箸で地球はすくえない

ねこよう

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キツネの話 4章

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 学校サボりが二週目になってくると、さすがにボロが出始める。

 母親から毎朝のように「娘が休みます」と電話がくるけど、娘さんはどういう
状態なんだろう。と心配した担任が母に直接電話をかけて、仕事中だった母は
「いったい何の話ですか?」とパニくったみたいだ。
 夜に、私はリビングのテーブルでお母さんと向き合って座っていた。
 お母さんは腕組みをしてため息をついている。私は、学校に行かないで
サボっていた事を謝った。
 「学校行かなかった事、その傷と、なんか関係あるの?」
 そうしんみりした感じで聞いてきた。この傷は転んでできたって言い訳して
あったから、それと不登校を繋いで考えたみたいだ。
 この傷とは全然関係なくて、たまたまだと私は慌てて弁解した。
 お母さんは「そう。ならいいけど」とため息交じりに言うと私の目を見て
 「いい?何か困ったり辛い事があったら、お母さんに絶対言ってね」
 って伝えてきた。
 ありがとうお母さん。うん、絶対言うね。私は笑顔を作って言った。
嘘は良くないんだろうけど、心配かけない為の嘘もやっぱり良くないんだろうか。

 
 久しぶりに学校に行って、教室に入るとなにか雰囲気がおかしい。
 「ねえ、水野さん達のこと聞いた?」
 クラスメートの女子が近づいてきて質問してきた。私ってクラスであなた達に
シカトされてたよなとか思いながら、知らないけど。って答えたら、もう一人
女子が寄ってきて、詳しく教えてくれた。
 二日前から、トモカ達三人が学校を休んでいるらしい。噂では、彼女達の家族の
秘密が次々と明るみに出されていっているみたいだ。
 父親が会社でやっていた取引先への不正な賄賂。
 母親がパート先で喋った店長の悪口。
 兄がやった痴漢行為。
 妹が捨てアカでやっていた友達への不満の書き込み。
 もちろん本人たちだって無傷じゃない。鼻くそをほっている顔や毎日つけている
体重計のデータとか、実はブラのカップを一個上にして買っている事まで、思春期の
女子には精神的に辛いものが次々とネットに出回っている。
 こんなに家族の秘部が次々と出回ってしまったら、父親も母親も仕事は辞めるしか
ないのだろうし、本人たちだって学校には来れない。
 ひょっとしたら、引っ越すしかないのかもしれない。
 それもうんと遠くへ。
 
 
 夜に、お母さんが作っておいてくれたおでんを温めて食べていたら、
インターフォンが鳴った。玄関先を映した画面には、あの三人が疲れ切った顔で
映っていた。
 「あの・・・さ、ごめんね。
  私達、やりすぎちゃったかなって反省しているんだ。」
 玄関先で、まずトモカが口を開いた。それをきっかけにして、マミとエナも
ごめんねごめんね許してって泣きながらワイワイと言ってきた。
 私は、当然許す気にはなれなかった。
 「それでさ・・・お願いがあるんだけど、あれ、もうやめてくれる?」
 そう言われても私は何のことかさっぱり分からなかったのでそう言った。
 「だって・・そうでしょう?私達三人の家族だけあんなにいろいろ起こるのって、
  あなたの知り合いの誰かがやっているんでしょう?」
 なんだ。結局、本当に悪いと思って謝りに来たんじゃなくて、自分達の被害を
止めて欲しくて謝るだけなんだ。
 くだらない。こんな弱い奴らに、私は地面をなめるような事までさせられたんだ。
 うちのお父さんはクビになったとか、お母さんはノイローゼ気味になったとか、
ご近所の人達も口をきいてくれなくなった。とか、グズグズと泣きながら、自分達の
苦しさばかり喋っている。だから私は言ってやった。
 「ごめんよく分からない。もう、おでんが冷めるから。じゃあね」
 ドアの鍵をカチャリと閉めてやった。

 
 もちろん私は黒ウサギに連絡して、もう充分だからやめてほしいと話した。
 「まだそいつらは、その街にいるんだろう?」
 そりゃそうよ。今日うちに来たくらいだから。
 「じゃあ、またやるかもしれないな。」
 いやだからもうたぶん引っ越すだろうし、これ以上やって追いつめたら
マズイって・・・もしもし?・・・もしもし?黒ウサギ?
 切れた。
 急いでウサギに電話して、どうにか止められないか聞いたけど、「無理だね」しか
繰り返さなかった。
 私は、天に祈った。
 神様。あの子達は確かにひどい事をしたけど、こうなるとは思わなかったんです。
ライオンがガゼルを囲ったら、象が助けに来ちゃったみたいなものなんです。
でもガゼルの私に象は止められません。せめて、あの子たちがどこかでちゃんと
生きてますように。
 後で本人から聞いたのだけど、黒ウサギはかなりあの三人の家族を追いかけて
いったらしい。マミの一家は静岡に引っ越したけど、そこでもまた秘部を暴露されて
福井に行った。エナの一家は福島から山形に。
 そしてトモカの一家は、千葉、茨木、となかなか関東を出ようとしなかったけど、
今は新潟に逃げたらしい。
 「これでもうあいつらは誰もいじめないんじゃないか。まあ俺も楽しかった。
  またやられたら教えろ」
 「だから私は言うなって言ったんだよ。」
 アイスカフェオレの入ったグラスをストローでグルグルかき回しながら、
ウサギはふくれっ面だった。
 「なんだ。何が言うなって?」黒ウサギは心底分からなそうに聞いたが、
ウサギは、別に。と口を尖らせただけだった。

 
 私は大学に進学した。勉強したい事とかは特に無かったんだけど、大学に行けば
人脈をまた広げられるかなって思ったから。
 大学で知り合った女友達によると、同性目線で、私は背が小さくてカワイイ感じで
親しみがもてるみたいだ。
 そう言われて、私は聞こえないくらい小さな声で
 「♪金もいらなきゃ名誉もいらぬ♪わたしゃも少し背が欲しい~」と歌ってみた。
 
 ネットワークは更に広がり、ヤクザまがいの動きを隠れてやっている会社の社員
なんかもいたし、警察官までいた。
 黒ウサギ達の情報請求もかなり重いものまで入ってきて「明日の県警の捜査一課が
どう動くか」とか「半グレ集団の雄踏会のリーダーの居場所を探れ」とかになって
きていた。
 私は基本的にあの二人に情報を渡すだけで、表には出ない。でも裏の世界では、
あの二人に情報を流している膨大なネットワークを持っている‘‘キツネ‘‘とは何者だ。
と話題に挙がっているらしい。まさかその‘‘キツネ‘‘が、大学のキャンパスで、
若い男女に囲まれてワイワイやっている身長154cmとは誰も思ってないんじゃ
ないかな。
 
 
 ここで、私の異性関係について話しておこうと思う。
 こう言っちゃアレだけど、私は結構モテる。
 中学くらいから何人に告白されたのか数えられない。
 でも、付き合った人数っていうと、まだ二人だ。高校と大学で一人ずつ。
 それも二人とも「スポーツマンで爽やかイケメン」とかじゃ全然無くて、
高校の時の彼は鉄道マニア。大学の時の彼は落語ファンだった。
 どうやら私は、特殊なものが大好きで、その話しだったら何時間も出来るような
人を好きになってしまう傾向らしい。
 周りの友達からも「なんであんなのカレシにしたの?」とか聞かれるけど、別に
構わなかった。
 一応、ウサギにも彼氏ができた時は報告している。ウサギは「ふうん」と言う
だけで別にいいとも悪いとも言わない。その替わり、一週間くらい経ってから、
その彼氏の家族構成とか前に付き合った女の情報とか主に見ているエロサイトの
ページまで、ばーっと情報を送ってくる。
 だからってそれで彼氏と別れたとかは無い。でもその二人とも付き合い期間は
長続きしなかった。私が、ネットワークでのやり取りが忙しくて恋人まで気が
回らなくなり、なんでそんなに忙しいんだ浮気しているんじゃないか。
そんな事無い。とケンカになって別れる。というパターンだった。


 大学を卒業した私は、大手飲料企業に就職した。
 そこはビールからお茶まで手広くやっている企業で、私はそこの営業職になった。
主に街中の居酒屋が顧客で、一日に何件も顧客先を回って生ビール樽の注文を取る
仕事だ。
 一度、私のネットワークの中の一人が、顧客の居酒屋の店長だった事がある。
 もちろん事前に「明日行くから初対面の振りをして」と連絡はしてあった。
 
 先輩社員とその店に入っていくと、「どうもどうも」と先輩は髭面の店長に
営業スマイルで挨拶をした。
 「店長さんすみません。今度担当が僕じゃなくて、彼女になるんですよ。
  それで一応挨拶にきましたんで」
 ホラ。と頭を下げた先輩に前に出されて、
 「今度この地区担当になります〇○です。よろしくお願いします。」ときちっと
名刺を出すと、髭面は四角い紙片を受け取りクククと笑っている。
 店長さん。何かありました? 何か不始末でもやらかしたのかと心配そうな
先輩に、髭面はあわてて
 「いやいやいや別に。ただ、結構背の小さい方なんでびっくりして」
 髭面はまだにやけている。
 「そうですか。小さいけど体力はありますから。ナ?」先輩に振られて、
 「そうです。体力ありますから、なんでもやります。バンバン使ってくださいね。
  よろしくお願いします」
 営業スマイルを作って答えた。
 このやろう髭面。あとでしめる。

 あちこちの居酒屋で「またよろしくお願いしまーす」と挨拶して店を出て、
営業で使っている軽車に乗り込むとすぐにネットワークの誰かに連絡して、
一流企業の社長の愛人宅はどこかとか、あの薬の売人は何時に起きるのかとか、
と情報を集めていた。
 ある日、ウサギと待ち合わせたいつものサイゼリヤに行った。
 黒ウサギは突然行方知れずになってしまい、一年が経った頃だった。
 ウサギが座っているボックス席の前の席に、女が座っている。珍しい。
席に近づいて行って、「よ」ってウサギに挨拶した。
 「こちらは?」
 女はペコリと会釈すると、ウサギに尋ねた。
 ウサギは「キツネ」とだけボソっと答えた。
 「あ、あんたがキツネなの? あらー・・・へー・・・こんなカワイイ
  お嬢さんだったんだ。私キツネって言うからもっと背が高くてスラっとして
  お高く留まった人かと思っていたけど――」
 女は人をジロジロ見ながらペラペラ喋っている。年は私やウサギよりも少しくらい
上な感じか。たぶん、突然銃を向けられても変わらなそうな落ち着き払った態度は、
裏社会の人間だなと想像させた。
 「背が高くなくて悪かったわね。で、あんたは誰?」
 「オウム」またもやボソッとウサギが答えた。
 「あんたがオウム? ちょうど良かったわ。ちょっといい?」
 私はオウムの顔を睨みながら、ウサギの隣にズズっと座った。
 「アンタさ、この前の、カツカレーの案件? あの時に、私のネットワークの剣崎
  に協力してもらって、報酬をちゃんと払わなかったでしょう?」
 「剣崎? ああ、あのバカな女?」
 一瞬眉間にしわを寄せて考えたけど、すぐに思い出したみたいだ。
 「当然でしょ? あのバカ女がミスったせいで、私のシナリオが台無しに
  なっちゃう所だったんだから。むしろあれだけ払ったんだから感謝してほしい
  くらいよ。普通だったら報酬なんてゼロよ。」
 「そんな大したミスじゃなかったんでしょ?」
 「あのね、大したどこじゃないミスなの。あの女はね、ターゲットにカツカレーを
  持っていくってだけの簡単仕事なのにね、事もあろうに、ハヤシライスを持って
  行ったのよ。その後でどんだけ私が冷や汗かきながらハヤシライスを
  カツカレーにすり替えたと思ってんのよ。
  だいたい、カツカレーとハヤシライスって、どこをどうしたら間違えるの? 
  もうさ、カレーでさえないし」
 オウムはあきれたように鼻でフンと息を吐いた。  
 「そんなの、間違えるようなおんなじ場所に置いとく方が悪いんでしょう?」
 「お店ですからね、そりゃあハヤシライス頼む人だっているわよ」
 「だから、分かるように何か目印をつけとくとかさ!!」
 「ちゃんとカツの上に旗を立てておきました。アメリカの星条旗で。
  アメリカの旗の方を持っていってねって指示出したのに、アイツはね、
  ブラジルの国旗の立っているハヤシライス持って行っちゃったの。
  普通分かるでしょ? アメリカとブラジルの国旗が並んでて、
  どっちがアメリカかなんて。」
 「でも」とか「あのね」とか言い合う私達を黙って見ていたウサギが
 「あんた達、似てるね」とボソッと言った。
 「似てないわよ!」私とオウムの怒鳴った声が、ぴったりと揃った。

 
 複数の飲料会社が合同で行われる、立食パーティーがあった。
 顧客の奪い合いでギスギスしがちな同業社間の関係を、少しでも良いものに
するための親睦会のようなものだ。これは、外部に向けて、
「私達は会社同士でいがみあってませんよ」というアピールの役割も持っている。
 そういうものこそ社長や常務クラスのトップ同士が参加すればいいのだが、
そういうものこそ上の人間は出たがらない。なのでやっぱり下の人間が
参加しろと指示される。
 そして、そういうパーティーで重要視されるのが参加する人数だ。
大手企業なのに二人しか出ませんでした。では、後々にカドが立つ。
なので人数合わせみたいなメンツで、私にも参加しろとの指示が出た。
 ホテルの大フロアを借り切って、かなり広い中に100人近くが集まった。
フロアのあちらこちらで名刺渡しの人垣が出来ている。私は、最初は男性の先輩と
一緒について、「まだ三年目です。よろしくお願いします」とヘコヘコ名刺を
配っていたが、そのうちその先輩は人垣に紛れて見えなくなってしまった。
 これはチャンス。と私はフロア中央にある料理のテーブルに近づいた。
今日はお店回りで忙しく、昼ご飯を食べられなかったから、名刺を出して
愛想笑いしながらクーと鳴りそうなお腹を抑えるのに必死だったのだ。
 美味しそうなチャーハンをお皿に盛っていると、隣にいたメガネの男性が
呆気にとられたみたいにこっちを見ている。なんで?と思ったが、チャーハンが
小山になっている左手の皿に視線が集中していた。
 「どうも」と慌ててニコッと営業スマイルしてみた。
 「それ・・・全部召し上がるんですか?」右手で私の皿を指し示している。
 「あ、ハイ。あの~・・・お昼食べてませんので」
 「でもそれ全部? ちょっと失礼かもしれませんが、そんな小さいのに・・・」
 背の事を言われて、私はちょっとムッとした。
 「はい。私、第二次成長中なので、育ち盛りなんです。だからこの夏に
  二十センチくらい伸びる予定ですので」
 男は小さく口をぱっくり開けたかと思うと「クククククッ」とおかしくて
たまらないかのように笑いだした。普通は笑われて腹がたったりするのだけど、
その笑った顔があまりにも可愛らしくて、今度は私が呆然となってしまった。
 
 彼が出した名刺は「サンシャイン飲料 手塚恭一」とあった。
 サンシャインの手塚。
 先輩が「また顧客取られた。アイツだよ。サンシャインの手塚だよ。チクショウ」
と愚痴っているのを何度か聞いた事がある。他社の持っている、気難しい店主の
顧客を何人も陥落させた経歴を持つ営業マンらしい。
 私は手塚に話を聞いた。自分はまだ入って七年目なのでこのパーティーに参加
させられた。自分はそんなに営業トークとかは全然うまくない。自分はお客さんが
喜ぶにはどうすればいいのかというのを常に考えている。自分は1Rのアパートに
独りで住んでいます。自分は映画を観るのが好きで、休日は一人で映画を観て
過ごしています。
 手塚恭一は、自分の欠点も努力点も全部をさらけ出して、尚且つ、キラキラと
輝いて見えた。
 私は、薄い膜を張ったような違和感を常に抱きながら生きている。
でももしかしたら、この人と一緒にいたら、こんな薄い膜なんか破れて、私も
同じようにキラキラと輝いて生きられるようになるのかもしれない。
 
 彼の喋る声を聞きながら、私はぼんやりとそんな事を考えていた。


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