★【完結】火炎木(作品240107)

菊池昭仁

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第3話

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 蘭子はぼんやりと考えていた。

 (私は新しい家で一体何がしたいんだろう?)

 大徳寺の問いについての答えは、未だ見つからなかった。

 家は欲しかったが、その家で何がやりたいかと言われると、具体的なことは何も浮かんでは来なかった。
 素敵なキッチンでお料理をして、お洗濯にお掃除、紅茶を飲みながら大好きな小説を読んだり、音楽を聴いたり・・・。
 強いて言えば「快適に暮らしたい」ということになるのだろうが、それではあの大徳寺は納得しないだろう。

 いつの間にか蘭子は家づくりよりも、そんな生意気な大徳寺を凹ませてやりたいと思っていた。


 (そもそもお金を出して仕事を依頼しているのはこっちなのよ。何よ、偉そうに。
 たかが家じゃない)



 何も答えが見つからぬまま、打ち合わせの日がやって来た。
 蘭子はひとり、大徳寺の三軒茶屋のアトリエに向かった。



 「どうぞこちらへ」

 アシスタントの野村は打ち合わせスペースではなく、大徳寺の仕事部屋へ蘭子を案内した。

 無骨なチークのドアを開けると、こちらを向いて大徳寺はイーゼルの前に座っていた。
 油絵具や様々な塗料の匂い。白い漆喰の壁、床は傷だらけのオークだった。

 そこには夥しい数の絵が飾られていた。
 窓からの木漏れ陽が差し込んでいる。

 「どうぞそこにお掛け下さい。
 もう少しなんです、あともう少しなので」
 「はい」

 先日の不遜な態度ではなく、今日の大徳寺は紳士だった。
 蘭子はロココ調の猫椅子に座った。


 鋭い眼差しでカンバスに向かう大徳寺。
 すでに沈黙したまま30分が経過していた。


 「出来た! 葛城さん、あなたの家が今、完成しました!」
 「完成しましたって、まだ何も私の要望を伝えてはいませんけど」
 「どうぞこちらへ。御覧下さい、あなたの家です」


 蘭子は椅子から立ち上がり、イーゼルを覗いた。
 そしてその絵を見た瞬間、蘭子は稲妻に撃たれたように強烈な感動に襲われた。

 「これが私の、家・・・」

 森の中に沈む、急勾配の緑色の大きな屋根と白いラップサイディング、そしてビビッド・レッドの小さな玄関ドア。
 蘭子が漠然と考えていた家が今、そこに描かれていた。

 「ご要望は赤毛のアンの家でしたよね?」
 「どうしてそれを?」
 「先日、鎌倉でそうおっしゃっていたじゃないですか?」
 「えっ、ちゃんと聞いていてくれたんですか?」
 「奥さんはクライアントですからね? 私の大切な。
 今の住宅の設計はCADでする人たちが殆どです。
 簡単ですし、その方が効率もいい。
 でもそれは家の全体像が決まってからです。
 私は手書きに拘りたい。
 その方が建物に自分の想いが強く伝わると思うからです。
 魂が家に宿る。
 家は私の子供たちなんです。
 作家が原稿用紙に万年筆で作品を紡いでいくようにね?
 まあ、作家のひとたちも今はワープロでしょうけど」

 大徳寺はそう言って笑った。

 「素敵ですこれ! こんな感じです! 私の夢見ていた家は!」
 「そうでしたか? それは良かった」
 「先生、この絵、いただいてもいいですか? もちろんお金はお支払いしますので!」
 「お金は要りません、設計料に含まれていますから」
 「タダでいいんですか? この油絵」
 「もちろんです、デザイン画ですから。
 細かい詳細はパソコンで野村がやります。
 みなさん勘違いをされているのです。西洋建築はまずファサードから入ります。
 つまり、家はイメージを掴むことから始まるのです。
 それは音楽と同じです。
 作曲家は頭の中では既に音楽が聴こえているのです。
 天の音楽が。
 そしてそれを具現化するために、指揮者や演奏家が理解出来るように五線紙にそれを書き写していく。
 建築も同じです。私の中に浮かんだイメージを図面に起こしていくだけの作業なのです。
 職人さんたちがそれを正確に造るために。
 家づくりは芸術なんです。倉庫じゃありません」
 「先生から出された宿題、出来ませんでした」

 大徳寺は足を組んだ。

 「そうですよね? 「その家で何をしたいか?」なんて訊かれても、中々思い浮かぶことではありません。
 それはとてもひと言では言い表せないものだからです。
 安心して下さい、まともな人は答えることが出来ませんから。
 私は奥さんに考えて欲しかったのです。この家でどんな暮らしをしてみたいのかを。
 だから答えは要りません。
 ただ家が出来ればそれでいいのではなく、私の作る家を待ち焦がれてもらいたかった。
 生まれてくる子供を待つ母親のように」

 大徳寺の美しく澄んだ琥珀色の瞳の中に、蘭子はすっかり閉じ込められてしまった。

 蘭子は大徳寺に家の設計を依頼して、本当に良かったと思った。

 絵を包んでもらい、蘭子はその絵を強く抱き締めた。
 まるで愛しい我が子を抱くように。

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