箸で地球はすくえない

ねこよう

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キツネの話 7章

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 それからは、離婚への道のりが始まった。
 弁護士と連絡。報告受けて、また連絡。報告連絡また連絡。
 
 マンションへは、旦那がいない時間をウサギに教えてもらい、その隙に帰って
少しずつ必要なものを持ち運んだ。
 ウサギのアパートに居候していると言っても、ウサギは部屋にいない時が多くて、
三日間帰ってこないなんて時もざらにある。なのでほとんど私の一人暮らしみたいな
もので、勝手に片付けたりインテリア小物を足したりしていた。
 ウサギは多少の部屋の中のものの移動は気にしなかったけど、大きなミニオンズの
人形を置いたら、さすがに嫌がった。「黄色くて嫌」なんだって。
 
 やってみると、住民票の住所に住まずに別宅に住み続ける。というのも、別段
不自由というわけではない。ネットショップはウサギの住所で登録すれば良いだけ
だし、大切な郵便物というものは今の時代ほとんど来ない。
 というわけで、勤めている飲料会社の人達にもバレずに、仮宅生活を続けていた。

 一つ大きな問題は、実家だった。こればかりはきちんと伝えておかないと、
知らずにマンションに遊びに行ったりしたら、父も母もショックは大きいだろう。
 先ずは話しやすい方から。
 母に話があると実家の近所のコーヒーショップに呼び出して、今までの経緯を
話した。
 手塚が「普通の奥さんはこうだ」と言い続ける件を喋っている時に、母が突然
 「わかった。じゃあどうするの? 離婚? そいつを葬る?」と聞いてきた。
 全く意味が分からない。
 離婚は分かるけど、葬るってのはなんなのだ? 
 それでなぜその二択なのかも分からない。
 とりあえず「離婚する」って答えたら、「まあ一般的にはそうだよねぇ」と
ちょっと惜しそうに言っている。
 母はメガネをかけてショートカットで、あまり怒ったのを見たことがなくて、
まあマジメなおばさんみたいな印象の人だ。
 父と会った時にはケーキ屋さんの店員だったそうだが、ケーキ屋の以前に何を
していたのかは父もよく分からないらしい。
 父にはどうするのか母が聞いてきたので、今日の夜に自分で話すと答えた。
ありがとうと店を出た時に
 「気が変わって、葬りたくなったら、いつでも言いなさいよ。」
 母が耳元で囁いた。
 もし、「やっぱり葬りたいからお願い」と言ったらどうする気なんだろうか。


 仕事から帰ってきた父は、私が来ていると分かると上機嫌になった。
 風呂上がりに色あせたキース・ヘリングの青いTシャツを着て、エビスビールを
自分と母と私のコップに注いだ。
 「お父さん、あのね――」私は早口になった。こういう事はグズグズせずに
さっさと言っちゃった方がいい。じゃないと「手塚さんはいい青年だよな」なんて
言い出しかねない。
 全てを聞いた父は、少し俯きながら、そうかそうか。を繰り返した。
 「やっぱり・・・ショックだった?」
 「うーん・・・ショック?・・・まぁびっくりはしたわな・・・でも、
  そういう事ならな。そうなんだよな・・・いや、お前が満足するまで
  やればいいよ。うん。うん。」
 父は、何にかはよく分からないが、とにかく納得させるように‘‘うんうん‘‘を
繰り返した。
 これで話も終わりかなぁと思ったから、じゃあまぁ、こんな娘だけど、
またよろしくお願いします。と正座して三つ指揃えてきちんと頭を下げた。
 頭の上から、父の小さい声で
 「♪金もいらなきゃ名誉もいらぬ~ あたしゃも少し背が欲しい」と、
どこか寂し気な節が聞こえてきた。
 
 
 弁護士から「彼が離婚に同意しました。」という連絡が着たのは、それから半年後
だった。
 離婚の条件としては、一方的な私からの離婚希望なので、慰謝料300万円を
支払う事。
 そして、もう一つの条件が、私と一度二人っきりで話をする事。だった。
 だから私は彼と待ち合わせをして会った。
 場所は、静かなクラシックがかかっている、しっとりとした落ち着きのある喫茶店
だった。
 
 彼は、なぜ突然君が心変わりしたのか。僕達はいろいろあったけど、うまくいって
いる夫婦だったのじゃないか。と聞いてきた。
 私は、それには何も答えずに、ウサギのくれた彼の行動レポートをテーブルの上に
出した。
 「――私ね、いろいろ分かったの。結局あなたは私の事を好きなんじゃなくて、
  自分の言う通りに動く私が大好きなだけなんだって。
  神崎美智さんって女の子は、あなたの言う‘‘普通の奥さん‘‘になれそうなコなの? 
  ちゃんと掃除洗濯料理も出来て旦那さんを立ててくれるの?・・・
  マ、そんなこと私にはもうどうでもいいんだけど」
 彼は明らかに動揺して、ちょ、ちょっと待ってくれ。そしたら、全部知って
いたって事か?全部調べさせてたって事か? そんなのは・・・夫婦として
ルール違反じゃないのか。と言い始めた。
 夫婦のルール? 浮気したヤツにそんな事言われたくない。
 こんな状況になっても、彼は「僕には理解できない」とか
「君の判断は間違っている」「こんな結論は君が楽をする方向を選んだだけだ」
「まだ君への想いは変わらない」「君は自分勝手だ」とかいろいろ喋った。
 でも、ごめん。の一言もなかった。
 「――離婚っていうこんな結果になってもさ、世間からの僕への評価は変わらない
  と思うんだ。旦那のたった一度の浮気を許せない君への評価は知らないけど。」
 遂には、苦し紛れの負け惜しみでこんな事まで言い始めた。
 なので私はもう我慢の限界になった。
 「他人からのあなたの評価・・・そうね。あなたが言う通り、世間とやらは
  あなたをどう思っているのか、試してみようか?」
 私は「すみませーん」と隣の席のご婦人に声をかけた。
 クリーム色のワンピースを着ていて、おしとやかそうな人だ。
 その人は「はい?」と不思議そうに答えた。
 
 「突然すみません。ちょっと、この人なんですけど、あなたの目から見てどんな
  人に見えますか? 素直に思った通りでいいので、もし良かったら教えて
  いただけませんか?」
 
 手塚は小声で「よせよ」と「すみません」を言いながら困っている。
 その人は読んでいた文庫本を閉じながら、「そうねぇ・・・」と手塚の顔をじっと
見つめていて、ようやく口を開いた。
 「とっても・・・仕事ができそうな人に見えます。人からも信頼されやすいんじゃ
  ないんですか?」
 他人から見てもやっぱりそうなのか。
 私は悔しさを隠しながら「ありがとうございます」と答えた。

 だがその女の人の口は動くことを止めずに「でも――」と言葉が続いた。
 「――なんか、ちょっと誠実な感じがしませんね。結構平気で嘘をつく人なんじゃ
  ないですか? あと、人を見下しているような雰囲気もありますね。
  ああ、自分は何事でも乗り越えられると思っているけど、困難に立ち向かう
  だけの意地も根気も知恵もない。ような感じがちょっとします。」
 
 
 俺への印象を喋り終えたクリーム色のワンピースの女性は「もういいですか」と
にっこりと微笑むと、また文庫本の開いたページに目をやった。
 見た目の印象で批判された? この俺が? 信じられない。見た目は好印象を
持たれるようにいろいろと努力してきたつもりだ。
 それが誠実に見えない? まさか? 
 でもふと、この事実を考え直してみた。たまたまだ。たまたま、何に対しても
マイナスの部分を見つけて批判した気になっているのが好きな年増の女に当たった
だけだ。
 これが世間全般の意見じゃない。たぶん、たまたま運が悪かっただけだ。
 「その顔、納得してないのね。」妻――正確には近々元妻になる女が睨んでいる。
 答えずにコーヒーを一口口に入れた。
 苦い。なんでこんなに苦く感じるんだ?
 「わかったわ。じゃあ、他の人にも聞いてみる。」
 元妻は立ち上がったかと思うと、横に三つ離れていた席に座っていた若い男女の
カップルが座った席に行き「すみませーん」と、何かを小声で喋った。
かと思うとその二人を俺の目の前まで連れてきて
 「この人なんですけど、どうですか?」と聞いた。
 若い男は「うーん」と小さく唸ってから
 「なんか、いい印象与えようとしていて、すごく嘘くさいって言うか、
  そんな感じっスね」
 そうのたまった。
 隣の彼女は「ちょっと、自分の事いい人だって思っちゃっている、勘違い系?」
 それに男が「ああ、そんな感じするよね!」と反応している。
 なんだこいつら。こんな、若いだけで頭も軽そうな奴らに俺の何が分かる?
 カップルは俺の前から離れていったが、元妻はいない。
 どこへ行ったかと店内を見回すと、少し離れた席でスポーツ新聞を読んでいた
職人風のおじさんに声を掛けている。
 五分刈りのおじさんは元妻に連れられてこっちに来ると、俺を値踏みするように
じろじろ見てから、 
 「なぁんか、人間の底が浅そうな男だな。俺はこういう奴嫌いだな」
 そういうと、自分の席に戻っていった。
 次は、近所の主婦仲間みたいな60代らしき女性二人組を元妻は連れてきた。
 「こういう男いるわねー。口では愛してるとか言って、平気で女遊びするの」
 「ねぇねぇ。こないだニュースで見た、強制わいせつで掴まった犯人に
  似てない?」
 これは・・・どういう事だ? なぜ、誰も彼も俺を見てそんなに嫌な事ばかり
言ってくるんだ? て事は、もしかしたら今まで俺の周りにいた人たちは、
みんな気を使って嘘をついていたって事か?
 今度は女子高生二人組が目の前に立った。
 「ウワちょっとマジで無理じゃない? ヤバいよね」
 「ゴメン。あたしダメなタイプだわ。」
 ウケルー。と二人で大笑いして去っていった。
 今度はサラリーマン二人組だ。しかしあいつはよく次から次へと店にいた客に
「あの人見てください」って声掛けることができるな。
 太ったのとスマートのスーツ姿のサラリーマンは、さすがに面と向かって言うのは
気が引けたのか、お互いの耳元でコソコソ話をして目を合わせてニヤニヤしている。
でもそれだけで良い印象では無いのがよく分かり、直接言葉を言われるよりも
ダメージは強かった。

 「どうだった? あなたの大好きな、他人からの評価は」
 いつの間にか元妻はまた俺の前に座っていた。
 その瞳は、暗く冷たい光を宿ったまま、まっすぐに俺を見つめていた。
 悔しさと自尊心の維持とでごっちゃになった俺は、手当たり次第に
元妻をなじった。
 料理が下手な事。掃除が苦手な事。洗濯物を畳むと必ず曲がっていた事。
背が低い事。義理の父も背が低い事。だから俺はお前と子供を作らなかったんだ。
遺伝で背が低いと可哀そうだから。お前の血は劣勢遺伝子だ。だから子供が出来る
前に別れられて良かったと思っている。せいぜい家事が出来なくてチビでもいいって
男を見つけろよ。そんじゃあな。
 席を立ち、速足で店のドアを開けた。
 客が来たことを知らせるためのドアに付けられた鈴が、ちりんちりんと間抜けな
音を響かせた。

 店を出てからニブロック程歩いた。
 あの店で、客という客全員から非難的な言葉をぶつけられたのが、未だに信じられ
なかった。子供のころから、いつも俺は周りからの称賛の中で生きてきた。
その俺をこんなに言うなんて。
 タッタタとリズムよく動いていた歩く足を止め、一度落ち着いてみる。
 よく考えてみたら、たかがあの店の何人かに非難されただけじゃないか。
ひょっとしたら、最初に聞いたあのクリーム色の女の言葉をみんなが聞いていて、
集団審理でついその方向に流されただけなのかもしれない。
 きっとそうだ。そうに違いない。
 俺は、スマホで神崎美智の名前を出して受話器ボタンをタップした。
 そうだ。俺の本当の事を分かっているのは、やっぱりこの美智なんだ。
幸いに、あのバカな女は離婚の慰謝料で300万も俺に払った。浮気しているのは
こっちなのに。これで美智に何か買ってやろうか。それとも二人で旅行にでも
行こうか。
 七回目のコールがなった所で音が止まった。
 もしもし?と言ってみる。
 「ねえ? ちょっと聞いていい?」
 こっちからかけたのに、向こうから質問してくるってのはどういう事だ?
 「今さ、轟会って所の人がうちに来てるんだけど。それで、私が不倫していた
  証拠を持っているって言うんだけど、どういう事なの?」
 轟会? 聞いたことないよ。そんな会社。
 「会社じゃなくて、ヤク・・・」
 突然に電話は切れた。と同時に、トントンと肩を叩かれて振り向くと、
目つきの鋭い男が二人立っている。
 「あんた、手塚恭二さんですね?」
 あ、はぁ。と意味も分からずに答えると、
 「私達、轟会って所の者ですが、ちょっといいですか? 実はこんなものが
  私どもの所に出回ってましてね。」
 封筒から出した写真は、俺と美智とがほとんど裸で抱き合っているものだ。
 どうしてこんなものが?
 「あとこれもちょっと・・・」
 書類を出してきた。営業の俺が、経費という名目で着服してきた会社の金が
羅列されている。しかも1円単位の細かいところまで表で出されて。
 「どうしましょうかねぇ。こういうのを会社に出されたら、首になるくらいじゃ
  済まないかもしれないですよね。下手したら訴えられたり・・・しかも同じ
  職場の人と不倫関係だなんて・・・まぁ、私らも鬼じゃないんで、こういう
  ものをそのまま黙っているって事も出来るには出来るんですけど・・・」
 ねめつけるような笑い方で男は言ってきた。
 怖い。「け、警察に言いますよ」と反論してみる。
 「ああ? こっちが紳士的に話しているのに、警察沙汰ですか? あぁ面白え。
  どうぞ警察でもなんでも言ってくださいよ。こっちはそんなもんにびびって
  いられねぇんだから。グダグダいってると埋めちまうぞ!」
 「どうしました?」
 背後からの声に振り向くと、紺色の制服を着たがっちりした体格の警察官が
こっちを見ている。なんて偶然なんだ。ラッキー!
 「助けてください。脅されているんです」って助けを求めた。
 「この人たち、轟会っていう所の人たちです。ヤクザです。
  さっきから怒鳴ったりして僕の事を脅しているんです」
 その帽子からスポーツ刈りがチラチラ見える警察官は、うんうんと頷いて
 「困っているんですか?」と聞いてきた。
 「エエ。だから困っているんですよ。助けてください。脅されていて・・・」
 「お前に聞いてるんじゃねぇよ!」
 一瞬、誰が誰に言ったのか分からなかったが、その言葉は確かに警察官から俺に
向けて発せられた言葉だった。
 「オイ山本。困ってんの?」
 「大丈夫ですよ。田崎さん」奥にいて黙っていたヤクザが、快活に答えた。
 「そうか。まぁ、最近は変な奴多いから、気をつけてな。」
 そう言い残すと、警察官はまたもと来た道を引き返していった。
 前に出ていた男が警官に向かって頭を下げると、山本と呼ばれていた男が
俺の前に進み出た。
 「いいから、どこか落ち着ける所でゆっくり話そうか。ちょうどうちの事務所が
  空いているんですよ。すぐそこだからさ。
  行こうか、手塚恭二さん。」
 まるで世間話するみたいな軽い口調で。――
 
 静かなクラシックの喫茶店では、クリーム色のワンピースを着た女がスマホで
話していた。
 電話を切ると、隣の席に座る私に「全部終わったってさ」と伝えてきた。
 「そう。アイツは?」
 「事務所。轟会が搾るだけ搾り取るんじゃない。」
 「山本さんが、私が慰謝料で払った300万はそこから返してくれるって」
 「しっかし、あんたのネットワークも怖いわねぇ。轟会の山本さんまで
  繋がってるとは」
 「ちなみに、警察官の田崎さんも私のネットワーク」
 「やっぱそうか。」
 「あとは・・・みんなもありがとね」
 そう大声で言うと、喫茶店にいたカップルや主婦仲間や職人おじさんや女子高生や
サラリーマンが、それぞれ「おう」「楽しかったわ」「マジうける」「やったね」と
答えてくれた。
 アイスコーヒーをカラカラと回したオウムが「あんただけは敵にしたくないわ。」
と呟いた。
 「そう言えば、あれはどうなったの? 不倫相手の女。」
 「ああ。脅かされたから、どっかに逃げたんじゃない? 
  あの子はまぁ逃げるくらいで追い詰めないでくださいって山本さんにお願いして
  おいたから。
  そういえば山本さんがさ、私に¨お母さん元気か?よろしく伝えてくれ¨って
  言うんだよね。お母さんって轟会の人と知り合いだったのよ。
  お母さんって昔何やってたんだろうなぁ」
 「さあ。あんたの母親だから、ただもんじゃないんでしょうよ。狐の親は狐? 
  あ、オオカミかもしれないわよね」
 やめてよぉ。とオウムの肩を叩いていると、ちりんちりんとドアの鈴が鳴り、
若い男が店に入ってきた。
 男は一直線にこっちに近寄ってきて、手塚が座っていた私の向かいの席に
何の戸惑いも無く座った。
 
 「どう?・・・うまくいった?」男が声を掛けると
 「当たり前でしょう!」オウムはスパンと答えた。
 この男、会った事がある。確か、手塚の職場の人が家に来る日に料理を
しくじった時、オウムに助けを求めて、コンビニで料理のビニールを持って
待っていた男だ。
 「あ、キツネ。この冴えない男はね、ネズミ」
 男は、ども。と頭を下げた。今一番腕がいいと評判のネット系のハッカーだ。
 「それでどうしたの? あんた今回あんまり働いてないから、報酬はないよ」
 ひでぇなぁ、、俺も、、あの男の会社のパソコンに入ったりしただろ。
 そうネズミは反論したけど
 「あんなの仕事ってほどの作業じゃないでしょ」とオウムに跳ね返されて
しまった。
 「まぁいいや。俺・・・・キツネに話が。」
 ネズミはこっちを向きなおして、改めて私の顔を見た。
 「キツネ・・・・一つお願いがあるんだけど・・・俺に・・・
  クラゲを、、、紹介してくんない?」
 クラゲ――最近ネット界で頭角を現してきた、ハッカーの新星だ。
 もちろん私のネットワークに入っている。
 「クラゲって・・・・俺の、、、考えつかないやり方で鍵を開けるんだ。
  だからさ・・いろいろと、情報・・・交換とかしたいんだ。」
 たどたどしい言葉で喋るネズミは恐らくサイズの大きい長袖を少しめくり、
テーブルに手をつき頭を下げてお願いしてきた。
 「頼むよ。・・・・キツネは、仲介屋なんだろ?」
 ネズミの発したその言葉が、私の中の何かに引っ掛かった。
 仲介屋か・・・警察と知り合いたい。ヤクザと知り合いたい。
ハッカーと知り合いたい。詐欺師と知り合いたい。情報屋と知り合いたい。
 そういう人たちを繋げて、報酬を得る。
 それもいいかも。
 思い返してみたら、私は子供のころからそんなことばかりやってきた。
だったらそれが私の天から恵まれた才能なのかも。
 ならばそれをとことん使ってみるのも、アリか。
 「♪あたしゃ も少し背が欲しい~」
 節をつけて小声で歌ってみた。
 オウムやネズミは「なんだ?」みたいな顔でこっちを見ている。
 「背が欲しい」って言えるのは、私がチビだからだ。
逆に言えば180㎝のモデルさんは「背が欲しい」なんて言えない。
 お父さんも、背が低いだけで色々悔しい思いをしてきたはず。
 でも、‘‘「背が欲しい」って言えるのは俺がチビだからだよ。‘‘って
一種開き直りの自分を楽しむために、何かって言うとあの歌を歌っていた
のかもしれない。

 「うん・・・紹介・・・・しようかな。報酬さえもらえればね」
 私に向かって頭を下げている天才ハッカーに、気持ち偉そうな感じで
言ってみた。

 
 昼下がりのサイゼリヤに行くと、相変わらず混んでいてほとんどが満席だ。
 席案内の店員を手で制していつもの席に行くと、ノートパソコンに向かっていた
ウサギがチラッとこっちに目をやった。
 向かいの席に座る。
 ウサギは、テーブルの上を、人差し指で抑えた紙をスーッと滑らせてきた。
 手元まできた折り畳まれた紙を開いてみる。
 「県警 牛尾田の行動情報」
 「×××× ××××× ××××の情報」
 県警の牛尾田は分かる。警察の力を使って、裏の人間を何人も食い物にしている、
ろくでもない男だ。でも、一緒に書いてあるこの男は? なんでこの男の情報が
欲しいのだろう? 
 「できる?」ウサギは画面から目を離さずに問うてきた。
 「たぶんね。」
 恐らく、私のネットワークに声をかければ、この男の元同級生か何かに引っかかる
だろう。
 「――ブラとパンツ忘れてる」
 一瞬、ウサギの言っている事が分からなくて「へ?」と間抜けな声が出た。
 「私の部屋に。ブラとパンツ忘れてる。紫の」
 そういう事か。
 先週、新しい部屋が決まったので、居候していたウサギの部屋から出て行った
のだ。その時に下着の1セットを忘れていったっぽい。
 「そっか。じゃあ今度取りに行くよ。」
 「別に・・・・置いといてもいいけど。」
 ハッとしてウサギを見たら、怒ったような顔でキーボードをパチパチ叩いている。
 「フフフフフ」
 思わず笑みが零れた。不器用なヤツ。でも、だから私はコイツが好きなのかも。
 私は立ち上がり、伝票差しに立っている白い紙を取って「じゃあね」と言った。
 ウサギは「うん」と答えて、まだキーボードを叩いている。
 
 
 私は、キツネだ。
 いろんな人の威を借りて暮らしている。
 何の特技も無い、小さくて無力な女だ。
 でも、弱くはない。




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