4 / 16
第4話 リンゴの皮を剥くように
しおりを挟む
「リンゴ、持って来たよ」
「ありがとう」
読んでいた週刊誌を閉じた華絵は、午後の陽射しを浴びて白く透き通るように美しかった。
華絵がそのまま消えてしまいそうで、私は狼狽えた。
果物ナイフを取出し、私はリンゴの皮を剥き始めた。
なるべく薄くと慎重に。
それは華絵との残された時間を無駄にしたくないという想いと重なっていた。
なるべく多く、甘い思い出を残したいと私は思った。
「相変わらず上手ね? リンゴの皮を剥くの」
「船乗りはシー・ナイフをそれぞれが持っているからな? ナイフの扱いには慣れているよ。
柄が動物の角で出来ている折りたたみナイフが多いかな? アメリカではガン・ショップでも売られている。
俺のシーナイフは500ドルだけど、中には数十万円から100万円を超える物もある」
私は剥いたリンゴを皿に乗せ、爪楊枝を刺して華絵に渡した。
華絵はうれしそうに私の剥いたリンゴを食べた。
「ヒロが剥いてくれたリンゴは格別に美味しい」
私も一緒にリンゴを食べた。
こんな簡単なことすらしてあげられない生活をしていたのかと、胸が締め付けられる思いがした。
カーフェリーの乗船シフトであれば、1カ月程度で交代があり、家族を乗船させることも出来る。
だが、国際航路の船員にはそれは許されない。
外国船では家族を乗せている船長や商船士官もいるが、日本船にはそういう慣習はなかった。
「ヒロがお船で働いているところを見てみたいなあ」
「見たら惚れ直すぞ」
「惚れ直したい」
日本に寄港した時や、下船の時には停泊中の船を案内してあげたことはあったが、華絵に航海中の船を見せたことはなかった。
「旨いなこのリンゴ?」
「この前、お母さんからもらったのよ。青森のリンゴですって」
うれしそうにリンゴを食べる華絵に私は言った。
「退院したら船に乗せてあげるよ」
「ヒロのお船に?」
「俺の船は無理だけど、新日本海フェリーで鈴木がチョフサー(一等航海士)をしているから頼んでみるよ。
新潟から小樽の航路だから、帰りは飛行機で帰ってくればいい」
「結婚式に来てくれた鈴木君? 大きいフェリーって豪華客船みたいなんでしょう?」
「ああ、大きな船だよ、食事も旨いし。
前に言っていたじゃないか? 俺の船での仕事を見て見たいって。
見せてあげるよ、俺たち船乗りのカッコイイところを」
「揺れない?」
「揺れるかもしれないけど大丈夫だ。俺が華絵の傍についているから」
「じゃあ安心だね?」
「鈴木の操船する船だし、横になっていれば酔わないよ」
「小樽で美味しい蟹が食べたいなあ」
私たちは笑った。
それはごくありふれた、他愛のない夫婦の会話だった。
面会時間も終わりに近づき、私は荷物を片付けた。
「明日退院したら、お昼は山岸家でラーメンだったよな?」
「うん、ひとりでラーメン屋さんに入るには抵抗があるし、ヒロが帰って来たら一緒に行きたいと思っていたの」
「じゃあ、明日9時に迎えに来るよ」
「気をつけてね」
堂免が帰った後、ナースの木村が点滴を交換しに華絵の病室にやって来た。
「やさしい旦那さんですね?」
「本当にやさしい人なの。だから辛いわ、こんな病気になって。
もっと嫌な夫なら良かったのに」
「旦那さんはやさしい方がいいに決まってますよ、ウチなんかいつもケンカしてばっかりですもん。
羨ましいなあ、堂免さんは。
私が家にいないと嫌なんですって。子供みたいでしょ?」
「私はご主人のそんな気持ち、わかる気がします。
夫は船乗りさんだから、半年に一度しか帰ってこないでしょう?
傍にいて欲しい時に彼がいない生活は不安になることも多いから」
「私ならそのくらいが丁度いいかも」
「逆だと良かったのにね?」
ナースの木村は気の毒そうに微笑んだ。
「明日で退院ですけど、何かあったらいつでも来て下さいね?」
「ありがとうございます。
今度お船に乗せてもらうんです、北海道行きのカーフェリーに」
「あら素敵。私も若い時に「前の彼」と乗りましたよ。沖縄に」
「揺れませんでした?」
「その時はそんなには揺れませんでしたけどね。
ベッドではすごく揺れました。あはっ」
「その揺れならいいんだけどね?」
「きれいでしたよ、夏の海。
沖でしか見ることの出来ない色でした。まるでブルーのインクみたいな深い青で」
「へえー、そんなブルーなんだあ」
「良かったですね? 小樽は美味しい物がたくさんあるし、エキゾチックな街ですから」
木村は点滴の交換を終えると、横顔に同情の影を落とした。
その横顔にはこう書かれていた。
「なんでこの人が・・・」
華絵はテレビを点けたが、その関西のお笑い芸人のネタに、華絵は笑う気にはなれなかった。
「ありがとう」
読んでいた週刊誌を閉じた華絵は、午後の陽射しを浴びて白く透き通るように美しかった。
華絵がそのまま消えてしまいそうで、私は狼狽えた。
果物ナイフを取出し、私はリンゴの皮を剥き始めた。
なるべく薄くと慎重に。
それは華絵との残された時間を無駄にしたくないという想いと重なっていた。
なるべく多く、甘い思い出を残したいと私は思った。
「相変わらず上手ね? リンゴの皮を剥くの」
「船乗りはシー・ナイフをそれぞれが持っているからな? ナイフの扱いには慣れているよ。
柄が動物の角で出来ている折りたたみナイフが多いかな? アメリカではガン・ショップでも売られている。
俺のシーナイフは500ドルだけど、中には数十万円から100万円を超える物もある」
私は剥いたリンゴを皿に乗せ、爪楊枝を刺して華絵に渡した。
華絵はうれしそうに私の剥いたリンゴを食べた。
「ヒロが剥いてくれたリンゴは格別に美味しい」
私も一緒にリンゴを食べた。
こんな簡単なことすらしてあげられない生活をしていたのかと、胸が締め付けられる思いがした。
カーフェリーの乗船シフトであれば、1カ月程度で交代があり、家族を乗船させることも出来る。
だが、国際航路の船員にはそれは許されない。
外国船では家族を乗せている船長や商船士官もいるが、日本船にはそういう慣習はなかった。
「ヒロがお船で働いているところを見てみたいなあ」
「見たら惚れ直すぞ」
「惚れ直したい」
日本に寄港した時や、下船の時には停泊中の船を案内してあげたことはあったが、華絵に航海中の船を見せたことはなかった。
「旨いなこのリンゴ?」
「この前、お母さんからもらったのよ。青森のリンゴですって」
うれしそうにリンゴを食べる華絵に私は言った。
「退院したら船に乗せてあげるよ」
「ヒロのお船に?」
「俺の船は無理だけど、新日本海フェリーで鈴木がチョフサー(一等航海士)をしているから頼んでみるよ。
新潟から小樽の航路だから、帰りは飛行機で帰ってくればいい」
「結婚式に来てくれた鈴木君? 大きいフェリーって豪華客船みたいなんでしょう?」
「ああ、大きな船だよ、食事も旨いし。
前に言っていたじゃないか? 俺の船での仕事を見て見たいって。
見せてあげるよ、俺たち船乗りのカッコイイところを」
「揺れない?」
「揺れるかもしれないけど大丈夫だ。俺が華絵の傍についているから」
「じゃあ安心だね?」
「鈴木の操船する船だし、横になっていれば酔わないよ」
「小樽で美味しい蟹が食べたいなあ」
私たちは笑った。
それはごくありふれた、他愛のない夫婦の会話だった。
面会時間も終わりに近づき、私は荷物を片付けた。
「明日退院したら、お昼は山岸家でラーメンだったよな?」
「うん、ひとりでラーメン屋さんに入るには抵抗があるし、ヒロが帰って来たら一緒に行きたいと思っていたの」
「じゃあ、明日9時に迎えに来るよ」
「気をつけてね」
堂免が帰った後、ナースの木村が点滴を交換しに華絵の病室にやって来た。
「やさしい旦那さんですね?」
「本当にやさしい人なの。だから辛いわ、こんな病気になって。
もっと嫌な夫なら良かったのに」
「旦那さんはやさしい方がいいに決まってますよ、ウチなんかいつもケンカしてばっかりですもん。
羨ましいなあ、堂免さんは。
私が家にいないと嫌なんですって。子供みたいでしょ?」
「私はご主人のそんな気持ち、わかる気がします。
夫は船乗りさんだから、半年に一度しか帰ってこないでしょう?
傍にいて欲しい時に彼がいない生活は不安になることも多いから」
「私ならそのくらいが丁度いいかも」
「逆だと良かったのにね?」
ナースの木村は気の毒そうに微笑んだ。
「明日で退院ですけど、何かあったらいつでも来て下さいね?」
「ありがとうございます。
今度お船に乗せてもらうんです、北海道行きのカーフェリーに」
「あら素敵。私も若い時に「前の彼」と乗りましたよ。沖縄に」
「揺れませんでした?」
「その時はそんなには揺れませんでしたけどね。
ベッドではすごく揺れました。あはっ」
「その揺れならいいんだけどね?」
「きれいでしたよ、夏の海。
沖でしか見ることの出来ない色でした。まるでブルーのインクみたいな深い青で」
「へえー、そんなブルーなんだあ」
「良かったですね? 小樽は美味しい物がたくさんあるし、エキゾチックな街ですから」
木村は点滴の交換を終えると、横顔に同情の影を落とした。
その横顔にはこう書かれていた。
「なんでこの人が・・・」
華絵はテレビを点けたが、その関西のお笑い芸人のネタに、華絵は笑う気にはなれなかった。
0
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様を書いたストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる