★【完結】慕情(作品230708)

菊池昭仁

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第6話

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 酒と女に溺れる毎日、私はダメ医者だった。
 私の専門は小児外科だったが、ある日からメスを握ることが出来なくなってしまった。
 それは咲ちゃんという5歳の女の子との出会いから始まる。

 咲ちゃんは小児がんだった。
 助かる見込みのない子だったが、私にはよく懐いていた。


 「君島先生、ほら見て、シェリー・メイにママがおリボンをつけてくれたの。
 かわいいでしょう?」
 「ホントだね? ピンクのリボン、かわいいね?」
 「うん。咲ちゃんね? 早くお家に帰りたいなあ。
 先生、いつ帰れる?」

 
 私が小児外科を目指したのは、ひとりでも多くの子供の痛みを、命を救いたいと思ったからだ。
 だが、現実は悲惨なものだった。
 幼い命がこの手から零れ落ちていく毎日に、私は自己嫌悪に陥っていた。

 
 (どうして俺には救えない? この天使のような咲ちゃんの命を・・・)


 大学病院には咲ちゃんのような患者がたくさんやって来る。
 だが、不思議なことに短い命を終える子供たちは、その短い一生の中で精神的に成長するのだ。
 咲ちゃんも例外ではなかった。


 「先生、お嫁さんはいるの?」
 「いないよ、独りぼっちなんだ」
 「そう、じゃあ咲ちゃんが先生のお嫁さんになってあげる」
 「ありがとう、咲ちゃん」


 とても5歳の女の子の口調ではなく、それはまるで高校生が話すような口ぶりだった。



 カウンセリングルームで咲ちゃんの両親に病状を説明した。
 それは余命宣告だった。


 「君島先生、咲はもう助からないんですか? 何か方法はないんですか!
 咲はまだ5歳なんですよ? なんで咲ばっかり、こんな目に遭うんでしょうか?
 私が主人を前の奥さんから奪ったからですか? その罰なの? 先生、教えて!」

 旦那さんは泣きながら奥さんをなだめた。


 「すみません、妻が取り乱してしまいまして・・・。
 正直、私も気が狂いそうです。どうして咲が・・・」
 「私は咲ちゃんのようなお子さんをたくさん看取って来ました。
 私は思うのです。まだ幼い子供でも100歳を超えたお年寄りでも、命の尊さは同じだと。
 人は病気や不慮の事故で亡くなるのではありません。寿命で天に召されるのです。
 どうかご理解下さい。
 私たちも全力でサポートしますから」
 「先生、手術も出来ないのですか?」
 「残念ですが・・・」


 それでも私は諦め切れず、海外の論文や実例を調べた。
 その中に、咲ちゃんと同じ症例を見つけ、私は早速その医師とコンタクトを取った。
 すると、その論文を書いたベルリン大学の医師は私にこう言った。

 「理論的には可能だが、それが成功するかどうかの確率は5%にも満たないよ」

 と言われた。
 私は合同カンファレンスでその事情を説明した。


 「君島、それは無理な話だ。リスクが大きすぎる。
 気持ちはわかるが、私たち医者は神ではない。
 100人のうちのすべての患者の命を救うことは不可能なんだよ」

 そう佐伯准教授は言った。
 カンファレンスは終了した。




 そして2週間後、咲ちゃんは天国へと旅立った。


 「咲を返して! この人殺しーっつ!」

 泣き叫ぶ咲ちゃんの母親。訴えられることはなかったが、私は大学病院を辞めた。
 今も咲ちゃんママの叫び声が耳から離れない。
 私は医者として失格だった。


 そして今、私は採血と尿検査をしてデータ分析を行い、クスリを処方するだけの糖尿病のクリニックの手伝いをしていた。
 ここでは人は死なない。
 死にそうな患者は大学病院へ紹介状を書いて送り出せば良かった。


 「佐々木さん、ヘモグロビンA1cも6.5になりましたね? いい傾向ですよ」
 「先生、腎臓の方はどうでしょうか?」
 「クレペチンの方は横ばいですから、あと5キロはダイエットして下さい。肥満はよくありませんから」
 「ついつい食べちゃうんですよねー」
 「私は夜はなるべく食べないようにしています。
 佐々木さん、キュウリとかトマトがいいですよ、お腹も膨れるし」
 「そうですね? がんばってみます」
 「ではお薬は35日分処方しておきますね?」
 「ありがとうございました」
 「お大事に」


 理恵が話し掛けてきた。

 「先生、今日の患者さんはこれで終わりです。
 今日のご予定はまたキャバクラですか? それとも別な子猫ちゃんとですか?」
 「今日は映画だ。メグ・ライアンのね?」
 「私もメグ・ライアン、大好きなんです! ご一緒してもいいですか?」
 「ごめん、映画はひとりで観る主義なんだ」
 「じゃあアダルトビデオは?」
 「その時は一緒にね? 近い内にまた誘うよ」
 「絶対ですよ!」

 私はクリニックを後にした。
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