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第十二章 天正十一年十二月三十日
四十 自分のために
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海塚の家の裏にある小さな畑。ナギサはまた一人で空を見ていた。風は強いが雲は少ない。雪は降りそうになかった。
中村一氏が孫一郎を呼び出す理由など、雪姫の事以外にはないだろう。孫一郎はどうするだろうか。まあどんな頼みであれ、断れはしないだろう。雪姫のためと言われれば、二つ返事で引き受けるのではないか。
「雪姫のためじゃないよ」
小さな声に、ゆっくり振り返ると、みぞれが立っていた。
「自分のため。孫一郎は自分の事しか考えていない」
「みぞれちゃん」
思い詰めた顔をするみぞれの頬を、ナギサは軽くつつく。
「あんまり良くないよ、他人の頭の中のぞくのは」
「どうしても見えるの」
みぞれは悲しげに顔を両手で覆った。そして苦しげに言う。
「孫一郎は、妹が死んだのは自分のせいだと思ってる。自分が悪かったんじゃないかって。雪姫を助けたら、その重さから逃げられるんじゃないかって考えてる。だから自分のため」
「そっか」
ナギサはみぞれの頭に手を置いた。
「でもね、自分の事を考えられない人は、私は嫌いだな。他人のために他人の事を考えるなんて嘘臭いもの。人間は神さまにはなれないんだから。誰かが助かれば自分も助かる、そう考えられる人が一番優しい人なんだと思うよ。だから」
みぞれが顔を上げる。ナギサは微笑んだ。
「私も私の事を考えようと思う」
寺内町の通りに面した家も店も、戸を閉めて閉じこもっている。正月気分など何処へやら、みな戦が怖いのだ。人通りのまるでない――ナギサならゴーストタウンと評したかも知れない――町の中を、孫一郎はとぼとぼと歩いていた。
もう昼もとっくに過ぎ、そろそろ日が傾こうかという頃合い。しかし孫一郎は、海塚の家に帰れずにいた。別に何か悪い事をしたでもなし、帰れない理由がある訳ではない。ただ、帰ってもナギサの顔をまともに見られないような気がしたのだ。だからずっと町の中を、何時間も歩き続けている。
本願寺に行けば、海塚にも卜半斎にも会えるだろう。相談もできるかも知れない。しかし、雪姫に伝わってしまう可能性もある。それは避けたい。いや、連れて逃げるとなれば、何も言わない訳には行かないし、伝わってくれた方が話が早い気もするのだが、しかし実際連れて逃げられるのかという問題がある。自分一人でそんな事が可能なのか。
もし本当に雪姫を連れて逃げるのであれば、ナギサの協力は不可欠だろう。しかし雪姫を連れて逃げるから協力してくれと、果たしてナギサに言えるのか。言いづらい。ていうか言いたくない。それは身勝手なのかも知れないけれど、孫一郎の偽らざる気持ちであった。
だが戦はもうそこまで迫っている。決断しなければならない。決断を。いや、でもなあ。そんな事を延々と考えていると。
「痛っ」
後頭部に小石のような物が当たった。慌てて後ろを振り返る。誰もいない。周囲をぐるりと見回して、上にも目をやったが誰もいない。煮え切らない孫一郎を見て腹を立てた天狗か何かが、小石でもぶつけたのかも知れない。とっとと帰れという事だろうか。
「おーい」
そのとき通りの向こうから聞こえたそれは、ナギサの声。みぞれと手をつないだナギサが駆け寄ってくる。
「やっと見つけた」
「ほ、法師殿、いかがされました」
するとナギサはジロリとにらんだ。
「いかがじゃないよ。孫一郎がいつまで経っても帰ってこないから、心配して迎えにきたんじゃないか」
「あ、いや、それはその」
「で、どうだった。雪姫さまの事」
「ええっ。な、何故それを」
孫一郎はあたふたした。白状したも同然だった。
「あのお殿さまが孫一郎に用事だなんて、他にある訳ないでしょうが。で、何言われたの。連れて逃げてくれとでも言われた?」
「ああ、えっと……はい」
降参である。もうごまかせない。
「そっか。で、何て返事したの」
「断れませんでした」
うつむいた顔を上げられない。孫一郎はどんな顔をしたら良いのかわからなかった。しかし。
「了解。じゃ、準備始めようか」
「え」
思わず顔が上がる。ナギサの笑顔が輝いて見えた。
「それはそれ、これはこれ。戦になったら何がどうなるかわからないんだから、雪姫さまを放っておく訳には行かないでしょ。連れて行けって言うんなら連れて行こうよ」
「しかしその、それがし一人では」
「何で一人だって決めつけるの。私も一緒に行くに決まってるじゃん」
「へ」
「それとも何。雪姫さまと二人っきりの方が良かった?」
「い、いえっ、それがしは、そんなっ」
顔を真っ赤にして慌てふためく孫一郎を見て、ナギサは面白そうに笑った。
「だったら良いじゃない。一緒に行こうよ」
そして手をつなぐみぞれを見た。
「どうする。みぞれちゃんも一緒に来る?」
みぞれは迷わずうなずいた。
「じゃあ四人旅だね」
「あ、あの」
孫一郎は思い詰めた顔をしている。
「ナギ……法師殿は、本当にそれで良いのですか」
「うん、もちろん良いよ。ただし」
ナギサはニッと歯を見せて、顔をくしゃくしゃにして笑った。
「キミを譲る気はないけどね」
中村一氏が孫一郎を呼び出す理由など、雪姫の事以外にはないだろう。孫一郎はどうするだろうか。まあどんな頼みであれ、断れはしないだろう。雪姫のためと言われれば、二つ返事で引き受けるのではないか。
「雪姫のためじゃないよ」
小さな声に、ゆっくり振り返ると、みぞれが立っていた。
「自分のため。孫一郎は自分の事しか考えていない」
「みぞれちゃん」
思い詰めた顔をするみぞれの頬を、ナギサは軽くつつく。
「あんまり良くないよ、他人の頭の中のぞくのは」
「どうしても見えるの」
みぞれは悲しげに顔を両手で覆った。そして苦しげに言う。
「孫一郎は、妹が死んだのは自分のせいだと思ってる。自分が悪かったんじゃないかって。雪姫を助けたら、その重さから逃げられるんじゃないかって考えてる。だから自分のため」
「そっか」
ナギサはみぞれの頭に手を置いた。
「でもね、自分の事を考えられない人は、私は嫌いだな。他人のために他人の事を考えるなんて嘘臭いもの。人間は神さまにはなれないんだから。誰かが助かれば自分も助かる、そう考えられる人が一番優しい人なんだと思うよ。だから」
みぞれが顔を上げる。ナギサは微笑んだ。
「私も私の事を考えようと思う」
寺内町の通りに面した家も店も、戸を閉めて閉じこもっている。正月気分など何処へやら、みな戦が怖いのだ。人通りのまるでない――ナギサならゴーストタウンと評したかも知れない――町の中を、孫一郎はとぼとぼと歩いていた。
もう昼もとっくに過ぎ、そろそろ日が傾こうかという頃合い。しかし孫一郎は、海塚の家に帰れずにいた。別に何か悪い事をしたでもなし、帰れない理由がある訳ではない。ただ、帰ってもナギサの顔をまともに見られないような気がしたのだ。だからずっと町の中を、何時間も歩き続けている。
本願寺に行けば、海塚にも卜半斎にも会えるだろう。相談もできるかも知れない。しかし、雪姫に伝わってしまう可能性もある。それは避けたい。いや、連れて逃げるとなれば、何も言わない訳には行かないし、伝わってくれた方が話が早い気もするのだが、しかし実際連れて逃げられるのかという問題がある。自分一人でそんな事が可能なのか。
もし本当に雪姫を連れて逃げるのであれば、ナギサの協力は不可欠だろう。しかし雪姫を連れて逃げるから協力してくれと、果たしてナギサに言えるのか。言いづらい。ていうか言いたくない。それは身勝手なのかも知れないけれど、孫一郎の偽らざる気持ちであった。
だが戦はもうそこまで迫っている。決断しなければならない。決断を。いや、でもなあ。そんな事を延々と考えていると。
「痛っ」
後頭部に小石のような物が当たった。慌てて後ろを振り返る。誰もいない。周囲をぐるりと見回して、上にも目をやったが誰もいない。煮え切らない孫一郎を見て腹を立てた天狗か何かが、小石でもぶつけたのかも知れない。とっとと帰れという事だろうか。
「おーい」
そのとき通りの向こうから聞こえたそれは、ナギサの声。みぞれと手をつないだナギサが駆け寄ってくる。
「やっと見つけた」
「ほ、法師殿、いかがされました」
するとナギサはジロリとにらんだ。
「いかがじゃないよ。孫一郎がいつまで経っても帰ってこないから、心配して迎えにきたんじゃないか」
「あ、いや、それはその」
「で、どうだった。雪姫さまの事」
「ええっ。な、何故それを」
孫一郎はあたふたした。白状したも同然だった。
「あのお殿さまが孫一郎に用事だなんて、他にある訳ないでしょうが。で、何言われたの。連れて逃げてくれとでも言われた?」
「ああ、えっと……はい」
降参である。もうごまかせない。
「そっか。で、何て返事したの」
「断れませんでした」
うつむいた顔を上げられない。孫一郎はどんな顔をしたら良いのかわからなかった。しかし。
「了解。じゃ、準備始めようか」
「え」
思わず顔が上がる。ナギサの笑顔が輝いて見えた。
「それはそれ、これはこれ。戦になったら何がどうなるかわからないんだから、雪姫さまを放っておく訳には行かないでしょ。連れて行けって言うんなら連れて行こうよ」
「しかしその、それがし一人では」
「何で一人だって決めつけるの。私も一緒に行くに決まってるじゃん」
「へ」
「それとも何。雪姫さまと二人っきりの方が良かった?」
「い、いえっ、それがしは、そんなっ」
顔を真っ赤にして慌てふためく孫一郎を見て、ナギサは面白そうに笑った。
「だったら良いじゃない。一緒に行こうよ」
そして手をつなぐみぞれを見た。
「どうする。みぞれちゃんも一緒に来る?」
みぞれは迷わずうなずいた。
「じゃあ四人旅だね」
「あ、あの」
孫一郎は思い詰めた顔をしている。
「ナギ……法師殿は、本当にそれで良いのですか」
「うん、もちろん良いよ。ただし」
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