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第十三章 天正十一年十二月三十一日
四十一 襲来
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早朝。かろうじて足下が見える程度の明るさの頃合い。まだ戦の始まる様子はない。海塚の家の戸が開き、旅姿の孫一郎とナギサ、そしてみぞれが外に出てきた。三人は戸の内側に頭を下げた。
「お世話になりました」
「まあ気をつけて行ってください。あなた方に死なれると、さすがに後味が悪いので」
戸口に立った海塚の声は、心なしか優しくも聞こえた。
「いつか落ち着いたら、手紙を書きます」
名残惜しそうな孫一郎に、海塚は苦笑を返す。
「ええ、期待せずに待ってますよ」
「それでは」
三人は海塚に背を向け歩き出した。
本願寺の前では雪姫と鶴が二人だけで待っている。周囲に人の気配はまるでない。孫一郎たちが近付くと、鶴は深々と頭を下げた。
「古川さま、これまでの数々の無礼、お許しください」
その声は震えている。
「え、何ですか鶴殿、いきなり」
困惑している孫一郎に、しかし鶴は頭を上げない。
「姫さまを、雪姫さまをどうぞよろしくお願い致します」
「やめてください、それがしに如何ほどの事ができるのか、まだわからないのですから」
「大丈夫ですよ、鶴。私は古川さまを信じております」
雪姫の言葉には確かな力強さがあった。
「ひゅー、モテモテだねキミ」
「法師殿の申される事は、ときどき意味がわかりません」
そう言いながら孫一郎は、菅笠をかぶって顔を隠した。
日が昇る。和泉山脈の空が白く輝く。旅慣れない雪姫の足に合わせて、孫一郎たちはゆっくり紀州街道を北上した。
「この後は何処に向かうのですか」
雪姫に不安げな所は見られない。それどころか楽しげですらある。
「堺から河内を抜けて大和に向かいます。そこから一旦京に上り、東に向かうか北に向かうかを決めたいと思います。あまり寒さが続くようでは北の道は通れませんし、かといって東は戦が多いのです。様子を見ながら参りませんと」
孫一郎は、やはり旅慣れている。いま雪姫の目には、孫一郎の背中が頼りがいのあるものとして映っている事だろう。実際、頼りになるし、とナギサは思った。
「まさか君がのろけるとは思わなかった」
ナギサの視界でピクシーが踊る。
「うるさい、黙れ」
ナギサは耳まで真っ赤にしながら、小声でつぶやいた。
「この先何が起こるとか、そういう情報はないの」
「そんな都合の良い情報は、あるはずがないと言えるね」
まあそれはそうだ。いかに技術文明が進歩しようと、過去のすべてがわかる訳ではない。仮にタイムマシンが実用化される時代が来たとしても、人類に過去のすべてを把握する瞬間はやって来ない。当たり前だ。人間の頭には、今この瞬間に起きている事すら、すべては把握できないのだから。
「『永禄六年北国下り遣足帳』という物があると言えるね」
突然ピクシーが、意味のわからない事を言い出した。
「何それ」
「その名の通り永禄六年、つまり西暦一五六三年、今からちょうど二十年前に、京都から東北経由で北関東まで旅をした僧の支出記録だよ。戦国時代に長距離の旅行ができた事を示す歴史的資料で、当時の物価や様々な文化、たとえば街道筋の旅籠がこの時代すでに存在していた事がわかると言えるね」
「それが今この状態でわかったからって、何になるのさ」
「もちろん何にもならないね。だけど考えてごらん、君たちは今、その歴史的資料を上回る情報に接する体験をしているんだ。これは感動すべき事ではないかと言えるね」
「あんた感動とか理解できるの」
「僕が理解する必要はないと言えるね」
「こいつだけは」
「法師さま?」
雪姫が首を傾げて、不思議そうにこちらを見ている。
「どうかなさいましたか」
ナギサは慌てて笑顔を作った。
「ああ、いや、別に何でも」
「法師殿には、おかしな癖があるのです」
孫一郎が振り返りながら笑った。
「お、おかしな癖って言うな!」
ナギサの言葉と、それは同時に。
「警報!」
ピクシーの声がナギサの脳に響く。次の瞬間、地面を震わす轟音と、固い物が弾け飛ぶ音が二つ。
「電磁障壁が前方からの飛来物を遮断。銃弾だと言えるね」
五十メートルほど前方、街道沿いの草むらの中から黒い影が二つ立ち上がった。火縄銃を投げ捨て、刀を抜き放ち走ってくる。
「何奴!」
孫一郎も刀を抜き構える。しかし。
「警報!」
再びピクシーの声がナギサの脳内に響く。そして轟音と弾け飛ぶ音が二つ。
「後方からの飛来物を遮断。これも銃弾だと言えるね」
振り返るとまた二つの影が、刀を手に走ってくる。
「おのれ」
孫一郎は焦っている。前と後ろ、どちらと先に戦うか、判断に迷いが生じているのだろう。ナギサはその肩をつかんだ。
「みんな離れないで」
前から来た影が刀を振りかざした。だがその途端、見えない壁に衝突し、後方に跳ね飛ばされる。一人、二人。そして後方から来た影がまた跳ね飛ばされる。三人、四人。影たちは驚いているはずだ。だが動揺した様子は見せない。まるで何も起きなかったかのように立ち上がり、刀を構えてナギサたちを囲んだ。
「これは、法師殿の力なのですか」
孫一郎は目を丸くしている。雪姫もみぞれも同じく。
「法力、って事にしといて」
そう返事をして、ナギサはピクシーにたずねる。
「スタンガンは使えるよね」
しかしピクシーは否定的に答えた。
「電磁障壁を全面展開しながら、スタンガンを使うのはオススメできない。バッテリーが一気に消耗すると言えるね」
「どれくらい持つの」
「一人一発で倒したとして、全面展開の電磁障壁を維持できるのは十五分未満。もし他に仲間がいたら、目も当てられないと言えるね」
「一時間は無敵モードじゃなかったっけ」
「敵を一方向に固めて電磁障壁を部分展開するだけなら、一時間は無敵だと言えるね」
「この言葉足らず……」
言い終わる前に金属音が響いた。影たちの刀が電磁障壁に当たる音。目に見えないはずの電磁障壁のすぐ外側を、ぐるぐると走り回りながら、刀で斬りかかっているのだ。刀と電磁障壁が干渉し、火花が飛ぶ。
「ピクシー、この状態で何分持つ」
「現在は球体モードで全面展開しているから、この攻撃が続くと考えれば、三十五分が限界と言えるね」
その瞬間、ナギサはひらめいた。
「今、球体モードって言ったよね」
「言ったね」
「じゃあ立方体モードってできる?」
「できるね」
「やれ」
「了解」
突然、周囲を走っていた四つの影が跳ね飛ばされ、倒れ込んだ。電磁障壁が立方体に変形した事で、その角に衝突したのだ。
「今だ、走れ!」
ナギサは両手にみぞれと雪姫の手を取り、走った。孫一郎は一番後ろで追撃に備えている。だが。
ナギサの走る前方に、町娘が一人立っている。
「危ない、どいて!」
そう叫びながら、ナギサは違和感を覚えていた。何か違う。何が違う? 頭に手ぬぐいを巻き、手甲脚絆を身につけた、後ろに長い髪をまとめた町娘。腰には、刀。町娘はその刀を、細腕で、いとも軽々と抜きはなった。
「どうする?」
ピクシーの問いかけに、ナギサは即答した。
「跳ね飛ばせ!」
そのまま減速せずに突っ込んでいく。そこに一瞬の銀光。町娘の手にした刀に陽光が煌めく。次の瞬間、倒れた。ナギサが。
町娘の両腕から真っ直ぐ前方に伸びた刀は、切っ先を電磁障壁に突き立てていた。もちろん、その程度で電磁障壁は破れない。だが渾身の突きが放たれたのだと、ナギサはすぐには理解できなかった。ただ、圧倒的な殺気に呑まれて、尻餅をついてしまったのだ。
「法師殿!」
駆け寄ってきた孫一郎がナギサを助け起こす。その肩を借りて、なんとかナギサは立ち上がった。背後には四つの影が迫っている。
町娘は刀を引くと、それで自分の肩をトントンと叩いた。
「へえ、見えない壁か。凄い力だねえ、こりゃ厄介だ。だけどさ」
その口元が、にいっと笑った。
「これって、いつまで持つのかな」
目の前にある状況がいかに未知のものであっても、攻略する方法は必ずある。この町娘はそんな風に考える種類の人間なのだ。危険だ。ナギサの背筋に冷たい物が走った。
「お世話になりました」
「まあ気をつけて行ってください。あなた方に死なれると、さすがに後味が悪いので」
戸口に立った海塚の声は、心なしか優しくも聞こえた。
「いつか落ち着いたら、手紙を書きます」
名残惜しそうな孫一郎に、海塚は苦笑を返す。
「ええ、期待せずに待ってますよ」
「それでは」
三人は海塚に背を向け歩き出した。
本願寺の前では雪姫と鶴が二人だけで待っている。周囲に人の気配はまるでない。孫一郎たちが近付くと、鶴は深々と頭を下げた。
「古川さま、これまでの数々の無礼、お許しください」
その声は震えている。
「え、何ですか鶴殿、いきなり」
困惑している孫一郎に、しかし鶴は頭を上げない。
「姫さまを、雪姫さまをどうぞよろしくお願い致します」
「やめてください、それがしに如何ほどの事ができるのか、まだわからないのですから」
「大丈夫ですよ、鶴。私は古川さまを信じております」
雪姫の言葉には確かな力強さがあった。
「ひゅー、モテモテだねキミ」
「法師殿の申される事は、ときどき意味がわかりません」
そう言いながら孫一郎は、菅笠をかぶって顔を隠した。
日が昇る。和泉山脈の空が白く輝く。旅慣れない雪姫の足に合わせて、孫一郎たちはゆっくり紀州街道を北上した。
「この後は何処に向かうのですか」
雪姫に不安げな所は見られない。それどころか楽しげですらある。
「堺から河内を抜けて大和に向かいます。そこから一旦京に上り、東に向かうか北に向かうかを決めたいと思います。あまり寒さが続くようでは北の道は通れませんし、かといって東は戦が多いのです。様子を見ながら参りませんと」
孫一郎は、やはり旅慣れている。いま雪姫の目には、孫一郎の背中が頼りがいのあるものとして映っている事だろう。実際、頼りになるし、とナギサは思った。
「まさか君がのろけるとは思わなかった」
ナギサの視界でピクシーが踊る。
「うるさい、黙れ」
ナギサは耳まで真っ赤にしながら、小声でつぶやいた。
「この先何が起こるとか、そういう情報はないの」
「そんな都合の良い情報は、あるはずがないと言えるね」
まあそれはそうだ。いかに技術文明が進歩しようと、過去のすべてがわかる訳ではない。仮にタイムマシンが実用化される時代が来たとしても、人類に過去のすべてを把握する瞬間はやって来ない。当たり前だ。人間の頭には、今この瞬間に起きている事すら、すべては把握できないのだから。
「『永禄六年北国下り遣足帳』という物があると言えるね」
突然ピクシーが、意味のわからない事を言い出した。
「何それ」
「その名の通り永禄六年、つまり西暦一五六三年、今からちょうど二十年前に、京都から東北経由で北関東まで旅をした僧の支出記録だよ。戦国時代に長距離の旅行ができた事を示す歴史的資料で、当時の物価や様々な文化、たとえば街道筋の旅籠がこの時代すでに存在していた事がわかると言えるね」
「それが今この状態でわかったからって、何になるのさ」
「もちろん何にもならないね。だけど考えてごらん、君たちは今、その歴史的資料を上回る情報に接する体験をしているんだ。これは感動すべき事ではないかと言えるね」
「あんた感動とか理解できるの」
「僕が理解する必要はないと言えるね」
「こいつだけは」
「法師さま?」
雪姫が首を傾げて、不思議そうにこちらを見ている。
「どうかなさいましたか」
ナギサは慌てて笑顔を作った。
「ああ、いや、別に何でも」
「法師殿には、おかしな癖があるのです」
孫一郎が振り返りながら笑った。
「お、おかしな癖って言うな!」
ナギサの言葉と、それは同時に。
「警報!」
ピクシーの声がナギサの脳に響く。次の瞬間、地面を震わす轟音と、固い物が弾け飛ぶ音が二つ。
「電磁障壁が前方からの飛来物を遮断。銃弾だと言えるね」
五十メートルほど前方、街道沿いの草むらの中から黒い影が二つ立ち上がった。火縄銃を投げ捨て、刀を抜き放ち走ってくる。
「何奴!」
孫一郎も刀を抜き構える。しかし。
「警報!」
再びピクシーの声がナギサの脳内に響く。そして轟音と弾け飛ぶ音が二つ。
「後方からの飛来物を遮断。これも銃弾だと言えるね」
振り返るとまた二つの影が、刀を手に走ってくる。
「おのれ」
孫一郎は焦っている。前と後ろ、どちらと先に戦うか、判断に迷いが生じているのだろう。ナギサはその肩をつかんだ。
「みんな離れないで」
前から来た影が刀を振りかざした。だがその途端、見えない壁に衝突し、後方に跳ね飛ばされる。一人、二人。そして後方から来た影がまた跳ね飛ばされる。三人、四人。影たちは驚いているはずだ。だが動揺した様子は見せない。まるで何も起きなかったかのように立ち上がり、刀を構えてナギサたちを囲んだ。
「これは、法師殿の力なのですか」
孫一郎は目を丸くしている。雪姫もみぞれも同じく。
「法力、って事にしといて」
そう返事をして、ナギサはピクシーにたずねる。
「スタンガンは使えるよね」
しかしピクシーは否定的に答えた。
「電磁障壁を全面展開しながら、スタンガンを使うのはオススメできない。バッテリーが一気に消耗すると言えるね」
「どれくらい持つの」
「一人一発で倒したとして、全面展開の電磁障壁を維持できるのは十五分未満。もし他に仲間がいたら、目も当てられないと言えるね」
「一時間は無敵モードじゃなかったっけ」
「敵を一方向に固めて電磁障壁を部分展開するだけなら、一時間は無敵だと言えるね」
「この言葉足らず……」
言い終わる前に金属音が響いた。影たちの刀が電磁障壁に当たる音。目に見えないはずの電磁障壁のすぐ外側を、ぐるぐると走り回りながら、刀で斬りかかっているのだ。刀と電磁障壁が干渉し、火花が飛ぶ。
「ピクシー、この状態で何分持つ」
「現在は球体モードで全面展開しているから、この攻撃が続くと考えれば、三十五分が限界と言えるね」
その瞬間、ナギサはひらめいた。
「今、球体モードって言ったよね」
「言ったね」
「じゃあ立方体モードってできる?」
「できるね」
「やれ」
「了解」
突然、周囲を走っていた四つの影が跳ね飛ばされ、倒れ込んだ。電磁障壁が立方体に変形した事で、その角に衝突したのだ。
「今だ、走れ!」
ナギサは両手にみぞれと雪姫の手を取り、走った。孫一郎は一番後ろで追撃に備えている。だが。
ナギサの走る前方に、町娘が一人立っている。
「危ない、どいて!」
そう叫びながら、ナギサは違和感を覚えていた。何か違う。何が違う? 頭に手ぬぐいを巻き、手甲脚絆を身につけた、後ろに長い髪をまとめた町娘。腰には、刀。町娘はその刀を、細腕で、いとも軽々と抜きはなった。
「どうする?」
ピクシーの問いかけに、ナギサは即答した。
「跳ね飛ばせ!」
そのまま減速せずに突っ込んでいく。そこに一瞬の銀光。町娘の手にした刀に陽光が煌めく。次の瞬間、倒れた。ナギサが。
町娘の両腕から真っ直ぐ前方に伸びた刀は、切っ先を電磁障壁に突き立てていた。もちろん、その程度で電磁障壁は破れない。だが渾身の突きが放たれたのだと、ナギサはすぐには理解できなかった。ただ、圧倒的な殺気に呑まれて、尻餅をついてしまったのだ。
「法師殿!」
駆け寄ってきた孫一郎がナギサを助け起こす。その肩を借りて、なんとかナギサは立ち上がった。背後には四つの影が迫っている。
町娘は刀を引くと、それで自分の肩をトントンと叩いた。
「へえ、見えない壁か。凄い力だねえ、こりゃ厄介だ。だけどさ」
その口元が、にいっと笑った。
「これって、いつまで持つのかな」
目の前にある状況がいかに未知のものであっても、攻略する方法は必ずある。この町娘はそんな風に考える種類の人間なのだ。危険だ。ナギサの背筋に冷たい物が走った。
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