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ロレッタの望み
第五話 語りはしない無表情な男
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クルツに案内されたのは王城の中庭にある庭園の端っこだった。端っこと言っても壁からは離れており日当たりは良い場所だ。
そこには庭園にはそぐわない、小麦が植えてあった。その一角だけ黄金色の穂を風にたゆとうているのだ。背丈も色も微妙に違うものが数種類植えてある。
「これは、小麦ですか?」
ハンナが小麦の穂を指でつつきながらクルツに尋ねている。穂にはたくさんの実がなっていて、これが畑一面に広がっていれば豊作だろうと思えるほどだ。
「えぇ、そうですよ」
クルツも歩み寄り腰を落とした。
「小麦って春に種まき、ですよね?」
ハンナが首を捻ってクルツに問うている。確かに小麦は春と秋にまくのだ。そして冬に収穫する。つまり今は種か発芽したばかりのはずだ。
「品種改良で時期をずらして収穫できるものも開発されたんです。ちょうど病気にかかりやすい時期を種でやり過ごせるようにです」
「へぇ~。凄いですね」
ハンナはクルツにニコッと微笑んでいる。ハンナは幸薄い顔だが笑うと可愛らしくなる。笑顔を向けられたクルツは相変わらずの無表情だが、ロレッタはなんとなく胃の辺りがムズムズしていた。
「で、これをどうするの?」
ちょっとイラついているロレッタは、割って入るようにハンナのすぐそばにしゃがみ込む。そして小麦を指でつつく。
「これは、エクセリオン帝国に持っていく種です」
「帝国に?」
ロレッタとハンナは声を揃えて疑問を呈した。ロレッタは小麦の病気で帝国が窮地にあることはなんとなく聞いているが、解決方法などは全く知らない。病気というくらいだから何か薬でも持っていくのかな、という認識しかないのだ。
「向こうで難儀している病気は、分かってはいるんです。でも帝国の穀倉地帯の地質が我が国と同じとは限りません。気候も多少違うでしょう。勿論薬は持っていきますが、それでは対処療法にしかならないのです。向こうの風土に合わせた、病気に強い品種を育てていかねば、解決にはならないのです」
クルツは二人にも分かる様、難しい専門用語を極力なくし、説明していた。おかげでロレッタにも理解できた。
「ってことは、この種を持っていくんだ」
ロレッタは首を後ろに向かせ、クルツを見上げた。
「えぇ、向こうで栽培して数を増やすんです。それと現地の小麦との交配です。より強い種にするために」
クルツは淀みなくすらすらと説明をしてくる。結構専門的な事を話しているとロレッタは感じた。知識が無ければ、素人とのロレッタがここまで理解することはできないはずだ。
「クルツさんは、良く知ってるのね」
ロレッタは素直に感心した。細かい気配りができることといい、知識があることと言い、今まで会ったことのあるどの男性ともタイプは違っている。無表情なのがちょっと減点だが、美男子といえる顔なのだから、笑顔は素敵なんだろうと、漠然と思った。
「いえ、たまたま知っていただけです」
クルツは眼鏡のブリッジを指でくいっとあげた。
「数年前まで戦争をしていた間柄ですが、食料不足で民が苦しむところは、他国と言えども見たくはないです」
そう言うクルツの眼鏡の奥にある青い瞳は、寂しそうに揺れている。ロレッタにはそう見えた。クルツは静かに続ける。
「それに帝国が不安定になると難民が我が国に流入してくるでしょう。多少なら面倒は見れますが、止めどなく溢れてくるようなら我が国も危険になります。これは我が国にとっての安全保障でもあるのです」
クルツの説明にロレッタもハンナも聞き入ってしまっていた。風に揺れる黄金の穂が立てるさわさわとした音が、やけに大きく聞こえる。
ネイサンがわざわざ帝国へと行ったのは、こんな事情もあるからなのだ。捕らわれた彼を連れ戻すのは、どちらかというとついでだったのかもしれない、とロレッタは思ってしまった。これから向こうでは大変だろうと不安になるが、帝国にいる彼には寄り添ってくれる相手がいるのだ。何とかしてくれるだろう。
そう考えると胸の奥がキリキリと痛むが、ロレッタは気が付かないふりをした。
「ロゼッタさん、どうされましたか?」
その声にハッと顔をあげれば、ちょっとだけ心配そうに眉をさげたクルツが様子を窺ってきてるのが目に入る。ロレッタはきゅっと手を握り「なんでもない」とそっけなく返した。
「……そうですか」
クルツは追及することなく、あっさりと引き下がる。その事にロレッタは安堵の息を吐く。
それにしても、よく気が付いたわね。
無表情なクルツの顔をちらっと見ながら、ロレッタはそんな事を思った。
その日は無事に屋敷に帰る事が出来たロレッタは、当然の如くネイサンに呼び出しをくらい、こんこんと説教を受けていた。
「門の所で気が付いたのがクルツだから良かったものの、あれが他の貴族だったら大変な事になっていたのだぞ!」
ネイサンの顔は真剣だ。あそこで揉めたままだったら間違いなく兵士に連れていかれたはずだ。ロレッタがいくらリッチモンド家の娘だと言い張ったところで、妄言だと切り捨てられ、牢屋に入れられてしまっていただろう。ロレッタが屋敷に戻らない事で大騒ぎになり、王城でとらえられている娘がロレッタだと分るまで、王都中で捜索がされていたことも予想できる。
公爵令嬢が王城に忍び込もうとするなど、よくある事では済まされないし、ネイサンや王城で働く兄たちにも迷惑がかかるのだ。
万が一兵士に弄ばれでもしたら、ロレッタの尊厳が無になってしまう。当然嫁ぐ事もできず、一生領地に引きこもる羽目になっていたろう。
「結果的に、何とかなりました!」
ロレッタはそれが分っていない。自分がやったことによる影響が予想できないのだろう。ネイサンも額に皺を作り、どうしたものかと唸っている。
「ロレッタ。お前は公爵の娘なのだ。軽々しく行動してはならん。お前が動くことによって、大勢の人間が影響を受け、迷惑を被るのだ。それは覚えておきなさい」
「分っていますわ!」
ロレッタは強気で突っぱねる。箱入りで育てられた令嬢故に、外を知ってしまうと興味が湧いて仕方がないのだ。それに輪をかけているのが、屋敷を訪れる貴族の男への呆れだ。
「また週末には夜会がある。それまでは屋敷でおとなしくしていてくれ」
「屋敷にいてもつまらない男性ばかり来るので、辟易してしまいます! その、クルツさんの様な大人な男性はいないのですか?」
ネイサンが説得するがロレッタも負けじと反論する。その際クルツの名前を出すときに、彼の無表情だが少し寂しそうな顔が脳裏に浮かんだ。
「アイツは特別だ。アレが無ければ逸材で、囲っておきたいくらいだ」
そんなネイサンの言葉に、ロレッタはふと思い出した。
「そういえば、今日王城の廊下で品のない男性に絡まれた時に、クルツさんが後ろ盾がどうとか捨て台詞で言われてましたが、アレはなんです?」
ロレッタは眉を顰めながらネイサンに聞く。昼間のあの男を思い出し、嫌な気分になってしまったのだ。数日前にロレッタを見ているはずだが、彼女とは気が付かず、胸や尻などをじろじろと見ているいやらしい視線を思い出し、ぶるっと身体を震わせる。あんな品の欠片もない様な男など、ロレッタはお断りだった。
そんなロレッタの様子を見ていたネイサンが重そうな口を開いた。
「……クルツはな、男爵なのだ。普通なら王城で官僚の役につく事は無い。爵位で言えば一番下だしな」
ネイサンは静かに、呟く様に語る。
「元々は地方の役人だったのだ。たまたま視察で出向いた先にいてな。えらく有能で部下に欲しかったから王城へ連れてきたんだ。クルツは王城でもその能力をいかし、官僚として十分な働きをしておった。だが爵位の低いものが王城で官僚になる事を毛嫌う貴族も居てな。クルツは大分苛められていたようだった」
ロレッタは話を聞いているが、どうも納得できないでいる。能力があるならば、それなりの地位に行くのは当然ではないのかと。そう思うのだ。
「苛めるって、単に妬んでるだけでしょ!」
ロレッタは我慢しきれずに声を上げた。だがネイサンは力なく首を横に振る。
「貴族にとって爵位での上下は絶対だ。自分よりも下の地位のクルツが官僚として活躍しているのが許せないという、心の狭い貴族は多い。クルツの様な奴は例外だ」
「なんでよ。能力があって国のためになってるんだから、そこ認めるべきよ! なんなの、その、せこい考えは!」
ロレッタは頬を膨らませて怒った。ネイサンはゆっくりと目を瞑り、静かに語りだす。
「お前は生まれながら公爵の娘だ。王族を除いては上位の貴族がいないから分らんのだ」
ネイサンが言う様に、ロレッタは貴族でも最上位と言える公爵の令嬢だ。だからこそ、どこに行っても丁寧に扱われ、ロレッタもそれが当然と思っている。だが中位や下位の貴族は違う。明け透けに区別され、扱いも適当だったりもする。だから彼らは自分よりも下位の貴族が相手だと同じような振る舞いをするのだ。
クルツは父親を亡くし、すでに男爵。爵位で見ると一番下だ。王城の貴族から見れば、一番いじめられやすい立場にあるのだ。そして当然の如く苛められている。
「私はクルツを何かと庇ったが、それも彼等から見れば気に入らない原因になっていたのだろうなぁ……」
ロレッタはようやく理解した。クルツの後ろ盾とは彼を連れてきたネイサンであり、そのネイサンは、退きはしたが宰相という内政でトップにいた人物だ。王城の貴族から見ても羨望の地位だ。その人物がよりによって一番地位の低いクルツに目をかけていれば反発もあるだろう。
それが、あの時の彼の悲しそうな目の原因だった。そしてロレッタはある疑問に辿り着く。その疑問の答えを売るべく、ネイサンに聞く。
「お父様が引退した後は、クルツさんはどうなるの?」
「……恐らく、早々に王城を追い出されるだろうな。陛下もクルツの有能さと国への貢献度は分っているが、王城内の貴族の反発が高まれば、黙っているわけにもいかんだろう……」
ネイサンの最後の言葉は殆どかすれてしまっていた。ロレッタはその答えに絶句したが、すぐにネイサンに食い掛かった。
「何とかならないの? だって有能なんでしょ? あたしの時だって、細かい気遣いもしてくれたし、兵士と揉めてた時も、あたしに気が付いて助けてくれたのよ! なんでできる人間が追い出されなきゃならないの!」
ロレッタは火がついたように喚いた。ネイサンは深くため息をついてロレッタを見てくる。
「以前、クルツに縁談を持ちかけたことがある。いずれ王城を追い出されるのならば、いっそ我が家系に連なる貴族のどこかに婿入りさせようかとも思った。王城を追い出されると言う事は、能力なしと断ぜられたと思われてしまうからな。それが真実ではなくとも、周囲はそうとってしまう。それではクルツが不憫だ」
ネイサンはそこで小さく息をつき、下を向いた。
「だがクルツは縁談を断ってきた。なんでも幼いころから仲が良かった令嬢と婚約をしていたそうだが、もっと地位の高い貴族にとられてしまったそうだ。それ以来、婚約だ婚姻だとかを信じることが出来なくなってしまったようでな。どうせ最後にひっくり返されるのだ、と。だからあの歳まで独りなのだ」
ロレッタは目を瞬かせた。クルツは所帯持ちだと思ったからだ。あの落ち着き様と女性に対する気の利きようは、妻帯者ならでは、と思っていたが違ったようだ。
「クルツさんて、独身だったの?」
「あぁ、アイツはそんな理由で、そういう事は言わないからな」
ネイサンも仕方がないと言わんばかりのため息をつく。
「ふーん」
ロレッタは生返事をした。だがロレッタの中で、彼に対する評価がまた違ったものになりつつあったが、彼女自身その事には気が付いていない。
そこには庭園にはそぐわない、小麦が植えてあった。その一角だけ黄金色の穂を風にたゆとうているのだ。背丈も色も微妙に違うものが数種類植えてある。
「これは、小麦ですか?」
ハンナが小麦の穂を指でつつきながらクルツに尋ねている。穂にはたくさんの実がなっていて、これが畑一面に広がっていれば豊作だろうと思えるほどだ。
「えぇ、そうですよ」
クルツも歩み寄り腰を落とした。
「小麦って春に種まき、ですよね?」
ハンナが首を捻ってクルツに問うている。確かに小麦は春と秋にまくのだ。そして冬に収穫する。つまり今は種か発芽したばかりのはずだ。
「品種改良で時期をずらして収穫できるものも開発されたんです。ちょうど病気にかかりやすい時期を種でやり過ごせるようにです」
「へぇ~。凄いですね」
ハンナはクルツにニコッと微笑んでいる。ハンナは幸薄い顔だが笑うと可愛らしくなる。笑顔を向けられたクルツは相変わらずの無表情だが、ロレッタはなんとなく胃の辺りがムズムズしていた。
「で、これをどうするの?」
ちょっとイラついているロレッタは、割って入るようにハンナのすぐそばにしゃがみ込む。そして小麦を指でつつく。
「これは、エクセリオン帝国に持っていく種です」
「帝国に?」
ロレッタとハンナは声を揃えて疑問を呈した。ロレッタは小麦の病気で帝国が窮地にあることはなんとなく聞いているが、解決方法などは全く知らない。病気というくらいだから何か薬でも持っていくのかな、という認識しかないのだ。
「向こうで難儀している病気は、分かってはいるんです。でも帝国の穀倉地帯の地質が我が国と同じとは限りません。気候も多少違うでしょう。勿論薬は持っていきますが、それでは対処療法にしかならないのです。向こうの風土に合わせた、病気に強い品種を育てていかねば、解決にはならないのです」
クルツは二人にも分かる様、難しい専門用語を極力なくし、説明していた。おかげでロレッタにも理解できた。
「ってことは、この種を持っていくんだ」
ロレッタは首を後ろに向かせ、クルツを見上げた。
「えぇ、向こうで栽培して数を増やすんです。それと現地の小麦との交配です。より強い種にするために」
クルツは淀みなくすらすらと説明をしてくる。結構専門的な事を話しているとロレッタは感じた。知識が無ければ、素人とのロレッタがここまで理解することはできないはずだ。
「クルツさんは、良く知ってるのね」
ロレッタは素直に感心した。細かい気配りができることといい、知識があることと言い、今まで会ったことのあるどの男性ともタイプは違っている。無表情なのがちょっと減点だが、美男子といえる顔なのだから、笑顔は素敵なんだろうと、漠然と思った。
「いえ、たまたま知っていただけです」
クルツは眼鏡のブリッジを指でくいっとあげた。
「数年前まで戦争をしていた間柄ですが、食料不足で民が苦しむところは、他国と言えども見たくはないです」
そう言うクルツの眼鏡の奥にある青い瞳は、寂しそうに揺れている。ロレッタにはそう見えた。クルツは静かに続ける。
「それに帝国が不安定になると難民が我が国に流入してくるでしょう。多少なら面倒は見れますが、止めどなく溢れてくるようなら我が国も危険になります。これは我が国にとっての安全保障でもあるのです」
クルツの説明にロレッタもハンナも聞き入ってしまっていた。風に揺れる黄金の穂が立てるさわさわとした音が、やけに大きく聞こえる。
ネイサンがわざわざ帝国へと行ったのは、こんな事情もあるからなのだ。捕らわれた彼を連れ戻すのは、どちらかというとついでだったのかもしれない、とロレッタは思ってしまった。これから向こうでは大変だろうと不安になるが、帝国にいる彼には寄り添ってくれる相手がいるのだ。何とかしてくれるだろう。
そう考えると胸の奥がキリキリと痛むが、ロレッタは気が付かないふりをした。
「ロゼッタさん、どうされましたか?」
その声にハッと顔をあげれば、ちょっとだけ心配そうに眉をさげたクルツが様子を窺ってきてるのが目に入る。ロレッタはきゅっと手を握り「なんでもない」とそっけなく返した。
「……そうですか」
クルツは追及することなく、あっさりと引き下がる。その事にロレッタは安堵の息を吐く。
それにしても、よく気が付いたわね。
無表情なクルツの顔をちらっと見ながら、ロレッタはそんな事を思った。
その日は無事に屋敷に帰る事が出来たロレッタは、当然の如くネイサンに呼び出しをくらい、こんこんと説教を受けていた。
「門の所で気が付いたのがクルツだから良かったものの、あれが他の貴族だったら大変な事になっていたのだぞ!」
ネイサンの顔は真剣だ。あそこで揉めたままだったら間違いなく兵士に連れていかれたはずだ。ロレッタがいくらリッチモンド家の娘だと言い張ったところで、妄言だと切り捨てられ、牢屋に入れられてしまっていただろう。ロレッタが屋敷に戻らない事で大騒ぎになり、王城でとらえられている娘がロレッタだと分るまで、王都中で捜索がされていたことも予想できる。
公爵令嬢が王城に忍び込もうとするなど、よくある事では済まされないし、ネイサンや王城で働く兄たちにも迷惑がかかるのだ。
万が一兵士に弄ばれでもしたら、ロレッタの尊厳が無になってしまう。当然嫁ぐ事もできず、一生領地に引きこもる羽目になっていたろう。
「結果的に、何とかなりました!」
ロレッタはそれが分っていない。自分がやったことによる影響が予想できないのだろう。ネイサンも額に皺を作り、どうしたものかと唸っている。
「ロレッタ。お前は公爵の娘なのだ。軽々しく行動してはならん。お前が動くことによって、大勢の人間が影響を受け、迷惑を被るのだ。それは覚えておきなさい」
「分っていますわ!」
ロレッタは強気で突っぱねる。箱入りで育てられた令嬢故に、外を知ってしまうと興味が湧いて仕方がないのだ。それに輪をかけているのが、屋敷を訪れる貴族の男への呆れだ。
「また週末には夜会がある。それまでは屋敷でおとなしくしていてくれ」
「屋敷にいてもつまらない男性ばかり来るので、辟易してしまいます! その、クルツさんの様な大人な男性はいないのですか?」
ネイサンが説得するがロレッタも負けじと反論する。その際クルツの名前を出すときに、彼の無表情だが少し寂しそうな顔が脳裏に浮かんだ。
「アイツは特別だ。アレが無ければ逸材で、囲っておきたいくらいだ」
そんなネイサンの言葉に、ロレッタはふと思い出した。
「そういえば、今日王城の廊下で品のない男性に絡まれた時に、クルツさんが後ろ盾がどうとか捨て台詞で言われてましたが、アレはなんです?」
ロレッタは眉を顰めながらネイサンに聞く。昼間のあの男を思い出し、嫌な気分になってしまったのだ。数日前にロレッタを見ているはずだが、彼女とは気が付かず、胸や尻などをじろじろと見ているいやらしい視線を思い出し、ぶるっと身体を震わせる。あんな品の欠片もない様な男など、ロレッタはお断りだった。
そんなロレッタの様子を見ていたネイサンが重そうな口を開いた。
「……クルツはな、男爵なのだ。普通なら王城で官僚の役につく事は無い。爵位で言えば一番下だしな」
ネイサンは静かに、呟く様に語る。
「元々は地方の役人だったのだ。たまたま視察で出向いた先にいてな。えらく有能で部下に欲しかったから王城へ連れてきたんだ。クルツは王城でもその能力をいかし、官僚として十分な働きをしておった。だが爵位の低いものが王城で官僚になる事を毛嫌う貴族も居てな。クルツは大分苛められていたようだった」
ロレッタは話を聞いているが、どうも納得できないでいる。能力があるならば、それなりの地位に行くのは当然ではないのかと。そう思うのだ。
「苛めるって、単に妬んでるだけでしょ!」
ロレッタは我慢しきれずに声を上げた。だがネイサンは力なく首を横に振る。
「貴族にとって爵位での上下は絶対だ。自分よりも下の地位のクルツが官僚として活躍しているのが許せないという、心の狭い貴族は多い。クルツの様な奴は例外だ」
「なんでよ。能力があって国のためになってるんだから、そこ認めるべきよ! なんなの、その、せこい考えは!」
ロレッタは頬を膨らませて怒った。ネイサンはゆっくりと目を瞑り、静かに語りだす。
「お前は生まれながら公爵の娘だ。王族を除いては上位の貴族がいないから分らんのだ」
ネイサンが言う様に、ロレッタは貴族でも最上位と言える公爵の令嬢だ。だからこそ、どこに行っても丁寧に扱われ、ロレッタもそれが当然と思っている。だが中位や下位の貴族は違う。明け透けに区別され、扱いも適当だったりもする。だから彼らは自分よりも下位の貴族が相手だと同じような振る舞いをするのだ。
クルツは父親を亡くし、すでに男爵。爵位で見ると一番下だ。王城の貴族から見れば、一番いじめられやすい立場にあるのだ。そして当然の如く苛められている。
「私はクルツを何かと庇ったが、それも彼等から見れば気に入らない原因になっていたのだろうなぁ……」
ロレッタはようやく理解した。クルツの後ろ盾とは彼を連れてきたネイサンであり、そのネイサンは、退きはしたが宰相という内政でトップにいた人物だ。王城の貴族から見ても羨望の地位だ。その人物がよりによって一番地位の低いクルツに目をかけていれば反発もあるだろう。
それが、あの時の彼の悲しそうな目の原因だった。そしてロレッタはある疑問に辿り着く。その疑問の答えを売るべく、ネイサンに聞く。
「お父様が引退した後は、クルツさんはどうなるの?」
「……恐らく、早々に王城を追い出されるだろうな。陛下もクルツの有能さと国への貢献度は分っているが、王城内の貴族の反発が高まれば、黙っているわけにもいかんだろう……」
ネイサンの最後の言葉は殆どかすれてしまっていた。ロレッタはその答えに絶句したが、すぐにネイサンに食い掛かった。
「何とかならないの? だって有能なんでしょ? あたしの時だって、細かい気遣いもしてくれたし、兵士と揉めてた時も、あたしに気が付いて助けてくれたのよ! なんでできる人間が追い出されなきゃならないの!」
ロレッタは火がついたように喚いた。ネイサンは深くため息をついてロレッタを見てくる。
「以前、クルツに縁談を持ちかけたことがある。いずれ王城を追い出されるのならば、いっそ我が家系に連なる貴族のどこかに婿入りさせようかとも思った。王城を追い出されると言う事は、能力なしと断ぜられたと思われてしまうからな。それが真実ではなくとも、周囲はそうとってしまう。それではクルツが不憫だ」
ネイサンはそこで小さく息をつき、下を向いた。
「だがクルツは縁談を断ってきた。なんでも幼いころから仲が良かった令嬢と婚約をしていたそうだが、もっと地位の高い貴族にとられてしまったそうだ。それ以来、婚約だ婚姻だとかを信じることが出来なくなってしまったようでな。どうせ最後にひっくり返されるのだ、と。だからあの歳まで独りなのだ」
ロレッタは目を瞬かせた。クルツは所帯持ちだと思ったからだ。あの落ち着き様と女性に対する気の利きようは、妻帯者ならでは、と思っていたが違ったようだ。
「クルツさんて、独身だったの?」
「あぁ、アイツはそんな理由で、そういう事は言わないからな」
ネイサンも仕方がないと言わんばかりのため息をつく。
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