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2巻
2-2
しおりを挟む「それじゃあ、アカリが作ろうか」
「はい」
卵液は先ほど作ってあるので、焼くだけだ。
「油を入れて……白い煙が出たら、卵を流し入れる」
卵をフライパンに入れて、三秒待つ。
「はい、かき混ぜる」
アカリが一生懸命かき混ぜる。いや、必死すぎやしませんか? 一生懸命なことはいいことだが、いきなり飛ばしすぎだ。最後まで持つだろうか。
「卵が半熟になったら、フライパンをコンロに叩きつける。今の状態を忘れるなよ」
「はい」
コン、コン、コン。三回叩いたら、手前半分を奥半分に重ねていく。さっきの油返しをしてなかったら、卵がこびりついて半分にできない。
「ここからが難しいぞ。フライパンの柄を叩いて、つなぎ目を上にするんだ」
アカリが柄を叩くが、ひっくり返らない。初めはそうだよな。うまい人でも、初めから完璧になんてできやしない。
「肩の力を抜いて、軽くでいい。もう一度叩いて」
肩に力が入っているとフライパンを強く握ってしまい、動かなくなってしまう。アカリがうまくできないのは、そこが原因だな。と、おお、少し動いた。
「もう少し力を抜いて、初めてなんだから失敗はするさ。軽い気持ちで作ろう」
「はい」
少しずつだが肩の力が抜けてきたな。既にオムレツは半熟じゃなくなっているが、これは練習だ。しょうがない。
「よし、つなぎ目が上に来たらくっつけて、今度はつなぎ目を下にするようにもう一度柄を叩いていく」
少し、少しとつなぎ目が下に動く。上達が早いな。俺なんか三回ぐらい練習しないと動かなかったのに……やっぱり俺には才能はあまりなかったのかな。自信がなくなるものだ。
「つなぎ目が下になったら五秒待つ。後はフライパンを返して皿に盛る」
「はい、できました」
「よし。初めてにしては上出来だな。俺よりも才能がある」
「いえ、師匠には遠く及びません」
さて、肝心のオムレツの出来だが、少し焦げ目がついていた。
柄を叩いてひっくり返すのが遅くなるとこうなるのだ。スプーンで中を確認しても半熟とは言えない。
「中がとろーりではないですね……」
「最初はできなくて当たり前だ。ほら、もう一度やるぞ」
アカリに卵液の入った器を渡す。アカリに教えながら準備していたものだ。ちゃんと味付けもしてある。
「できるまでやってもらう。これが俺の教えだ」
「はい」
本当は通っていた学校の方針だが、勝手に俺の方針にすることにした。
できるまでやる、いいじゃないか。アカリには、学校で習ったのと同じように習わせることにしよう。
考えているうちに、アカリはオムレツを完成させた。こちらもまだ、理想には程遠い。
「それじゃあ、もう一度。まだまだ、あるからな」
「こ、これは……」
器を差し出す俺の前には、割られた卵が二〇個ほど。それを見たアカリは顔を引きつらせながら、オムレツを作り始めた。
あ……作らせるのはいいが、オムレツはどう処分しようか……全然考えていなかった。とりあえず、後で考えればいいかな……
そんなこんなで、時間がかかったが何とか二〇個作り終えた。大体一〇個目ぐらいから様になってきて、二〇個目には綺麗に作れるようになっていた。
言いたいことや直してほしいところはまだまだあるが、それはとりあえず口頭で伝えるだけにして、次の段階に移ることにする。一日だけで三つの入門料理を学んでもらうのだ、時間が足りない。これで洋食はいったん終わりにしよう。
3
さて、洋食の次は和食だな。
「それじゃあ……次は魚をおろそうか」
魚の三枚おろしは、和食、特に魚料理の基本と呼べる技術だ。
和食の基本的な技術といえば、桂剥きをはじめとした包丁の使い方が定番で挙げられるのだが、今後魚料理の提供も考えているので、今回は魚のおろし方を教えることにした。
「魚のおろしですか……少し苦手です」
「苦手なら尚更だな、練習しないと上達しない」
俺の言葉に、アカリは力強く頷く。
「わかりました。やってみます。一度、僕がおろすのを見てもらっていいですか?」
「いいだろう。見てから足りないところを教えることにしようか」
魚をおろすことができるのは、それなりに料理ができる証拠だ。一度見て指摘するだけでいいのなら、後は簡単だな。
俺は冷蔵庫から、魚を取り出す。これは昨晩のうちに、創造召喚で日本から召喚しておいたものだ。アカリの目の前で召喚するわけにはいかないからな。
さて、今からおろすのはブリだ。正確に言えばブリの子供。俺の場合はヤズと呼んでいたが、どうやらこの呼び方は地方によって違うらしく、ワカナとかツバスとも呼ばれているらしい。ちなみにヤズは九州などでの呼ばれ方のようだ。
まな板の上にブリを載せたところで、アカリにおろすよう指示する。
「それじゃあ」
そう言いながらアカリが取り出したのは、小さなナイフだった。
忘れていた……この世界には包丁がないんだった。スズヤさんの料理風景を見た時にわかっていたことじゃないか。
「ストップ、ストップ!!」
「どうしたんですか?」
俺の声に反応して、アカリは魚をおろすのやめる。彼女はこちらを見て、何か悪かったのかと首を傾げた。
「何か変でしたか?」
「いや、入り方はあっていた。だけどその前に、そのナイフを包丁に変えようか」
「包丁とは?」
「これだな」
俺は愛用の包丁が入ったケースを取り出して、開いて見せる。全部で五本。綺麗にしまってある。
「何故、五本もあるのですか? それに普通のナイフと違って、片方は刃がないです。刀みたいですね」
あれ、刀はあるのか……なら、包丁も作ってもらえるかな、これを見本に。
俺が考え込んでいると、アカリがじっと見つめてくる。そうだ、五本ある理由だったな。
「ああ、五本ある理由は、切るものによって包丁を変えるためだな」
「変える理由はあるのですか?」
「もちろんある。包丁一つ一つに特徴があり、いろんな種類の材料を切りやすいように作られているんだ」
いい機会なので、アカリに包丁の説明をすることにした。
包丁にはたくさんの種類がある。その中で俺が愛用しているのは、和包丁が三本、洋包丁が二本だ。この五本は、包丁の基本でもある。
さて、それではそれぞれについて説明しよう。
一本目は、菜切り包丁。
その名の通り、主に野菜を切る時に使う包丁だ。刃幅が大きく、さらに刃線が反っておらず直線に近いため、まな板での刻み物がしやすくなっている。また、切っ先が丸くなっているのも特徴だ。
二本目は、柳刃包丁。
これを持っている人は、中々いないのではないだろうか。この包丁は刺身を切る(引くとも言う)ための包丁だ。他の包丁に比べて刀身が長く、一気に引くことで綺麗な切り口を作ることができる。
三本目は、出刃包丁。
これが今回、ブリをおろすのに使う包丁となる。魚をさばく時に使う包丁だ。つくりがかなりしっかりしていて、峰は分厚いのだが、刃の部分は薄く作られており、その重さを利用して切るような使い方になる。
ここまでの三本のうち、柳刃包丁と出刃包丁は片刃包丁だ。片刃包丁とは、刃の片方が平面で、もう片方のみが斜めの砥ぎ面(切れ刃)という、断面が「レ」のようなつくりになっている。ちなみに、両面が砥ぎ面となっていて、断面が「V」字型になっているものを、両刃包丁と呼ぶ。菜切り包丁は両刃包丁だな。
なお、片刃のものは両刃のものに比べて、薄く削いだり刻んだりする作業がしやすいと言われている。
さて、ここからは洋包丁の紹介だ。俺が持っているのは、牛刀とペティナイフの二種類。
牛刀は、元はその名の通り、牛肉を切る際に使われていた。だが肉だけでなく、野菜やパンを切るのにも適していることから、万能包丁として扱われている。両刃で、普通の家庭にある文化包丁よりも直線部分が長くなっている。
最後は、ペティナイフ。「ペティ」とはフランス語で「小さい」という意味で、その名の通り小さい牛刀のことを指す。フルーツの皮剥きや飾り切りなんかに使う包丁だ。アニメやドラマなんかで、病室でお見舞いのリンゴを剥くシーンがあるが、あのナイフがこれだ。
そうだ、せっかくなので、包丁と握り方の握り方について、ここで簡単に説明しておこう。
包丁の握りは様々だが、大きく分けて三つあると俺は教わった。
一つ目は、卓刀法。
親指と人差し指の付け根で包丁の柄元を挟み、他の三本の指は柄を軽く握る形になる。
基本中の基本の握り方と言えるだろう。
二つ目は、支柱法。
人差し指を包丁の峰に乗せ、残りの四本の指で柄を握る形だ。
包丁の横ブレを防ぐことができるので、柔らかいものや滑りやすいものを、正確に切りたい時に向いている。
そして三つ目が、全握法。
名前の通り、包丁の柄を全部の指で上から握る形になる。
力が入りやすいため、主に魚の骨などの、硬いものを断ち切る時に使われる握り方だ。
他にも握り方はいろいろあるが、まずはこの三種類を、どの場面でどんな握り方をするのが適切かを把握して、使い分けることが重要だ。
「……と、まあこんな感じだな。どうだ、覚えたか?」
一つ一つの包丁と握り方について説明を終えた俺は、アカリの方に向き直る。
「包丁というのは、こんなに種類があるのですね……食材によって刃物を使い分けるだなんて、そんなことをしてるのは師匠だけだと思います」
「そうだろうな。少なくとも、この街で包丁を持っているのは俺だけだろう。俺の弟子になったんだ、これを使ってもらうぞ」
「はい」
予備として創造召喚で持ってきていた出刃包丁を、アカリに渡す。今回は三枚おろしなので、出刃包丁だけでいいだろう。
「使い方は……」
「わからないです」
「了解。なら、今回も俺が一度やってみるから、どうやって使うのか見ておいてくれよ」
「はい」
俺は自分の包丁を持って、魚をおろしにかかる。
「それじゃあ、始めるぞ。一度だけしかやらないから、ちゃんと見ていてくれよ、アカリ」
さて、まずは魚を水でしっかりと洗う。
これは魚の表面についている病原菌を洗い落とすためだ。有名な病原菌としては、腸炎ビブリオという、塩分を好むものがある。こいつは海にいる魚の大半についているのだが、真水には弱いため、料理の前にはしっかりと洗うようにしたい。
洗い終えたら、次は鱗を取る。
この時、頭が左側になるようにまな板の上に置き、尾側から頭に向かって、出刃包丁の刃を滑らせて鱗を擦り取っていく。ちなみにコツとしては、背側を刃先で、腹側を刃元で擦るようにすると、綺麗に取ることができる。
鱗がしっかり取れたところで、えらを取る作業に入るのだが、少し難しくなってくる。
まずはブリの頭を右側にして置き、えらぶたを持ち上げて、えらを守っている膜を切る。この膜はえらとくっついているため、ここで切っておくことで、後からえらが取りやすくなるのだ。えらは両面にあるので、しっかりと両方切っておく。
次に、腹びれの間を切る。まっすぐに切っていき、肛門のところまで包丁を滑らせていく。
そのまま腹を開いて、腹側にあるえらの付け根を切る。えらは両側についているが、付け根は一つだ。そこを切れば、簡単に両側を取ることができるようになる。
ここまできたら、えらをしっかり持ち、尾に向かって引っ張る。こうすれば、内臓も一緒についてくるのだ。
忘れがちなのが、内臓を取った後、腹の内側にある膜を切ることだ。
この膜がいわゆる血合と呼ばれる場所になる。中に溜まっていた血が出てくるが気にしない。
膜を切ったら、残っている内臓や血などをササラを使って水洗いする。
ササラというのは、魚を洗う道具だ。木で作られた竹箒に似た形をしている。これがない場合は、竹串を輪ゴムで束ねたものを使うといい。鉛筆のように持ち、先を広げながら腹の内側に当てて洗っていく。特に血合の部分には多くの血があるので、この水洗いでしっかり落とすこと。
――以上が魚の三枚おろしの前準備だ。
終わったと思った?
そんなはずがない。まだ、三枚におろしていないのだ。
「さあアカリ、ここからが本番だ、よく見ておけよ」
俺の言葉に、アカリはぐっと頷く。
さっき洗ったブリの水分を、しっかりと取る。腹の内側まで、しっかりとだ。
まな板も水洗いし、頭が左になるようブリを置く。頭を落とすのだ。
頭の上部分から胸びれを通り、腹びれの隣まで切り落とす。
頭の向きは左のまま、裏返して同じように切る。後はつながっている部分を切り落として頭を取る。
さて、次は身に包丁を入れていこう。
頭があった方を右側に、腹が手前に来るように置き、肛門があったあたりから尾びれの方に向かって、骨に沿って切っていく。
尾びれの方まで切れたら、魚を一八〇度回転させ、頭が左、背が手前になるようにする。
身を上から掌でおさえつつ、尾びれ側がら包丁を入れ、背骨に沿うようにして中骨のあたりまで切っていく。腹骨が背骨にくっついたままになっているので、これを包丁の刃先ではずせば、上身が取れる。これで片面は終了だ。
次は断面がまな板に接するようひっくり返し、背側から包丁を入れて背骨に沿って切っていく。背側を切り終えたら、再度魚を一八〇度回転させ、腹側を切る。こちらについても、腹骨が背骨についたままになっているので、丁寧にはずしてあげよう。
以上で、片身が二枚と、中骨一枚になり、三枚おろしの完成だ。
コツとしては、身を切る際には骨に沿って削ぐようにおろすこと。骨を包丁の切っ先に常に当てた状態で骨を感じながら切っていくと、綺麗におろせる。
初めの頃は、骨に沿って切るのは難しく、逆に骨に当たってしまい包丁が動かなくなるという状態に陥りやすい。その多くは、力の入れすぎが原因なので、常に肩の力を抜くことが必要だ。
三枚おろしに限ったことではないが、基本的に、和食では体に力を入れすぎないようにしたい。常に力を抜いた状態で調整することがベストだ。
さて、三枚におろしたブリだが、片身を食べやすくするには、もう一手間かかる。
その一手間とは、身に残っている腹骨をはずすことだ。
ただ三枚におろしただけでは、腹骨がしっかりくっついてしまっているため、刺身などにしにくく、また煮込んだとしても、骨が口に当たってしまう可能性がある。
そこで、腹骨をはずす必要が出てくるわけだ。なおこの際、骨に沿うようにして切らないと、身を切りすぎてしまうことになるので、注意したい。
――よし、これで三枚おろしは完成だな。
「何か質問はある?」
「ありません」
アカリはすっかり感心した様子で頷いていた。
このように、下ごしらえするだけでも大変なわけだが、これができなければ作れない和食は数多い。和食の代表的な料理である刺身すら作れないのだ。
そうだ、せっかくなので今度刺身も作ろうかな。
と、その前にまずはアカリの練習だな。魚をさばくのは、オムレツを作るよりも難しいだろう。だから……
「魚はたくさんある。オムレツ同様、存分に練習してくれ」
「はい……」
オムレツ同様。その言葉にまた大量に練習することを悟ったのか、アカリは苦笑いをしながら魚をおろしにかかった。
ブリは、一〇匹用意している。決して多くはない数だ。
俺が昔学校で習った時も、一〇匹目ぐらいになれば綺麗におろすことができるようになったので、アカリも問題ないだろう。
さて、次は中華だ。
アカリがブリと格闘している間に、準備をしておくとしよう。
中華料理は、基本的に豪快に作ることが多い。何を教えることにしようか……
よし、やっぱり、中華と言えばあれだよな。
何を作るか決めた俺は、からっぽの倉庫に入り、地球から材料を取り寄せた。
「できました」
準備を終えて厨房に戻ってくると、一〇匹の魚全てが三枚におろされていた。
最初の方は身が崩れているものもあるが、終盤には大分ましになっていた。後は継続して練習していけば綺麗にさばけるようになるだろう。
それなりに三枚おろしができるようになったところで、和食の基本は終わりにした。
最後は中華料理だな。
4
さて、中華料理の基本として教えるのは、王道メニューである。豪快かつスピーディーな調理が特徴的な料理。すなわち……
「チャーハンを作ってもらう」
俺の言葉に、アカリは首を傾げた。大体予想していたけど、この世界にはチャーハンもないみたいだな。
それにしても、ここまで五時間ぶっ通しで練習してきたわけだが、アカリは疲れていないのだろうか。腕とか足とか、結構疲れると思うんだけどな。休みなし、立ちっぱなしだったのだから、限界に近いだろう。
「作る前に少し休むか?」
「いえ、まだ大丈夫です」
心配して聞いてみたが、すぐに断りの返事をしてきた。俺的にはここで休憩を入れた方がいいと思うのだが断固拒否された。
「ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫です。確かに疲れましたが、知らなかったことを学べて楽しい気持ちの方が勝っています」
「そうか……」
正直なところ、アカリは女の子だから体力的に心配だ。いくら冒険者をやっていたとはいえ、男性よりも体力はないはず。しかも次に教える中華料理は、鍋を振る必要があるため、かなり体力を消耗することになるだろう。
しかし、ここまで言うのならば休憩は入れずにいこう。
適度に休むのは大切だが、モチベーションというものも大切だ。休憩をはさんで集中力を落とされても困るので、このまま教えることにする。
アカリの体力を信じることにしよう。
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