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第2話
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土地は更地では見つからず、中古住宅をそのまま購入して解体し、そこに家を建てることにした。
その土地は小高い丘の上にある、海の見える素晴らしい眺望が魅力だった。
蘭子はひと目でその土地を気に入った。
建築家の大徳寺はその場所にやって来ると、目を閉じて1時間もそこに立っていた。
「大徳寺さん、何をしているんですか?」
蘭子はアシスタントの野村園子に訊ねた。
「先生はいつもああなんです。家を建築する土地の声を聴いているんだそうです。どんな家を建てて欲しいのかを」
海からの心地良い潮風。
潮騒の音が聴こえ、カモメが鳴いていた。
江ノ電の走る音、裏の林のざわめきも聞こえる。
「すばらしいところですね? ここは。
とても気に入りました」
(変な人、私の家なのに。
気に入るのはあなたじゃないわよ)
蘭子はそんな大徳寺にイラついた。
蘭子たちは由梨子の店の一角を借りて、打ち合わせをすることにした。
「全体的なイメージはモンゴメリーの『赤毛のアン』の家なんです。
緑の屋根に赤い玄関ドア、壁は白いラップサイディング。それからなるべく収納は多くして下さいね? 服も靴も沢山あって、今のマンションでも手狭なんです。それから・・・」
大徳寺は静かに由梨子の淹れてくれたオレンジ・ペコーを飲んで、私の話を無視するかのように言った。
「オーナー、あなたは紅茶の天才ブレンダーですね?
オレンジ・ペコーにほんのりと少しだけ、ダージリンを加えて深蒸ししましたね?
ここで打ち合わせをするのがとても楽しみになりました」
「ありがとうございます。先生に褒めていただいて光栄です。
いつでもいらして下さいね? こちらにおいでの際には」
「是非」
蘭子は怒りに震えた。
クライアントの私が家の希望を伝えようとしているのに、大徳寺は全く耳を貸そうとはしなかったからだ。
「ちょっと大徳寺さん、私の話、聞いてます?」
「聞いていません」
「それって失礼じゃありませんか! 私はあなたの依頼主ですよ!」
大徳寺は紅茶のティーカップをソーサーに戻した。
「聞くに堪えなかったからです。
私は house は作らない。私が作るのは「home」 なんです。
私が知りたいのは、あなたがその家で何をして暮らしたいかです。
家のディティールは建築家である私が決めることです」
「私が住みたい家を造ってくれたらそれでいいのよ! 高いお金を払って設計を依頼しているんだから!
お客さんの望む家を造ればそれでいいの!」
大徳寺はボサボサの頭を両手で梳くと、銀縁の丸メガネの位置を整えた。
「奥さん、このお店の周りの家を見て御覧なさい。
これが素人のお客さんの意見に合わせて作った家たちです。
奥さんもこういう家がお望みなら、他の建築士にでも頼めばいい。私は建築士ではなく、建築家ですから」
気まずい沈黙が流れた。
「わかりました。そんなに言うんなら大徳寺先生、あなたの言う、その建築家とやらの家の設計を見せて下さい!
話はそれからね?」
「園子、奥さんの体の寸法を測って差し上げろ」
「わかりました」
「な、何よいきなり。失礼じゃないの? 体を測るだなんて!」
「家のモジュールは、そこに住む人に合わせるべきです。ヘンな気持ちではありません。
そもそも私はあなたを異性だと思ってはいないし興味もない」
「お互い様よ!」
野村はバッグからメジャーを取り出すと、蘭子の身体を測り始めた。
「奥様、失礼します。
掌の長さ、17センチ。腕の長さ、67センチ。頭部は・・・」
そしてひと通りの採寸が終わった。
「では奥さん、身長をお聞かせ下さい」
「168センチですけど、それが家作りとどんな関係があるんですか?」
「大いにあります。フェラガモの靴もダ・ヴィンチの絵も、解剖学を参考にしています。
家もそこに暮らす人に合わせて作るべきなのです。
それが面倒なら建売でもお買いになればいい」
由梨子は面白そうに笑いながら、レアチーズにブルーベリーソースを慎重に掛けた。
チーズケーキに淫らに広がる赤紫のソース。
「では、最後に一番大切なことをお尋ねします。
その家であなたは何がしたいですか?」
あまりに唐突な大徳寺の質問に、蘭子は狼狽えた。
そんなことは考えてもみなかったからだ。
ただ鎌倉に、人に自慢出来る、お洒落な家が欲しかった。
家の建築は自分の退屈を紛らわす、ただの暇つぶしだったからだ。
(あれ? 私はどんな暮らしがしたいんだろう? 子供もいないし・・・)
「では、今度お会いする時までの宿題といたしますのでじっくりと考えてみて下さい」
「はい・・・」
蘭子はニューヨークスタイルのチーズケーキにためらうようにフォークを入れた。
その土地は小高い丘の上にある、海の見える素晴らしい眺望が魅力だった。
蘭子はひと目でその土地を気に入った。
建築家の大徳寺はその場所にやって来ると、目を閉じて1時間もそこに立っていた。
「大徳寺さん、何をしているんですか?」
蘭子はアシスタントの野村園子に訊ねた。
「先生はいつもああなんです。家を建築する土地の声を聴いているんだそうです。どんな家を建てて欲しいのかを」
海からの心地良い潮風。
潮騒の音が聴こえ、カモメが鳴いていた。
江ノ電の走る音、裏の林のざわめきも聞こえる。
「すばらしいところですね? ここは。
とても気に入りました」
(変な人、私の家なのに。
気に入るのはあなたじゃないわよ)
蘭子はそんな大徳寺にイラついた。
蘭子たちは由梨子の店の一角を借りて、打ち合わせをすることにした。
「全体的なイメージはモンゴメリーの『赤毛のアン』の家なんです。
緑の屋根に赤い玄関ドア、壁は白いラップサイディング。それからなるべく収納は多くして下さいね? 服も靴も沢山あって、今のマンションでも手狭なんです。それから・・・」
大徳寺は静かに由梨子の淹れてくれたオレンジ・ペコーを飲んで、私の話を無視するかのように言った。
「オーナー、あなたは紅茶の天才ブレンダーですね?
オレンジ・ペコーにほんのりと少しだけ、ダージリンを加えて深蒸ししましたね?
ここで打ち合わせをするのがとても楽しみになりました」
「ありがとうございます。先生に褒めていただいて光栄です。
いつでもいらして下さいね? こちらにおいでの際には」
「是非」
蘭子は怒りに震えた。
クライアントの私が家の希望を伝えようとしているのに、大徳寺は全く耳を貸そうとはしなかったからだ。
「ちょっと大徳寺さん、私の話、聞いてます?」
「聞いていません」
「それって失礼じゃありませんか! 私はあなたの依頼主ですよ!」
大徳寺は紅茶のティーカップをソーサーに戻した。
「聞くに堪えなかったからです。
私は house は作らない。私が作るのは「home」 なんです。
私が知りたいのは、あなたがその家で何をして暮らしたいかです。
家のディティールは建築家である私が決めることです」
「私が住みたい家を造ってくれたらそれでいいのよ! 高いお金を払って設計を依頼しているんだから!
お客さんの望む家を造ればそれでいいの!」
大徳寺はボサボサの頭を両手で梳くと、銀縁の丸メガネの位置を整えた。
「奥さん、このお店の周りの家を見て御覧なさい。
これが素人のお客さんの意見に合わせて作った家たちです。
奥さんもこういう家がお望みなら、他の建築士にでも頼めばいい。私は建築士ではなく、建築家ですから」
気まずい沈黙が流れた。
「わかりました。そんなに言うんなら大徳寺先生、あなたの言う、その建築家とやらの家の設計を見せて下さい!
話はそれからね?」
「園子、奥さんの体の寸法を測って差し上げろ」
「わかりました」
「な、何よいきなり。失礼じゃないの? 体を測るだなんて!」
「家のモジュールは、そこに住む人に合わせるべきです。ヘンな気持ちではありません。
そもそも私はあなたを異性だと思ってはいないし興味もない」
「お互い様よ!」
野村はバッグからメジャーを取り出すと、蘭子の身体を測り始めた。
「奥様、失礼します。
掌の長さ、17センチ。腕の長さ、67センチ。頭部は・・・」
そしてひと通りの採寸が終わった。
「では奥さん、身長をお聞かせ下さい」
「168センチですけど、それが家作りとどんな関係があるんですか?」
「大いにあります。フェラガモの靴もダ・ヴィンチの絵も、解剖学を参考にしています。
家もそこに暮らす人に合わせて作るべきなのです。
それが面倒なら建売でもお買いになればいい」
由梨子は面白そうに笑いながら、レアチーズにブルーベリーソースを慎重に掛けた。
チーズケーキに淫らに広がる赤紫のソース。
「では、最後に一番大切なことをお尋ねします。
その家であなたは何がしたいですか?」
あまりに唐突な大徳寺の質問に、蘭子は狼狽えた。
そんなことは考えてもみなかったからだ。
ただ鎌倉に、人に自慢出来る、お洒落な家が欲しかった。
家の建築は自分の退屈を紛らわす、ただの暇つぶしだったからだ。
(あれ? 私はどんな暮らしがしたいんだろう? 子供もいないし・・・)
「では、今度お会いする時までの宿題といたしますのでじっくりと考えてみて下さい」
「はい・・・」
蘭子はニューヨークスタイルのチーズケーキにためらうようにフォークを入れた。
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