ちゃんばら多角形(ポリゴン)

柚緒駆

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第三章 天正十一年十二月二十一日

二十 夜襲

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 夜の海。茅渟ちぬ浦曲うらわに月はない。とうに沈んだ後である。岸和田の町には、まだ灯りがともっていたが、浜に近い漁村の家々は、もう真っ暗であった。その暗闇の中、家から出てきた男の子が一人。年の頃なら十かそこいら、小便に出てきたのだ。だが寝ぼけ眼で何気なく海を見たとき、彼はその目を瞠らせた。そして慌てて家に駆け込む。

「父ちゃん、父ちゃん」

 寝息を立てていた父親は薄目を開けたが、すぐに閉じて背を向けた。

「うるせえ、さっさと寝ろ」
「変だよ、何か変だ」

「変な事なんぞ、ごまんとあらあ。もう良いから寝ろ」
「海が、海の向こうが明るいんだ」

 その息子の言葉に、父親は少し間を置いて振り返った。

「海が明るいだと?」

 息子に引っ張られるように外に出てきた父親は、海を見て驚愕した。確かに海が明るい。全体が明るい訳ではない。水平線のずっとこちら側に、炎が点々と並んでいるのだ。父親はその意味をすぐに理解した。そして近隣の家々の戸を叩き、声も枯れよとばかりに叫んだ。

「起きろ! 夜襲だ! 起きろ!」

 しかし人々が起き出す間に、炎はグングン近付いて来る。そしてかがり火を焚いた舟がその舳先へさきを浜に乗り上げると、粗末な鎧を身につけた雑兵の如き者たちが、十四、五人ほど次々に降り立った。同時にいくつもの光の筋が、真っ暗な空を奔る。火矢だ。矢の先に燃えた炎は宙を飛び、漁師の家々に突き立った。屋根瓦も使われていない質素な木造の小屋は、またたく間に燃え上がる。

 夜の闇に悲鳴が響く。燃える家から飛び出してきた人々に、雑兵たちが襲いかかった。男は斬られ、女はさらわれ、老人や子供は炎の中に放り込まれた。濫妨狼藉らんぼうろうぜきの限りを尽くす雑兵たちに、人々は逃げ惑う事しかできないで居たのだが。


「女だ! 女をさらえ!」

 雑兵どもに指図をする頭目らしい男が、首筋に冷たい風を感じた。まさか、ただそれだけで自分の首が地面に転がるとは思わなかったろう。炎を背に立つ長身の影。その右手にきらめくのは、長い長い刀。雑兵たちは目を丸くした。それが誰か知っていたからだ。

「あ、あんたは」
「どういう事だ、裏切る気か!」

 しかし忠善の返答は一言。

「相存ぜぬ事」

 忠善の長刀がしなる。銀の光が闇を切り裂く。雑兵の構えた刀を折り、鎧ごと斬り下ろす。しかし刃が地面に届く寸前、それはレの字のように跳ね上がり、右隣の雑兵の右腕を胴体から斬り放した。そして耳から耳へ水平に頭を斬り割る。その勢いのまま、さらに隣の雑兵に切っ先を向けたかと思うと、迷う事なく喉を突き貫いた。

 通常、剣術の基本は円形の運動である。切っ先が弧を描くように剣を振るうのが、もっとも効率的とされる。実際、牛滝の近くで村の若衆と争った際には、忠善も円い動きを見せている。しかし、今このとき忠善の剣は、頑ななまでに直線的であった。忠善自身はこれを『イナズマ打ち』と呼んでいる。

 あっという間に四人を討ち取られた雑兵たちは、たちまち恐怖に駆られ、我先に舟へと逃げ帰ろうとした。無理もない。雑兵とは言ってもその実、中身は佐野の漁師である。戦に駆り出される事もあるし、村同士の争いもある。だから鎧も刀もあるが、腕っ節に自信があっても、殺し合いに長けている訳ではない。殺しを専門にしているような連中など、相手にできないのだ。だが彼らは舟に戻れなかった。浜へと向かう道は、家々の燃える炎で照らされていた。その真ん中に、鬼が居た。菅笠をかぶった鬼が。

 六衞門は両手に刀を下げて待ち構える。雑兵たちは走った。その両脇を駆け抜けようというのだ。けれど。六衞門は両手を広げて、身体をコマのように回した。ぽんぽんと三つほど首が宙に舞う。雑兵たちは足を止めた。すると背後から絶叫が。最後尾が忠善に斬り殺されたのだ。まさに前門の虎、後門の狼。どうして良いかわからず、パニック状態になる雑兵たちの間を、六衞門が風のように通り過ぎた。

「熱っ」

 手の先に火を押しつけられたかのような痛み。雑兵たちはしばらく気付かなかった。自分の手から指が失われている事に。そして気付いた。刀を持てなくなっている事に。それが意味する事と合わせて。
 忠善と六衞門の背後に、人影が近寄ってきた。生き残った岸和田の浜の漁師たちである。手に手に刀を持ち、棍棒を持ち、大きな石を持ち、雑兵たちを取り囲むように集まって来る。その張り詰めた緊張が弾けそうになるのを待って、忠善が声を上げた。

「遠慮は要らぬ。仇討あだうちだ!」

 浜の漁師たちは雑兵に襲いかかった。忠善と六衞門に殺された者たちは、今頃あの世で自らの幸運をかみしめている事だろう。岸和田の浜の漁師たちの復讐は、肉を切り骨を砕く鈍い音と、悲鳴と絶叫と濃密な錆のような血のニオイの中で、延々と、永遠と思えるほどに延々と続いたのであった。
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