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答え合わせ 3
しおりを挟む「…私も、いいだろうか。ミュラーに謝罪したい事がある」
「…お父様?」
父親のその重苦しい言葉に、ミュラーはぱちくりと瞳を瞬かせると不思議そうに自分の父親へと視線を向ける。
「伯爵…それも俺から…」
レオンが焦ったようにそう言うが、ミュラーの父親は緩く首を横に振るとゆっくりと口を開いた。
「そもそも、今回の事件の発端となってしまったのは私がアルファスト侯爵へ科した約束事が原因だ」
「約束事…?」
「ああ、2人の婚約を早く認めていれば良かった。ミュラーが成人を迎える年に早く伝えていれば良かったんだ。だが、私は自分の娘の身可愛さにアルファスト侯爵を長い間約束事に縛り付けさせ、娘も傷付け続けてきた」
隣から向けられる悲しそうな視線にミュラーは困惑する。
「あの日…、成人の舞踏会の前に行った夜会の翌日に…自分も幸せになりたい、と言われて初めて娘を傷付け続けて来た事に気付いた愚かな親だ」
「お父様…、待って下さい。何が何だか…」
「ミュラー、すまない。私がアルファスト侯爵に成人するまで娘の告白に応える事を禁じさせたんだ。まだ侯爵家を継ぐ前の十代の少年を言いくるめ、判断力に劣っていた少年を制してしまった」
今なら、私の科した内容がどれだけあの年代の少年に対して酷な事をしていたのかとてもわかる。
と続ける父親にミュラーは何も言えずただ黙って父親の言葉を聞く事しか出来ない。
「愛する女性から頻繁に想いを告げられ、その言葉には気持ちを返すな、接触をするな、という事が同じ男としてどれだけ酷薄な事を強いていたのか…抑圧されれば抑圧されるだけ爆発してしまう恐ろしさを考えもせず、ただその場凌ぎに禁を作った。娘も、アルファスト侯爵も長年傷付けて来た私が一番の原因だ」
「待って、待って下さい…そもそも何故お父様はそのような条件を…」
ミュラーは父親の酷すぎる条件に信じられない内容に、くらりと目眩を覚える。
成人するまで…それは、自分がレオンに告白をするようになってから長い年月である。
その約束事を交わしたのがいつの話かは分からないが、何年にも渡る約束事なのだとしたら…
自分がレオンを諦めてしまう事だってある。そうなる可能性がある事を分かっていたはずだ。
自分はレオンを諦めて、他の男性を探して幸せになる事が出来ていたかもしれないが、レオンは?
長い間約束を守り、やっと自分の気持ちを伝えられる、となった時にもしミュラーの気持ちが既に冷めていたら。レオンへの気持ちが無くなっていたら…?
長年約束に縛り続け、侯爵家の当主だと言うのに伴侶も得ずただ待ち続けていたレオンの立場はどうなるのか。
「…っ、お父様は、もし私が本当にレオン様を諦めてしまっていたら、レオン様の長年の想いを、侯爵家としてのレオン様の将来をどうするおつもりだったのですか…!もっと、何か、何か手は無かったのですか…!」
ミュラーに責められ、項垂れる父親にレオンは口を開く。
「ハドソン伯爵の科した約束は仕方の無い事だったんだよ、ミュラー」
「…っ、仕方のない事!?私は兎も角、侯爵家の将来を楽観視していたのですよ…!?それはあってはならない事ですっ」
ここまで感情的になるミュラーは見た事がない。
それだけ、自分の父親が愚かな選択をしてしまった事に憤っているのだろう。
ミュラーは自分の事はさておき待たされた結果、想いを遂げられなかった場合のレオンの将来を、侯爵家の未来の事を考え怒りを顕にしている。
「どんな理由があろうとも、お父様が取った対応は過ちです、貴族として上位貴族の家を軽んじた愚策です…っ」
「…それは、っ、俺が幼いミュラーに男としての欲を抱いてしまったせいなんだよ…!」
レオンから紡がれる言葉に、ミュラーは何を言っているのか分からず、言葉を無くす。
「…え?」
レオンの方へ視線をやれば、レオンは悲痛な面持ちで懺悔をするようにミュラーへ己の異常な欲から父親が娘を守る為に科した内容だったのだ、と伝えた。
「…俺が、17か、そこらの時に。まだ10歳か11歳になる前のミュラーに男としての欲を抱いたんだ。その俺の邪な気持ちを察した伯爵は、娘の身を守る為に約束事を交わしたんだよ…幼い少女を俺みたいな異常な人間から守ったんだ…」
ただ、娘可愛さに悪戯にそんな約束事をした訳では無い事は分かってくれ。
とレオンが懇願するように伝えてくる。
「え…?待って、下さい…え…」
言われた内容が飲み込めない。
レオンから言われた言葉を必死に脳内で反芻する。
レオンは、今何と言っていたのだろうか。
幼い少女に、欲を覚えた?
「──っ!」
そこまで考えて、レオンの言葉を理解してミュラーは一気に顔を真っ赤に染め上げた。
恥ずかしさに自分の瞳に涙の膜を張る。
そのミュラーの表情を見て悲しそうに泣き笑いの表情でレオンが告げる。
全部自分のせいだったのだと。ミュラーの父親は少女に欲を覚えた自分からただ正しく守っただけなのだ、と。
「ごめん、ミュラー…俺のせいで君を長年傷付けて来たんだ」
悲しそうにそう呟くレオンの言葉に、ただミュラーは驚きに混乱していたが、ふと違和感を感じてレオンに向かって問うた。
「…?ですが、レオン様に長年─その、告白したり、抱き着いたりしてしまいましたが、そんな素振り等まったく感じませんでした…だからこそ、私を"女性"として見てくれる事が無かったからこそ、私はレオン様を諦めようとしたのです…」
いつもレオンの瞳は優しく凪いでいて、自分をまるで妹のように接してくれていた、とミュラーはレオンと父親に対して話す。
「…そうだったのか?」
父親のその言葉にレオンは苦虫を噛み潰したような表情で、唸るように答えた。
「…それは、そうだろう…伯爵との約束がある限りミュラーに俺が邪な感情を抱いている事を悟られてはいけない…必死に押し殺すしかミュラーとの未来は望めなかった」
ミュラーとの未来の為に過ちは犯せない。
そうきっぱりと言い放つレオンに、ミュラーは視線を向ける。
衝撃的な告白を聞いた。
幼い自分に邪な気持ちを抱いた、とレオンは言っていたがこの数年間まったくレオンから欲の籠った視線を向けられた事がない。
むしろ、はしたない行動をした自分を叱り淑女としての行動を諭された程である。
確かに、幼い子供に劣情を抱くレオンは大人からしたら危険な人物なのであろう事はわかる。
けれど、それを危ないからと強制的に引き離しても何の問題の解決にはならないのではないか?とミュラーは思った。
当時まだ10代だったレオンに、同じ男性として性に関する助言もせず、ただ問題から引き離した。
その対応も、些か乱暴ではなかったのか、と思う。
自分は異常だ、と言う事からレオン本人だって悩んでいたはずだ。自分は普通の男としてどこかおかしいのかもしれない、と悩んでいたかもしれない。性の趣向について身内には相談しにくいだろう。だからこそ少年のその趣向に気付いた大人が正しい対応を、性について適した話をすれば良かったのではないか、と思ってしまう。
驚いた事に、ミュラーはレオンのその告白を聞いても、驚きはしたが不快感や嫌悪感は感じない。
ただ、好きな男性には変わりないのだ。
だって、自分の前ではいつだって誠実だった。
無理に距離を詰めるでもなく、周りの事も気にして2人きりで長時間共にしないようにしてくれた。
想いを受け取った後の口付けだって、無理矢理ではなかった。
何より、お互い媚薬を飲まされ辛かったのに無体を働く事はなく、ただただミュラー自身の身を案じてくれた。はしたなく自分がレオンを求めてしまっても、一切自分からは触れてこなかったのだ。
自分の欲望をしっかりと律せる男性なのだ。
「…私の気持ちは今のお話を聞いた後でも変わる事はありません」
だから、ミュラーはレオンをまっすぐ見つめて微笑んだ。
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