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第9話

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 冷たい秋雨あきさめが降っていた。
 こんな日はショパンの『雨だれ』がいい。
 私はコンポにホロビッツのCDをセットした。

 ショパンはピアノの詩人だ。この鼠色した空から鍵盤に雨雫が落ちて来るようだった。
 時に哀しみは人を詩人にするものである。
 私の絶望など、ショパンほどではない。
 それが証拠に、私には一片の詩も浮かんでは来なかった。
 私は珈琲を飲み終えると、雨の中を散歩に出ることにした。

 
 駅まで歩き、電車に乗った。
 別に宛があるわけではなかった。ただ電車に乗り、私は流れてゆく雨の街を眺めていた。
 左から右へと流れていく車窓からの眺め。
 建物もクルマも人も、そして空も、それらは皆、時が過ぎてゆくように見えた。
 その時、私には時間が見えていたのである。
 私は時の川を下る舟の旅人だった。


 30分ほど電車に揺られ、終着駅に着いた。

 ホームの階段を登りかけた時、突然左目に墨汁が数本、流れたように見えた。
 どうやら眼底出血をしたようだった。
 私は再び電車に乗り、家路を辿った。


 午後になると曇ガラスのような世界になってしまった。 
 私は手探りで近所の眼科クリニックへ歩いて行った。

 医大の元助教授が開業したクリニックで、とても混雑していた。
 受付で両目が急に見えなくなったことを伝えたが、順番が早まることはなかった。

 ようやく私の番になり、その恰幅のいい老眼科医は私の目をルーペで見るなり笑いながら言った。

 「あはははは こりゃあダメだなあ。とりあえず大学病院に紹介状を書いてあげるから行ってみなさい」
 「今すぐにですか?」
 「どうせ手遅れだからいつでもいいよ」


 翌日、私は大学病院を受診した。

 診察を終え、40代くらいの医師が言った。

 「うーん、手術しましょうか? 今から入院になります」
 「今日からですか?」
 「なるべく早い方がいいです。
 ただし、既にかなり進行していますので、成功するかどうかはわかりません。
 これから明日の手術に備えて左目に注射をします。
 左目を手術した後、様子をみてから右目を手術することにします。
 ご家族に病状を説明したいのですがご家族は?」
 「家族は、いません・・・」
 「そうですか」

 私は麻酔液を目に塗られ、眼球に器具をはめられて注射をされた。
 せめてもの救いは注射針も見えなくなっていたことだった。
 もしも見えていたら恐怖は更に増していたはずだ。
 病室へ行き、入院の手続きをした。

 糖尿病であることは自覚していたが放置していた。
 片目を失うことは止むを得ないと覚悟してはいたが、まさか両目だとは思いもしなかった。
 失明の恐怖が私を襲った。
 私は病室を出て、誰もいないフロアの端で弥生に電話を掛けた。

 「どうかしたの?」
 「今日、入院したんだ」
 「そう、病気で?」
 「目が失明しそうなんだ」
 「無理をしたからよ」
 「子供たちは元気か?」
 「ええ、こっちは大丈夫。みんな元気だから」
 「そうか、それなら良かった。弥生は?」
 「私は大丈夫、いつもお金をありがとう」
 「いや、それは当然の事だから・・・。
 それじゃあ、そういうことだから」
 「お見舞いには行かないわよ。
 あなたの面倒を看てくれる女のひとはたくさんいるでしょうから」
 「電話して悪かったな?」
 「どこの病院なの?」

 私はそれには答えず、携帯電話を切った。
 私は弥生や子供たちに見舞いに来て欲しかった。
 それを伝えたくて電話をしたのだが、それは都合の良い話だった。
 私は自分の甘さと弱さを痛感した。
 弥生の心の傷はまだ癒えてはいなかったのだ。
 いくら私が不貞をはたらいたとはいえ、失明となればすぐに駆け付けてくれると思った自分が哀れだった。

 その後も子供たちからの電話はなかった。
 あれだけかわいがったのに、あれだけ金も掛けたのに、あれだけ・・・。
 そして私はハッとした。


    「あんなにしてやったのに」


 私はようやく目が醒めた。
 私は家族から捨てられたと思っていた。
 でも家族は私から「捨てられた」と思っていたのだと。
 私が家族を失ったのは、「してやった」とか「こんなにしてやっているのに」という尊大な想い上がった態度にあったのだと。
 だから「これくらいしてもいいはずだ」と勝手に思っていたのだ。
 そして私は決して家族に頼ろうとはしなかった。
 頼ってはいけないと思っていた。父親であり夫だからだと。
 経営者とはピッチャーマウンドの投手のようなもので、脚光は浴びるが孤独だった。
 勝って当たり前、負けは許されない。
 毎日がストレスとの闘いだった。
 社長になってからは食事も酒も美味いと思ったことは無い。
 それは女を抱いても同じだった。
 私は今まで何をしていたんだろう?


 4時間の手術を終えた。
 左目の網膜を剥離しないようにレーザーで点描画を描くように慎重に焼付け、硝子体を抜いて生理食塩水を入れ、一週間うつ伏せに寝かされた。
 頭が割れそうに痛み、吐き気もした。
 それはまるで拷問のようだった。

 再手術となり、今度は生理食塩水ではなくシリコン・オイルを注入した。
 痛みは治まったが、左目から光が消えた。
 
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