警察案件――双頭の死神

柚緒駆

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疑問と推理

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 六道の部屋で、鍵は棚からレコードを抜き出していた。クラシック、ジャズを問わず、演奏者が日本人の物を十数枚ピックアップした。そしてじっくり目を通して行く。あった。わずか三枚目で簡単に見つかった。バイオリン奏者に馬雲千香の名前。

 馬雲千香はこの家の関係者だという。どんな関係だ。親戚とかだろうか。何にせよ、祈部六道が馬雲千香を知っていたのは間違いない。ならばそのレコードを持っていても不自然ではない。ないのだが。

 何だろう、違和感が拭えない。鍵は六道に会った事などないし、人となりにも興味はない。だがその周囲を取り巻く人間、伝え聞く本人の過去の行動、それらが頭の中で重なったとき、強烈な違和感を生む。

 血縁者が音楽活動をしていたからといって、それを応援するような人物だろうか。そのためにレコードを買うようなヤツだろうか。何だか腑に落ちない。それより脅迫のネタ探しのために馬雲千香の身辺を探っていた、という方がしっくり来る。レコードを手に入れたのも、そのついでだったのではないか。

 もし仮に、馬雲千香が祈部六道に脅迫されていたとしたら。六道がいまどこにいるのか、馬雲千香は知っている可能性がある。もし仮に六道が死んでいるとしたら、それは自殺ではないだろう。いや、待てよ。その場合、国田満夫の死はどうなる。あれは自殺なのだろうか。二つの事件の中心には、馬雲千香がいる。

 そこまで考えて、鍵は一つため息をついた。

「馬雲千香は、三太郎の死には関係がない」

 思わず口に出たそれは、おそらく紛れもない事実であろう。三太郎が死んだのは、どう考えても昨夜のうちだ。そして馬雲千香は、ついさっきここにやって来た。普通に考えれば無関係。だが、それならば。

「どうして国田満夫と三太郎の死に方が同じなんだ」

 偶然か。いや、それより三太郎がネットで国田満夫の死に方を知り、真似をしたと考えた方が無理はない。他人の死に影響される自殺というのは確かにある。だから欧米の報道のガイドラインには、自殺方法の詳細を報じないという約束事があるくらいだ。この件もそう考えるべきなのだろうか。

 しかし、その考えは受け入れられない。何故なら国田満夫の死にも、三太郎の死にも、自分が、鍵蔵人が関わっているからだ。そう、もし国田満夫と三太郎の二つの死が一連の事件であるならば、その最大の容疑者は、誰あろう自分自身である。

 鍵は己の手をじっと見つめた。暗い疑念に満ちた目で。



 市警は祈部の邸宅より撤収を始めた。PCが押収され、三太郎の死体は検視に回される。自殺だろうとは思われるが「遺書」の問題もある。殺人の可能性を完全には否定しきれない。だがあの探偵が怪しいのかと考えると、数坂修平には、どうもいまひとつピンと来ないのだった。

 現段階では証拠らしい証拠もない。なので断言できる事は何もないものの、強いて言うなら刑事の勘だろうか。確かに世の中には人を殺しても平然としていられる人間はいる。けれど、あの探偵がそうだと信じる根拠はない。

 いやどちらかと言えば、あの探偵は顔に出る方だ。本人はポーカーフェイスを気取っているつもりかも知れない。しかし、よく観察すれば簡単に腹を見透かせる。本当に人を殺したのなら、隠し通す事は難しかろう。もちろんそこまで計算して表情を作っていた可能性もなくはないが、それほど器用な人間とも思えなかった。

 そもそも何故あの遺書には人の名前が出て来ないのか。名前を書けない理由でもあったのか。名前を知らなかった、うっかり忘れてしまった、それとも名前を出すと何らかの矛盾が生じるから、等々。だいたいPCのメモ帳に書かれた遺書だ。三太郎が書いたとは断定できない。

 そんなに難しい事件ではないのかも知れない。絡んだ糸を解きほぐす時間さえあれば。とは言え、人の暮らしている住宅にいつまでも規制線を張っている訳にも行かないし、この家の主人は警察に顔が利くらしく、署長が口を挟みたがってどうにもうるさい。当面は三太郎の部屋さえ封鎖しておけば事は済むだろう。

 数坂とキラリ、そして他の刑事たちは玄関に向かった。さすがにこの人数が勝手口から出入りできない。よって堂々と玄関から出て行くのだが、その途中、広い廊下の片隅に背を丸め、膝を抱えて座り込む人影が一つ。刑事たちの存在にもまるで気付かないようで、じっと虚空を見つめている。

 キラリが近付いて、しゃがみ込んだ。

「大丈夫ですか」

 涙目で振り返った若い女は、鼻のソバカスが少し目立つ事を除けば、かなりとんでもない美人と言えた。芸能人みたいだ、とキラリは思う。女はたずねた。

「市警の刑事さんっすか」
「はい、そうですよ」

 すると女は、上着の内ポケットから薄いケースを取り出し、名刺を一枚差し出した。

「笹桑ゆかりです」
「は? はあ」

「お名前は」
「多登ですが」

「多登さん、覚えました」

 笹桑は自分の額を指さすと微笑んだ。

「今後ともよろしくお願いいたします」

 意味がわからずキラリが首をかしげていると。

「その人がどうかしましたか」

 背後から聞こえた覚えのある声にキラリが振り返れば、探偵の鍵が立っている。

「うちの助手が何か問題でも」
「あなたの助手? 彼女が?」

 あからさまに疑わしい表情をキラリは見せたが、鍵は気にしない。だがキラリの手にした名刺を見つめると、小さくため息をついた。

「ああ、あなたも人脈の仲間入りですか」

 その言い方が癇に障ったのか、勢いよく立ち上がるキラリの背後で、背の高い笹桑の頭が追い越した。

「市警の多登さんっす。今日からマブダチっすから」
「え、マブダチ?」

 しかし驚いているキラリを放置して、笹桑は鍵に文句を言う。

「それよりも! 酷いじゃないっすか、鍵さん。私にあんなセクハラオヤジと話をさせて。良心が痛まないっすか」

 鍵は平然と言葉を返す。

「何かされましたか」

「何かじゃないっすよ、あの四界ってオヤジ、私に向かって芸能人にならないか、とか言うんすよ。モデル事務所紹介してやろうか、とか。失敬でしょ、ヤバくないっすか」

「そうですね、芸能人差別はよくない」
「そうじゃなーい!」

 わーわーと大騒ぎする笹桑の後ろで、放ったらかしにされたキラリは呆然と立っている。そこに声をかけたのは数坂。

「何してる、多登巡査。署に戻るぞ」

 だが小さな女刑事は、しばし笹桑を見つめてこう言った。

「数坂さん」

 それは、ささやくような小さな声。

「あの死体、何で仰け反ってたんでしょう」

 数坂は振り返り眉を寄せた。

「ああ? 何だって」

 キラリは突然中腰にしゃがみ込むと、背中を丸めて両手を後頭部に回す。

「だって自分の首筋に千枚通しを刺したんですよ。普通なら、こう、背中が丸まりませんか」

 その視線は中空を漂っている。さっき背中を丸めていた笹桑を、そして椅子の背もたれに体重を乗せて仰け反っていた三太郎を思い出しているのだ。数坂はしばらくじっと見つめていたが、不意にキラリの首根っこをつかんだ。

「そういうのは検視待ちだ。署に戻るぞ」

 と、キラリを引きずるように玄関に向かって行く。

「ああーっ! 数坂さーん!」

 刑事たちが玄関から出て行くのを横目で見送り、鍵は独りつぶやいた。

「……才能あるんだな、彼女」
「何の才能っすか」

「近い近い近い」

 顔を寄せる笹桑を押し返していると、鍵の耳にもう一つの声が聞こえた。

「僕も聞きたいですね」

 振り返れば廊下の角に笑顔があった。薄っぺらい微笑み。それが鍵の第一印象。知らない顔だ。髪が赤い。目も茶色く見える。肌も白いし、全体的に色素が薄いのだろう。十七、八に見えるが、この家にこんな少年がいただろうか。

「えっと、誰かな」
「初めまして。八乃野いずると言います。さっき来たばかりなんですけど」

 ああ、なるほど。さっき警官が言ってた馬雲千香の連れか。

「へえ、そうなんですね」
「豊楽さんから聞きました。六道さんを捜しに来た探偵さんなんですよね」

「ええ、そうですが」

 それが何か、と言いかけた鍵の目の前に、名刺が両手で差し出された。

「よろしくお願いします」

 名刺など渡されても、と正直思いはしたものの、受け取らないのも変かも知れない。鍵は片手で受け取ると、肩書きに目をやった。

――馬雲千香アシスタント

 さすがに苦笑しそうになる。こんなの肩書きでも何でもないだろう、ただの付き人じゃないか。そう言いたい気持ちをぐっと抑える。そこはそれ、鍵は大人なのだ。

 胸ポケットから薄いアルミのケースを取り出し、名刺を一枚引っ張り出すと、八乃野いずるに渡した。

「私はこういう者です」




――鍵探偵事務所 所長 鍵蔵人

 名刺にはそうあった。間違いない、あのとき国田満夫が訪れた探偵事務所だ。この男の顔にも、ストライプのスーツにも見覚えがある。白いグロリアから降りて来た男。

 かぎくろうど。

「『くらんど』です」

 僕の読み間違いを神経質そうに指摘しながら、鍵は名刺ケースを胸ポケットに戻した。後ろに立っている女は、名前は何と言ったっけ。こいつも、あのとき国田と一緒にいたな。

 どうですか、六道さんは見つかりそうですか。僕がそうたずねると、鍵は渋い顔を見せる。

「私も昨日来たばっかりなんでね、本格的に調べるのはこれからです」

 そこはかとない嘘のニオイ。騙そうとしている訳ではないのかも知れないが、正確な情報を伝えようとはしていない。

 ところで。僕は話題を変えた。三太郎さんの死についてどう思いますか、と。鍵は一瞬こちらの真意をうかがうような目つきをしたものの、すぐに微笑みを浮かべた。

「どうもこうも、自殺なんでしょう。警察はそう言ってますから」

 あなたもそう思うんですか。僕の問いに、鍵は首を横に振った。

「さあ、どうでしょうね。私には関係ない話ですから」

 微笑みを崩さずに、そう答える。用心深いな。しかし、実際たいした情報も持っていないのだろう。少なくとも、事件の真相にたどり着くような情報はまだ。

 もしさっきの女刑事が言っていたように三太郎の死体が仰け反っていたのなら、おそらくは他殺だ。自殺じゃない。

 死体はPCデスクの前で椅子に座っていたという。そしてそのPCに遺書が残されていた。もし三太郎が前屈みに死んでいたなら、犯人は遺書を書くのに苦労しただろう。キーボードに覆い被さっていたはずだから。メモ帳か何かを起動させ遺書を書き込むには、そしてそれを警察に読ませるためには、三太郎の死体は仰け反っていなければならなかった。

 無論、三太郎が本当に遺書を書いて自殺した可能性もなくはない。けれど自分が死んだ後、遺書を確実に読ませたいのなら、紙に手書きするかプリントアウトすればいい。何でPCの中に遺書を残したのか。それは手書きでは筆跡でばれるから。そしてプリンタが起動する音で気付かれるのを嫌ったんじゃないのか。考えれば考えるほど他殺の線が濃厚になる。

 つまり手袋をした手で三太郎の首の後ろを千枚通しで刺して殺し、死体を仰け反らせた後PCのメモ帳に遺書を書き込む。そのときキーボードの指紋は薄れたはずだから、念を入れて三太郎の指をキーボードに押しつけるくらいの事はやったかも知れない。

 問題は誰が三太郎を殺したのかだ。豊楽か四界か九南か戸女か、女中のななみか、それともこの鍵か。まあ十瑠はさすがにないだろうが、外からやって来たという可能性もない訳じゃない。さて、犯人は誰でしょう。随分面白いじゃないか。

 なんて事を考えながら、僕は探偵にこう言った。また何か面白いお話があったら聞かせてくださいね、それじゃ。



 馬雲千香と八乃野いずるがやって来た事に、その意味に、祈部豊楽は気付いていた。いまこのタイミングでここを訪れたのは偶然ではあるまい。事前に連絡すらなかった。何らかの事情があって慌てて来たのではないか。その事情とは何か。

 少なくとも三太郎の死を聞いてやって来た訳ではない。この時間に到着したという事は、おそらく出発したのは前日、まだ三太郎が生きている時間だろう。つまり三太郎とは関係なく、ここにやって来なければならない事情があったに相違ない。だとすれば答えは一つ。確認である。

 自分たちの行為が間違いなく豊楽に伝わっているかどうか、それを確認しに来たのだ。祈部六道の殺害という行為が。



 千枚通しは普通、紙に穴を空けるのに使う。あんなパソコンしかない部屋で、何の紙に穴を空ける必要があったのだ。自殺するためにわざわざ買ったとか? 鍵は違和感を覚えていた。六道が馬雲千香のレコードを持っていた事に近い違和感。

 言うまでもなく、三太郎の死の真相を探るのは鍵の仕事ではない。それは警察の仕事であり、そもそも鍵がここにいるのは六道の行方を探るためである。寄り道をしている余裕はないのだが、自殺かも知れないと思うと、どうにも気になって仕方がない。

 鍵はあてがわれた客室の畳に、胡座をかいて座り込んでいた。部屋の隅には畳まれた布団が置かれ、笹桑はその上に腰掛けている。

「幸薄そうだったすね」
「……え?」

 鍵は聞き直した。彼女の事は意識の外にあったため、よく聞こえなかったのだ。少し退屈そうに組んだ足を揺らしながら、笹桑は微笑んでいた。

「さっきの美少年君すよ。ほら、鍵さんに名刺渡した。あの子、物凄く幸薄そうだったじゃないすか」

 本人がいないとは言え、よくそんな失礼な事が言えるものである。て言うか、日本語的には「幸薄い」と「物凄く」をセットにしても良いものだろうか。鍵はそう考えながら、受け取った名刺を見つめてつぶやいた。

「八乃野いずる、か。何か気になりましたか」
「あれあれ、鍵さん嫉妬してるっすか。やだなあ、もう」

 ぶん殴ってやろうかコイツ、と思わないでもなかったが、その苛立ちを鍵は顔に出す事なく抑え込んだ。一方、笹桑は嬉しそうに笑顔を見せている。

「大丈夫っすよ、浮気はしないタイプなんで」
「何の話ですか、何の」

「でもね、鍵さん」

 笹桑は無視して続ける。

「ああいうどこか陰のある美少年って、女心をくすぐるもんなんすよ」

 話にならない。鍵は再び笹桑に背を向け、思考に没頭した。

 何の意味がある。三太郎が死んで得をするのは誰だ。事故死ならともかく、自殺では保険金すらマトモに支払われない可能性がある。会社で権力闘争に巻き込まれていたとか。しかし複数の会社の役員をやっていたはずだ。だったら実際のところ、名前を貸していただけではないのか。自殺に追い込まれたり、ましてや殺されたりするものだろうか。

 もし仮に、これが殺人事件だとしよう。人を殺す者はだいたい三パターンに分かれる。怨恨で殺す者、発作的に殺す者、そして楽しんで殺す者。

 今回の件で一番有り得ないのが発作的な殺人だ。あの病的に整然とした部屋から発作的に千枚通しを探し出して、発作的に首の後ろを刺すなんて、とてもできるとは思えない。

 次に蓋然性が低いのは快楽殺人だろうか。こんな山奥の家の離れに暮らす中年男性を、わざわざ訪ねて来る殺人鬼というのは何ともイメージしづらい。

 ならば消去法的に一番あり得るのは、怨恨となる。だが、パワハラで自殺者まで出した四界や、脅迫・恐喝の六道なら怨恨の線も考えやすいものの、三太郎は他人から恨みを買う事があったのだろうか。会社の金を使い込む役員が好かれたり尊敬されたりはしないだろうが、それを理由に恨まれる、ましてや殺されるなんてのは、ちょっと理解しがたい世界である。

 鍵は胡座をかいた脚に置いた手の指を、神経質そうに動かしている。もっとも指を動かしたからといって頭まで動いてくれる訳ではない。ひらめかない。何かを思いつくには、まだイロイロと足りないようだ。

 そこに、障子の外から声がかかった。

「探偵さーん、夕食の用意できてますよー」

 すると、何かを思いついたかのように鍵は障子を開けた。

「ちょっといいですか」

 廊下を戻ろうとしていた女中のななみは、不思議そうな顔で立ち止まる。

「何です?」
「霜松先生に聞いたんですが、あなたここに住み込んでるんですよね」

「ええ、そうです」
「病気のお母さんと一緒に」

「……それが何か」

 ななみは用心深く言葉を選んだ。鍵は事務的な作り笑いを浮かべている。

「いや、こんな山奥だとイロイロと大変な事が多いんじゃないかと思ったんですよ。いまは女性の権利が叫ばれてる時代だし、ほら、セクハラとか」
「セクハラはないですよ」

 言葉を返すななみの顔は明るい。鍵は少し大げさに、意外そうな顔をして見せた。

「へえ、そうなんだ」
「はい。ここにはセクハラって言葉がないですから」

 そう言ってななみは背を向ける。鍵は小さく口の中で「なるほど」とつぶやいた。
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