箸で地球はすくえない

ねこよう

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オウムの話 1章

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 人に会う時は、いつでもその人に合わせた仮面をつけた。
 
 この習慣がいつから始まったのかは覚えていない。でも私は本当に幼い頃から
そうやって生きてきたのだと思う。
 パパはこうやって甘えるとうまくいく。ママにはこうやってちょっとがんばって
見せると褒められる。
 人と会って仲良くなるなんて、簡単だった。
 その子がどういう子と仲良くなりたいと思っているか考えて、その通りにして
あげる。お喋りな子には無口に。無口な子にはお喋りさんに。優しい子には少し
年下に。愛情の欲しい子には優しく。ワイワイ盛り上がりたい子には乗せるような
合いの手を――。
 ところが、そういう子たちと何人かの集団で遊ぶとうまくいかない。
 お喋りさんと無口さんと私の三人で話していると、私は無口の仮面をつけたり
お喋りの仮面をつけたりして、本当はどっちなんだか誰も分からなくなってしまう。
 だから、私はできるだけそういう状況にならないように気を付けた。
 もしそういう、お喋りさん無口さんと一緒になった場合は、ちょうど中間の
また違う仮面をつけた。それで後からそれぞれの子にこう言って乗り切った。
 「○○ちゃんの前だけは、本当の自分を出せるんだ」
 嘘だ。本当の自分なんかいない。

 
 私は、クラスでも出来るだけ目立たぬように努めた。
 目立つ。ってことは、顔にぺったりとレッテルを貼られる事だ。
 あの子は明るいから。あの子はスポーツできるから。あの子は勉強できるから。
あの子は面白いから。
 だから、テストは60点ぐらい。運動はかけっこで女子の中で8番目くらいの
速さ。そして、面白いギャグなんかを半年に一回ぐらいは言う。
 私は自分で作った自画像に近づけるために学校生活を送っていた。テストで80点
なんか取った時は、どうしてこんな点数になってしまったのか反省したりした。
 
 
 こう言ってはなんだけど、私は男にモテた。
 自分がいいなと思う男が、好みそうな女の仮面をつければいいだけだから、
簡単だった。
 小学校6年生から恋人が途絶えた事はほとんどない。だからと言って簡単には
やらせなかった。思春期の男なんてそっちの気持ちしかないのだから、駆け引きも
クソもない。
 15歳までに付き合った人は6人いたが、本当に自分がしたいなと思った一人と
しかしなかった。


 高校生になって、仲の良くなった女の子に誘われて、一緒に演劇部に入った。
でもその子の名前はもう忘れた。
 演劇部っていっても、私から言わせてもらったら自分が幼い頃からずっと
やっている事と同じ事だった。ただ、普通の世界だと「なんかいつもと違う」って
責める様に言われる事が、演劇の世界だと「演技力がある」って認められる。
 
 なんて素晴らしいんだろう。
 
 私は演劇部にハマった。一緒に入った名前の忘れた子は、私と比べられるのが
嫌になって半年で辞めてしまったけど、私は続けた。
 二年生になり、先輩が引退すると私は演劇部で上演する為の脚本も書き始めた。
 私が書く脚本の主人公は、なぜかいつも男の子だった。男の子が宝物だったり
友達だったり家族だったりを探す話し。
 
 「あなたの書いたものを読んでいるとね、あなたは深い心の底で、いつも欲しい
  何かを探している。それを主人公に投影しているような気がするのよね。」
 
 演劇部の顧問の30代の女性教師は、私が書いた原稿用紙をめくりながら
そう呟いた。
 
 「――でも、どの作品でも、結局主人公は死んだり殺されたりして、
  バッドエンドを迎えている。これって、宝物を見つけて喜ぶ自分をあなたが
  イメージできないのかしら」
 
 そうなのかもしれない。
 私は、ハッピーエンドを想像する事が出来ないのかもしれない。

 
 私の家は貧乏だ。
 父も母もいるが、父はうつ病を繰り返していて、今は働いていない。
母の働きだけでなんとかやっている。
 私には二つ下に妹がいるけど、私達は二人とも恥ずかしいから家に友達を
呼んだ事は無い。
 狭い2DKのアパートに4人で暮らしているから、自分の部屋を持つなんて
夢みたいな話だ。自分の机すらも無い。ごはんのおかずにはもやしが
よく出てくる。
 
 高校を卒業したら、すぐに家を出るつもりだった。進路には「女優」と書いた。
 進学なんて無理な話しだし、家にそのままいる気も無かった。
 「女優を目指します」ってのは、いい理由になった。
 「アルバイトでなんとか暮らします」だと親も教師も不安になるけど、
夢を追っているのなら仕方がないと思えるみたいだ。

 
 家から遠く離れて都心の街に出た。駅から歩いて20分の6畳の安アパートで
やっと契約できた。
 アパート近くのコンビニと駅前の居酒屋でのバイトが決まった。
 私の人生はこれからもう一回やり直すんだ、と自分で自分に言い聞かせた。
 
 バイト先では、‘‘先輩に従順で、教えてもらった事をメモするけど時々失敗する
何かと心配な後輩‘‘を演じた。どっちのバイト先でも、男の先輩には面白いように
可愛がられた。
 もちろん女性の先輩にも可愛がってもらわないといけない。なので
‘‘結婚を考えているけど超マザコンな彼との事で悩んでいる‘‘事にして、
悩みを相談したりした。
 バイトは好調だった。昼間はコンビニで、夜は居酒屋。
 朝の9時から働いて、夜中の0時すぎに部屋に帰ってくる事もよくあった。
 体はきつかったけど、楽しかった。
 私の周りの世界は順調に回っているような気がした。
 そして、一人暮らしをし初めてちょうど一年がすぎた頃、私は居酒屋でお客さんが
注文した塩五本の焼き鳥の皿を左手にタレ五本の皿を右手に持ち、倒れた。
 一番近くでその場面を見ていた矢沢さんという女先輩によると、私は右前方の
テーブルに、おでこから思いっきりぶっ倒れたんだそうだ。
 気がついたら、病院のベッドの上だった。過労と貧血と軽い栄養失調なので、
一晩点滴をうって翌日に帰された。
 でも、顔からテーブルに強打したので頬骨の所が紫色に腫れあがってしまい、
居酒屋でもコンビニでも、その顔でお客さんの前には出れない。腫れが引くまで
ちょっと休んだほうが良い。と言われてしまった。
 
 結局、私は、ほとんど一ヶ月間を働かずに過ごした。少しの貯金を切り崩して。
 私は、人の中に入ればその人達の願う仮面をつけることができる。でも部屋に
こもって独りぼっちになってしまうと何も出来ない。
 このままでは自分が自分じゃなくなってしまう。不安になってきた私は、
ついこの前に二十歳となったのをいい事に、夜になるといろんな店を飲み歩いた。
 居酒屋スナックパブにショットバー。
 どんな店でも、先ずは店長が誰なのかを知り、その店長に好かれるような
客の仮面を被る。
それから店の常連客の話に少しずつ入っていって、酒の飲み方もよくわからない
ウブな女を演じる。
 
 ちょろい。
 どこでもこういう若い女に話をしたがっているおじさん客が必ずいて、
スナックとかのママは先輩の苦労話を勉強になるふうに聞いていくとすぐに心を
許してくれる。
 頑固な大将には、必ずあこがれている渋い俳優がいる。それさえ分かれば楽勝。
高倉健だ菅原文太だ松田優作だ役所広司だ。あーその人私もかっこいいと思って
たんです。観てようかなぁ。どの映画がおススメなんですか?
 ちょっとムラムラしてた時なんかは、いいなと思う男とホテルで一晩だけの
機会を持ったりもした。
 そうやって毎晩のように飲み歩いていると、たまには奢ってくれる気前のいい
おじさんや男がいたけど、当然のように貯金は無くなっていった。
 でもクレジットカードのリボ払いで金を引き出して、飲みに行くのは
やめられなかった。
 
 
 そろそろまた働いて稼ぐか。と居酒屋に行くと、見た事のない女の子がホールで
働いていた。
 店長に聞くと、私がいなくなってそのシフトを埋める為に雇ったんだそうだ。
 そうですか、ご迷惑かけてすみません。でも私は明日からまた戻れますので。
と会心の笑顔で言うと、あのコが週4回来てくれるから週2回でいいよ。
と返ってきた。
 いえいえ生活もあるのでそれはちょっと、そう言葉を濁したが、まだ病み上がり
なんだから無理しない方がいいよ。またああやって倒れちゃっても大変だし。
とにべもなかった。
 ひょっとして・・・と急いでコンビニに行ってみたら、やっぱり私の穴を埋める
為に近所の主婦を雇ったんだそうで、週3回に減らされた。
 貯金は無くなり、バイトはギリギリ生活できるかどうかしか入れず、月末には
カードの引き落としが来る。
 
 独り暮らし生活の危機だった。
 

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