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第二章

第5話 社葬

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 岩倉は自分の余命にまで実直な男だった。
 海で会った老人は、岩倉だったのかもしれない。
 自分の死を知らせる為に、暇乞いにやって来たのだろう。
 医者の宣告通り、岩倉はあの世へ旅立った。


 先週、病院に見舞いに行った時にはラーメン屋の話をした。

「昔、よく食べに行ったよな? 山岸屋のチャーシューワンタン麺。
あれ、また食いたいなあー」
「旨かったですよね? 山岸屋のラーメン。
北海道の十勝に行っちゃいましたから、もう出前は無理ですよ、社長」

 俺は今でも岩倉を社長と呼んでいた。

「死ぬ前に食いてえなあ。山岸屋のチャーシューワンタン麺」
「退院したら行きましょうよ、北海道へ山岸屋のラーメンを食いに」
「そうだな」

 岩倉は寂しそうに笑った。
 人は死期が迫ると寝姿が薄くなる。
 毛布を掛けた岩倉は、かなり薄くなって見えた。

 岩倉は家で死ぬことを望まなかった。
 家族に迷惑を掛けたくなかったからだ。
 岩倉らしいと思った。
 病床で家族に囲まれ、岩倉は静かに息を引き取った。

 

 俺は自宅に戻った岩倉の遺体の前で夜を明かした。
 
 「社長、ダメじゃないですか、退院したら北海道に山岸屋のラーメンを食いに行って約束したじゃないですか?
 寝ている場合じゃないですよ」

 看病からの解放と悲しみに、傍らの夫人も力なく呟いた。

 「そうですよあなた。
 杉田さんの言う通りですよ、早く起きて下さい・・・」

 俺たちに涙はなかった。
 もうすでに涙は枯れていた。

 
 
 岩倉の社葬は盛大に執り行った。
 総務部長の村山がやって来て俺に言った。

 「社長、総務にとって社葬はいちばんの桧舞台です。
 社葬をきちんと取り仕切るのが総務マンとしての誇りなんです。
 すみません、不謹慎なことを言って」
 「村山、俺の時も頼むぞ」
 「長生きして下さいよ、杉田社長は・・・」

 そして村山は号泣した。
 こいつも岩倉のファンだった。

 会社とは総務と女子社員で決まるものだ。
 総務は過酷だ。営業でも現場でもないものは全て総務へ投げ付けられる。

 会社にはどんなボールが、いつどこから飛んで来るか分からない。
 中にはボールではなく、爆弾の場合もある。
 ピンポン玉のような小さくて軽いものもあれば、解体に使うクレーンの重くて巨大な鉄球もやって来るのだ。

 それをこの村山は上手に捌いてくれていた。
 誰に褒められるわけでもなく、淡々と。

 村山と秘書の田子倉がいる限り、この会社は安泰だろう。
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