を持つ蘭子。
そのふたつの華に共通していたのは、どちらも灰色の雨空によく似合う華だったということだ。
あじさい寺からの帰り、蘭子は久しぶりに大学時代の友人、由梨子のやっている、白い英国風のカフェに寄り、海を見ながらダージリンを飲み、アールグレイのシフォンケーキを楽しんでいた。
「雨の鎌倉もいいものでしょう? 私は真夏のごちゃごちゃとした鎌倉よりも、今のグレーな鎌倉が好き」
由梨子はティーポットにやさしく労わるように茶葉を入れると、そこに沸騰した熱いお湯を注いだ。
「いいわよねー? 鎌倉。
なんだか都心のマンションは落ち着かなくて。
東京はお買い物をするには便利な所かもしれないけど、なんだか飽きたなあ~、東京に住むのも」
「じゃあさ、引越して来れば? 鎌倉に」
「鎌倉に? そうかあ、そうすればいつもここで由梨子とお茶出来るもんね?」
「お金はちゃんと貰うわよ、商売なんだから」
蘭子と由梨子はそう言って笑った。
(鎌倉かあ、それもいいなあ、どうせ稔は仕事で忙しいし)
その夜、夫の稔はいつものように深夜に帰宅した。
しきりに何かを考えながら、私が出した軽いお茶漬けを食べていた。
「どうしたの? 何か考え事?」
「うん、どうしても新しいプロジェクトのチーム編成が上手くまとまらなくてね。
ほら、よくいるだろう? 個人の能力は高くても、集団の中ではその実力を発揮することが出来ない奴。
井沢は仕事は出来る男なんだが、リーダーとしての人望に欠けるんだよなあ」
「そうねー、結局リーダーは人望だもんね? 仕事は優秀な部下に任せちゃえばいいんだから」
「でもなあ、そろそろアイツにもいいポジションをあげたいんだよ、もうアイツもいい歳だし」
蘭子は思い切って鎌倉の話を稔に切り出してみた。
「ねえ、ここを引越さない?」
「何だよいきなり。どうして? 俺は気に入っているけどなあ、ここは便利だし眺めもいい。
会社にも近くて、東京駅や羽田にもアクセスがいいから出張にも適している。
だからここを選んだんだけどね? 鎌倉にいい物件でも見つけたのか?」
「実はね、今日、鎌倉の由梨子のカフェに寄ったら、なんだか私も鎌倉に住みたくなっちゃったの、ダメ?」
「駄目じゃないよ、鎌倉は俺もいつかは住みたい街だと思っていたからね。
でも中々ないよ、鎌倉にいい物件は」
「今回はマンションじゃなくて、1戸建にしたいの。
自分の想い通りに設計してみたいの。ねえ、いいでしょ? お願い!」
私は稔に手を合わせて懇願した。
「いいよ、蘭子が望むならそれで。問題は土地だな? 知り合いに当たってみるよ」
「ありがとう! あなた大好き!
さあこれから忙しくなるわね? お金のことはお願いね、私はお家の設計に専念するから」
「ハイハイ、期待しているよ、蘭子の作る家」
行動の早い夫は翌日、同じ経営者仲間の大村さんから建築家を紹介してもらうことになった。
三軒茶屋にアトリエを構えるその建築家は、とても不思議な男だった。
建築家というより、むしろ絵描きといった感じの男性だった。
ネルの白いシャツにチノパン、靴下は履かずに素足でデッキシューズを履き、髪の毛は天然パーマのボサボサ頭だった。
ただ、ミントの葉の浮かんだアイスティのように爽やかに澄んだ瞳をしているのが印象的だった。
「はじめまして、大村から紹介してもらいました葛城です。
とても素晴らしい建築家だと伺いました。どうぞよろしくお願いします」
その建築家は自己紹介もせず、いきなり私たち夫婦にこう言い放った。
「生き物なんですよ、家は。
その生き物と、私の生み出すその生き物と、あなたたちは暮らす覚悟がおありか?」
夫と私は顔を見合わせた。
「その覚悟がおありでなければ、他の建築家に依頼していただいた方がいい」
それが彼との初めての出会いだった。
赤道直下の灼熱の太陽の下、
炎のように狂い咲く、紅の華を抱く樹木を。
ふたりの恋は「火炎木」のように激しく燃えた。
さめざめと泣く、女の涙のような長雨が続いていた。
葛城蘭子は暇を持て余し、毎年この時期になると訪れる、鎌倉の『あじさい寺』へとやって来た。
雨になると混雑する不思議な寺。
雨に濡れた紫陽花と、様々に咲く鮮やかな女傘たち。
それらがしっとりと、そして控えめに佇んでいた。
蘭子はそんな紫陽花とは対照的な、薔薇のように華やかな女だった。
可憐で美しく、いつも多くの人々を惹きつけてやまない薔薇の華。
たとえ一輪であっても絶対的な存在感を放つ薔薇。
しかもその華やかさ故、棘は鋭く、自分の内面にはけっして他人を寄せ付けようとはしない。
集団としての紫陽花の美とは対象的に、独立した薔薇の美を持つ蘭子。
そのふたつの華に共通していたのは、どちらも灰色の雨空によく似合う華だったということだ。
あじさい寺からの帰り、蘭子は久しぶりに大学時代の友人、由梨子のやっている、白い英国風のカフェに寄り、海を見ながらダージリンを飲み、アールグレイのシフォンケーキを楽しんでいた。
「雨の鎌倉もいいものでしょう? 私は真夏のごちゃごちゃとした鎌倉よりも、今のグレーな鎌倉が好き」
由梨子はティーポットにやさしく労わるように茶葉を入れると、そこに沸騰した熱いお湯を注いだ。
「いいわよねー? 鎌倉。
なんだか都心のマンションは落ち着かなくて。
東京はお買い物をするには便利な所かもしれないけど、なんだか飽きたなあ~、東京に住むのも」
「じゃあさ、引越して来れば? 鎌倉に」
「鎌倉に? そうかあ、そうすればいつもここで由梨子とお茶出来るもんね?」
「お金はちゃんと貰うわよ、商売なんだから」
蘭子と由梨子はそう言って笑った。
(鎌倉かあ、それもいいなあ、どうせ稔は仕事で忙しいし)
その夜、夫の稔はいつものように深夜に帰宅した。
しきりに何かを考えながら、私が出した軽いお茶漬けを食べていた。
「どうしたの? 何か考え事?」
「うん、どうしても新しいプロジェクトのチーム編成が上手くまとまらなくてね。
ほら、よくいるだろう? 個人の能力は高くても、集団の中ではその実力を発揮することが出来ない奴。
井沢は仕事は出来る男なんだが、リーダーとしての人望に欠けるんだよなあ」
「そうねー、結局リーダーは人望だもんね? 仕事は優秀な部下に任せちゃえばいいんだから」
「でもなあ、そろそろアイツにもいいポジションをあげたいんだよ、もうアイツもいい歳だし」
蘭子は思い切って鎌倉の話を稔に切り出してみた。
「ねえ、ここを引越さない?」
「何だよいきなり。どうして? 俺は気に入っているけどなあ、ここは便利だし眺めもいい。
会社にも近くて、東京駅や羽田にもアクセスがいいから出張にも適している。
だからここを選んだんだけどね? 鎌倉にいい物件でも見つけたのか?」
「実はね、今日、鎌倉の由梨子のカフェに寄ったら、なんだか私も鎌倉に住みたくなっちゃったの、ダメ?」
「駄目じゃないよ、鎌倉は俺もいつかは住みたい街だと思っていたからね。
でも中々ないよ、鎌倉にいい物件は」
「今回はマンションじゃなくて、1戸建にしたいの。
自分の想い通りに設計してみたいの。ねえ、いいでしょ? お願い!」
私は稔に手を合わせて懇願した。
「いいよ、蘭子が望むならそれで。問題は土地だな? 知り合いに当たってみるよ」
「ありがとう! あなた大好き!
さあこれから忙しくなるわね? お金のことはお願いね、私はお家の設計に専念するから」
「ハイハイ、期待しているよ、蘭子の作る家」
行動の早い夫は翌日、同じ経営者仲間の大村さんから建築家を紹介してもらうことになった。
三軒茶屋にアトリエを構えるその建築家は、とても不思議な男だった。
建築家というより、むしろ絵描きといった感じの男性だった。
ネルの白いシャツにチノパン、靴下は履かずに素足でデッキシューズを履き、髪の毛は天然パーマのボサボサ頭だった。
ただ、ミントの葉の浮かんだアイスティのように爽やかに澄んだ瞳をしているのが印象的だった。
「はじめまして、大村から紹介してもらいました葛城です。
とても素晴らしい建築家だと伺いました。どうぞよろしくお願いします」
その建築家は自己紹介もせず、いきなり私たち夫婦にこう言い放った。
「生き物なんですよ、家は。
その生き物と、私の生み出すその生き物と、あなたたちは暮らす覚悟がおありか?」
夫と私は顔を見合わせた。
「その覚悟がおありでなければ、他の建築家に依頼していただいた方がいい」
それが彼との初めての出会いだった。
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