1 / 52
第一章 西暦二三四七年六月一日
一 始まりの闇
しおりを挟む
これは、昔々のお話です。でも、物語が始まるのは、遠い遠い未来のある日。空の上のもっと上、深い暗闇の中からです。本を読めるだけの小さな灯りを一つ残して、部屋の電気を消してみましょう。闇の気配に身を委ねましょう。さあ、始まり始まり。
闇。と言っても真の暗闇ではない。暗い空間のあちこちにある、モニタやゲージから漏れ出す明かりが、乗組員の顔を照らしている。ソナー音の響く実験用潜宙艦『オクタゴン』の艦橋には、張り詰めた静寂があった
赤道上空三万五七八六キロメートル、静止衛星軌道。そこに八本の脚を伸ばし浮かぶオクタゴンの姿は、外からは徐々に宇宙の暗闇の中に溶けて消え行くように見えるに違いない。今、オクタゴンは時空に裂け目を作り、その中に潜ろうとしているのだ。
「亜空潜行速度五、六、七……」
小柄で赤髪のソマ計測員の声が、静かに響く。このシチュエーションは何度目なのだろう。彼女は年齢こそ若いが、初回の実験から参加しているベテランだ。博士からの信任も厚い。
「潜行速度十で固定します」
そのブラウンの瞳を一瞬閉じ、ホッとしたように小さくうなずくと、ソマ計測員はモニタから目をそらし、私に視線を向けた。次は私がうなずく番だ。
「空間曲圧十九度から二十度、耐圧装甲に異常なし」
目の前のゲージの目盛りは細かく振動しているが、誤差の範囲内である。もし異常があれば赤く輝き、警告音が鳴る。しかし今は静かなものだ。
「ナギサくん」
艦橋の一番奥から私に向かって、何処か心配げな声がかかった。
「艦内圧に異常はないかね」
「数値上、問題は見当たりません」
私がそう答えると、博士はボサボサの髪をかきむしりながら、そのガリガリの神経質そうな顔を歪めた。
艦橋の窓の外を、五機のドローンポッドが飛び回っているのが見えた。オクタゴン同様八本のマニピュレーターアームを広げ、その身を回転させながら飛んでいく。周囲に問題がないか探しているのだ。
「サエジマくん、ドローンポッドに異常の検知は」
「ありません」
おかっぱ頭に四角い眼鏡のサエジマ計測員は、まるで吐き捨てるように言い切った。普段からそういう口調なのである。しかし博士はまだ安心しない。
「トガワくん、エンジン出力は安定しているね」
屈強な肉体の技師長は、白く光る歯をむき出して笑った。
「タキオン圧は安定安定、超安定。出力に変化はなしですな」
「順調じゃないか」
博士は、まるで不満であるかのような声を上げた。
「前回も途中までは順調だったんだ。でも失敗した」
「ありゃあ仕方ねえでしょう」
技師長は苦笑している。
「何故だ。我が輩の設計も計画も完璧だというのに、何故失敗するというのだね」
まるで理由がわからない、といった風な博士に向かって、トガワ技師長は大きなため息を返した。
「いや、だってあんた、設計図通りの部品使わねえじゃねえですか」
「予算というものがあるのだよ。性能と機能が同じなら、安い部品を使うのも仕方ないではないか」
「ところが機械には、相性ってのもありましてね。電気が通じりゃ何でも良いって訳にゃ行かんものなんですよ」
「それは我が輩の責任ではない。我が崇高な目的を達成させるべく、部品メーカーが要求水準を達成するべきなのである」
技師長は僅かに顔を曇らせた。
「あんたまさか、今回も安物の部品使ってるんじゃ」
「倹約をしたかと言えば、まあそういう事になる」
ヌケヌケとそう博士が答えたとき。
突然の衝撃。艦内の何処かから爆発音が響いた。艦全体が激しく振動する。
「後部ブロック破断、亜空が浸透します。遮断防壁起動」
「タキオン圧急速低下」
「ドローンポッド、一部コントロール不能!」
「次元調整弁作動しません!」
「緊急脱出装置、一部起動しています!」
ソマ計測員が叫んだ次の瞬間、私の足下に空間が広がった。そうか、緊急脱出装置が起動したのは私の所だったのか、などと呑気な言葉が脳裏をよぎった直後。
「うおっ!」
私の体は、その暗い空間に吸い込まれた。こちらは完全な暗闇だった。
闇。と言っても真の暗闇ではない。暗い空間のあちこちにある、モニタやゲージから漏れ出す明かりが、乗組員の顔を照らしている。ソナー音の響く実験用潜宙艦『オクタゴン』の艦橋には、張り詰めた静寂があった
赤道上空三万五七八六キロメートル、静止衛星軌道。そこに八本の脚を伸ばし浮かぶオクタゴンの姿は、外からは徐々に宇宙の暗闇の中に溶けて消え行くように見えるに違いない。今、オクタゴンは時空に裂け目を作り、その中に潜ろうとしているのだ。
「亜空潜行速度五、六、七……」
小柄で赤髪のソマ計測員の声が、静かに響く。このシチュエーションは何度目なのだろう。彼女は年齢こそ若いが、初回の実験から参加しているベテランだ。博士からの信任も厚い。
「潜行速度十で固定します」
そのブラウンの瞳を一瞬閉じ、ホッとしたように小さくうなずくと、ソマ計測員はモニタから目をそらし、私に視線を向けた。次は私がうなずく番だ。
「空間曲圧十九度から二十度、耐圧装甲に異常なし」
目の前のゲージの目盛りは細かく振動しているが、誤差の範囲内である。もし異常があれば赤く輝き、警告音が鳴る。しかし今は静かなものだ。
「ナギサくん」
艦橋の一番奥から私に向かって、何処か心配げな声がかかった。
「艦内圧に異常はないかね」
「数値上、問題は見当たりません」
私がそう答えると、博士はボサボサの髪をかきむしりながら、そのガリガリの神経質そうな顔を歪めた。
艦橋の窓の外を、五機のドローンポッドが飛び回っているのが見えた。オクタゴン同様八本のマニピュレーターアームを広げ、その身を回転させながら飛んでいく。周囲に問題がないか探しているのだ。
「サエジマくん、ドローンポッドに異常の検知は」
「ありません」
おかっぱ頭に四角い眼鏡のサエジマ計測員は、まるで吐き捨てるように言い切った。普段からそういう口調なのである。しかし博士はまだ安心しない。
「トガワくん、エンジン出力は安定しているね」
屈強な肉体の技師長は、白く光る歯をむき出して笑った。
「タキオン圧は安定安定、超安定。出力に変化はなしですな」
「順調じゃないか」
博士は、まるで不満であるかのような声を上げた。
「前回も途中までは順調だったんだ。でも失敗した」
「ありゃあ仕方ねえでしょう」
技師長は苦笑している。
「何故だ。我が輩の設計も計画も完璧だというのに、何故失敗するというのだね」
まるで理由がわからない、といった風な博士に向かって、トガワ技師長は大きなため息を返した。
「いや、だってあんた、設計図通りの部品使わねえじゃねえですか」
「予算というものがあるのだよ。性能と機能が同じなら、安い部品を使うのも仕方ないではないか」
「ところが機械には、相性ってのもありましてね。電気が通じりゃ何でも良いって訳にゃ行かんものなんですよ」
「それは我が輩の責任ではない。我が崇高な目的を達成させるべく、部品メーカーが要求水準を達成するべきなのである」
技師長は僅かに顔を曇らせた。
「あんたまさか、今回も安物の部品使ってるんじゃ」
「倹約をしたかと言えば、まあそういう事になる」
ヌケヌケとそう博士が答えたとき。
突然の衝撃。艦内の何処かから爆発音が響いた。艦全体が激しく振動する。
「後部ブロック破断、亜空が浸透します。遮断防壁起動」
「タキオン圧急速低下」
「ドローンポッド、一部コントロール不能!」
「次元調整弁作動しません!」
「緊急脱出装置、一部起動しています!」
ソマ計測員が叫んだ次の瞬間、私の足下に空間が広がった。そうか、緊急脱出装置が起動したのは私の所だったのか、などと呑気な言葉が脳裏をよぎった直後。
「うおっ!」
私の体は、その暗い空間に吸い込まれた。こちらは完全な暗闇だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる