婚約者を寝取られた公爵令嬢は今更謝っても遅い、と背を向ける

高瀬船

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1巻

1-2

 王族ともあろう人間が、不用意に〝宣言〟しようとしているのは如何なものか。
 エレフィナはそう考えるのだが、コンラットには当然ながら伝わらない。
 それどころか、コンラットはエレフィナが大勢の人の前で断罪されることを恐れている、と勘違いをしているらしく、にまにまと嫌な笑みを浮かべている。

「周りの目を気にしているお前には、きちんとこの場で告げた方がよさそうだ! 私、コンラット・フォン・イビルシスは、ここにいるエレフィナ・ハフディアーノとの婚約を破棄し、ラビナ・ビビット嬢と婚約する! 皆の者、証人となってくれ!」

 コンラットは声高に宣言し、周囲に見せつけるようにラビナを引き寄せ、口付けを贈った。

(あらあら……衆目の面前で……はしたないですわね。コンラット様も、ラビナさんも)

 エレフィナがそのようなことを考えているなど露知らず、周りからは歓声が上がった。
 生徒たちは皆、ラビナに唆されエレフィナの噂を鵜呑みにしている。
 傍から見れば、嫉妬に狂ったエレフィナがラビナを害そうとし、それが見つかって婚約者に断罪されている……そんな場面に見えるのだろう。

(もう、いいかしら……お腹ペコペコですわ)

 エレフィナは自分の机に載っているバスケットをチラリと横目で見やる。
 料理長から直接渡されたお昼ご飯だ。今日のサンドイッチは力作ですよ! と得意そうに笑っていたのだ。

(早く食べたいのに)

 自分たちの世界に酔っている目の前の二人と、歓声を上げ続ける周囲の生徒たち。
 こっそり出ていこうかしら、とエレフィナが思った矢先、教室の扉の方から低く通る声が響いた。

「何だ、頭のネジが外れたようなこの騒ぎは」

 こんな悪態、学園ではそうそう聞くことはない。エレフィナは訝しげに声が聞こえた方向に視線を向ける。
 視線の先――教室の入口には、気だるげに扉に体を預けた、端整な顔立ちの男性がいた。不遜な態度ではあるが、造形の整った彼の姿はどこか絵になる。
 男性はきらきら煌めく金色の目を細め、緩慢な動作で教室内を見回した。その後、不愉快そうに顔をしかめ、長身を活かした大きな歩幅でずかずかと教室に入ってくる。
 歩く度、男のダークネイビーの髪の毛がさらりと揺れる。彼の髪の毛は先に向かうにつれグラデーションをかけて色濃くなり、毛先は完全に真っ黒だ。
 男の無表情は、どこか作り物めいた冷たさを放っている。美しいながらも、男性としての凛々しさも感じる精巧な容姿の男は、苛立ちを表すように踵を鳴らしながら騒ぎの渦中にいるエレフィナ、コンラット、ラビナの方に向かってきた。
 かと思えば、いきなり「で?」と不躾に訊ねた。

「なぜこんな大勢の前で騒ぎを? それなりの理由があるんだろう?」

 先程まで大声で喚いていたコンラットに視線を向け、乱入してきた男はさらに問いかけを続けた。
 コンラットよりも遥かに背の高い男は、じっとコンラットを見つめる。
 頭上から冷たい目で見下ろされたコンラットはたじろぎ、先程の勢いが嘘のようになんとか言葉を返した。

「そ、それは……そう、そうだ。この女が! 私の愛するラビナに危害を加えたため、婚約破棄を告げていたのだ! 悪事に手を染め、ラビナの命までも狙ったと! だから、私はこのような者と結婚などできない! 私は愛するラビナを新たな婚約者とし、将来の王子妃とすると、この場で宣言したのだ!」

 初めはしどろもどろに言葉を紡いでいたコンラットだったが、次第に饒舌になり、最後には語気荒く半ば叫ぶようにして告げた。
 周りの者たちには証人となってもらったまでだ、とコンラットは憮然とした態度で続けた。胸を張るようなコンラットの仕草に、男は不機嫌さを隠すことなくぽつり、と零す。

「そうか……。それで、こんな大勢の前で女性を糾弾していたのか。同じ男として恥ずかしい。か弱い女性を大勢の前で恫喝するなど、到底男がすることではない」

 男の呟きは、コンラットの言葉を整理するような微かなものだったのだが、近くにいたコンラットの耳にはしっかり届いていた。コンラットは怒りにかっと目を見開いた。

「……なっ、貴様! この私に対して無礼だぞ!」

 第二王子であるコンラットは、家族以外に意見されることなどなかったのだ。
 怒りと、大勢の前で面子を潰された羞恥で、コンラットは顔を真っ赤に染め上げ、今にも男に掴み掛りそうな勢いだ。
 だが男は慌てた様子もなく、なおも冷たく続ける。

「無礼、ね……。それを言うなら、先程から貴方も目上の者に対する口の利き方がなっていないと思うが。学園内は平等といえども、それが適用されるのは生徒間の話。高貴な身分だろうが傲慢な態度は控え、目上の者には敬意を払う……そう教えていた、と記憶していたが……。違うでしょうか、コンラット殿下? この国の王子であろうと、学園の方針には従っていただきたい」

 ふっと鼻で笑い、馬鹿にするような態度の男にコンラットはさらに食ってかかった。

「貴様こそ何者だ! この学園は部外者立ち入り禁止だぞ! 衛兵につまみ出されたいか!」

 コンラットの問いに、男は「ああ、そうだった」と思い出したかのように呟き、自分の胸に手を当て、軽く腰を折って挨拶の礼をとる。

「申し遅れた。俺はアルヴィス・ラフラート。王立魔術師団の副団長を務めている。この学園の卒業生で、来週から魔法の講義をするために派遣されてきた。よろしく、コンラット殿下?」

 その男──アルヴィスはそう言い放つと、ぐうの音も出ないコンラットを一瞥してからつい、とエレフィナに視線を寄越した。

「エレフィナ・ハフディアーノ嬢とお見受けする。災難だったな? 早くこの場を離れるといい」
「あり、がとうございます」

 アルヴィスに微笑まれながら言われ、エレフィナはどきり、と鼓動が跳ねるのを感じた。
 自分が恫喝され、困っている時に颯爽と現れ助けてくれた。その頼もしい姿に、エレフィナは初めて異性にときめいてしまった。
 エレフィナは混乱しながらも、アルヴィスに礼を述べ、一礼してから教室を出ようと扉の方を向いた。
 その時、それまで黙ってアルヴィスとコンラットのやり取りを見ていたラビナが面白くなさそうに頬を膨らませ、素早く動いた。

「アルヴィスさまぁっ! どうしてそんな女性を庇うのですか?」
「──っ?」

 エレフィナに視線を向けていたアルヴィスは、ラビナが叫んだ次の瞬間、どんっと自分の体に走った衝撃に僅かにつんのめる。
 アルヴィスが自分の胸元を見下ろすと、そこにはラビナの白くほっそりとした手の甲が見え、あろうことか自分の胴体にぐるり、と腕が巻き付いていた。
 アルヴィスがラビナを剥がそうとするより早く、ラビナは自分の体をぐいぐい押し付け、庇護欲を誘う顔をぱっとアルヴィスに向けて瞳を潤ませた。

「その方は、とても怖くて酷い女性なのです! 影で私の悪評を流し、コンラットさまの婚約者である身分と、公爵家の権力を振りかざして暴力を振るい、人の命まで狙うような女性なのです! 騙されないでくださいませ!」

 それが、学園に流れているエレフィナについての噂だ。
 どれも身に覚えのないことなのだが、いつの間にか悪評が流れ始め、否定すればするほど学園内に広まり、まるで真実のようになっていた。
 証拠もない稚拙な噂だ。一時噂が流れても直ぐに収束するだろう、とエレフィナはタカをくくっていた。
 けれど気付けばどうしようもないほど噂が大きくなり、皆がエレフィナを悪、と決めつけた。
 ラビナの言葉を聞いていた周りの生徒たちからもそうだそうだ、ラビナの言う通りだ! という声が上がる。
 エレフィナは、折角助けてくれたアルヴィスもまた噂に踊らされるのか、と眉を下げ唇をきゅっと引き結んだ。
 その様子を見ていたアルヴィスは、自分に纏わりついていたラビナを嫌そうに引き剥がす。

「──俺は自分の目で見たものしか信じない。君が言う言葉に、信憑性はあるのか? 証拠は? どうして公的機関に被害を訴えない?」
「そ、それはっ」

 何も言い訳を思いつかないのだろうか。ラビナはうろ、と瞳を揺らし、押し黙る。
 アルヴィスは腰を曲げ、おろおろするラビナの耳元で囁いた。

「それに……、今のような稚拙な色仕掛けにひっかかるのは年中盛ってる幼稚な子供だけだ。大人には通用しないことを覚えておけ」

 汚い物を見るような瞳でラビナを見下ろし、アルヴィスはぽつんと立ち竦んでいるエレフィナの手を取った。

「──え? えっ? あの!」
「もうここに用はないだろう? 出てしまおう」

 狼狽うろたえるエレフィナにアルヴィスは優しく声をかけると、扉に向かって歩き出す。
 エレフィナはアルヴィスの横顔と、掴まれた自分の手に視線を交互に移した。
 掴まれた手の力強さにどぎまぎしていると、背後から再びラビナの声が上がる。

「アルヴィスさまぁっ! その女の毒牙にかからないでっ」

 アルヴィスはうんざりとしたように、エレフィナの手を握っていない方の腕をおもむろに持ち上げた。

「昼食時だろう? 大人しく食べていろ」

 そう言い放つやいなや、アルヴィスは指先をそのままつうーと動かした。

「え? えっ? きゃあっ?」

 指の動きにつられるように、ラビナとコンラットの体が不自然に動き出し、二人まとめてぐしゃり、と教室の端にある椅子に崩れるように座らされた。
 エレフィナは驚きに目を見開き、横目でアルヴィスをちらりと見やる。
 当の本人アルヴィスは、エレフィナの手を引いたまま楽しそうに口端を持ち上げていた。そして耐えきれなかったのだろうか、ついにはははっと声を出して笑った。




   第二章


 アルヴィス・ラフラート。
 この名前はこの国の貴族であれば、誰でも聞いたことがあるほど有名だ。
 彼はこの学園の卒業生であると同時に、過去に類を見ないほど優秀な成績を修めたという逸話を持つ。
 学園を卒業した後は王立魔術師団に入団し、僅か二年で副団長に登り詰めた大変優秀な男である。
 実家も、古くから続く由緒ある侯爵家。次男ではあるが、頭脳明晰、容姿端麗なことから年頃の令嬢たちからは結婚相手として最有望株と噂されている。


 そんな凄い人物が、自分の通う学園に講師として魔法を教えに来てくれる。
 その事実に、エレフィナは興奮で気持ちが昂るのを感じた。
 さらに、先程アルヴィスはエレフィナを庇って、あの場所から助け出してくれたのだ。

(──ま、まるで白馬に乗った王子様みたいだわ!)

 エレフィナは、つんと澄ました冷たい美貌ゆえ誤解されがちだが、可愛い物が大好きだし、とても乙女思考である。
 いつか、あのどうしようもない婚約者から助け出してくれる王子様が現れてくれると夢見ているし、自室のベッドには可愛らしいテディベアがいくつも置かれている。
 この学園で自分の立場が悪化するにつれ、エレフィナはいつかきっと素敵な男性が助けに来てくれる、と現実逃避していた。否、そうでもしないとやっていけなかった、というのが本音だ。
 常々、兄のエヴァンが「お兄様がエレフィナの王子様だよ」と言ってくるが身内はお断りだ。エレフィナはいつも適当に聞き流している。


 自分の手を引っ張り、喧騒から離れていくアルヴィスに、エレフィナはドキドキと鼓動を高鳴らせ、大人しく付いていった。

「──この辺りでいいか」

 アルヴィスがぽつり、と言葉を零す。
 連れてこられた場所は学園の庭園だ。
 広大な庭園の敷地内にはいくつもガゼボがあり、学園に雇われている庭師が丹精込めて世話をしているため、四季折々の花が咲き誇っていて、とても美しい。
 アーチ状に広がる花々の下をくぐり抜け、ガゼボに到着すると、アルヴィスはエレフィナの手を離した。ウォールナットでできた、装飾が美しいベンチに座るよう促す。

「突然連れ出して悪かった、ハフディアーノ嬢。流石にあの場に、貴女を放置していられなかった。先程の件は、学園の責任者に報告しておく」
「い、いえ。庇っていただき、大変助かりましたわ。私があの場であれ以上何を言っても何も変わらなかったので」

 つん、とそっぽを向きながらエレフィナはそう返してしまう。
 もっと可愛らしくお礼を言えたらよかったのに、と後悔してしまう。しかし、昔から強がる癖が付いてしまっているエレフィナには、性格を突然変えることも、いまさら女性らしく、可愛らしく振る舞うこともできない。
 心を強く持たないと、貴族社会では生きていけない。公爵家に生まれたエレフィナは、強くあらねば、弱い姿を他人に見せれば、たちまち陥れられてしまう。
 そう教えられて育ったエレフィナは、気高く、強く、美しく生きたい、と思っている。
 エレフィナのつんとそっぽを向いた表情をしばし眺めていたアルヴィスは、突然吹き出して笑い声を上げた。

「え、えっ?」
「ははっ、悪い……聞いていた通りだな、と思って」

 ひとしきり笑い終えたアルヴィスは、後ろに手をつき、空を見上げながら口の端を釣り上げた。

「本当は可愛い物とか、女の子が夢見るような甘い展開が大好きなんだろう? 隠すのは大変だな」
「……っな?」

 なぜそれを、とエレフィナは自分の頬が朱に染まるのを自覚した。


 外では絶対に悟られないよう、慎重に行動していたのに。
 実際、エレフィナが乙女思考全開なことを家族以外は誰も知らない。いや、知らないはずだった。
 それなのにどうして初対面のアルヴィスが知っているのか。
 エレフィナは真っ赤に染まった顔で、苦し紛れにアルヴィスを睨みつける。

「俺は君のお兄様と友人でね。君の話をよく聞いていたんだ。本当にこんな可愛い性格しているとはなぁ」
「……エヴァンお兄様と友人なのに、それを黙っていたなんて随分意地悪ですわね」
「だから悪いって。エヴァンからも君のことを頼まれているし……そうだな、お詫びとして俺がエレフィナ嬢の盾になってやるよ」

 からかうようにそう言うアルヴィスに、エレフィナはじとっとした目を向ける。

(私がときめいているのをわかっていてからかったのね。趣味の悪い方!)

 先程まで高鳴っていたエレフィナの胸の鼓動が嘘のように鎮まる。
 すん、と冷めた目でアルヴィスを一瞥した後、エレフィナはベンチから立ち上がる。そしてアルヴィスを置き、教室へ戻るべくずんずん足を進める。

「昼食はいいのか?」
「結構ですわ! 教室に戻ります!」

 背後からアルヴィスの楽しげな声が聞こえるが、エレフィナは頬を膨らませながら肩を揺らして立ち去った。そんなエレフィナの背中を見て、アルヴィスは噴き出してしまった。

「あんなに可愛い性格してんのに。……本当に第二王子は愚かだな」

 アルヴィスは空を仰ぎ、この学園での仕事を受けてよかった、と話を持ってきた学園長に感謝した。

「エヴァンに睨まれないようにしないとな……」

 楽しそうに笑い声を上げると、アルヴィスは自らもベンチから腰を上げた。


   ◇◆◇


 エレフィナは残り少ないお昼休みの間にサンドイッチを食べようと、急ぎ足で自分の教室に戻っていた。

(せっかく美味しそうな昼食でしたのに、お馬鹿さん二人と、アルヴィス様のせいで食べ損ねてしまいますわ!)

 内心はぷりぷりしていても、エレフィナの表情は通常と変わらずつんとしたままだ。
 いつもは一人でいると、周囲にいる学園生たちの囁き声や視線を気にしてしまうが、今日はまったく気にならない。
 きっとお馬鹿さん二人と、アルヴィスのお陰だろう、とエレフィナはむすっとしつつ認める。

(──一瞬でも素敵な人、とときめいてしまった自分が恨めしいですわ。アルヴィス様はお兄様から私のことを聞いていて、からかっていたのね。悪趣味な方だわ!)

 先程の喧騒が落ち着いた教室に戻ったエレフィナは、足早に自分の机まで向かい、バスケットを手に取るとすぐに引き返す。
 エレフィナが戻ってきたらまた文句を言ってやろう、と息巻いていたコンラットは、声をかける間もなく出て行ってしまったエレフィナを唖然と見つめた。

「ふ、ふんっ。俺と顔を合わすことができず、逃げるように出ていったな!」

 負け惜しみのようなコンラットの言葉を聞いた周囲の学園生たちは「眼中になかったみたいだよな」と顔を見合わせた。


 エレフィナはコツコツと踵を鳴らしながら、人がいなさそうな非常階段に足早に向かっていた。
 昼休みはあと少しで終わってしまう。一口でもお腹に入れておかないと、午後の授業が辛い。
 午後は魔法制御の授業があり、とても集中力が必要だ。空腹で集中力を欠き、悲惨な結果になってしまうのはどうしても避けたい。
 非常階段の踊り場にたどり着いたエレフィナは、ハンカチを階段に敷きその上に腰を下ろす。
 わくわくしながらバスケットを開けると、サンドイッチとサラダが彩りよく詰められている。エレフィナの好きな具材がふんだんに使用されているサンドイッチには、テディベアやうさぎなど、先端が可愛らしい動物の形のピックが刺さっていて、気持ちが高揚した。
 しっかりエレフィナのツボを分かっている料理長に感謝しながら、エレフィナは一口サイズのサンドイッチを時間をかけてゆっくり咀嚼する。
 エレフィナが「次はひよこさんのピックにしようかしら」と、摘もうとしたところで、頭上から先程まで一緒にいた男の声が聞こえた。

「こんなところにいたのか?」
「……まだ、何か御用でしょうか?」

 エレフィナは冷たい声で、声をかけてきたアルヴィスに返答する。
 アルヴィスはエレフィナの頭上から顔を覗き込むようにして、今まさにエレフィナが摘もうとしていたひよこのピックが刺さったサンドイッチを手に取り、ひょい、と自分の口に放り入れてしまった。

「あっ! 私のひよこさんがっ!」
「──ふっ」

 頭の中で「ひよこさん」と呼んでいたエレフィナは、ついそのまま口走ってしまった。
 アルヴィスの笑い声が聞こえ、エレフィナは瞬時に「しまった」と恥じたが、彼は兄のエヴァンから自分の話をよく聞かされていると言っていた。エレフィナの可愛い物好きな趣味も、きっと知られているだろう。

(いまさら取り繕っても無駄ですわね)

 そう判断したエレフィナは、諦めて次のサンドイッチに手を伸ばした。
 アルヴィスを無視して静かに食事を続けるエレフィナに、少し上段に腰を降ろしたアルヴィスが声をかけた。

「悪い、本当に悪いと思っているから無視しないでくれないか? そんなにつれなくされると、逆に振り向かせたくなる」
「っむぐ!」

 口説くような甘い台詞をかけられ、エレフィナはけほけほと咳き込み、じろりとアルヴィスを睨み付けた。

「そうやってからかって、私の反応を見て楽しんでいらっしゃるのでしょう?」
「いや、本心だと言ったらどうする?」
「──どうもしませんわ!」

 家族以外の男性とこのように軽口を叩くことなど初めてで、エレフィナはきゅんと簡単にときめく自分の胸が憎たらしくなった。
 いつも気を張り、この学園に入学してからは人と気兼ねなく会話することはなくなっていた。常に腹の探り合いをしているような、嫌な緊張感が付きまとうからだ。
 もちろん、コンラットから甘い言葉をかけられたことはなく、異性から面と向かって「可愛い」と言われたり、先程のように口説かれたこともない。
 常に清く正しく、凛としている自分を誇っていたのに。

(男性に免疫がないとはいえ、簡単にときめいては駄目なのに……!)

 冷静沈着な公爵令嬢を目指しているエレフィナは必死で表情を取り繕う。
 にっこりと作り笑顔を浮かべたエレフィナは、アルヴィスに微笑みかけた。

「楽しいお話の時間でしたがごめんあそばせ、午後の授業が始まってしまいますの」

 広げていたバスケットの蓋を閉めながら、エレフィナは立ち上がった。ハンカチを拾うと、アルヴィスに一礼してその場から立ち去る。
 ……否、立ち去ろうとした。だが、アルヴィスの言葉を聞いて足を止めてしまった。

「ああ、そうだ。この後の授業だが、魔法制御訓練だろう? 来週から俺も講師として教える予定だから、授業風景を見学する予定だ」
「……見学なさるのですか?」

 嫌そうに眉をひそめたエレフィナに、アルヴィスはにんまり、といい笑顔で頷く。

「これも講師の仕事だろう? しっかり授業風景を見て、来週からの授業に備えないとな」
(そんなこと、微塵も思っていないくせに)

 自分の反応を見て楽しんでいるアルヴィスに、エレフィナは苦虫をかみ潰したような表情を浮かべ、アルヴィスはまた楽しげに口端を吊り上げる。

「授業開始まで時間がないな、制御訓練ということは、実技棟だろう?」

 のんびりしていてもいいのか? と尋ねられ、エレフィナははっと目を見開き、慌てる。

「──っ! そうですわ、アルヴィス様とお喋りしている場合ではないのです! 急いで向かわなくては!」

 今いる非常階段から、実技棟までは少し距離がある。
 急いで向かわねば、授業開始に遅れてしまう。

(公爵令嬢である私が授業開始に間に合わないなど、プライドが許しませんわ!)

 エレフィナは今度こそその場を離れようとした。

「待て待て。実技棟にバスケットを持ち込む気か?」
「っもう! 誰のせいですか? 早く戻りたいので話しかけないでくださいませ!」


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