ちゃんばら多角形(ポリゴン)

柚緒駆

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第二章 天正十一年十二月二十日

七 忍びの者

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 和泉国と紀州を隔てる和泉山脈は、八百メートル級の山が連なる低い山脈である。北部では金剛山地につながり、古くから修験道の修行場が点在した。そんな山脈の中にある小さな山、牛滝山に分け入る人影が七つ。すでに陽も落ちかけ、辺りには闇が迫っている。

「畜生、ふざけやがって」

 先頭を行くのは、孫一郎に大刀を弾き飛ばされた男。人さらいの七人は、ほの暗い山道を山頂に向かっていた。

「おい何処だ! 出てこいよ、俺だ!」

 わめく男の目の前に突然、木の葉を踏む音すらなく町娘の姿が現れた。手甲てっこう脚絆きゃはんを身につけ、頭には手ぬぐいを巻き、長い髪を後ろで結んでいる。だが、ただの町娘である訳がない。暗い中にあってなお黒々とした大きな瞳は、まるで飲み込まんとするかの如く、男たちを見つめた。

「随分と時間がかかったな」

 町娘の視線に、男たちは少し気後れを見せた。

「いや、その事だけどよ」
「で、小娘はどうした」

 てめえも小娘だろうが、という言葉を飲み込んで、男は悔しげな声を上げた。

「逃げられたんだよ、畜生。邪魔が入りやがってよ。だから、あんたらの力を貸してくれねえか。このままじゃ腹の虫が治まらねえ」
「何処で逃げられた」

「おう、案内するよ、来てくれ」
「何処で逃げられたと聞いている」

 その感情のこもらぬ声は、男たちの心胆を寒からしめるには充分だった。

「き……紀州街道。岸和田から南に抜けてすぐの辺り。なあ、怒ってんのか。大丈夫だって、次はちゃんと連れて来るからよ、任せてくれって」
「次はない」

 その言葉を最後まで聞く事が出来たかどうか。男の首は胴から切り離されていた。力なく倒れるその傍らに、刀を持った黒い影。全身を黒い布で覆った、人ともあやかしともつかぬ影が、刀を手に立っている。

「あ、兄貴!」
「てめえ何しやが……」

 仲間たちが短刀を手にしたとき、竹籠を背負った一番大きな男が、前のめりに倒れた。その籠を貫いた刀を背中に突き立てて。残った五人は気付いた。ざわざわ、ざわざわざわ。森の中、闇の中、黒い気配が充満している事に。自分たちは、すでに取り囲まれていたのだという事に。影が、闇が、男たちに一斉に襲いかかる。

 男たちは悲鳴すら上げられず、ただ全身を何本もの刀に貫かれて死んだ。


「おりんさま」

 片膝をつく黒い影を町娘は見やった。目の奥が笑っている。

「人を使うというのは難しいな。まさか、ここまで能なしだとは思わなかった」
「いかがいたします」

「三つに分かれろ。人選は任せる」
「はい」

「貝塚の寺内町には旅籠がある。一つはそこを探れ。もう一つは貝塚より先を探せ。小娘を連れてそう遠くまで行く事はないと思うが、念のためだ」
「残り一つは」

 町娘は不意に顔を背けると、闇の中を見つめた。飲み込まんとするかの如く見つめた。

「あれを殺せ」

 何処かで枝が揺れた音。


 六衛門と太助は、樹上から地面に飛び降りた。闇の中を走る、走る。

「六衛門さま、あれは一体」
「何処ぞの忍びだ。今は黙って走れ、舌をかむぞ」

 夜目は利く。会津の山中で鍛えた足腰は、初めての山道でも惑う事なく走れる。忍びは隠密が基本。人里まで降りれば、それ以上追っては来ないだろう。六衛門はそう考えた。だが。

 ざわ、ざわ、ざわ。森がざわめく。頭の上に気配がする。それも一つや二つではない。馬鹿な、樹上を移動しているというのか。枝から枝に飛び移りながら、それでも地面を走る自分たちに追いつく速さで。

「太助!」

 六衛門は一瞬恐怖した。もしや背後に続く足音が、すでに太助ではない何かに入れ替わっているのではないかと。

「はい!」

 だが太助はまだそこにいた。ならば。

「おまえは甚六に見たままを伝えよ。出来るな」
「六衛門さまは」

「わしは時間を稼ぐ」
「そんな」

「行け! 走れ!」

 そう叫ぶが早いか、六衛門は跳び、樹上に駆け上がった。そして懐から何かを取り出し、暗闇の中の気配に向けて投げつける。柔らかい物を断つ小さな音がしたかと思うと、闇の中の気配が乱れた。目潰しである。

 相手は六衛門以上に夜目が利く。だが夜目が利くというのは、暗闇の中で目を見開いているという事であり、故に目潰しは効果的なのだ。六衛門は続けて懐に両手を突っ込んだ。引き抜いたその手には、いくつもの十字手裏剣が。

「くらえ!」

 闇の中の気配に、手裏剣の乱れ打ち。これで何人かの動きを止める事が出来れば。しかし。その狙いは外れた。

「腕は悪くない」

 それは背後からの声。六衛門が振り返らんとしたとき。

「ただ遅い」

 六衛門の腹から刃(やいば)が生える。背中から腹を貫いたのは、反りも見事な大刀であった。だが自分の後ろに立つ闇に、六衛門はニヤリと笑顔を見せつけた。その懐で弾けた火花が、六衞門の顔を下から照らす。

 閃光と轟音。大筒でも撃たれたかと思うほどの爆発音に、近隣の里の者たちは外に出て山を見上げた。


「おりんさま」

 辺りはもうすっかり暗い。村はずれの地蔵堂の横に、夜よりもなお暗い、人の形をした闇が片膝をついている。隣には、これといったダメージをくらった様子もなく、ふて腐れた顔で地面にしゃがみ込む町娘の姿。

「髪が何本か焼けてしまった」
「ですから我らにお任せくださいと」

「年寄りは気が短くていかんな」
「何処の草か調べますか」

「もう調べようもないだろう。良いよ、ここは敵地だ。味方はいない」

 そして立ち上がると、ひとつ伸びをした。

「では他の者たちと合流を」
「いいや」

 町娘は首を振った。

「私は今宵のうちに紀州に向かう。明日には戻る。他の者には、みぞれを探させておけ」
「御意」

 影は、音もなく夜の闇の中に溶けた。町娘は小さくつぶやく。

「こんな小さな国ごとき、落としてご覧に入れましょう。父上さま」
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