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第四章

第18話 実らぬ想い

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 ホテルの部屋に入ると、絹世はコートを着たままベッドの上に大の字になった。

 「早く脱がせてよ。したいんでしょう? 私とセックス?」

 桜井はソファに腰を降ろした。

 「さっきはすみませんでした」
 「何よ今さら。バカじゃないの?
 やるのやらないの? ただしこれが最初で最後。約束出来る?」
 「僕にはそういう趣味はありません」
 「趣味って無理矢理するわけじゃあるまいし」
 「愛のないセックスはしない主義なんです」
 「愛のないセックスですって? あはははは セックスに愛なんているの? 気持ち良ければそれでいいじゃないの。アンタ何を贅沢な事言ってんのよ。中学生じゃあるまいし」
 「僕は絹世さんにただ好意があるだけじゃないんです。愛しているんです。あなたのことを。
 だから僕を愛してくれない絹世さんを抱くわけにはいかないんです」
 「ねえ、不倫しちゃダメなの?
 好きになった人にたまたま奥さんがいただけじゃないの。バカバカしい。
 この歳になるとね? イイ男はみんな誰かの物になっているものよ。
 だったらその所有者から奪うしかないじゃない。
 でも私は奥さんから彼を奪いたいなんて思わない。
 結婚が何? たかが紙切れ1枚で繋がっているだけの形式じゃないの。死んだら生命保険の受取りや財産が欲しいから? それとも世間体?
 真実の愛があれば結婚なんて必要ないわ!
 私は奥さんよりもずっと彼を愛しているという自負がある。
 それだけでしあわせなのよ!」
 「いつでも会えない関係でもいいんですか? 人目を忍ぶ逢瀬でも?」
 「別に。中々会えないからいいんじゃない。 こっそり会うからスリルが味わえるのよ。
 郷ひろみだって歌っているでしょう?「会えない時間が愛育てるのさ」って。
 私はいいの。永遠の片想いで」
 「本当に好きなんですね? その人のことが」
 
 絹世はベッドから起き上がると、桜井に言った。


 「部長は本当に女を愛したことがある?」
 「そりゃあありますよ。僕にだって」
 「あなたの愛は愛じゃないわ。色恋よ。
 ただ好きなだけ、やりたいだけ。
 恋はね、下に心って書くでしょう? つまり下心。相手に求めることなの。
 でも愛は真ん中に心がある。相手に自分のすべてを捧げ、見返りを求めないのが本当の愛。真実の愛なのよ。
 簡単に言えば奪うのが恋で、与えるのが愛。
 私は彼に何も求めはしない、ただ自分を与え尽くすことで彼が喜ぶのがうれしいだけ」
 「そんなの悲し過ぎます」
 「悲しい? どうして?」
 「だって絹世さんはその男性に自分を与えるだけじゃないですか?」
 「彼も私を愛してくれているわ。苦しみながら悩みながらね。
 それ以上何を望むと言うの?」
 「いつも一緒にいたいと思うのが恋愛じゃないですか?」
 
 絹世は話題を変えた。

 「あなたはどうして奥さんと別れたんだっけ?」
 「だから僕の浮気のせいだと言ったじゃないですか?」
 「部長が私の不倫に拘るのは自分も同じことをしていたからでしょう?
 結局それで奥さんも彼女さんも悲しませた。
 ただそれを認めたくないだけなのよ。
 あなたは不倫を悪い事だと知りながら、奥さんと彼女を欺いた。どっちも欲しかったから。 どっちも手放したくなかった。
 もしもあなたが本当に彼女を愛していたのならそんな惨いことはしなかったはず。
 あなたにとって彼女はただの都合のいい女、セフレだって事よね? 少なくとも彼女はあなたと結婚したかったハズ。
 だってそうでしょう? 好きな男が離婚して一人になったのよ。それなのに彼女はあなたを捨てた。
 それってただ奥さんに悪いと思ったからでしょう?
 彼女と再婚することが。
 自分の不倫を認めたことになるものね?
 でもあなたは奥さんに対して「本当はお前が好きなんだ」ってカッコつけただけじゃない。
 そんな卑怯な男に愛を語る資格なんてないわ。
 そんな男に私は1ミリも人間としての魅力を感じない。
 そして私は銀行員はダメなの。前の夫が銀行員だったから。
 私は二度と同じ間違いをしたくないの。
 夫を勧めたのは私の両親だったけどね」
 
 桜井は黙ってしまった。


 「しないなら帰って。私は今夜はここに泊まっていくから」
 「わかりました。実は私は今年の春の人事異動で御社の出向から銀行に戻り、支店長に内定しています。
 あと2か月ほどですが、今まで通りの関係でお願いします。ではこれで失礼します」
 「そう、わかったわ。じゃあおやすみなさい」
 「おやすみなさい」

 桜井は部屋を出て行った。

 絹世は熱いシャワーを浴びて泣いた。

 それは今夜の桜井との遣り取りに対してではなく、自暴自棄になって杉田を忘れようとした惨めな自分への涙だった。
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