箸で地球はすくえない

ねこよう

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オウムの話 4章

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 安いアパートで、優音との二人の生活が始まった。
 
 私は、ウサギに連絡を取り、トンボが今やっている仕事の情報が欲しいと
依頼した。
 ウサギは腕のいい情報屋だ。不愛想な女だけど、嫌な奴じゃない。
 1週間後、ウサギからの報告メールには、田所の名前があった。しかも、
田所は昔世話になったNPO法人の代表者にまで声をかけている。
メールの最後には「近々金を受け取る予定」と書かれていた。
 本当にマズイ。
 
 私はビデオ通話でネズミに連絡を取った。ネズミはネット世界のハッカーだ。
 私はネズミに、トンボの仕事を止められるか。と依頼してみた。
 「うーん・・・・・そうか・・・・」
 唸っているネズミの背景は、いつものやつのおんぼろアパートだ。
 「どうなのよ? あんたなら出来るでしょ?」
 苛立ちから、自然にこちらの声も荒っぽくなってしまう。
 「うん、でもな・・・」
 ごちょごちょ言い淀むネズミに「どうなの? はっきり言いなさいよ!」と、
自分の中の嫌なものを思いっきりぶつけた。
 「いやちょっと・・・金の受け渡しまで終わってたら無理だけど。」
 「そう・・・じゃあお願い。出来るだけ最優先でやってくれないかな? 
  頼むよ、お願い。」
 私が真剣に頭を下げて頼むと、画面越しのネズミはニヤッと笑った。嫌な笑顔だ。
 そうするともうやる事が何も無くなる。
 私は、今までの貯金を節約して使い、優音と暮らしながら、
ネズミの報告を待った。

 
 一週間後、ネズミから連絡があった。
 画面の中のネズミは、作業にこれだけ時間がかかったとか人出が足りなくて
同じハッカーのクラゲに手を借りたとかをつっかえつっかえで愚痴っていたが、
要するにもう依頼を受けた時点で金の受け渡しは終わっていて、間に合わなかった
らしい。
 被害は、田所は500万円で、NPOの代表は400万円。
 トンボは既に飛んでいて、所在は今の所分からない。田所は、まだトンボからの
連絡が来ると信じて待っているそうだ。
 なんて人がいいんだろう。でも、そんな人だから、私は魅かれたのかもしれない。
私に無い物を持っている人だったから。
 私は、手紙を書いて、それを田所に届けて欲しいとネズミに頼んだ。
田所は不信感で私の携帯番号は着信拒否になっているし、Lineはブロックになって
いて、連絡のしようが無かったからだ。
 後日、ネズミはこんな事を言ってきた。
 
 「オウムの手紙を読んだらさ・・・・旦那さん、泣いてたよ。
  何て書いたの?」
 
 そんなの、一度夫婦になった間にしか分からない事を書いたに決まっている。


 いろいろあったけど、また人生は良い方に転がってくれるんじゃないかと思った。
わたし的には、また再婚して家族三人で生きていくのも全然オーケーだ。
 ちょっと痛い思いをしたけど、絆が戻るなら、それもまた良い事だったんだと。
 
 どうやら私は甘かったらしい。
 
 それから半年後、ウサギから、NPO法人の代表の男が交通事故で亡くなった
という報告を受けたのは、やっと優音の保育園が決まってウキウキしていた頃
だった。
 深夜の暗い通りで、泥酔していた代表の男はフラフラと車の前に出てきて、
衝突した。
 警察は事故という形で処理したが、トンボに400万円をだまし取られてから、
彼はふさぎ込み、あまり酒を飲む人でなかったが酒に溺れるようになったそうだ。
 代表の通夜と葬儀が行われた翌日だった。
 田所が家で首を吊ったのは。
 幸いにして、ウサギが監視してくれていたから、発見が早くて一命はとりとめた。
だけど、脳に酸素にいかない時間があった為、田所は意識のない状態になって
しまった。
 私は家族でなかったので、病院に見舞いに行く事さえ出来なかった
 
 
 眠っていたトンボは、目が覚めた。
 地方のホテルのベッドの上で。
 昨日は酒を飲んでから、部屋に女を呼んだ。
 最近は、あちこちのホテルを転々としていて、昼間はブラブラ過ごし、
夜は遊ぶ毎日だ。
 トンボは元来、一つ所にじっと住んでいられない質で、住居を決めても
一年ほどで引っ越していた。今は、たぶん怒り狂っているオウムからの復讐を恐れて
転々としているが、それが別に苦とも思ってはいない。
 お人好しのオウムの旦那と、その旦那が連れてきた、なんだか分からないNPOの
代表という初老の男からせしめた金がある。
 大仕事を終えた後の慰安旅行みたいなものだと呑気に過ごしていた。

 フロントを抜けてホテルを出て、トンボは行く当てもなくフラフラと
歩いていた。
 トンボは、観光地や名所よりも、なんでもない住宅街や商店街を歩くのが
好きだった。
 そうやっていれば、その街に住んでいる人が、どんな土地でどういう生活を
しているのかがおぼろげながら分かるような気がしたからだ。
 なので、適当なファミレスで朝食を食べた後、どこに通じるかも分からない、
平坦な住宅街の直線通りを歩いていた時だった。
 
 「ちょっとすみません」
 突然目の前に、いかついスーツの男が立ちはだかった。右手に黒い手帳を開いて。
 名前の確認を問われる。久しぶりに聞いた自分の本名だった。
 背後に人の気配がして、さらに二人の男が近寄ってきていた。
 
 ちょっと事情を聴きたいことがあるんですよ。と連れていかれた警察署で、
トンボは電話をかけさせてほしいと訴えた。
 一人きりになった窓のない一室で、トンボはかけ慣れた番号を表示させて
タップした。
 
 「アドバイザーです」
 
 トンボは、今の状況を簡潔に説明した。
 
 「分かりました。それでは、今から五分後に、グレーのスーツの若い男が
  その部屋に入ってきます。彼に、電子マネーでできる限りの送金を
  してください」
 「送金って、いくら払えばいい?」
 「私どもの方から金額は言えません。ただ、暗に袖の下と言われているもの
  ですから、額によってそこから出られる率は上がるでしょう」
 
 五分後、ドアがノックされ、グレーのスーツの若い男が片手にファイルを持って
入ってきた。年齢は三十中頃くらいの、少し落ち着いた感じの痩せて背の高い男だ。
 トンボはスマホの電子マネー画面を見せて合図をすると、男は何も言わずに
スマホを取り出して送金受け取りの為のQRコードを示した。
 トンボは迷ったが、200万円を送金した。
 男は画面を確認して一度頷くと、「もう大丈夫です」と言って立ち上がり、
また部屋から出て行った。
 トンボは苛立ちでテーブルをトントンと叩きながら、無罪放免と呼ばれるのを
待った。
 しばらくして、住宅地でトンボを連行した、
いかつい刑事ともう一人の刑事が入ってきた。
 「電話終わりましたか?じゃあちょっとお聞きしたい事が
  ありましてね・・・」
 と言葉は丁寧だが威圧的な声でしゃべり始めた。
 トンボは慌てて、グレーのスーツを着た痩せて背の高い刑事はどうしたのかと
聞いた。

 「グレー・・・?」
 いかつい刑事は、もう一人の刑事と顔を合わせてきょとんとしている。
トンボはグレーの刑事の容姿や印象を説明したが、二人とも首を捻っている。
 トンボは、また電話をかけたいと願い出て、その場でまたあの番号を表示させた。
 
 「はい。アドバイザーです」
 「トンボだ。あの、さっきの話だけど、どうなってる?」
 「・・・・・申し訳ありません。さっきの話とは、いつの話でしょうか?」
 トンボはいつもと同じ冷静な女の声に苛立ちながら、グレーの痩せ刑事について
話した。
 「申し訳ありません。そのような話は本日承っておりませんが」
 「嘘だ。さっきオレはあんたと話したばっかじゃないか」
 「・・・・・」
 返事が無い。電話の向こうで何かを考えているかのような間だ。
 「その声・・・本当に私でしたか?」
 声? そう言えば、この番号にかけて出る冷静な女の声は必ずアドバイザーだ。
と自分は思い込んでいた。もしそうじゃないとしたら・・・
 トンボは電話を切ると、電子マネーの画面を表示させた。
 
 やられた。
 さっきの200万円の送金のすぐ後で、800万円が送金された事になっている。
 
 「用事は終わりましたか?それじゃあ、こちらの話をいいですかね?」
 いかつい刑事は、ノートパソコンの画面をこちらに向けた。
 そこには、過去にトンボがやった悪事の数々が、ご丁寧に年系列で並んで
表示されてある。
 しかも、トンボがしっかりと映った動画や画像まで添付されて――。
 
 「オウム・・・・怖いよな」
 「なんで?」
 「だって・・・・借りはきっちり返すから」
 画面のネズミが、たどたどしく言った。
 「当たり前でしょ。」
 「ねえ、私の電話、あんなので良かった?」
 ウサギが不愛想に聞いてくる。
 しかしウサギのバックでは、テーブルを囲んだ中国人らしき男達が酒盛りして
騒いでいる。アイツはどこで何しているんだ?
 「完璧。やっぱり、ウサギの声ってアドバイザーに似てるわ。
  あとその不愛想さも」
 「なにそれ」
 「トンボの電話のハッキングはネズミがやってくれて、電話はウサギで、
  助かったわ」
 「あ、あのさ・・・」
 ネズミが何か聞きたそうだ。
 「なに?」
 「あの・・・・グレーの男は?」
 「ああアレ? おうディションの新人。トンボが知らない男にしないと
  いけなかったから。ちなみに警察署に潜り込ませたのは、キツネのコネで」
 「やっぱ・・・・警察にまで・・・・いるのか。キツネのネットワーク。」
 「トンボの過去の情報探ってくれたのは、ウサギよ」
 「別にあんなの簡単だった。」ムスッとウサギが答える。
 「二人ともありがとね。報酬は入れておくから」
 「お、おう」
 「はーい」
 「じゃあこのチャット、もう使えなくするから。」
 「・・・・ああ。」
 「それじゃあ、またよろしくね」
 「ま、また・・・な」
 「じゃあね」

 私は、かけ慣れた番号に電話した。
 いつものように、冷静な女の声が決まり文句を切り出した。
 
 「ご無沙汰しています。オウムです。
  あの、私・・・活動休止を解除したくて」
 
 まるで出戻りみたいでちょっと気恥ずかしかったけど、電話向こうの声は
冷静だった。
 「かしこまりました。それでは、オウムの活動休止を解除ですね。
  手続きしておきます」
 「お願いします。あと、また、よろしく」
 「はい」
 それじゃあまた。と切ろうとすると、「あの・・・」と戸惑ったような声が
聞こえた。
 「なに? 何か手続きで必要な事とか?」
 「いえ・・・・・先日の仕事、お見事でした。さすがオウムです」
 アドバイザーに褒められたなんて初めてだ。
 私は面食らって、「あ、そう。ありがと」と返すのが精いっぱいだった。
 「それと・・・」と言って、彼女は黙った。
 電波の具合で切れたのかと思うくらい長い沈黙だ。
 耐え切れずに私が「なんなの?」と聞くと
 
 「・・・おかえりなさい。オウム」
 
 言い切ったと同時に、プツっと通話は切れた。

 
 アパートのトイレで、大好きなアンパンマンの補助便座に座って、
優音が唸っている。
 母としては、心配でそわそわしてしまう。でも、「優音はできるから」って
息子が自分で言ったのだから、ただ見守るしかできない。
 
 「ママ―。出たよー」
 便器の中を覗くと、こんな小さな体からよく出たと思わせるような、
大きな茶色い物体が水に浮いていた。
 「すごいねー。えらいえらい!」と、思わず息子の顔を胸にうずめて
抱きしめた。
 子供がトイレで用を足すというだけで、こんなに嬉しくなるなんて。
 
 「じゃあ、優音君にご褒美で、ママが一曲やりましょう」
 リビングで優音が小さい手をパチパチ叩いてくれる。
 オウムはタンスの引き出しから、丸みのあるものを取り出して、口にくわえた。
 オカリナからゆったりとした優しい音が流れていく。
 「これ、なんの唄?」
 優音は、初めて聞いたこの曲の曲名を聞きたがった。
 「これはね、「母である為に」って歌なんだよ。ママの思い出の唄なの」
 「ふーん・・・」
 優音は少しの間は黙って聞いていたが、飽きたのか、
アンパンマンの唄やってアンパンマン。と言い出した。
 まあしょうがないか。でも、もうちょっと大きくなったら、あなたのパパと
ママにとってこの歌がどういう思い出があるのか、初めて出会った日に
あなたのパパがオカリナでこれを演奏した時、ママがどんなに感激したのか、
ちゃんと話を聞きなさいよ。と思いつつ、軽快なアンパンマンの唄を演奏し
始めると、優音は手を叩いて喜んだ。
 
 アパートの一室で、優しいオカリナの音色と、小さな観客の唄う声とが、
ただただ幸せに響いていた。
 

 私は、オウム。
 仮面被りだ。
 今は、母親の仮面を被っている。
 たぶん、この先もずっと。


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