箸で地球はすくえない

ねこよう

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牛尾田の話 その六

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 刑事だって、暇な時はある。
 
 テレビドラマとかだと、毎週一回殺人事件が起きて、あっちこっち走り回り
聞き込みばっかりしているが、現実ではそんなに何度も難解な殺人事件は
起こらないし、もし起きたとしてもあっけなく犯人が捕まったりして、
何もする事も無い日があったりする。
 
 牛尾田にとって、今日はそんな日だった。
 特に抱えている案件は無いし、目新しい事件の連絡も無かった。
 今日は久しぶりに「リメンバー」にでも寄って、バーテンの鹿島と話でも
してこようか。
 そう考えながら自分のデスクでうーんと伸びをしていると、
「お疲れ様です」と隣のシマの見城が戻って来た。
 見城は、まだ三十前半で眼鏡をかけて痩身のやさ男だが、その見た目とは裏腹に、
手荒なもめ事が大好きな男だ。
 その見た目に騙されて「てめえ殺すぞ」とか「オメエみたいにひ弱なのは
黙ってろ」なんて見城に口走った容疑者が、逆に殺されそうになって
涙目ですみませんでしたとペコペコ頭を下げるのを何度も見てきた。
 
 「見城、あのヤマ、どうなったんだ? 売人の。」
 
 警察内で牛尾田と親しい人間はあまりいない。ただこの見城は、
牛尾田と馬の合う少数な人間だった。
 「牛さん、聞いてくださいよ~。今日、うちら‘‘フミ‘‘の日だったんですよ~」
 ‘‘フミ‘‘は、現場に踏み込む日の事だ。
 何日も調査して、絶対にこの日にクスリがあると確信を持って、令状を申請して
踏み込む、捜査では一番メインの日だ。
 
 「それで、郡山ってマルタイのアパートずっと張り込んでて、
      買い取りに‘‘中間‘‘のヤツが部屋に来たから、よしここだって踏み込んだんです。
     ドア開けたら、マルタイと中間が二人で椅子に座っていて、
      でもクスリは無くって。
  捜査員五人で部屋の中あっちこっち探したんですけど、どこからもクスリ
  出てこなかったんです。」
 「そうか・・・そりゃご苦労だったなぁ。」
 「奴ら、すぐに電話して、体重百キロはありそうなデブな弁護士が来ちゃって、
  人権侵害だ警察の横暴だなんだとまくしたてるヤロウで、こりゃ外れクジ
      引いたかってみんなほとんどあきらめモードだったんス」
 「まぁ・・・しょうがないよな。」
 
 牛尾田は見城の顔を観察しながらあいづちをうった。
 メガネの奥の瞳は、疲労と苛立ちの色が見て取れる。
 何日も時間と労力を費やして、成果無しだった時の疲労感は途轍もなく大きい
ものだ。今日は、この男を「リメンバー」に誘って一杯誘ってやろうか。
と牛尾田は考えていた。
 「刑事やってりゃ、そんな時もあるさ。」
 イスに座った見城の背中から、肩に手を置いた時だった。
 「――ところがですよ。この話、まだ続きがあるんです。」
 振り向いた見城の目には、今までとは打って変わって活力が見てとれる。
 うん? これは、話を聞いてみる価値がありそうだな。
 牛尾田は、手近の誰のだか分からないイスに座り、
 「んで、どうなったんだ?」と話を促した。
 
 あのですね。デブ弁護士が来た時点で、こりゃもうダメなヤマっぽいなって
捜査員みんなテンション落ちてたんですよ。
   そしたら、その弁護士が、ダイニングキッチンにあったテーブルの椅子に
座っていたんですが、何かこう・・・右手をこうやって、手を変な振り方
しているんです。
 手のひらを下に向けて垂らした。かと思うと、人差し指を一本立てて
フリフリして。
 最初は、そいつの変な癖かなんかなのかなと思ってたら、弁護士はその仕草を
続けて二回やってるんです。
 それで今度はマルタイの郡山ってヤツの方見たら、郡山はそのダイニングの
すみっこで壁に寄り掛かって立ってたんですけど、また手で奇妙な動きを
しているんです。
 こうやって左手の指を伸ばして、その手首を右手の親指と人差し指で
つまむような・・・・
 「ふ~ん、それで?」
 牛尾田が前のめりになって聞くと、見城は、へへへと笑って
「牛尾田さん、コーヒーおごってくださいよ」と言ってきた。
 
 「よし、ちょっと待ってろ。」
 
  牛尾田は部屋を出て行き、廊下の端にある自動販売機に小銭を入れ、
缶コーヒーのボタンを二度押した。
 取り出し口から温まった短い缶を二個握りながら、牛尾田は考える。
 見城は、最初から俺にコーヒーを奢らせるためにこんな話をし始めたのか?
 会話初手からの見城の様子をプレイバックさせて、どこか不審な動作や表情が
なかったか黙考する。
 いや、そんなはずはない。
 恐らく、話している途中でふと思いついたんだろう。
 
 ほらよ。と缶コーヒーを投げ渡すと、ありがとっス。と見城は受け取り、
すぐにプルトップを開けて飲み始めた。
 「牛さんに奢ってもらったコーヒーは、格別うまいっスね。」
 「そうかよ。じゃあ、早く話してくれ。続きが気になってしょうがないんだ。」
 まあまあともったいぶった見城は、それでですね。とまた話す体勢になった。
 
 俺はピンと来たんですよ。
 あ、これは二人で示し合わせた何かのサインかなにかだ。
 と。
 だけど何を示したサインなのかが分からない。それに、こっちがサインだと
気づいた事もあっちに悟られたらアウトになる。
 だからっスね。取り敢えず、他の捜査員に、俺ちょっとこっちにいるから。って
もう一つある畳の和室の部屋に行ってふすまを閉めて一人っきりになったんです。
 そこでスマホを出して、片っ端から検索しました。
 「手 サイン 合図」とか入れて。
 そしたら、玉掛け合図。とか、ハンドサイン。とかが出て来るんですけど、
どうもそんなものでも無いんですよ。
 そこで思い出したんです。
 これは、警察学校で教えられた事だ。
 
 「犯罪者の気持ちになって考えろ。か?」
 ブラックコーヒーの缶を傾けるのを止めて、牛尾田が答えた。
 
 そうです。まさにその通りっス!
 もし俺があの悪徳弁護士だったら、郡山と共有するサインを新しく作るのか。
いや、そんな事はしないで、今ある何かしらのサインを使うだろう。
 じゃあ何を使う? そんな‘‘右‘‘とか‘‘左‘‘とか‘‘下‘‘とかの簡潔なものだと、
何かの隠し場所は教えられない。
 もっと、普通に会話するぐらいの詳しいサインが必要じゃないか。
 会話・・・会話・・・サインで会話・・・・
 あ。って俺、ひらめいちゃったんです
 
 ここで見城は、話の続きをもったいぶるかのように、手に持っていた缶コーヒーを
傾けてゴクリと一口飲んだ。
 
 それでですね、俺がひらめいたのは、手話ですよ、手話。
 「手話って、あれか? 耳が聞こえない人が使う・・・」
 ろうあの人って言ってくださいよ。と見城は牛尾田の言葉を正した。
 それでですね、検索する言葉を変えました。
 「手話 どこ」ってね。
 それでヒットした動画を観たら、まさにその弁護士がやってる手の動作
なんですよ。
 右手をこうやって振って「どこ?」って。 
 そしたら今度はマルタイの動きです。
 左手の手首を右手でつまむようにしてひねり上げる。これは絶対どこかを
指している手話だ。
 どこだどこだどこだ・・・
「手話 台所」とか「タンス」とかを検索したけど違う。
 
 でもちょっと待て。この仕草、なにかに似ている。
 なんだなんだなんだなんだなんだ・・・
 
 「それで? それは何のサインだったんだ?」
 左手首をつまむような仕草を繰り返している見城に、耐えきれなくなった牛尾田は
やや強い口調で言った。
 
 見城は、まぁまぁと牛尾田をなだめてから、また口を開いた。
 
 靴、ですよ。靴。
「手話 靴」と検索したら、全く同じ動作をしている動画が出てきたんです。
 俺は急いでダイニングに戻りました。さっきまでいた弁護士がいません。
同僚に聞くと、トイレに入ったって事です。
トイレはダイニングを出て、玄関の方へ続く廊下にあります。
 俺は玄関の方に行き、そこにある全部の靴を見ました。
捜査員の靴もあったので、どれが同僚の刑事のでどれがマルタイの靴なのかは
分かりません。
 でも、一個だけ、違和感のある靴があったんです。
 
 「違和感?」
 だまって頷いていた牛尾田が、思わず疑問を投げかけた。
 
 はい。一個の黒の革靴だけ、左の足がありませんでした。
右の片一方しかなかったんですよ。
 俺は慌ててトイレのドアノブに手をかけて開けようとしました。
 でももちろん鍵がかかってます。なのでこうやってバンバン叩いて、
開けろオラ開けろ!って呼びかけました。
 騒ぎを聞きつけて同僚たちがトイレの前に来たんで、皆でバールや道具を使って、
無理矢理ドアをこじ開けたんです。そしたら中には・・・
 
 見城は、また一息つくかのようにコーヒー缶を傾けて喉を鳴らした。
 「ごちそうさんです。」
 「ああ、いいからいいから。それで、中はどうなってたんだ?」
 
 ドアをばっと開けたら、トイレの中にはですね。
 まず、便器に座っている弁護士と目が合いました。
 怯えたような目で、ズボンを降ろさずにそのまま便座に座っていましたよ。
なので、トイレに行きたいのが嘘だった。と分かりました。
 それで弁護士の前の床に、靴が片方転がっていました。
 でもただの靴じゃないんです。
 その靴、かかと部分が無いんです。じゃあかかとの部分はどこだ?
と目をやると、弁護士先生の左手に、なにか黒い物が握られている。
 
 ‘‘あれだ!‘‘
 
 オイこら!とかなんとか言って、その左手に握っているものを奪おうと
手を伸ばしましたよ。
 そしたらやっぱ向こうもマズイと思ったのか、なんと便器の中にその黒い物を
放り込んだんです。
 それで、レバーに手をかけて、そのまま流そうとしやがったんです。
 牛尾田は、この捕物帳の顛末がどうなるのか早く知りたくてたまらなくなり、
話を促すよう「んで、どうしたんだ?」とあいづちをうった。
 
 俺はレバーに伸ばした手をおさえて、他の捜査員の一人は男の股座またぐらから
手を入れて、便器に落ちたかかとを拾おうとしました。
 でも、相手はなんせ百キロ越えのデブでしょう。だから手が入る隙間はないし、
便器の中は見えないしで。
 考えてみてくださいよ。アパートの狭いトイレの中で、座っているデブと俺と
その捜査員の三人のでかい男が争っているんです。
 もうトイレの中、ぎゅうぎゅうですよ。
 そうこうしているうちに、デブ弁護士の指がレバーをクイっと
押し上げちゃいました。

 ジャバジャバジャバジャバジャー。ズゾズゾ。
 
 あ、ヤバい。
 その瞬間、カーっと頭が熱くなっちゃって。
 俺とその相棒は、もう暴力刑事だなんだと訴えられようが知るかって感じで、
無理やりそのデブ弁をトイレから引きずり出したんです。
 もちろんデブ弁は、人権侵害だとか殴られたとか喚きだしたんスけど。
 それで、俺達、便器の中を覗いて見たんです。
 
 「そしたら、どうだった? やっぱもう流れてたのか?」
 見城は、牛尾田から目をそらし、俯きがちになった。

 便器の中には・・・何もなかったんです。
 
 「やっぱりか」
 牛尾田は、椅子の背もたれに体重を預け天井を見上げた。
 下水道をたどれば靴の踵は見つかるかもしれないが、証拠能力としては不十分だ。
残念だけど仕方がないだろう。

 ギギ。
 前の椅子が動く音がして、牛尾田が目をやると、
見城が‘ひっかかりましたね‘‘と言わんばかりに‘ニヤニヤしている。

 ――と思ったんですよ。したら、便器の奥の方になにか黒い物が見えるんです。
どうやらウンコじゃなさそうだ。思わず、手袋付けない素手のまま、便器の水の中に
手を突っ込んでみたんです。
 冷たい水の中で、硬い手ごたえがあったんス。
 
 「それって・・・」
 頷いた見城が口を開く。
 「踵だったんス。ギリギリ流れてなかったんですよ。
  水から引き上げると、踵は箱状に細工されていて、その中に入ってましたヨ。
  ビニール袋の中に水が滲みてましたけど。」
 「じゃあ・・・」
 「マルタイも売人も、ついでにそのデブ弁護士も、全員逮捕っス」
 「オー、そうか。」
 牛尾田の口から、思わず感嘆の声がこぼれた。
 「そうかそうか。じゃあ、お祝に今日は俺が一杯おごってやるよ。」
 「あざーす。
  ただ、すみませんが今日はちょっと・・・これから、捜査やった連中と、
  祝杯あげる事になってるんですよ。」
 「そうか。じゃあしょうがない。せいぜい楽しんで来いや。」
 「スマセン。いやー、しかし牛さん。
  今回、俺が気づいたから間に合いましたけど、ちょっと遅かったら
  アウトでしたよ。
  だから俺思ったんス。
  刑事として、簡単な手話くらいは知識を持っといた方がいいのかなぁって。」
 
 んじゃスマセン。コーヒー、ごちそう様です。と頭を下げて、見城は出て行った。
 
 見城がいなくなった後で、牛尾田は考えた。
 手話か・・・確かに、何かに役に立ちそうだ。
 例えば、俺が関わっている裏の奴らのトコへガサ入れに入った時、他の捜査員に
バレないようにそいつと情報交換できるかもしれないしな。
 今日はちょっと本屋にでも寄って、手話の本でも買ってから「リメンバー」に
行こうか。
 どうせ見城に奢るつもりだったんだから、ほんの一冊や二冊大した出費でもない。
 
 牛尾田は手早く荷物をまとめると、バッグを肩にかけ、サザンの「栞のテーマ」を
口ずさみながら、軽い足取りでそこを出て行った。
 
 
 牛尾田が去った後、誰もいなくなった部屋の中に、作業着を着た七十代くらいの
背の小さい女性が入ってきた。
 どうやら掃除のパート職員らしい。
 女性は各デスクにあるゴミ箱のゴミを集めながら、キョロキョロと誰もいないのを
何度も確かめると、牛尾田の机に近づき、触り始めた。
 ポケットから出したスマホを、引き出しの中やデスクの上に向けて
何度もシャッターを押す。
 女はスマホをいじり、LINEで、撮った写真のデータを次から次へと
送信していった。
 

 送信先は、「岡村」という名前だ。
 

 ただ、「岡村」のアイコンには、どぎついくらいに微笑んでいる、
ウサギのイラストが表示されていた。
 

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