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第四章

最終話 ファミリー

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 そして10年が過ぎ、俺は還暦を迎えた。

 遥はカネにもならない生活困窮者のための弁護士をしていた。
 信吾は国交省の官僚になり、舞と結婚して孫の凛も生まれた。
 華蓮は大学を卒業して俺の店を手伝ってくれている。
 そして絹世は3年前に5才年下の稔と見合い結婚をして、たまに旦那を連れて鎌倉へやって来る。


 「土日の鎌倉は人でいっぱいね? あーお腹空いたー。
 華蓮、とりあえず生1つ。
 今日のお勧めは何?」
 「今朝、料理長が自分で釣って来たアジですかね?
 アジフライ&なめろう定食はどうですか? 絹世ママ」
 
 華蓮は絹世のことを「絹世ママ」と呼んでいた。
 絹世は華蓮のことを娘のように可愛がってくれていた。

 「じゃあそれを2つ頂戴」
 「稔おじさんにはウーロン茶でしたよね?」
 「そう、この人、私の運転手さんだから。あはははは」
 「今度は電車で来ようよ。僕もたまには飲みたいからさ」
 「イヤよ、電車は混んで座れないじゃないの」

 稔は絹世に母性を感じており、いつも絹世の言いなりだったが、それがうれしそうでもあった。
 

 俺は鎌倉の商店街に、二階が住居になっている、小さな食堂を始めた。
 営業時間は前から決めていた通り、日の出から日没まで。雨の日が定休日だった。
 人間の暮らしは太陽と月、そして天候に合わせるべきだからだ。


 メニューはその日の気分次第と獲れた魚で決める。
 カウンターが10席と小上がりの座敷が4卓。
 料理人は俺だけだったが、常連客からは「料理長」と呼ばれていた。


 「料理長。今日の『料理長のおすすめ』はヒラメの漬け丼と牛テールカレー、海老シュウマイかあ?
 今日はコンソメはないの?」
 「ブイヨンをもう一晩寝かせた方がいいから明日にしたよ」
 「じゃあ明日も来なくっちゃ。今日は漬け丼で」
 「あいよ」


 そんな我儘な俺の店はいつも常連たちでいっぱいだった。
 観光客やグルメサイトでうちの店に来る客は殆どいない。
 サイトにも載せていないし、そもそもこの店には看板がなかった。
 看板は店の中にあったので、看板の意味をなさない看板だった。
 宣伝しない看板のない店、それが俺の店、『港町食堂』だった。
 店の引戸の壁に、フリージアの一凛差しが活けてあった。
 入口にはほんのりとフリージアの香りがしていた。
 フリージアは女房の珠江が好きな花だった。


 「華蓮ちゃーん、生2つ!」
 「はーい! ただいまー!」
 「この店はカルピスハイとかカシオレとかないの?」
 「ごめんなさいね、お酒とビールしか置いてなくて」
 「あんなの酒じゃねえ。そんなにジュースが飲みてえ「お子ちゃま」は、そこら辺の居酒屋チェーン店へ行けよ」
 「ハイハイ、その方が儲かるのに」
 「俺はカネのためにこの店をやっているんじゃねえ」
 「じゃあ何のためにやっているのさ?」
 「趣味だ」
 「趣味? あはははは。料理長、今日の刺身は何?」
 「昨日アイナメを釣って〆てある。甘味も丁度いい頃だ」
 「獲れたての方が旨いんじゃねえの?」
 「それはテレビのグルメ番組の見過ぎだ。肉も魚も少し熟成させた方が旨い。
 アイナメは「鮎なみに旨い」からアイナメって言うんだぜ」
 「へえー。じゃあそれを下さい」


 土日は直子と珠江、そして遥も手伝いに来てくれた。


 「ナオ、お皿足りないわよー」
 「はあーい、珠江さん、この海老チャーハンは山ちゃんにお願いしまーす!」
 「了解!」
 「華蓮、このビールサーバーのタンク、どうやって交換するのー?」
 「私がやるから遥はご飯炊いて!」
 「わかった」

 こうして2つの家族がいつの間にか1つの家族になっていた。
 家族を越えたファミリーに。



 祥子が店にやって来た。祥子の席はいつもカウンター奥の予約席と決まっていた。

 「あら副社長、今日は何を飲む?」
 
 珠江が祥子に訊いた。

 「ここって食堂でしょう? 居酒屋じゃあるまいし、最初にお酒の注文だもんね?」
 「だって副社長はお酒大好きなくせに? それに唯一のお店の株主様だからさあ」
 「早く定年にならないかしら。そうしたらあなたたちと一緒にここで働くのに」
 「ショコタンには似合わないわよー、プラダを着た悪魔なんだからあ。あはははは」
 「それなら私は料理長の船に乗って漁師になるわ。一級小型船舶のライセンスも持ってるし」
 「じゃあ私もショコタンと一緒に漁師になる!」
 「やろうやろう、華蓮と私の美人漁師コンビ! あはははは」
 「あはははは」


 
 俺はロッキングチェアで目が覚めた。どうやら夢を見ていたらしい。
 女たちが笑っていた。円満な一夫多妻家族だった。
 結婚という概念に縛られず、お互いを尊重し、しあわせも悲しみも共有して助け合って生きるコミュニティー。

 いい人生だったと思う。
 人間の幸福とは好きな人たちと生活を共にすることだ。誰が一番で、誰が上でも下でもない。
 老いも若きも、男も女もみな平等な仲間なのだ。家族なのだ。
 それはカネでは買うことの出来ない、「真実の愛」だ。
 それが愛の理想郷、『シャングリラ』なのだ。
 
 最期に呼ぶ女の名が、自分が最も愛した女の名前だ。
 俺は再びロッキングチェアを揺らし、愛した女たちの名前を口にした。

 「珠江・・・、直子。絹世、芳恵、そして祥子・・・。
 ありがとう、俺の愛した女たち・・・」


 杉田のロッキングチェアの動きが止まった。
 口元が綻んで、笑っているようだった。

 杉田はひとり、誰にも看取られることもなく、静かに息を引き取った。


                      『ダブルファミリー』完

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みんなの感想(4件)

Vivian
2023.03.10 Vivian

予言者祥子さん💕すごいですね(*^^*)

菊池昭仁
2023.03.10 菊池昭仁

そうなんです 祥子はすごい女です

解除
Vivian
2023.03.09 Vivian

岩倉社長の病状が、遠く離れた地にいる友達と同じで、連絡を取ることは出来ないのですが、彼女が どんな思いでいるのかと思うと、胸が詰まります。

菊池昭仁
2023.03.10 菊池昭仁

そうだったんですね 人生は生老病死苦ですからね

しっかり生きて ちゃんと死ぬしかない 寿命が来るまで

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Vivian
2023.03.08 Vivian

営業職を経験したことは、ありませんけれど、とても大変な お仕事なんですね。
杉田副社長のような方のもとで働くことが出来ると、とても幸せですね。

そういえば 以前 生保の事務をしていたことがあったのですけれど、セールスレディの方々に囲まれていると、一歩間違えると血を見るのでは、と思うような激しい場面(喧嘩勃発)に遭遇することが、しょっちゅうでした。

菊池昭仁
2023.03.08 菊池昭仁

私の知り合いにも元生保の事務員さんがいました
血みどろだと言っていました 生保の事務員さんは優秀な人が多いですよね
毎日のようにお客さんからのクレーム対応が大変だったようです
 

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