第三騎士団の文官さん

海水

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キツネとタヌキの逆襲

第三十一話 男のケジメ

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 翌日、第一騎士団の執務室では、ホークが荒れていた。昨晩、キャスリーンの縁談の話を小耳に挟んだからだ。
 とある外国の貴族。
 急に決まった、気に入らない男の身分復帰。
 しかもその男は、皇女たるキャスリーンと仲が良く、はた目には恋人にしか見えない。
 かつ帝国の人間ではないのに宰相の近くに控えている。
 全ての情報が、その憎い男がキャスリーンの相手であることを語っていた。
 ローイック・マーベリク。ホークにとって、自分を侮辱した男でもあった。

「何が身分復帰だ! たかが侯爵じゃねえか!」

 ホークは目の前の椅子を思い切り蹴った。がっしりとした造りの椅子は壁にぶち当たり、音を上げ、歪んだ。それでも収まらないホークは壁も蹴った。パラパラと壁の埃が落ちてくる。

「団長、落ち着いてください!」
「うるせぇ! 落ち着いてられるか。こんな屈辱、初めてだ!」

 部下が諫めようとしても烈火の如く吠えるホークの怒りは収まらない。
 身分は間違いなく自分の方が上だった。顔だって、タヌキみたいな間抜けな顔に負けるわけがない。身長も体格も、ローイックを圧倒している。自分は皆が一目置く存在だ。なのに、キャスリーンの相手が自分ではないのか。納得がいかなかった。
 自らの容姿と行いに、一切の疑問を感じないナルシストは、手当たり次第に怒りをまき散らしていた。

「こ、皇帝陛下から、まだ下手人は捕まらないのかと、催促もきております!」

 ホークに報告する部下は、自分にとばっちりが来ないことを、切に願っていた。これ以上機嫌を損ねない様に、直立不動だ。

「捕まえられるわけがねえだろ!」
「ひぃっ!」

 ホークは端正な顔を歪ませて部下に怒鳴ると、彼は身を縮めた。
 大体捕まるわけがない。犯人はホークだ。のらりくらりと回答を避けていたが、ここにきて一気に圧力が増した。ネイサンがローイックを襲った下手人の処罰を、麦の病気対策の条件としたからだ。
 追い詰められたホークは焦ってもいた。このままだと自分がやばいと感じ始めたのだ。残念なことに、ホークも、そしてローイックも、皇帝陛下の掌で踊らされていることには気が付いていない。

「くそ……こうなったら」

 歪んだホークの顔に、闇が差す。部下の男はその顔をみて、小さい悲鳴をあげた。




 どんよりと曇った午後。灰色の、濁った日の光しか差し込まない第三騎士団のキャスリーンの執務室に、ローイックはいた。テーブルに額をあて、唸っていた。

「ローイック。気持ちは分かるけどさ」

 ローイックが蹲っている向かいにはキャスリーンが席についている。眉尻を下げ、困った顔をしていた。

「今朝の会議から、周りの人からの視線に殺気が籠っているんですよ」

 ローイックは顔を上げ、キャスリーンを見た。そのサファイヤブルーの瞳は、やや潤んでいる。

「昨日の夕方に流れた情報が原因なのは明白です。しかもそれを流したのはヴァルデマル閣下だって話です」

 こっちではホークとは逆の状況に戸惑っていた。情報を整理すれば、キャスリーンの縁談の相手がローイックであることに辿り着く。そして傍には、周りに花が咲いているかのようなオーラを醸し出し、嬉しそうな笑顔のキャスリーンがいる。もう決定的だった。

「まぁ、これも作戦なんじゃない?」
「……恐らくはそうなんでしょう。これから尻尾を掴むよりは、襲撃の現場を押さえた方が手っ取り早いですから。姫様と一緒にいることで、厳しい視線にさらされる覚悟はできていましたが、予想以上に殺気が多くて……」

 ローイックは大きなため息をついた。キャスリーンの人気はローイックの予想の遥か上をいっていたのだ。姿無き怨差の声が体に刺さってきていた。

「なによ、悪い虫は寄せ付けないって言ったくせに!」

 キャスリーンが頬を膨らませて不機嫌をアピールするとローイックは「もちろん、姫様には、私以外の男は寄せ付けません!」と即答した。途端にキャスリーンはニッコリと笑顔になり「でしょ?」と首を傾げる。確信的犯行だ。

「頑張ります!」

 ローイックは右手をキャスリーンの頬にあて、笑顔になった。
 そんな様子を部屋の隅っこで見せつけられていたハーヴィーは特大のため息をついた。

「仲睦まじい事は、良いことですな、ミーティア嬢」
「本当に、羨ましいくらいですわ」
 
 同じく部屋の隅でハーヴィーの横にいるミーティアも、大きく頷き同意する。自分たちのことは棚に上げ、二人とも、今にも砂糖を吐き出しそうな顔をしていた。




「アレイバーク家についての情報が欲しいですね。まずは知ることからです」

 ローイックは首から吊っている左腕をさすった。ホークを思い出すと痛む錯覚に襲われているのだ。

「そーねー。第二書庫にはあるかも。表に出せない資料はあそこで保管するもの」

 キャスリーンは顎に人差し指を当てて首を傾げている。
 ただ、第二書庫に入るには許可が必要だ。一度ヴァルデマルに相談する必要があった。

「その前に、こっちの方が先だな」

 ハーヴィーは窓の外を眺めていた。そこには、頭から生えた栗色の尻尾を揺らして歩くロレッタが見えている。可愛らしい顔を険しいくして、第三騎士団の建物に向かってきていた。

「はっきりさせてこいよ、ローイック」

 ハーヴィーの声にローイックは表情を固くして、頷いた。




 ローイックは第三騎士団の建物を出たところで、ロレッタに会った。春らしいピンクのワンピースドレスがロレッタに良く似合っている。だがその顔は可愛らしいダドレスとは対照的だった。

「ローイック様。お話があります」

 ロレッタは口をぎゅっと結び、やや潤んだ目でローイックを睨みつけてきている。揺れる瞳が彼女の精神状態を如実に表していた。

「あぁ、私もちょっと話したい事があるんだ」

 ローイックはその顔を見て、罪悪感にかられた。この後どうなるかの予想が付いているからだ。

「ここでは人目もあるから、裏に行こうか」
「いいえ、お時間は取らせません」

 ローイックは建物の裏手で話をしようとしたが、拒否されてしまった。彼女にも分っているのだろう。だがローイックにはきちんと説明する義務がある。どんな結末であろうとも。

「分った、じゃぁここで話をしよう」

 いずれにしろ、周囲には分ってしまう事だ。ローイックは腹をくくった。

「今朝方、妙な噂を耳にしました。皇女殿下が外国の貴族と婚姻を結ばれるという噂です」

 ロレッタは視線をずらさずに、ローイックの目を見てくる。その瞳は、いつ溢れてもおかしくない程潤んでいた。罪悪感がローイックの胸を締め付けるが、言わなければならない。それがケジメだ。

「あぁ、知っているよ。昨日の夕方から宮殿はその話題で持ち切りだ」

 ローイックは不思議と冷静だった。キャスリーンと一緒に歩くと決めたからだろうか。言葉が淀みなく出ていく。

「お相手は、ローイック様なのですか?」

 ロレッタは胸の前でぎゅっと手を握っている。勇気を振り絞っているのが、ローイックにも良く分った。

「うん、そう。私だ」

 その言葉に、ロレッタの目から一筋の涙が頬を伝った。

「やっぱり、私じゃ駄目だったのですね……」

 ロレッタは小さく呟くと俯いた。地面には一粒、また一粒と水の跡がつくられていく。

「……私にとってキャスリーン殿下は救いだったんだよ。ここで生きていく上で」

 ローイックの言葉に、ロレッタは顔を上げた。嗚咽を出さない為だろうか、口は固く閉じられたままだ。

「あの人の無邪気な笑顔は、私にとって生きる活力だった。それは今でも変わらない。私はキャスリーン殿下を愛しているんだ。だから、私はあの人の横に行くことを選んだ」

 ローイックは諭す様に、自分に言い聞かせる様に、ゆっくりと語った。

「……大丈夫、なんですか?」
「分らないけど、他の男に託すつもりはないよ」

 二人は言葉なく、見つめ合った。

「ローイック様は、一度決めたら、変えませんよね」

 ロレッタは頬を濡らし、寂しい笑みを浮かべる。その笑顔はローイックの心を痛いほどに締め付けるが、ここではっきりと言っておかないと、ロレッタが救われない。キチンと終わりを告げてこそ、次に行けるのだ。

「ロレッタの気持ちは嬉しいけど、私は受け取ることはできないんだ」
「迎えに来ていただいた時から、分ってはいたんです。こうなる事も。お二人の間には、私が入る隙間はありませんでしたもの……でも言うだけは言わせてください。私はあなたが好きでした」

 ロレッタ俯き、ローイックの胸に額を付けた。ローイックは彼女の頭に手を乗せ、優しく撫でる。

「ロレッタ、ごめん」

 ロレッタの我慢が限界を越えたのか、声を上げて泣き出した。




 泣きだしてから十分は経ったろうか、ロレッタが顔を上げた。腕で涙を拭き、ローイックに向け、ぎこちない笑顔を見せる。

「私が負けたのが、皇女殿下でよかったです」

 お幸せに、といい、ロレッタは宮殿に振り返り、ローイックに背を向けた。ロレッタは数歩進んで、ローイックに振り返る。

「ローイック様よりも、いい男を、捕まえて、見せ付けてやります!」

 それだけ叫ぶと、ロレッタは宮殿へと走って行った。ローイックは苦笑しながら、ロレッタの姿が宮殿に入るまで、じっと見つめていた。




「ローイック君。じゃないや、殿?」
「色男殿」

 二つの声と共に、第三騎士団の建物の陰からテリアとタイフォンが姿を現した。キャスリーンとよく似た顔に意味深な笑みを浮かべ、ローイックを見てくる。

「お二人はいつからそこに?」

 ローイックはため息交じりで質問した。

「最初っから~」
「一部始終」

 二人のしれっとした答えに、ローイックの頬が引きつった。

「キャスリーンが好きになっちゃうのも良く分ったわ~。カッコよくないけど、決める時は決めるからなのね~」
「惚れそう」

 二人のにやけた視線にローイックは怯んだ。キャスリーンへの想いを、思いっきり聞かれてしまったからである。どの道分ってしまう事とはいえ、本人にもいっていない「愛している」という言葉を聞かれてしまったのは非常に気まずい。
 二人にバンバンと肩を叩かれ「第三騎士団あたし達はあんたの味方だから、ローイック殿はキャスリーンをお願いね」とテリアに言われ、「キャスリーン泣かせたら生きて返さない」とタイフォンに脅された。
 だがローイックにはその言葉が嬉しかった。自分を応援してくれる人がいると言うのは心強いのだ。

「頑張ります」

 ローイックは力強く頷いた。
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