箸で地球はすくえない

ねこよう

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牛尾田の話 その五

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 午前の、まだ陽が高い時間帯の事だ。
 
 のんびりとした足取りで歩いていた牛尾田は、裏通りの小さなビルの前に立ち、
頭を傾けて看板を確認していた。
 横に長い看板は、海をイメージした青地に黄色い文字でこう書かれていた。
 
 「宅配寿司 日本海 北町支店」
 
 ガラス戸を横に滑らせると、カウンターの中から店長らしき中年男性と学生の
ような若者二人が「いらっしゃいませ~」と声を上げた。
 「ネズミだ。」
 そう告げると、店長はテイクアウトの客じゃないのかと営業スマイルを引っ込め、
「そっちの奥です」と吐き出すように言いカウンター脇のドアを指した。
 牛尾田がドアを開けると小上がりになっている。そこで靴を脱いで廊下をさらに
奥へ進み、[休憩所]と書かれた襖を開けると、畳敷きの部屋の真ん中に座って、
ネズミがテーブルに置いたノートパソコンを睨んでいた。
 「今日は寿司屋の休憩所かよ。この前はピザ屋だったよな? 
  なんで喫茶店とかじゃダメなんだよ」
  向かい側に胡坐をかいた牛尾田が、めんどくさそうに聞いた。
 「会ってる所・・・・誰にも見られたくないんス。」
 「そんなにまずいもんか?」
 「裏の人間に・・・・見つかったら・・・・マズイです。」
 「ふーん・・・まあ、こないだのピザ屋よりもマシだけどな。」
 休憩室まで焼けたチーズの香りが漂ってきて、胸やけしたのを思い出した。
 「それで?――」
 体を前にのめり出して顔と視線で促すと、ネズミはつまらなそうに自分の横に
置いてあるバッグから、A4サイズの封筒をテーブルに放った。
 
 
 最近、駅の券売機付近で、困った顔をして路線図を見上げている若くて美人な
女がいる。どうしたのかと親切な男が声を掛けると(親切心以外の感情もあるの
だろうが)二つ先の駅に急ぎで行きたいのだが、財布を忘れてしまった。
これから母の手術が始まるのに財布を取りに帰ったら間に合わない。と泣きそうに
訴えてくる。
 それならと男性が小銭を渡そうと伝えると、女はびっくりするくらいに喜ぶ。
そして男が財布を出した時、チラリと見えたクレジットカードを
 「それ〇〇のカードじゃないですか? 私そこのカード好きなんです。
  ちょっと見せてくれませんか?」とカードを奪い、
 「へー、これってスゴイですね」とか言いながら、カードを持ったまま別の話を
し始めて、その隙にバッグに入っていたカードスキャナーでカードを読み取り、
支払い完了させてしまいまたカードを返す。
 男性は、あんな美人に連絡先を教えてもらって浮かれて帰り、月末のカード
請求で大金が支払われたのを知る――。
 という詐欺が連続して起こっている。
 容疑者の女性は、その時その時によって別人のようで、組織的犯行の可能性が
高い。と見て捜査をしているが、捜査で見つかった女性達は、高額で雇われた
一度きりのバイトと喋るばかりで、元締めまでなかなかたどり着かない。
 ネズミが渡したのは、その元締めの男の情報だった。
 男が、使い捨てのスマホで雇った女性達と連絡を取っていたのをハッキング
したのだ。
 
 「助かる。ご苦労だったな。」
 中に入っている書類をトントンと揃えて、牛尾田は頷いた。
 「・・・・・」
 自分のお礼の言葉に、ネズミは黙って答える。
 まただ。ハッキングの腕はいいのだろうが、はい。や、ええ。とかの相槌が
極端に少ない男だ。何を考えているのか分からない事がよくある。
 「もう・・・・これで、勘弁してくれませんかね?」
 男は根暗な瞳でそう言った。
 牛尾田はじろりと真正面にいる若者を見た。やさ男だが、いい顔をしている。
少なくとも自分が若い時と比べても、いい男だろう。それでもなぜかこの男は
自分が醜い部類の男だと思い込んでいるようだ。
 「戸越社長と話をつけてやっただろう? アレが無かったら、今頃どうなってる
  と思ってるんだ? どっかの山奥の土ん中か、どっかの海でカモメにでも
  つつかれてるんだぞ。」
 「だからその分は・・・・もう返しました」
 牛尾田がじろりと睨むと「と、、お、思います」ネズミは慌てて付け足した。
 「俺・・・・・けーっこうあなたのいう事聞いて、調べたり・・・・・
  情報、、、流したりしたじゃないスか?」
 牛尾田は、黙ったまま眉間にしわを寄せてみた。
 「わ、分かりましたよ。」ネズミは、ヘヘと微笑んで、目をそらした。
 何を偉そうに言ってやがるんだこの野郎は。どうせ俺に歯向かう力も無い、
ただのパソコンオタクのハッカーなんだ。黙って言う事を聞いていればいいんだ。
 牛尾田は、ネズミの様子を観察した。
 愛想笑いで口角を上げているが、内心は全く笑っていない。
 コイツはいつもそうだ。
 表面は笑っていても、心の奥底では怒り狂っているのかもしれない。
 思いっきり脅して服従させれば手っ取り早いが、そうするとおそらく遺恨が残って
何をやってくるかわからなくなる。
 ここは少し甘いエサでも撒いておくか――。
 「よぉし分かった。じゃあなぁ、あと三回だ。あと三回だけ、俺の願いを
  叶えてくれ。そうしたら、お前には金輪際関わらないから。」
 「・・・・ホントっスか?」答えるネズミの顔が、パーッと軽くなった。
 「ああ。」
 「じゃあ・・・・ホントの本当にあと・・・・三回だけって事で。」
 念押しで言ってくるので、もう一度ゆっくりと頷いてやる。
 「ほら、アレだ。ランプをこすると、三回願いを叶えますって魔物だか魔人だかが
  いただろう? なんて言ったっけか? アラジンの・・・」
 「・・・・ジーニー?」
 「そうそれだ。それとおんなじ。ご主人様、三回願いを叶えたらランプに
  消えますって。そんな感じでいいだろ? あと三回で、貸し借り無しの
  さっぱり終わり。」
 「そうっスか。じゃあ俺・・・・・ジーニーっスか。」
 よっぽど嬉しいのだろうか、ネズミはニヤニヤした顔でキーボードを叩いている。
 
 嘘だ。あと三回で、コイツを自由にする気なんか、サラサラ無い。
 これだけ腕のいいハッカーが使えるなんて、事件を捜査する刑事としたら便利で
仕方がない。とりあえず三回で「ごくろうさん」と言ってしばらく連絡しないで
おいて、また時期が来たら、思い出したかのように連絡すればいいだけの話だ。
 もしそれで嫌がったら、戸越社長に身柄を渡すぞと脅してみるか。それか、
クスリ所持みたいな軽い罪状で引っ張ってしまって、後で証拠を作って出せばいい。
 さすがにムショに行くくらいならと俺に泣きつくだろう。
 
 「あ、で、でも――」ネズミがキーボードを打つ手をやめた。
 「――『嘘つきは泥棒のはじまり』って・・・・ありましたよね? 
  まさか・・・・警察なんだから、嘘なんかつきませんよね?」
 別に問い詰める感じでなくて、冗談を言うみたいに軽い口調だった。
 「当たり前だろう? 俺だって警察のはしくれだ。嘘なんかつかない。」
 ネズミの目を見た。猜疑心が見え隠れしている。牛尾田は、あえてゆっくりと
静かなトーンで言葉を続けた。
 
 「いいか? 人間の世界には、筋ってものがある。警察でもヤクザでも、
  通すべき時はきちんと筋を通さないと、決まって後でろくなことには
  ならないんだ。俺はそれを知っているから、言った事は守る。
  正直言えば、お前がずっと俺の言う事やってくれたら、便利この上ない。
  でもそれは筋じゃない。そういう事だ。」
 
 「そうっスか・・・・わかりました。」
 ネズミが答える。一応今だけは。という反応だ。
 まあそれでもいい。この「いつになったら終わりか」というめんどくさいお題を、
あと三回は持ち出されずに済む。
 
 「そう言えば、牛尾田さん、ご結婚されてましたよね?」
 話題が変った。しかも、今までよりも流暢な喋り方になっている。
 頭の中の警戒ランプが鳴った。なぜ急にこいつはこんな事を言い始めた?
 「そうだな。」
 「奥さんは、元気ですか?」
 何だか喋り方に自信がある。という事は、あらかじめ用意していた質問か? 
 危険だ。何かの情報を取りに来たのか? 何かの警告か? 俺の事は調べたんだぞ
とでも言うような・・・
 「元気だ。まあ同じ屋根の下に住んでても、もうほとんど口も聞かないがな。」
 また嘘。この男を信用はできない。
 「・・・・そうっスか。」
 そう言うと、ネズミはまた黙ってキーボードに集中しはじめた。
 しばらく、カタカタカタとキーボードを叩く音が休憩室に響いている。
 「なんで・・・・急にそんな事聞くんだ?」
 ネズミは小さく驚いた顔でこっちを見て
 「別に・・・・せ、世間話ですよ。奥さん・・・元気ですかって」と答えた。
 「――なにか・・・・マズかった・・・ですか? 奥さんの話は。」
 「いや、いいんだ。別になんでもない。ただ、ちょっと気になっただけだ。」
 「そう・・・スか」
 「じゃあ、そろそろ行くか。またな。」
 牛尾田は片膝を立てて立ち上がると、まだ座っているネズミに軽く手を振ってから
部屋を出た。
 
 
 店のガラス戸を閉めて、裏通りを二三歩歩きだしてからまた店の方を振り返る。
 大人しいネズミか、噛みつくネズミか、どっちだ?――。
 もし、噛みついてくるなら、この警察の革靴で踏みつぶすまでだ。
 時刻はもうお昼時だ。
 ガラス戸からは、すし桶を持ったバイトらしき兄ちゃんが出てきて、店の前に
止めた宅配用バイクの荷台に寿司桶を入れていた。
 待てよ。この店の名前・・・
 牛尾田は、自分の脳の記憶の海馬をぐるぐると回していった。
 「宅配寿司 日本海」
 そうだ。うちの地区にもある。間違いない。ここの別の支店だ。
 そう言えば・・・前回のピザ屋も、うちの地区に支店があったな。
 ピザ・・・寿司・・・どっちも、家で注文した事がある。
 ひょっとして、あいつ・・・この店やあのピザ屋で、俺に関する情報を
吸い上げていたのか?
 どういう家に住んでいて、どんなものを注文していたか?またそれは何人前
なのか?
 もしそうだとしたら、ただのハッカーの若造だと侮れないが・・・・
 
 牛尾田は、フッと自虐的に笑みをこぼすと、自分に言い聞かせた。
 職業柄、なんにでも疑う癖がついたかもしれんな。まぁ仮にもしそうだったと
しても、あんな小物が現職警察官に、どうこうも出来ないだろう。
 考えすぎだろう。最近、捜査捜査で疲れているのかもしれんな。今日は仕事を
早めにあがって、家でゆっくりと過ごそう。夕飯は・・・出前でも頼むか。
 あ、だけど・・・
 
 今日は、寿司とピザはやめておこう。
 
 牛尾田は、戦利品の入った封筒を片手に、もう片方の手で最近少し出てきた
下腹をさすりながら、昼下がりの裏通りを、のんびりと歩を進めていった。
 


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