第三騎士団の文官さん

海水

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手と手を取り合うキツネとタヌキ

最終話 手に手を取って

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 翌朝、少しもやった空気の中、ローイックは特別法廷に証人として来てくれた第一騎士団の文官を連れて第三騎士団の建物に向かって歩いていた。

「あの、大丈夫でしょうか……」

 文官服の彼が不安げに言った。鮮やかな金髪を、邪魔にならない程度に切り揃えた、ちょっと気の弱そうな男だ。名前はリカルド・グレイヴズ。ローイックは彼を見ていると、なんだか昔の自分を見ている様な気持ちになるのだ。帝国に来た当初は全てが怖かったのを思い出す。それを破ってくれたのがキャスリーンだったのも、思い出した。
 思えば、キャスリーンには助けてもらってばかりだった。今度は彼女が見知らぬアーガスに来るのだ。自分が守らねば、と気持ちも引き締まる。

「あぁ、ちゃんと守ってくれるさ」
「あ、その、そうじゃなくて……女性の中で僕が男一人なんですよね。苛められないですかね」

 リカルドが小さい声で囁く様に言った。ローイックはふふっと笑う。

「あぁ、そっちの方か」
「笑い事じゃ、ないですよ……」

 彼は泣きそうな顔になる。そんな事を話していると、着いてしまう。入り口にはキャスリーンによく似た双子のテリアとタイフォンが待ち構えていた。意味深な笑みで二人の文官を迎えている。

「ローイック君おはよう~。そこの可愛い文官君もおはよう」
「なかなか、可愛い」

 二人の年上のお姉様に揶揄された彼は、いきなりの試練にドン引きだった。あからさまに引きつった顔で立ち止まってしまった。可哀想だが、彼には頑張ってもらわないと。ローイックは彼をみながらそう思った。




 食堂に一同を集め、ローイックは説明を始めた。ざわつく彼女達の視線はリカルドに集中している。

「えー、彼が新しく配属されたリカルド君です」
「あの、リカルドと申します」

 ローイックの紹介に、彼はペコリと頭を下げた。女性ばかり二十人に見つめられ、リカルドは赤くなって俯いた。気の弱そうなところから推測するに、このような事はあまり慣れていないのかもしれない。
 
「恋人はいるの?」
「歳は?」
「可愛いね!」
「どこに住んでるの?」

 リカルドにとって想定外の質問に答えられず、彼は顔を赤くしたまま口を開けている。

「まぁその辺は個人的に聞いてください。仕事のやり方等もあるので、暫く私もここに来ます。出戻りですが、よろしく」

 ローイックがペコリと頭を下げると、すぐにテリアとタイフォンから揶揄が飛んで来る。

「ここで昨晩の続きをしちゃダメよ~」
「続きはベッドで」

 昨晩隠れていた護衛とはタイフォンとテリアだったらしい。ローイックが「しません!」と狼狽えると次々と襲い掛かってくる。

「あれ、何したの?」
「とうとう?」
「きゃー!」

 キャスリーンがここにいないのを良いことに、好き放題だ。リカルドはこの騒ぎにどう反応してよいか分らずアワアワしている。

「もー好き勝手言わないで!」

 廊下から入って来たのはピンクのドレス姿のキャスリーンとお付の侍女二人だ。今日は動きやすいエンパイアドレスに、歩きずらそうなハイヒールのブーツだ。いつもは履かないからか、何だかヨタヨタしているように感じる。ミーティアは宣告通り親と会いにいっている為に不在で、キャスリーンには付いていない。

「なによ、ラブラブっぷりを見せつけに来たの?」
「もう砂糖でお腹いっぱい」

 そんな中、テリアとタイフォンだけはキャスリーンを揶揄っている。第三位騎士団の中でもキャスリーンの親戚にあたるこの二人だけは特別だ。こんな口をきけるのも親類故だが、彼女にとって気軽に話せる年の近い女性という事で、実は重要な役目でもあるのだ。常に自分を隠しているというのは息が詰まるし、息抜きできる相手がいると言うのは心の平穏にも繋がる。

「うるさいわね。今までずっと我慢してたんだから、見せ付けてやるわよ!」

 開き直ったキャスリーンが叫ぶと黄色い歓声が沸く。昨晩の事があったからかキャスリーンがやや暴走気味だ。ローイックもちょっと心配だが、声をかけると騒ぎに燃料を追加しそうで躊躇している。

「我慢しててアレなの? あんた達、宮殿を砂糖で埋め尽くすつもり?」
「新発見。砂糖は毒だった」

 テリアとタイフォンだけはげんなりしていた。対照的にキャスリーンはニコリとし、ローイックを見てくる。

「ローイック、着替えるよ!」

 そんな喧噪を気にもせず、キャスリーンはローイックの隣に来た。歩き辛いのか、ローイックの右腕にしがみ付き、止まり木にしている。傍から見たら腕を組んでいるようにしか見えないのだが。

「あの、着替えるって」
「服を作ったでしょ? これからお父様と会うんだから、せっかくだから着ようよ。あたしも見てみたいし!」

 キャスリーンは嬉しそうに腕を引っ張ってくる。食堂は静まり返り、みな二人の会話に耳を傾けていた。

「そ、そうですけど」
「あたしの服もローイックの服に合わせたんだから。カッコいいローイックが見たいなぁ」

 キャスリーンがローイックの右腕を抱きしめ、あざとく強請るような口調で迫ってくる。小さいなりに何かがむにっと当たり、ローイックとしてはその感触に拒絶できないでいた。

「わ、分りました。着替えますから、ちょっと離れましょうよ」
「いやよ! そうと決まれば早速着替えに行くわよ!」

 キャスリーンがぐいぐいとローイックの腕を引っ張って行こうとする。歩きずらそうにしていたのはなんだったのか。

「ちょっと、ひめ……待って!」
「またなーい!」

 力負けしたローイックは引きずられるように食堂を後にするのだった。そして残された第三騎士団の面々は、封印を解かれた二人の無自覚のいちゃつきっぷりに、口から砂糖を吐き出していた。



 
 侍女とキャスリーン本人の手伝いで着替えたローイックは、姿見の鏡で自分を見ていた。紫紺で袖に金の刺繍のある、立折襟の上着に黒のスラックス。襟元にも金の刺繍があり、高級感と高貴な印象を与えていた。
 服に着られているな。
 ローイックはそう思い、苦笑した。

「うん、カッコいいね!」

 離れたところから眺めているキャスリーンから嬉しそうな声がかかる。トコトコと近づいてきて、ローイックの隣に立った。姿見を見ながらローイックの左腕をそっと抱きしめてくる。

「お似合いに、見えるかな?」

 キャスリーンが鏡の中のローイックに尋ねる。

「キャスリーンの隣にいて、嬉しそうな自分が見えますよ」
「あたしも嬉しそうだね!」

 姿見の中のキツネとタヌキは、周囲に喜びを溢れさせる笑みを浮かべていた。




 ローイックとキャスリーンは、仲良く腕を組ながら、レギュラスと会談する部屋へと歩を進めている。まだ治っていないローイックの左の二の腕にはキャスリーンの右手があり、エスコートする形になっていた。廊下ですれ違う人達からの視線を浴びているが、二人は気にしない。僻む者はいるが、二人の仲を疑う者はもういないのだ。

「なんか、式典にでも出る感じね」
「……緊張してきました」
「ほら、しっかりして」

 苦笑いのキャスリーンに励まされたローイックは、丸めた背をピシッと伸ばした。そんなじゃれ合いをしていれば目的の扉の前に辿り着く。先日ヴァルデマルに連れてこられた、あの部屋だ。

「はぁ、緊張する……」
「大事なところなんだから、頑張って、旦那様」

 キャスリーンに腕をきゅっと掴まれたローイックは深く息を吸い込み、扉をノックした。




 広い部屋の中、三人掛けのソファーにレギュラスとキャスリーンの母である第三皇后シレイラが腰掛け、少し離れたソファーにヴァルデマルがくつろいでいた。中を覗いた瞬間、レギュラスの緋色の目にローイックは囚われてしまう。一瞬息が止まってしまい、焦点もぼやける。

「ほら、中にはいろう」

 キャスリーンに腕を引かれ、ローイックは正気を取り戻した。どうにもあの射抜くような視線が苦手なのだ。

「失礼します」

 二人が礼をして中に入るとすぐにシレイラが「あらあら。良かったわね」と声を上げた。キャスリーンはローイックと腕を組んでいるままなのだ。そのキャスリーンは「いーでしょー」と答えた。立場が一番下なローイックは応える事も出来ず無言である。

「まぁ、座りなさい」

 レギュラスが自分の正面にあるソファーを指さした。正面に座れとの指示に、ローイックの額は湿ってくる。キャスリーンが腕にくっ付いたまま、静かに座るとレギュラスはゆっくりと口を開いた。

「ローイック君、ご苦労だったな」

 レギュラスの口調はいくぶん和やかだ。その事にローイックはホッとし、小さく息を吐いた。

「いえ、とんでもないことでご、ざいます」

 ローイックは緊張で舌が上手く回らず、やや噛んだ。

「ふふ、そんなに緊張しないで」
「緊張するに決まってるじゃない。あたしには父親と母親だけど、ローイックにとっては皇帝陛下と第三皇后なのよ? 緊張するなってのが無理よ!」

 シレイラのフォローにキャスリーンも助け舟をくれる。

「……なんだ、義理ではあるが、我らは父親と母親になるのではなかったのか?」

 レギュラスが不機嫌そうに零すと、ローイックは青ざめてしまう。

「そ、そんなことはありません! 余りにも畏れ多いので、その、あの」
「……冗談だ。落ち着き給え」

 ローイックが必死に抗弁すればレギュラスはヤレヤレという風にため息をついた。ローイックには余裕が見られない。キャスリーンの親であり、皇帝であるレギュラスの前では、どうしても萎縮してしまうのだ。

「そうですよ。このは逃げませんよ」

 微笑むシレイラにも言われ、ローイックの心臓は爆発寸前だった。

「あんまりローイックを苛めるんだったら、明日にもアーガスに行っちゃうんだから。勝手にするわよ!」

 自分の為にぷりぷり怒っているキャスリーンを見て、ローイックは落ち着いてきた。深く息を吸い呼吸を整える。

「そうだね。寄り道しなければ二週間あれば着くだろうし。ハーヴィーとミーティアさんがいれば心強いしね」

 ローイックはにっこりと微笑み、キャスリーンに向いた。途端にレギュラスの目が開き「ちょっと待て!」と焦り気味の声を上げる。

「ふふ、もうすっかり夫婦ね」

 シレイラだけはニコニコと微笑んでいた。ローイックの冗談に気が付いていたのだ。




 仕切り直しだった。ローイックもすっかりと落ち着きを取り戻し、改めてレギュラスと向かい合う。横にはキャスリーンがいる。値踏みする緋色の瞳も怖くない。

「……約束の件だが、お前は良いのか?」

 レギュラスがキャスリーンの視線をやった。当然婚約の件だ。ローイックは約束を果たした。今回答すべきはレギュラスの方なのだ。

「良いも何も、指輪を貰ってるんだから!」

 キャスリーンが笑顔で見せ付けるように左手をかざした。その薬指には、ローイックが贈った指輪が存在を誇っている。シレイラが「まぁまぁまぁ」と手を口に当て、レギュラスが口をへの字に曲げた。反応が対照的だ。

「そんな安物を贈って貰って、喜ぶんじゃない」

 不機嫌な顔のレギュラスがぶつくさと文句を言う。後方に座っているヴァルデマルは笑いをこらえているのか、さっきから静かだ。

「あなた、何を言ってるんですか。好きな男性から貰った、しかも左手につける指輪ですよ? 飛び上がるくらい嬉しいに決まっているじゃない。その価値は、高いとか安いとかじゃないの。嬉しいかどうかなのよ」

 これだから男は、とシレイラがレギュラスの腿を抓っている。堪え切れなくなったのか、ヴァルデマルが「ぷっ」とふき出し、大笑いを始めた。

「ははっ、陛下のヤキモチも相当ですなぁ」
「もう本当だわ。最後まで残った娘だから手放したくないのは分りますけども、キャスリーンだって、好きな人と一緒にいたいんですよ?」

 ヴァルデマルとシレイラから指摘を受け、レギュラスはフンっと顔を背けた。ローイックはその子供っぽい仕草にキャスリーンの面影を見つけ、ふふっと笑った。

「……親子なんですねぇ。よく似ていらっしゃる」
「なによ、あたしあんなに子供じゃないもん!」
「ぬぅ、私はあんな子供ではない!」

 ローイックがしみじみと零すと、キャスリーンとレギュラスから同時に抗議を受けた。「おほほほ」と上品に笑うシレイラがレギュラスのほっぺを抓り、ローイックはキャスリーンの頬に手を当て「まぁまぁ」と宥めた。
 そんな様子を見ていたヴァルデマルが呟く。

「……親子とは、似た伴侶を選ぶものなのですなぁ」

 その声は二組の男女には届かないのだった。




「必ず幸せに致しますので、キャスリーン殿下との婚姻を認めてください」

 場が落ち着いた頃、ローイックが深々と頭を下げた。と同時に横に座るキャスリーンも頭を下げた。

「仕方あるまい。約束は約束だしな」

 いまだ不機嫌なレギュラスが渋々と言った感じで許可を出した。そしてまたもシレイラに腿を抓られている。

「あ、ありがとうございます!」

 ローイックがそう礼を述べると同時にレギュラスは「ただし」と口をはさむ。

「これは、アーガス側の同意も必要なのだが、君を緊急的な駐在大使にしたいのだ」

 レギュラスの言葉にローイックは目を瞬かせた。いきなり真面目な話になったこともあるが、内容が寝耳に水過ぎる。

「陛下、ここは私が説明をいたします」

 ヴァルデマルが立ち上がり、話しながら歩いてきた。

「ローイック君、小麦の病気の件は知っているな?」
「えぇ」
「その件で、アーガスから技術者が来ることになる。その際、我が国に慣れている、アーガスの人間がいた方が何かと安心だろう。君らと我々は戦争をしていたわけだからな。来る人間も不安だろう」

 ヴァルデマルの言葉にローイックは強く頷く。派遣される技術者の身になれば、帝国へ来るのは怖いだろう。そこに自分がいれば、送られてくる彼らも少しは安心するだろうということは理解できる。

「しかも、そこにいる人間が皇女と婚姻関係にあり、かつ多くの有力貴族と商家を謀略で蹴り飛ばした、ちょっとやそっとでは手が出せないような人物であったら、どうだろうか。適任ではないかと思うわけだ」

 そこまで言うとヴァルデマルはにやりとした。

「もちろんアーガス王国の任命が必要だが、それを待っている時間もない、というのが現状だ。先だってアーガス側には親書を送ってある。ちょうど先ほど返答が届いてな」

 ヴァルデマルが懐に手を差し入れ、手紙を数通取り出すと、開封されていない二通をローイックに渡してきた。封蝋に押された印璽は、見慣れた、懐かしいマーベリク家の物とアーガス王家の物だった。

「君宛に来ていたものだ。開封はしていない」

 マーベリク家なら自分に来るのは分るが、王家から手紙が来るのが理解できない。首を捻っていると脇のキャスリーンから「開けてみようよ」と声がかかる。
 優先順位は王家の手紙だ。ペーパーナイフを借り、中の手紙を取り出した。

「えーと……」

 ローイックとキャスリーンは二人で読み始める。途中まで読んだところでローイックはヴァルデマルを半目で見た。

「閣下、何をされたんですか?」
「へぇ~、暫定的に駐在大使に任命だって!」

 キャスリーンが嬉しそうに内容を読み上げている。そう、手紙にはローイックを大使と任命する旨が掛かれていたのだ。しかも国王の印璽も押してあった。嘘ではないということだ。

「ほぅ、それは僥倖だ。いやぁ、偶然にもローイック君は各大臣にも紹介してあるし、主要な部署の人間も君を知っている。紹介する手間も省けるな!」

 ヴァルデマルが大袈裟に振る舞う。
 絶対に嘘だ。
 ローイックはそう断定したが黙っていた。拒否するつもりもないし、何よりこれで自分の身分が確定するのだ。今は文官でもない、ただの外国の貴族でしかなく、なんとなく宙ぶらりんの立場だったのだ。
 外交官となれば立場も確定し、治外法権の特権がつく。つまり襲われにくくなるのだ。今回の件で恨みを買ってしまっているであろうから、うってつけではある。

「ちょうど帝都の貴族街に、使用していない皇族の屋敷がありますなぁ」

 ヴァルデマルがとぼけたように話し始める。

「あら、住むにも丁度いい場所にあるし、臨時の大使館として広さも十分ね」

 シレイラが頬に手を当て、にっこりと微笑む。

「陛下の許可を頂ければ、明日にでも内装工事に取り掛かりますが」
「良きに計らえ」

 レギュラスが即座に言い放つ。

「では明日から工事に取り掛かります。姫様がそちらに住まうのであれば、侍女達は如何致しましょう」
「大使館にも世話をする人が必要でしょう? そちらにつければ良いだけでは?」

 こんどはシレイラが返答した。台本があるかのように滑らかに会話が進んでいく。

「すぐにはアーガス側の態勢も整わぬはずだ。費用は出してやれ」
「御意に。大使館の護衛も必要ですな」
「第三騎士団を付ければいい。キャスリーンもいる事だ、彼女達も納得するだろう」
「そうですな」

 ローイックとキャスリーンはパタパタと進む会話にあっけにとられていた。

「あ、そういえば、ハーヴィーさんはどうするの?」

 キャスリーンが思い出したかのように声を上げた。ハーヴィーは騎士団の副団長だ。いつまでも国を空けておくのは良い事ではない。国に帰らなければならないだろうが、ミーティアはどうするのだろうか。連れて帰ろうにもキャスリーンの侍女は今しがた大使館につけると話があったばかりだ。

「どうするって言っても……」

 ローイックは読みかけの手紙に視線を落とした。何か書いてないかを確認するためだ。そして、やはりあった。

「……駐在……武官?」
「副団長から駐在武官へ臨時に転任だって。ローイックと一緒で落ち着いたら変わるんじゃない?」
「まぁ、帰国するにも時間がかかるし、ハーヴィーも帝国に慣れてきたところだし。んー、ってことは私と同じく大使館に住むことになるのかな」
「あ、じゃぁミーティアも一緒に住めばいいのよ! 寝室を同じ部屋にしちゃえ!」

 嬉しそうなキャスリーンがパンと手を叩く。言っていることがむちゃくちゃになってきた。

「あら、ミーティアちゃんにも良い人ができたの?」

 驚いた顔のシレイラが身を乗り出してきた。

「そうなの! ハーヴィーさんなのよ! 隠れて逢引してたの!」
「まぁまぁ、嬉しいことは続くのねぇ。なにか祝いの品を用意しないといけないわね! 何がいいかしら。やっぱり赤ちゃんの服? まだ早いかしら?」

 収集がつかなくなってきたこの場でローイックが視線を漂わせていると、ヴァルデマルと目が合った。途端に彼は苦笑した。
 いつもこうなのかもしれない。
 そう思ったローイックも苦笑いを浮かべるのだった。




 夕食後、月明かりの元、テラスにはローイックの姿があった。昨晩と同じく夜風に吹かれ、どこを見るでもなく、真っ黒な空を眺めていた。テーブルの上には親からの手紙が置いてある。
 ローイックの服も寝間着にガウンを羽織っていつでも寝られる格好ではあった。

「はぁ、今日色々あったなぁ」

 ローイックは今日の出来事を反芻していた。色々あったが、やっと望んだものを手に入れることができたのだ。
 夕刻、キャスリーンとローイックの婚約が正式に発表された。またアレイバーク家をはじめとする貴族と商家との癒着不正も発表され、その立役者とも紹介された。皇女の婚姻相手に足りる功績だった。
 臨時の駐在大使とも紹介され「皇帝の隠し武器」とまで揶揄されていた。そんな事実はないのだが、周りからはそう見えたのだろう。
 こんな事があり、疲れているようなセリフとは裏腹に、ローイックの表情は明るかった。

「やっぱりここにいた」

 後ろから声をかけてきたのはキャスリーンだ。振り向かなくても声だけで分かる。

「ちょっと涼んでいた……」
 
 ゆっくりと振り返ったローイックはキャスリーンの姿に目を丸くした。大き目のガウンを着ているのだが、それを着ている理由が分かってしまったからだ。つまりその下はドレス姿ではなく、限りなく寝間着に近いのだ。

「なな、なんですかその格好は!」
「ちょ、ちょっと話がしたかっただけよ。べ、別にミーティアが羨ましくなったわけじゃ、ないんだから」

 ほほを赤らめながら視線を逃した。嘘をつくのがここまで下手だったのかと、ローイックは思ってしまうが、可愛いもんだとも思ってしまう。

「ここに座りませんか?」

 ローイックが近くの椅子を手繰り寄せれば、しゅっとガウンの擦れる音を出してちょこんと座った。キャスリーンがテーブルの上の手紙に気が付いたのか、手を伸ばす。

「何が書いてあったの?」

 キャスリーンが手に取った手紙を読み始めた。

「明日にでもヴァルデマル閣下に相談しに行こうかと思ってるんですが」

 ローイックの隣でキャスリーンが手紙を手にワナワナと体を震わせている。

「今から行くって、ローイックのご両親が来るの?」
「みたいです。日付が四日前ですから、明後日の夜には国境を越えるかと」

 国境から帝都までは一週間程度かかる。途中の南関門まで迎えに行くべきであると考えると、明後日には宮殿を出ないと間に合わない。

「ちょっと、歓迎の準備もしなきゃいけないわよ!」
「別に歓迎とかいらないですよ。多分私の顔を見に来たんでしょうし」

 慌てるキャスリーンに対してローイックは冷静に答える。が、彼女がキッとローイックに顔を向けてくる。

「そんなわけにはいかないわよ! あたしの今後の両親になるのよ? 皇女が嫁ぐ先のご両親が来て歓迎しないなんてありえないし、帝国の矜持ってのもあるんだから!」

 ローイックは簡単に考えているが、キャスリーンからしたら一大事なのだ。初めて会うローイックの両親に、下手なところは見せられない。嫁として、帝国の皇女として。失敗すればアーガス内での帝国の評判も落ちる。キャスリーンは帝国の看板も背負って嫁ぐのだ。皇女として、それくらいは理解していた。

「そんな大げさな……」
「大げさも大げさよ! あー、あたしお淑やかじゃないから……嫌われたらどうしよう……」

 急にしょんぼりと項垂れるキャスリーンに対し、ローイックは彼女の手を取る。手を取られたキャスリーンは顔を上げ、ローイックを見てきた。ローイックは、ちょっと潤んできている緋色の瞳を見つめる。

「大丈夫ですよ。私が愛しているのは、そんな貴女なのですから。私の親が何を言おうと私は貴女を手放すつもりはありません。悪い虫は独占欲も強いんですよ」

 ローイックはにっこりと微笑む。キャスリーンの笑顔こそがローイックの生き甲斐であり、求めている物だ。元気ない顔はあまり見たくはない。
 そもそもローイックは、彼女が皇女だから好きになったのではない。ローイックを救ってくれた笑顔を含め、一人の女性として、彼女を愛しているのだ。

向こうアーガスに行ったときは、私が貴女を守る番です。大丈夫、安心してください」

 ローイックは精一杯、優しく諭すように語り掛ける。

「うん、お願いね」

 キャスリーンの手が、ローイックの手を握ってくる。ローイックも強く握り返した。

「冷えてきましたからそろそろ部屋に戻りましょうか。宰相閣下へは明日朝一番で話をしにいきましょう」
「え、あ……」

 ローイックに誘われ、キャスリンの頬が赤くなる。先に自分で言っておいて恥ずかしくなったのだろうか。そんなキャスリーンを見てローイックは苦笑する。

「左手がこれですから、何もできませんよ」

 ローイックは空いている左手を持ち上げる。吊ってこそいないが、完治までは一か月はかかるだろう。それまでは手を出す事は無い、と告げたつもりだった。

「べ、別にそんなことをしたいってわけじゃ……」

 赤くなったキャスリーンはぷいっと横を向く。ローイックは、まだまだ少女なのだなと再認識し、そんなところが可愛らしいのだと再確認するのだ。

「分ってますよ。でも、我慢できなかったら襲ってしまうかもしれませんが」

 ローイックは意地悪くふふっと笑う。

「なによ。タヌキみたいな顔してオオカミだったの?」

 キャスリーンが顔を赤らめながらも嬉しそうに笑う。

「あぁ、化けの皮が剥がれてしまいましたか」

 ローイクックは大げさに驚く真似をする。そして先に立ち上がり、キャスリーンの手を引いた。その勢いでキャスリーンが胸に飛び込んでくるとローイックはよろめく。

「もー、オオカミにしちゃ弱いんじゃない?」

 ローイックの腕の中でキャスリーンも苦笑いだ。

「あはは、なにせタヌキが化けてるだけですから」

 ローイックはキャスリーンを見つめながら笑った。キャスリーンもにこりと微笑む。

「さ、行きましょう」

 ローイックは顔をテラスの入り口に向ける。

「あれ、こんな場面て、このまま抱き合って口づけじゃない?」
「へ?」

 ローイックとキャスリーンは見つめ合い、ピタと動きを止めた。キャスリーンは困った笑みを浮かべる。

「やっぱりオオカミじゃなくてタヌキね。でも、あたしはそんなタヌキが大好き」

 キャスリーンの腕がローイックの背中に回され、そのまま唇が重ねられた。




 このキツネとタヌキには、まだまだ平穏は訪れず、ようやく落ち着いた時には、新しい命が育まれていたりもするのだが、それは結構先のお話。なんだかんだと騒ぎの中心に位置する二人だが、当人たちは至って呑気に暮らしていたそうな。
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