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第四章

第20話 奇妙な晩餐

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 華蓮と遥は度々会うようになっていた。
 今日は珈琲ショップで待ち合わせをした。

 「遥もキャラメルマキアートでいい?」
 「自分の分は自分で払うよ」
 「いいからいいから、お姉ちゃんが奢ってあげる。アンタ、大学に入るためにバイトしてんだからさあ」
 「いつもごめんね」
 「じゃあキャラメルマキアート、2つ下さい」
 「かしこまりました。ではそちらでお待ち下さい」


 華蓮と遥は店内のソファーに並んで座った。

 「ごめんね、受験とバイトで忙しいのに呼び出したりして。でもたまには気晴らしも必要よ、大学はどこを受けるか決めたの?」
 「一橋にするつもり」
 「凄いじゃない! 遥、頭いいんだ? 学部は?」
 「法学部」
 「弁護士になりたいの? それとも検事? 裁判官とか?」
 「弁護士。弱い人を救ってあげたいから」
 「そうなんだ。でもどうして一橋なの?」
 「ママが一橋だったから」
 「へえー、遥のママ、一橋なんだあ。それで遥も一橋かあ」
 「いただきます」
 「ああ、飲んで飲んで」

 ふたりは仲良くストローを啜った。
 ひとりっ子の遥は華蓮とこうして会うのが嫌いではなかった。
 あの日以来、華蓮は遥のことを何かと気にかけて、食事やお茶に遥を誘った。

 「華蓮はどこの大学なの?」
 「私は明治よ。文学部」
 「本が好きなの?」
 「私、小説家になりたいの。今も少しずつだけど書いているのよ」
 「凄いじゃない、小説を書くなんて。
 私には無理だなあ」
 「まだ小説と呼ぶには程遠いけどね? 受験勉強はどう? はかどってる?」
 「ぼちぼちね?」
 「他にはどこを受験するの?」
 「私立は無理だから一橋だけ。落ちたらまた来年チャレンジするつもり」
 「遥らしいわね? でも遥なら大丈夫だと思う」
 「どうして?」
 「だって私の妹だから」

 遥はクスっと笑った。華蓮の言葉がうれしかった。

 「ところで遥、いつもアンタ、同じ服ばかり着てるね?」
 「今は我慢だよ」
 「サイズは私と殆ど同じだと思うからさ、よかったら私の服、着てみない? あげるから」
 「えっ? 華蓮の服を私に?」
 「イヤならしょうがないけどさ」
 「イヤだなんてそんな」
 「じゃあこの後、ウチにおいでよ。遥が好きなのあげるから」

 遥は一瞬戸惑った。
 華蓮の家に行くということは杉田の家に行くということだからだ。
 だが遥は思った。
 杉田がどんな家でどんな家族と暮らしているのかを垣間見てみたい気もする。

 「でも、迷惑じゃない? 私が華蓮の家に行くのって?」
 「ママに遭うのが怖い? 大丈夫よ、私の後輩ちゃんだって紹介するから」
 「後輩?」
 「それでもイヤ?」
 「そうじゃないけど・・・」
 「じゃあ決まり! 今日はバイトお休みだったわよね? ついでにご飯も食べて行きなよ」
 「ご飯はいいよ」
 「いいのいいの。でも本当は気になるでしょう? 遥のの奥さんがどんな人か?」

 図星だった。
 確かに興味はある。ママと何が違っているのか見てみたい気は否めない。
 何が勝っているのかを。




 華蓮の家は世田谷にあったが、そこは豪邸ではなく、かと言って建売のような家でもなかった。
 小さいが、よく手入れのされた庭があり、もうすぐ訪れる、春を待っているかのような家だった。


 「ここよ。小さいけど素敵な家でしょう? 私が幼稚園の時にお父さんが設計して建てたのよ。
 さあ入って。ただいまー」
 「おかえりなさーい」

 家の奥から女性の声がした。
 華蓮のママ、パパの奥さんだろう。
 遥は心臓が張り裂けそうだった。


 「スリッパはそれを使ってね?」
 「あっ、はい」

 遥はスリッパを履いて、華蓮の後についてリビングに入った。

 「ママー、この子、後輩の遥。
 要らなくなった私の服をあげようと思って家に呼んだの。
 私の部屋で遊んでるからさあ、夕食は遥の分もお願いね?」
 「いらっしゃい、遥ちゃん。
 母の珠江です。何もないけどお夕飯、食べて行って頂戴ね?」

 遥は一瞬、言葉を失ってしまった。
 それは珠江がどことなく、雰囲気や話し方が母に似ていたからだ。

 「は、はじめまして、沢村遥です。
 いつも華蓮さんにはお世話になっています」
 「ゆっくりして行ってね? 後でお茶を持って行ってあげるから」
 「ありがとうママ。行こう、遥」


 階段はリビングにあり、二階とのアクセスは必ずリビングを通るように設計されていた。
 おそらくこれは、杉田が家族とのコミュニケーションを大切にしたいという表れだと思った。
 遥は少し気が重くなった。

 家は整然と片付けられ、華美な置物などはなかったが、油絵の風景画が数点、飾られていた。


 
 華蓮の部屋は白と水色で統一されていた。
 
 「ウチのママ、美人でしょう? そこら辺に適当に座って」

 華蓮は大きな紙袋に服をどんどん詰め始めた。
 しかもそれはどれもタグの付いた新品か、クリーニングされてハンガーにかけられている物ばかりだった。

 「そんなに高価な服、要らないよ。華蓮のお古でいいのに」
 「いいからいいから。それから靴下とか下着もあげるね? 胸は遥の方が大きいからブラはダメだけど、パンツは大丈夫でしょ? まだ履いてないからあげる。
 上下お揃いじゃなくなっちゃうけどね? あはははは」
 「もう十分だよ、華蓮」
 「アンタは私の妹なんだから、 私と同じ物を着せてあげたいの。私たちなんだからさ」


 コンコンコン


 珠江がドアをノックした。

 「はーい」
 「お茶を持って来たわよ」
 「ありがとうママ。 遥、お茶にしよう」
 「すみません、ありがとうございます」
 「私ね、お菓子を作るのが大好きなの。
 これ、今日焼いたアップルパイなんだけど、良かったら食べてみて。
 ぜったいに美味しいから。あはははは」

 すると遥は急に泣き出してしまった。

 (こんなにやさしい素敵な親子に、私たち親子はいったい何をしているのかしら)

 「お、おばさん、ごめんなさい。私、沢村直子の娘なんです。ごめんなさい、本当にごめんなさい・・・」
 「どうして遥が謝るの? アンタは何も関係ない、アンタたち親子はたまたまお父さんに命を救ってもらっただけじゃない!」
 
 すると珠江は静かに言った。

 「遥ちゃんが気にすることじゃないわ。 何となくそんな気がしたの、あなたの沢村という苗字を聞いた時に。
 夕食は食べていってね? 今日は中華にしたから。
 お茶が済んだら下に降りてらっしゃい」
 「ママはね、何でも上手なんだよ。
 さあ遥、早く食べよう。ママのアップルパイは最高なんだから」
 「じゃあ下で待ってるわね?」
 「ハーイ。ありがとうママ」

 珠江は階下へと降りて行った。
 珠江のアップルパイは、ママの作ってくれるアップルパイより、少しシナモンの味が強い気がした。

 「どう? ママのアップルパイ、美味しいでしょう?」
 「うん、とっても」
 「気にしなくていいわよ、私たち子供には関係のない話だから。これは大人同士の問題だから。
 だから私と遥は今まで通りでいいの。そう思わない?」

 華蓮は嫌いではない。華蓮は本当の姉のように私を大切にしてくれている。
 やはり華蓮はパパの娘だと思った。

 本当はすぐにでも帰りたかったが、折角の華蓮と珠江に嫌な想いをさせたくはない。
 私は夕食をごちそうになることにした。
 

 「さあ座って頂戴。遥ちゃんは何か嫌いな物とかある?」
 「ありません」
 「そう、じゃあどんどん食べてね? 沢山あるから」

 食卓には色々な中華料理が並び、温かいプーアル茶が用意されていた。

 
 「この小籠包もママが皮から作ったんだよ」
 「すごいですね? 皮からだなんて」

 遥はセイロから箸で慎重に小籠包を挟み、針生姜と赤酢のタレにつけ、それをレンゲに載せて食べた。
 珠江が言った。

 「味わう余裕なんてないわよね? 私たち微妙な関係だから。
 本妻とその娘、そして・・・」
 「愛人の子供ですよね?」
 「そうね? 普通じゃないわよね? そんな三人でこうして食事をするなんて。
 でもね? あなたがどれだけ苦労したのかは主人からも聞いて知っているわ。
 遥ちゃんのお母さんのことは許してはいないけど、仕方のないことだと思っている。
 だって、あの人を大切にしてこなかった私たちにも原因があるし、あの人のそんなやさしいところも嫌いじゃないから。
 だから遠慮しないで食べて、遥ちゃんは華蓮の大切なお友だちでもあるんだから」
 「ありがとう・・・、ございます」
 「ママ、遥は今年、一橋の法学部を受けるんだって。弁護士になりたいそうよ。ねえ遥?」
 「凄いじゃないの。がんばってね?」
 「あ、はい」


 その時、杉田が帰って来た。

 「ただい・・・」

 杉田は遥が自分の家で食事をしていることに驚愕した。


 「お帰りお父さん、私の妹の遥だよ」

 すると遥は慌てて、

 「ごちそうさまでした。失礼します!」

 と言って家を飛び出して行った。

 「あなた、家まで送って行ってあげなさいよ。一人では心細いでしょうから」
 「私も一緒に行く! 折角あげた服も置いてっちゃったし」

 杉田と華蓮はすぐに遥の後を追った。



 「遥、待ってー! 忘れ物だよー! 服、服!」

 遥は立ち止まったが振り向かなかった。
 振り向くことが出来なかった。

 華蓮は遥と手をつないだ。


 「お父さんはそっちの手をつないであげて、遥を真ん中にして」

 杉田は華蓮の提案に従い、遥と手をつないだ。
 遥は泣いていた。

 「遥は泣き虫だね? 私たちが途中まで送って行ってあげる。アンタだけだと私たち、心配だから」
 「ありがとう・・・、パパ。お姉ちゃん・・・」
 「もう一度言って」
 「お姉ちゃん」

 華蓮と杉田も泣いていた。

 三人は駅までの道を並んで歩いた。まるで家族のように。
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