★【完結】冬の線香花火(作品230620)

菊池昭仁

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第4話 リンゴの皮を剥くように

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 「リンゴ、持って来たよ」
 「ありがとう」

 読んでいた週刊誌を閉じた華絵は、午後の陽射しを浴びて白く透き通るように美しかった。
 華絵がそのまま消えてしまいそうで、私は狼狽うろたえた。

 果物ナイフを取出し、私はリンゴの皮を剥き始めた。
 なるべく薄くと慎重に。

 それは華絵との残された時間を無駄にしたくないという想いと重なっていた。
 なるべく多く、甘い思い出を残したいと私は思った。


 「相変わらず上手ね? リンゴの皮を剥くの」
 「船乗りはシー・ナイフをそれぞれが持っているからな? ナイフの扱いには慣れているよ。
 柄が動物の角で出来ている折りたたみナイフが多いかな? アメリカではガン・ショップでも売られている。
 俺のシーナイフは500ドルだけど、中には数十万円から100万円を超える物もある」

 私は剥いたリンゴを皿に乗せ、爪楊枝を刺して華絵に渡した。
 華絵はうれしそうに私の剥いたリンゴを食べた。

 「ヒロが剥いてくれたリンゴは格別に美味しい」

 私も一緒にリンゴを食べた。
 こんな簡単なことすらしてあげられない生活をしていたのかと、胸が締め付けられる思いがした。

 カーフェリーの乗船シフトであれば、1カ月程度で交代があり、家族を乗船させることも出来る。
 だが、国際航路の船員にはそれは許されない。
 外国船では家族を乗せている船長や商船士官もいるが、日本船にはそういう慣習はなかった。

 「ヒロがお船で働いているところを見てみたいなあ」
 「見たら惚れ直すぞ」
 「惚れ直したい」

 日本に寄港した時や、下船の時には停泊中の船を案内してあげたことはあったが、華絵に航海中の船を見せたことはなかった。

 「旨いなこのリンゴ?」
 「この前、お母さんからもらったのよ。青森のリンゴですって」

 うれしそうにリンゴを食べる華絵に私は言った。

 「退院したら船に乗せてあげるよ」
 「ヒロのお船に?」
 「俺の船は無理だけど、新日本海フェリーで鈴木がチョフサー(一等航海士)をしているから頼んでみるよ。
 新潟から小樽の航路だから、帰りは飛行機で帰ってくればいい」
 「結婚式に来てくれた鈴木君? 大きいフェリーって豪華客船みたいなんでしょう?」
 「ああ、大きな船だよ、食事も旨いし。
 前に言っていたじゃないか? 俺の船での仕事を見て見たいって。
 見せてあげるよ、俺たち船乗りのカッコイイところを」
 「揺れない?」
 「揺れるかもしれないけど大丈夫だ。俺が華絵の傍についているから」
 「じゃあ安心だね?」
 「鈴木の操船する船だし、横になっていれば酔わないよ」
 「小樽で美味しい蟹が食べたいなあ」

 私たちは笑った。
 それはごくありふれた、他愛のない夫婦の会話だった。
 
 
 面会時間も終わりに近づき、私は荷物を片付けた。

 「明日退院したら、お昼は山岸家でラーメンだったよな?」
 「うん、ひとりでラーメン屋さんに入るには抵抗があるし、ヒロが帰って来たら一緒に行きたいと思っていたの」
 「じゃあ、明日9時に迎えに来るよ」
 「気をつけてね」



 堂免が帰った後、ナースの木村が点滴を交換しに華絵の病室にやって来た。

 「やさしい旦那さんですね?」
 「本当にやさしい人なの。だから辛いわ、こんな病気になって。
 もっと嫌な夫なら良かったのに」
 「旦那さんはやさしい方がいいに決まってますよ、ウチなんかいつもケンカしてばっかりですもん。
 羨ましいなあ、堂免さんは。
 私が家にいないと嫌なんですって。子供みたいでしょ?」
 「私はご主人のそんな気持ち、わかる気がします。
 夫は船乗りさんだから、半年に一度しか帰ってこないでしょう?
 傍にいて欲しい時に彼がいない生活は不安になることも多いから」
 「私ならそのくらいが丁度いいかも」
 「逆だと良かったのにね?」

 ナースの木村は気の毒そうに微笑んだ。

 「明日で退院ですけど、何かあったらいつでも来て下さいね?」
 「ありがとうございます。
 今度お船に乗せてもらうんです、北海道行きのカーフェリーに」
 「あら素敵。私も若い時に「前の彼」と乗りましたよ。沖縄に」
 「揺れませんでした?」
 「その時はそんなには揺れませんでしたけどね。
 ベッドではすごく揺れました。あはっ」
 「その揺れならいいんだけどね?」
 「きれいでしたよ、夏の海。
 沖でしか見ることの出来ない色でした。まるでブルーのインクみたいな深い青で」
 「へえー、そんなブルーなんだあ」
 「良かったですね? 小樽は美味しい物がたくさんあるし、エキゾチックな街ですから」

 木村は点滴の交換を終えると、横顔に同情の影を落とした。
 その横顔にはこう書かれていた。

 「なんでこの人が・・・」

 華絵はテレビを点けたが、その関西のお笑い芸人のネタに、華絵は笑う気にはなれなかった。
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