強請り屋 悪魔の羽根顛末

柚緒駆

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幕間劇 その二

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 大学生と言えば世間では、みんなヘルメットをかぶってゲバ棒持って、火炎瓶を投げているかの如く見られていた時代、夕方の駅前の雀荘には、海蜃館大学医学部のいつものメンバーが揃っていた。

「なあチャコ、アシはまた一人で映画観に行ったんだと」

 長髪の栗永が呆れた声を出した。

「それチー」リーゼントの坂島も苦笑した。「またイングリッド・バーグマンか」
「おまえらにイングリッド・バーグマンの美しさが理解できるとは思わん」

 角刈りの芦則佐太郎は不満げに、牌を叩きつけるように置く。

「それにオレはイングリッド・バーグマン目当てに行ってる訳ではない」
「ポン」紅一点の肥田久子が鳴いた。「じゃあ何が目当てなのさ」

 芦則は一瞬口をつぐんだ。店のラジオからは、東大で起きている騒動の実況が流れてきている。

「……『ガス燈効果』の勉強だ」
「何だそれ」

 そう言いながら栗永はツモる。

「はいそれもチー」

 栗永の捨てた牌をまた鳴く坂島は、芦則を正面から見つめた。

「それって三回くらい聞いてないか」
「ポン」

 坂島の捨てた白を肥田が鳴く。

「アタシは初めてだけど」

 肥田が横目で芦則を見た。どことなくイングリッド・バーグマンの面影があるようにも思えなくもない横顔から目をそらしながら、芦則は五索を捨てた。

「ポン」肥田がまた鳴く。「そのガス燈効果って何」

 チャコに正面から見られると困ってしまう。芦則は顔が赤くならないよう牌に意識を集中しながら説明した。

「いや、ガス燈効果という単語は実はない。オレが勝手に考えたものなんだが、簡単に言えば、人間を精神的に追い詰めて、自分の思い通りにコントロールする方法なんだ。『ガス燈』という映画の中で、イングリッド・バーグマンが夫から追い詰められて行く。日常の些細なことを否定するところから始まって、やがて嘘を吹き込み、周囲の人間も巻き込んで、イングリッド・バーグマンを頭のおかしな人間に仕立てて行く訳だ」

「チー」坂島の手は三色同順ができかけていた。「そりゃ映画の中の話だろ」

 芦則はムキになって言い返す。

「いや、オレは実際に使える手法だと思う」

 そして六索を捨てた。

「ポン」肥田が鳴いた。「でもさ、それって心理学の範疇じゃないの」
「だよな」栗永は静かにツモる。「アシは親父さんの後を継いで精神科医になるんだろ。熱を上げるところが違うんじゃないのか」

 芦則は口を尖らせた。

「いずれ精神科医だって、心理学を深く学ばねばならん時が来る。きっと来る」
「来りゃあいいけどねえ」

 坂島は七萬を切った。

「あ、それロン」

 芦則は牌を倒した。

「えっ」

 他の三人が芦則の牌をのぞき込む。

「何だよ、タンヤオじゃねえか」

 栗永が悔しそうに言った。それを見て芦則が笑う。

「タンヤオを笑う者はタンヤオに泣くのだ。上がりは上がりだよ」

 そのとき、雀荘のドアが開いてドアベルが鳴った。顔を見せたのは、芦則たちとも顔馴染みの、医学部の橋岡という学生だった。

「肥田さんいるかな」
「何? 何か用なの?」

「いや、海崎先輩が肥田さんのこと捜してたからさ」

 肥田は三人と顔を見合わせた。

「海崎先輩が何でアタシを」
「さあ、俺らは知らんわな」

 栗永は坂島を見た。坂島は首を振る。芦則も思い当たる節はない。

「ま、いいか。とりあえず話だけ聞いてくる」

 肥田は立ち上がり、橋岡を手招いた。

「あんた代わりに打っといて」
「あ、いいの? やるやる」

 そして振り返りもせず雀荘を出て行く肥田の後ろ姿に、芦則は胸騒ぎを覚えた。もちろん、それを顔には出さなかったが。
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