★【完結】冬の線香花火(作品230620)

菊池昭仁

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第3話 どうして?

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 私はトイレの鏡の前で笑顔の練習をした。
 そして病室に入る前、一度大きく深呼吸をした。


 「よお! 気分はどうだ?」
 
 私は明るくおおらかに華絵に声を掛けた。極めて船乗りらしく。
 本を読んでいた華絵の顔が私を見て、花が咲いたようにパッと明るくなった。

 「お帰りなさい、少し太った?」

 華絵はきちんと化粧をして、髪型を整えていた。
 やはり華絵も女だと思った。
 久しぶりに会う夫に、やつれた自分を見せたくはなかったのだろう。
 そして少しでも元気に振舞いたいと考えているようだった。
 それがかえって痛々しく見えた。

 (どうして病室は白いんだろう? もっと華やかにすればいいのに)

 私はそう思った。

 「そうか? 毎日ビールばっかり飲んでいたせいかもな?
 身体の方はどうだ?」
 「うん、大丈夫」
 「そうか? いつ、退院出来るんだ?」

 私は何も知らないふりを装った。

 「ふふっ、あなたは浮気は出来ないわね? 嘘が下手すぎるわ。
 千葉先生から聞いたんでしょ?」

 私は何も言わずに華絵を見た。
 そして思わず泣いてしまった。
 
 「相変わらずすぐに顔に出るんだから。涙の跡も残っているし・・・。
 お顔くらい、洗って来ないと」
 「華絵・・・」
 「私なら大丈夫、しょうがないもん、なっちゃったんだから」

 私はそっと点滴を刺している華絵の手を両手で包んだ。
 華絵の目から涙が零れ落ちた。

 「俺が、俺がついているから・・・、俺が・・・」
 「うん・・・、ありがと・・・、ヒロ」

 涙腺のダムは決壊し、私たち夫婦は嗚咽した。
 出来ることなら代ってやりたい、「どうして華絵なんだ」と。
 私は激しく後悔した。自分が情けなかった。
 船長になる夢のために、私は華絵の人生を犠牲にしてしまったのだ。
 
 私たちに子供がいなかったのは、私が原因だった。
 華絵は子供が欲しかった。
 私なんかと結婚さえしなければ、こんな思いもすることはなかったはずなのに。

 「俺が傍にいれば、気付いてあげられたのに・・・」
 「そんなことないわ、私の不注意なんだから、自分を責めないで頂戴」
 「華絵、ゴメン・・・」

 不毛な会話が続いた。
 「俺が悪い」「そんなことない」の繰り返し。

 華絵は夕暮れの窓の外に視線を移した。
 まもなく陽が落ち、辺りには宵闇が近づいていた。

 「だんだんクリスマスだね?
 去年のクリスマスはオーストラリアのブリスベンだったでしょう?
 ひとりぼっちのクリスマス、寂しかったなあ」
 「やろう、クリスマス。
 ケーキを買って、チキンを焼いて、シャンパンを開けて」
 「うん、やろうね、クリスマス」


 個室だったので、私は面会時間のギリギリまで華絵の傍にいた。

 「せっかくの日本なんだから、お寿司でも食べに行ったら?」
 「帰国するとよく、ふたりで寿司を食いに出掛けたな?」
 「たくさん食べて、たくさんお酒も飲んだわね?」
 「明後日には退院だよな? 退院したら美味しい物を食べに行こう。
 何が食べたい?」
 「山岸家のチャーシューワンタンメン」
 「山岸家かあ、懐かしいな、あの大将のラーメン」
 「気を付けて帰ってね?」
 「明日、また来るよ、何か欲しい物はあるか?」
 「リンゴが食べたい」
 「わかった、買って来るよ」
 「冷蔵庫にあるからそれを持ってきて頂戴。お願いね?」
 「おやすみ華絵」
 「おやすみなさい、ヒロ」



 私はタクシーに乗り、そのままマンションには帰らず、スーツケースを転がしながら街を彷徨った。
 楽しそうに歩く恋人たちや職場の同僚らしき団体が、嬌声をあげてすれ違って行った。

 
 「おい待て! 俺の女房は死ぬんだぞ! ヘラヘラしてんじゃねえ!」

 そう叫びたい気分だった。
 私は鮨屋に腰を据えた。

 食欲は無かった。
 刺身の造りを肴に吟醸酒を呷った。
 自分がすべきこと、華絵にしてあげることに想いを巡らせた。
 だがそれは哀しみに打ち勝つことが出来ず、ただ酒の量だけが増えて行った。
 私は未だに華絵に死が近づいていることが信じられなかった。
 いや、信じたくはなかった。

 最愛の女房が死ぬ? どうして? なぜ?
 華絵が何をしたというのだ! あんなにやさしくていい女が!

 私は華絵の存在の大きさを、改めて思い知った。
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