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第三章
第4話 春の宴
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3月初旬としては比較的暖かい日曜の昼だった。
桜はまだ固い蕾のままだった。
田代と絹世は庭でバーベキューの準備をしていた。
エプロン姿の絹世は眩しいほど美しかった。
俺は田子倉の選んでくれた、赤と白のワインを手土産に持参した。
「本日はお招きいただいてありがとうございます。
大変ご無沙汰しております、田代様。
三寒四温とは申しますが、今日は暖かくて気持ちのいい春の日で何よりです。
これで桜の開花も早まることでしょう。
確かワインがお好きだと記憶しておりましたので、今日は赤と白をお持ちしました。
銘柄は私の秘書が詳しいので、彼女に選んでもらいました。
田代様のお口に合いますかどうか?」
「ようこそ杉田さん。折角お休みのところ、お呼び立てして申し訳ありません。
妻から杉田さんが社長になられたと聞いたものですから、そのご就任のお祝いも兼ねましてささやかな春の宴を催した次第です。
すみません、このような高価なワインまでいただいて。
『ルイ・ロデレール・クリスタル』の2009年と『シャトー・レオヴィル』の2003年ですか? すばらしいチョイスです。
その秘書さんによろしくお伝え下さい」
私は敢えて高級ワインを選ぶように祥子に命じた。
「祥子、ワインを買って来てくれねえか。家に食事に招待された手土産としてだ」
「ご予算は?」
「2本で10万だ」
「かしこまりました。そのクラスだと比較的ワイン通の方でも納得のいく物が揃うかと思います」
「よろしく頼む」
「贈る相手様は?」
「数年前、世田谷に建てた田代さんだ」
「あの奥様のお綺麗な?」
「そうだ。覚えているか?」
「もちろんですよ。社長の好みの奥様は特に」
祥子は笑っていた。彼女はすべてお見通しのようだった。
そうでなければ10万円のワインなど、いくら施主とは言え、手土産にするはずがないと考えているようだった。
「それは良かったです。喜んでいただいて。秘書にもそう伝えます、合格だったと。あはははは」
「では、早速乾杯いたしましょう。絹世、杉田社長にシャンパンをお注ぎして」
「はい。杉田さん、お久しぶりです。社長さんに出世なさったそうですね? おめでとうございます」
「ただ渾名が変わっただけですよ」
絹世はシャンパンを開け、グラスに注ぐとそれを俺に渡した。
その時軽く、絹世の手が俺の手に触れ、絹世はチラリと私を見た。
「それでは乾杯いたしましょうか? 杉田さん、社長ご就任、おめでとうございます!」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。田代様、奥様」
私たちはグラスを合わせた。
「さあどんどん召し上がって下さいね? ジャンジャン焼きますから」
BBQコンロの炭の状態は安定していた。
田代は肉や野菜、海鮮類などを次々と網に載せた。
「肉は昨日から特製のタレに漬け込んでおきました。僕は隠し味にコーラも入れるんですよ。
アメリカに留学していた時に覚えました。肉に甘味も出るし、やわらかくなるんですよ」
ほどよく焼けたリブロースを田代がトングで拾い上げると、それを俺の皿に乗せようとした時、肉が芝生の上に落ちた。
それは落ちたのではなく、正確にはわざと「落とした」というべき行為だった。
「ああ、せっかく杉田社長に差し上げようとした肉が落ちてしまいました。この悪い肉め!」
田代は靴で何度もその肉を踏みつけた。
「絹世、お前のせいだぞ、この肉はお前が喰え」
その場の雰囲気が一瞬で凍り付いた。
絹世はただ立ち尽くしたまま無言だった。
私はその肉を拾い上げ、タレに付けて肉を食べてみせた。
「かなりワイルドな味がしますね? これは絶品だ!」
「ではもっといかがですか?」
「いえ、もう腹が一杯です」
「そうですか? その肉と私の妻、どちらが美味でしたか?」
「失礼、私はパーティジョークに不慣れなもので。こんな時はどのように切り返すのがお洒落なのですか?」
「簡単ですよ、僕にそこで土下座をすればいい。「奥さんはたいへん美味しい人妻でした」とね?」
私は膝を折り、田代に土下座をした。
すると田代は土足で私の頭を無言で踏みつけた。
「辞めてあなた!」
絹世は叫び、田代に縋った。
「お前もこの間男と一緒に土下座しろよ、この淫売!」
「奥さんは関係ありません! 奥さんを口説いたのは私の方です! どんな罰もお受けします! 奥さんを私に下さい!」
私は思わず「私に下さい」と言ってしまったが後悔はなかった。
「下さい? この淫乱女を? いいですよ、タダで差し上げます。どうせこの女にもう未練はありませんから」
その時、庭にひとりの若い女性が入って来た。
「紹介しますよ、ボクの新しい妻になる女性です」
「はじめまして、聡美です。
私、田代さんにプロポーズされました」
「そういうことだから絹世、お前は今日限りでこの家から出て行ってもらう。
俺の子供も産めないお前にもう用はない」
田代はジャケットの内ポケットから離婚届けを出して絹世に叩きつけた。
「お前の荷物は明日、俺がいない間にすべて運び出せ。
さあ、これで茶番は終わりだ。
ふたりともここから出て行ってくれ。今すぐに!
ワインはいただいておくよ、折角の高級ワインだからね?」
「着替えてくるから少し待っていて下さい」
「着替える? またあの下品な下着にか? あはははは」
そして私と絹世は田代邸を後にした。
桜はまだ固い蕾のままだった。
田代と絹世は庭でバーベキューの準備をしていた。
エプロン姿の絹世は眩しいほど美しかった。
俺は田子倉の選んでくれた、赤と白のワインを手土産に持参した。
「本日はお招きいただいてありがとうございます。
大変ご無沙汰しております、田代様。
三寒四温とは申しますが、今日は暖かくて気持ちのいい春の日で何よりです。
これで桜の開花も早まることでしょう。
確かワインがお好きだと記憶しておりましたので、今日は赤と白をお持ちしました。
銘柄は私の秘書が詳しいので、彼女に選んでもらいました。
田代様のお口に合いますかどうか?」
「ようこそ杉田さん。折角お休みのところ、お呼び立てして申し訳ありません。
妻から杉田さんが社長になられたと聞いたものですから、そのご就任のお祝いも兼ねましてささやかな春の宴を催した次第です。
すみません、このような高価なワインまでいただいて。
『ルイ・ロデレール・クリスタル』の2009年と『シャトー・レオヴィル』の2003年ですか? すばらしいチョイスです。
その秘書さんによろしくお伝え下さい」
私は敢えて高級ワインを選ぶように祥子に命じた。
「祥子、ワインを買って来てくれねえか。家に食事に招待された手土産としてだ」
「ご予算は?」
「2本で10万だ」
「かしこまりました。そのクラスだと比較的ワイン通の方でも納得のいく物が揃うかと思います」
「よろしく頼む」
「贈る相手様は?」
「数年前、世田谷に建てた田代さんだ」
「あの奥様のお綺麗な?」
「そうだ。覚えているか?」
「もちろんですよ。社長の好みの奥様は特に」
祥子は笑っていた。彼女はすべてお見通しのようだった。
そうでなければ10万円のワインなど、いくら施主とは言え、手土産にするはずがないと考えているようだった。
「それは良かったです。喜んでいただいて。秘書にもそう伝えます、合格だったと。あはははは」
「では、早速乾杯いたしましょう。絹世、杉田社長にシャンパンをお注ぎして」
「はい。杉田さん、お久しぶりです。社長さんに出世なさったそうですね? おめでとうございます」
「ただ渾名が変わっただけですよ」
絹世はシャンパンを開け、グラスに注ぐとそれを俺に渡した。
その時軽く、絹世の手が俺の手に触れ、絹世はチラリと私を見た。
「それでは乾杯いたしましょうか? 杉田さん、社長ご就任、おめでとうございます!」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます。田代様、奥様」
私たちはグラスを合わせた。
「さあどんどん召し上がって下さいね? ジャンジャン焼きますから」
BBQコンロの炭の状態は安定していた。
田代は肉や野菜、海鮮類などを次々と網に載せた。
「肉は昨日から特製のタレに漬け込んでおきました。僕は隠し味にコーラも入れるんですよ。
アメリカに留学していた時に覚えました。肉に甘味も出るし、やわらかくなるんですよ」
ほどよく焼けたリブロースを田代がトングで拾い上げると、それを俺の皿に乗せようとした時、肉が芝生の上に落ちた。
それは落ちたのではなく、正確にはわざと「落とした」というべき行為だった。
「ああ、せっかく杉田社長に差し上げようとした肉が落ちてしまいました。この悪い肉め!」
田代は靴で何度もその肉を踏みつけた。
「絹世、お前のせいだぞ、この肉はお前が喰え」
その場の雰囲気が一瞬で凍り付いた。
絹世はただ立ち尽くしたまま無言だった。
私はその肉を拾い上げ、タレに付けて肉を食べてみせた。
「かなりワイルドな味がしますね? これは絶品だ!」
「ではもっといかがですか?」
「いえ、もう腹が一杯です」
「そうですか? その肉と私の妻、どちらが美味でしたか?」
「失礼、私はパーティジョークに不慣れなもので。こんな時はどのように切り返すのがお洒落なのですか?」
「簡単ですよ、僕にそこで土下座をすればいい。「奥さんはたいへん美味しい人妻でした」とね?」
私は膝を折り、田代に土下座をした。
すると田代は土足で私の頭を無言で踏みつけた。
「辞めてあなた!」
絹世は叫び、田代に縋った。
「お前もこの間男と一緒に土下座しろよ、この淫売!」
「奥さんは関係ありません! 奥さんを口説いたのは私の方です! どんな罰もお受けします! 奥さんを私に下さい!」
私は思わず「私に下さい」と言ってしまったが後悔はなかった。
「下さい? この淫乱女を? いいですよ、タダで差し上げます。どうせこの女にもう未練はありませんから」
その時、庭にひとりの若い女性が入って来た。
「紹介しますよ、ボクの新しい妻になる女性です」
「はじめまして、聡美です。
私、田代さんにプロポーズされました」
「そういうことだから絹世、お前は今日限りでこの家から出て行ってもらう。
俺の子供も産めないお前にもう用はない」
田代はジャケットの内ポケットから離婚届けを出して絹世に叩きつけた。
「お前の荷物は明日、俺がいない間にすべて運び出せ。
さあ、これで茶番は終わりだ。
ふたりともここから出て行ってくれ。今すぐに!
ワインはいただいておくよ、折角の高級ワインだからね?」
「着替えてくるから少し待っていて下さい」
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そして私と絹世は田代邸を後にした。
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