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最終章 天正十二年一月一日
五十 起動
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路地の奥、ナギサは身を隠している。コートの中にみぞれを包み込みながら。みぞれは祈っていた。ただ祈っていた。
――時が見える。未来が見える。でも、それが全部じゃない。見えるものもある。でも、見えないものだってある。私たちは細い糸の上を、ただ落ちないように歩いている訳じゃない。広い野原をさまよっているのだから。
――遠くに山が見える。何処にいても見える。けれど山に行く道は何本もあるはず。山に行かない道だってあるはず。なのに私たちは、勝手に道は一本しかないと思い込んでいる。それは違う。きっと違う。だからお願い。誰か。この道の外にいる誰か。私はここに居る。私たちはここに居る。私たちを見つけて。
「誰かいるぞ!」
路地の入り口で声がする。ナギサはみぞれの手を引き、奥に向かって駆け出した。
「女だ、捕まえろ!」
ナギサは走りながらピクシーにたずねる。
「スタンガンは」
しかしピクシーは首を振る。
「電力が足りないと言えるね」
「じゃあ電磁障壁は」
「三十秒が限界と言えるね」
「ああもう!」
走るナギサの目の前に、絶望が現われた。行き止まり。背後に聞こえる荒い息の音。振り返ると男が三人。今にも飛びかからんとしている。
――私たちを見つけて。
大きな地鳴りのような音が、突然響き渡った。だがおかしい。頭の真上から音が聞こえる。ナギサはハッと天を振り仰いだ。
「まさか、時空震!」
板が飛び、石が落ちてくる。屋根が崩れ、壁が崩れる。天空から巨大な『脚』がナギサとみぞれの前に下りてきた。男たちは肝を潰して逃げて行く。そこに聞こえてきたのは。
「ナギサくん? ナギサくんなのか」
あれからたった十二日しか経っていないのに、もう何十年も前に聞いたかのような、この外部スピーカーから流れる懐かしい声は。
「博士!」
「いったいどういう事かねこれは。亜空間で強烈な思念力場に捉えられたかと思ったら、突然この世界に引っ張り出された。キミは何か知って……」
「そんな話はいいから! 早く私を頭の上に乗せてください」
「頭の上? 艦橋外頂部にかね。それは何故」
「それが一番手っ取り早いの。説明は後でいくらでもしますから」
「ふうむ、まあ、良いだろう」
すると、巨大な脚は少し浮いた。脚の裏側には人が二人乗れるくらいの窪みがある。ナギサとみぞれがそこに乗り込むと、脚は一気に振り上げられ、オクタゴンの頭のてっぺん、艦橋外頂部に届いた。
ナギサはみぞれを抱き上げ、脚から屋根に飛び移り、そしてその中央に立つ。装甲が開き、下からコントロールパネルが持ち上がってくる。二本の操縦桿を両手で握った。
「認識番号〇一五九六三三五二、テンショウジ・ナギサ。コントロール、もらいます」
パネルの画面に大きなOKの文字。ナギサは、コートをつかんで立っているみぞれに笑顔を向けた。
「揺れるけど、しっかりつかまっててね」
そして声を一段大きくした。
「ピクシー」
するとコントロールパネルの中央の画面から、緑色のこびとが立体で現われた。
「報告」
ナギサの指示にピクシーは即答する。
「機関異常なし。ダンパー、アクチュエーター異常なし。外部装甲損傷僅か。機能正常、処理速度正常、音声認識正常。周辺環境稼働に支障なし。オールOKと言えるね」
ナギサはひとつ、うなずいた。
「オクタゴン、起動!」
全高十五メートルの巨大な八本脚の機械が、唸りを上げて立ち上がる。中村一氏めがけて走っていた一揆勢は慌てて立ち止まり、唖然とした顔で上空を見上げた。
「何だありゃ」
「タコだ……タコの化け物だ」
オクタゴンのバランサーは繊細である。その気になれば人間より静かに歩ける。しかしナギサは八本の脚を地面に叩きつけ、道をえぐった。足下にいた一揆勢は、散り散りに退散する。
「鉄砲! おい鉄砲、構えろ!」
少し離れた位置にいた鉄砲隊は、怯えながらもオクタゴンに狙いを定める。その数五十というところか。
「撃て!」
号令と共に、一斉に火を噴く火縄銃。雷鳴の如き音がとどろく。だがもちろん銃弾は弾き返され、オクタゴンには傷一つつかない。ナギサは地面をえぐりながら、けたたましくオクタゴンを前進させる。
「駄目だぁっ」
情けない声を上げて一人が逃げ出した。あとは雪崩を打つように、一揆勢は背を向けて走り出す。
「逃げろ逃げろ、逃げなさい。逃げなきゃ踏み潰すよ!」
ナギサの声が外部スピーカーから大音量で放たれる。何も知らないこの時代の人々にとっては、天狗の声に聞こえたかも知れない。みな怯え、腰を抜かし、這々の体で逃げ出す。勢いに任せて進撃していた一揆勢の流れは、これで逆転した。
「ナギサちゃん、怖い」
艦橋でソマ計測員は笑った。笑うしかなかった。
「ま、人間追い詰められたら本性が出るものね」
サエジマ計測員も引きつった笑顔を浮かべた。トガワ技師長は博士の方をのぞき込む。
「どうしたんです、博士。そんな浮かない顔して。並行世界の実在が確認されたんですよ」
「確認されるのは当たり前だよ、トガワくん」
それは心底困っている顔だった。ボルシェヴィキ博士は唸る。
「並行世界の存在は、もう何世紀も前に予言されている。存在するのはほぼ確実だったのだ。故に実在が確認されたからといって、我が輩が喜ぶには値しない。ただ問題は、その並行世界への移動方法まで、我々は知ってしまったのかもしれないという事だ。これは重大だよ。もう我々の意思や裁量で、どうにかなるレベルの話ではなくなってしまったのだからね。下手をすれば、我らの存在が汚染源ともなりかねない。これは恐るべき事態なのだ」
――時が見える。未来が見える。でも、それが全部じゃない。見えるものもある。でも、見えないものだってある。私たちは細い糸の上を、ただ落ちないように歩いている訳じゃない。広い野原をさまよっているのだから。
――遠くに山が見える。何処にいても見える。けれど山に行く道は何本もあるはず。山に行かない道だってあるはず。なのに私たちは、勝手に道は一本しかないと思い込んでいる。それは違う。きっと違う。だからお願い。誰か。この道の外にいる誰か。私はここに居る。私たちはここに居る。私たちを見つけて。
「誰かいるぞ!」
路地の入り口で声がする。ナギサはみぞれの手を引き、奥に向かって駆け出した。
「女だ、捕まえろ!」
ナギサは走りながらピクシーにたずねる。
「スタンガンは」
しかしピクシーは首を振る。
「電力が足りないと言えるね」
「じゃあ電磁障壁は」
「三十秒が限界と言えるね」
「ああもう!」
走るナギサの目の前に、絶望が現われた。行き止まり。背後に聞こえる荒い息の音。振り返ると男が三人。今にも飛びかからんとしている。
――私たちを見つけて。
大きな地鳴りのような音が、突然響き渡った。だがおかしい。頭の真上から音が聞こえる。ナギサはハッと天を振り仰いだ。
「まさか、時空震!」
板が飛び、石が落ちてくる。屋根が崩れ、壁が崩れる。天空から巨大な『脚』がナギサとみぞれの前に下りてきた。男たちは肝を潰して逃げて行く。そこに聞こえてきたのは。
「ナギサくん? ナギサくんなのか」
あれからたった十二日しか経っていないのに、もう何十年も前に聞いたかのような、この外部スピーカーから流れる懐かしい声は。
「博士!」
「いったいどういう事かねこれは。亜空間で強烈な思念力場に捉えられたかと思ったら、突然この世界に引っ張り出された。キミは何か知って……」
「そんな話はいいから! 早く私を頭の上に乗せてください」
「頭の上? 艦橋外頂部にかね。それは何故」
「それが一番手っ取り早いの。説明は後でいくらでもしますから」
「ふうむ、まあ、良いだろう」
すると、巨大な脚は少し浮いた。脚の裏側には人が二人乗れるくらいの窪みがある。ナギサとみぞれがそこに乗り込むと、脚は一気に振り上げられ、オクタゴンの頭のてっぺん、艦橋外頂部に届いた。
ナギサはみぞれを抱き上げ、脚から屋根に飛び移り、そしてその中央に立つ。装甲が開き、下からコントロールパネルが持ち上がってくる。二本の操縦桿を両手で握った。
「認識番号〇一五九六三三五二、テンショウジ・ナギサ。コントロール、もらいます」
パネルの画面に大きなOKの文字。ナギサは、コートをつかんで立っているみぞれに笑顔を向けた。
「揺れるけど、しっかりつかまっててね」
そして声を一段大きくした。
「ピクシー」
するとコントロールパネルの中央の画面から、緑色のこびとが立体で現われた。
「報告」
ナギサの指示にピクシーは即答する。
「機関異常なし。ダンパー、アクチュエーター異常なし。外部装甲損傷僅か。機能正常、処理速度正常、音声認識正常。周辺環境稼働に支障なし。オールOKと言えるね」
ナギサはひとつ、うなずいた。
「オクタゴン、起動!」
全高十五メートルの巨大な八本脚の機械が、唸りを上げて立ち上がる。中村一氏めがけて走っていた一揆勢は慌てて立ち止まり、唖然とした顔で上空を見上げた。
「何だありゃ」
「タコだ……タコの化け物だ」
オクタゴンのバランサーは繊細である。その気になれば人間より静かに歩ける。しかしナギサは八本の脚を地面に叩きつけ、道をえぐった。足下にいた一揆勢は、散り散りに退散する。
「鉄砲! おい鉄砲、構えろ!」
少し離れた位置にいた鉄砲隊は、怯えながらもオクタゴンに狙いを定める。その数五十というところか。
「撃て!」
号令と共に、一斉に火を噴く火縄銃。雷鳴の如き音がとどろく。だがもちろん銃弾は弾き返され、オクタゴンには傷一つつかない。ナギサは地面をえぐりながら、けたたましくオクタゴンを前進させる。
「駄目だぁっ」
情けない声を上げて一人が逃げ出した。あとは雪崩を打つように、一揆勢は背を向けて走り出す。
「逃げろ逃げろ、逃げなさい。逃げなきゃ踏み潰すよ!」
ナギサの声が外部スピーカーから大音量で放たれる。何も知らないこの時代の人々にとっては、天狗の声に聞こえたかも知れない。みな怯え、腰を抜かし、這々の体で逃げ出す。勢いに任せて進撃していた一揆勢の流れは、これで逆転した。
「ナギサちゃん、怖い」
艦橋でソマ計測員は笑った。笑うしかなかった。
「ま、人間追い詰められたら本性が出るものね」
サエジマ計測員も引きつった笑顔を浮かべた。トガワ技師長は博士の方をのぞき込む。
「どうしたんです、博士。そんな浮かない顔して。並行世界の実在が確認されたんですよ」
「確認されるのは当たり前だよ、トガワくん」
それは心底困っている顔だった。ボルシェヴィキ博士は唸る。
「並行世界の存在は、もう何世紀も前に予言されている。存在するのはほぼ確実だったのだ。故に実在が確認されたからといって、我が輩が喜ぶには値しない。ただ問題は、その並行世界への移動方法まで、我々は知ってしまったのかもしれないという事だ。これは重大だよ。もう我々の意思や裁量で、どうにかなるレベルの話ではなくなってしまったのだからね。下手をすれば、我らの存在が汚染源ともなりかねない。これは恐るべき事態なのだ」
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