ちゃんばら多角形(ポリゴン)

柚緒駆

文字の大きさ
31 / 52
第八章 天正十一年十二月二十六日

三十一 計画

しおりを挟む
 未明の土橋屋敷。灯りのない廊下を音もなく歩く。まだ左手の傷が疼くが、目を覚ますには丁度良い。

 重治の寝所を訪れるのも二度目である。周囲に見張りを立てているかと思ったが、そこまで肝の小さな男ではなかったようだ。襖の前に膝をつき、声をかけた。

「竜胆にございます」

 襖の向こうから声がした。

「入れ」

 襖を静かに引き開ける。また酒のニオイ。そんなに酒が好きなのか、それとも酒で何かをごまかしているのか。ロウソクの火がチラチラと揺れる向こうに、土橋重治が徳利と盃を持って座っている。その目がギラギラと輝いているように見えた。

「おまえさんの申し出を受けてもいい」

 部屋に入った竜胆が後ろ手に襖を閉めると同時に、重治はそう言った。竜胆は静かにうなずく。

「家康公に従われますか」

 重治は盃の酒を舐めるように飲む。

「勘違いをするな。従いはしない。だが大坂城は落とそう。羽柴は雑賀にとって不倶戴天の敵、今討たねば取り返しのつかぬ事になる。ただし」

「ただし?」
「条件がある」

 竜胆の口元が緩む。それは想定内の言葉であった。

「条件というのは金子きんすでしょうか、それとも領国の安堵とか」

 重治は盃に酒をついだ。余裕のある振りをしているのか、それとも。一呼吸置いて重治は竜胆をにらみつけた。

「見くびるな。己の利のために、尻尾を振るような真似はせん」
「ほう、では何をお望みですか」

「岸和田が邪魔だ」

 竜胆の口元が少し締まった。重治は続けた。

「徳川と羽柴との戦が春になるなら、この冬の間に準備を始めねばならぬ。ならばまず、岸和田城を落として中村一氏の首を取らねばなるまい。あれは生かしておいては厄介な男だ。だが大坂を狙う片手間に潰せる相手ではない。我らの総力をもって落とさねばならぬ。その兵糧弾薬を頼めるというのなら、春の戦も引き受けよう」

 重治の思った以上の慎重さに、竜胆は驚いていた。悪く言えば臆病な、天下に覇をとなえるほどの豪胆さには欠ける男だ。しかしこの戦国の世を生き抜くために、何が必要かは理解している。なるほど、運やマグレだけで雑賀の頭領を任されているのではないという事か。竜胆は頭を下げた。

「兵糧弾薬の件、引き受けましてございます。必ずや家康公の了承を取り付けて参りましょう。それでは他の雑賀の皆様につきましては」
「仔細ない。我が話を通す。雑賀荘、十ヶ郷、中郷、宮郷、南郷。何処も今は田も畑もない時期だ。五組で八千は出せよう」

「お寺の皆様の側には」

「根来の行人ぎょうにん衆は一万は出せるはずだ。粉河寺と高野山からも人を出させる。あとは和泉から人をかき集めれば、軍勢は合わせて三万にはなろう。鉄砲は二千丁あればよかろう。それだけの兵糧弾薬を集められるか」

「その点はお任せを。して、岸和田攻めはいつになりましょうや」
「早ければ早いほど良い。兵糧弾薬がすぐ手に入るのなら、年明け元日からでも攻められるが」

 重治はさっきから盃に口をつけていない。戦の計画に心奪われているのだ。竜胆は大きくうなずいた。

「ならば兵糧弾薬は、元日に間に合わせるように致しましょう。土橋さまも、そのおつもりでご準備ください」
「相わかった。すぐ準備に入ろう」

 重治がそう告げたとき、竜胆の背後の襖が静かに開いて行った。誰も襖には触れていない。向こう側に誰かいるのだ。音もなく立ち上がると、竜胆は摺り足で後退し、廊下へと出た。襖が閉じて行く。そして襖の動きがピタリと止まったとき、襖の向こうに闇が蠢く気配があった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...