強請り屋 悪魔の羽根顛末

柚緒駆

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芦則佐太郎

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 チャレンジ五日目。

 校舎の裏、誰も来ない場所。昼の休憩時間中、スマホで動画を見る。よくわからない外国のミュージックビデオ。暗い音楽。見てると気持ち悪くなる。でも見なきゃ。睡眠薬は二週間分じゃ少なかったようだ。何ヶ月分も集めたヤツらもたくさんいるんだぞ、とキャプテンに怒られた。悔しい。

「まだ時間があると思ってるだろ。まだチャンスがあると思ってるだろ。だからおまえはクズなんだよ。必死になってみろよ」

 キャプテンの言葉が胸をえぐる。私は本当にどうしようもないクズなのかも知れない。チャレンジも投げ捨ててしまいたい。でも。これくらい、せめてこれくらい、私にできることがあったっていいじゃない。

 学校をサボろうかと思ったけど、これ以上学校を休んだら母さんにバレる。とにかく今日は時間を見つけてチャレンジを続けよう。また甘いってキャプテンに怒られるかな。でも明日は土曜日。明日取り返すんだ。絶対。

 ◆ ◆ ◆


 芦則精神科の午後の診察は十三時から。あと三十分はある。俺は駐車場のクラウンにジローを残し、周辺をウロついてみた。真夏なら熱中症になるところだが、今日の気温ならまあ大丈夫だろう。

 診療所は県道沿いだが駅からは遠い。患者の足は車中心になるのか。道沿いに少し歩けばコンビニがある。焼き肉屋があって飲み屋があって、もう少し先には銀行もある。住むにはそれほど悪くない場所だ。美容室があって、道の向かい側には酒屋がある。そういやビールのツマミがなかったな。ツマミを買うだけならコンビニでいいんだが、こういう個人商店には何か転がってるかも知れない。のぞいてみるか。

「いらっしゃい!」

 自動ドアが開くと同時に、奥のカウンターから声がかかった。小柄だがガタイのいい、はげ上がった親父である。隣には女房らしき姿もある。店の中の様子を見ながらカウンターに近づいていくと、親父がまた声をかけて来た。

「精神科の患者さんかい? あそこの先生、酒好きだから、お土産に持ってくといいよ!」
「あんた、やめなって。迷惑だよ」

 女房が困り顔でいさめるが、親父は聞かない。

「酒屋が酒売って、何が迷惑だ! それが迷惑なヤツが酒屋に入ってくる訳ないだろ!」

 なるほど、コンビニに客を取られそうな店だ。

「俺があそこの患者って、何で思ったんです?」

 話しかけると、親父は自分が褒められたかのような笑顔を浮かべた。

「あんたが駐車場から出て来るの見てたんだよ。あそこの先生、酒好きだからね、こりゃうちに酒買いに来るかと思ってこうして待ってた訳さ」

 こいつはまた、とんだ名探偵だ。

「俺は患者じゃないんだけど、弟がね」

 すると親父はいまにも泣きそうな顔を浮かべる。

「えーっ、そりゃ大変だ」

 根が善良な人間なのはわかるが、ちょっとムカつく。

「あそこの先生も酒買いに来るんですか」
「来る来る。しょっちゅう来るよ。洋酒が好きみたいで、安いペットボトルのウイスキーばっかり買ってくけどね」

 親父の目が俺の右後ろの棚を見る。振り返ると洋酒が並んでいる。だがガラス瓶ばかりだ。ペットボトルは奥の方にある。洋酒はビール以外飲まないんでわからないんだが、とりあえず値札だけ見て、二番目くらいに安そうな酒を手にした。

「これください」
「はい毎度あり!」

 親父は、見たか、という顔を女房に向けると、満面の笑顔でレジを打ち始めた。

「あ、あとツマミも」
「ありがとうございます!」

 レジの横に並んでいるツマミを適当に五種類ほど選ぶと、親父に渡した。

「あそこの診療所って、ここに来て長いんですか」

「うん、もう四十年ほどになるね。俺がガキの頃だから。当時はこの辺も田んぼと畑ばっかりで、こんなところに精神病院おっ建てて何する気だ、みたいな声もあったんだけど、何でも結構偉い先生らしくて、遠くからも患者が来て、かなり繁盛してたよ。最近はあんまりみたいだけどね」

 さほどの情報はなかったな、と思いながら金を支払い店を出た。


 クラウンに戻ると、診療所のガラス扉に内側からかかっていたカーテンが開いている。早速ジローを連れて中に入った。

 受付に座っていたのは、アメリカのスーパーでレジを打ってそうな、大柄で丸々とした超ふくよかな看護師らしい女だった。年齢はさっぱり見当がつかない。

「こいつ、初診なんですけど大丈夫ですかね」

 待合の椅子に膝を抱えて座るジローを指さしながら聞くと、デカくて丸い女はウンウンと二回うなずいた。

「じゃあ保険証出してね。あとこれ問診票書いて」

 また問診票か。面倒くせえ。とは言え書かない訳にも行かない。篠生のクリニックよりは随分シンプルな問診票だったが、とりあえず書き込んだ。それで五分くらいは経ったろうか。問診票を受け付けに渡し、ジローの隣に座った。壁の時計はもうすぐ十二時四十五分。だが患者が誰も来ない。そして十二時五十分、十分前だが名前を呼ばれた。

 診察室は待合よりも広々としていた。その片隅に灰色の事務机が置かれ、同じく灰色の安物の事務用椅子に、小柄な爺さんが座っていた。だが顔がデカい。髪は薄く、鼻の下にチョビひげが生えている。ネクタイなしのワイシャツにベスト、その上から白衣を羽織り、首に聴診器をかけている。その傍らにあるのは、どうやら血圧測定器らしい。

「やあ、いらっしゃい。まずはそこにかけて。で、この機械に腕を突っ込んで。血圧測るから」

 篠生のところでは測らなかったように思うが、まあいい。俺はジローにスカジャンを脱ぐように言った。しかしジローは反応しない。膝を抱えたまま知らん顔をしている。

「おいおまえ、聞こえてんだろ」

 スカジャンのジッパーに手を伸ばそうとした。けれどジローはギュッと膝を抱えそれを阻む。

「あ、この野郎」

「まあまあ、そうムキになりなさんな」おそらく芦則佐太郎であろう医者は、笑って俺を止めた。「今回は血圧はやめておこう。まだ初診だしな。薬を出す訳じゃないから、血圧がわからんでも困りはせんよ」

 そしてジローの目の奥をのぞき込むと、小さくつぶやいた。

「自閉症だな」
「それは確定ですか」

 カルテに何やら書き込みながら、芦則は軽く首を振る。

「こんな小さな診療所で確定なんぞできんよ。そもそも自閉症にもイロイロと種類がある。どれかはわからん。だが自閉症という大きなグループの中のどれかであるのは、十中八九間違いないだろうな。希望するなら専門病院に紹介状を書くが、その前にこのチェック表に記入してもらいたい」

 そして芦則は目の前のブックエンドからファイルケースを取り出し、三枚綴りのA4の紙を抜き出した。またこれか。

「なるほど。まあ、それはそれと言うことで」

 俺はチェック表を受け取ると、入れ替えるように持っていたビニール袋からウイスキーの瓶を取り出し、机に置いた。

「……何だね、これは」

 にらむような芦則の視線を、俺は正面から受け止めた。

「ここは賄賂が通用するって噂で聞きましてね」
「そりゃ酷い噂だな」

 そう言いながら瓶を手に取り、しげしげと眺める。そしていきなり栓をひねって開けると、机の上に置いてあったビーカーに一口分注いだ。

「開業医の一番の魅力がわかるかね」
「さあ」

 老医師はニンマリ笑ってビーカーを口元に運んだ。

「昼間っからアルコール臭くても不審に思われんことだ」

 酒屋に酒好きがバレてる時点でそれはどうかとも思ったが、何も言わなかった。

「んー、やはりストレートはキツいな」

 芦則は嬉しそうに顔をしかめる。

「賄賂が通じたようで何よりです」
「それで、何が目的かな」

 俺は尻のポケットからメモ帳を取り出し、ボールペンを構えた。

「また随分とアナログだな」

 もう面倒臭いので答えない。俺はたずねた。

「肥田久子さんをご存じですね」
「肥田……ああ、元藤松久子か。大学の同期だ。若い頃は、いわゆる女傑というヤツだったよ。結婚してからは知らんが」

「肥田久子さんは、いまでも先生を信頼しているそうです」
「そりゃあ、まあ有り難いと言えば有り難い話だが、それがどうしたと言えなくもないな」

 それは、あまり有り難そうな顔ではなかった。

「肥田久子さんをご存じなら、海崎志保さんはどうでしょうか」
「海蜃館大学の海崎総長の孫娘だな。テレビで話題になってたのは知っとる。面識はないが」

「それ以上はご存じない?」
「海崎総長の方はまあまあ知っとるよ。大学の先輩だからな。昔から政治的なことを好む人物ではあった。だが孫娘のことはまったく知らんな」

「そうですか……それでは」
「何だ、まだあるのか」

 明らかに面倒臭そうな顔であった。

「篠生幸夫という人物をご存じですか」
「篠生? 篠生メンタルクリニックの篠生院長かね」

「そうです」
「そりゃ商売敵だしな、知っておるよ。学会でたまに一緒になる。まあ、可哀想な男だな」

 その言い回しが気になった。

「可哀想って、どの辺が可哀想なんですか」

 するとチョビひげの老人は意外そうな顔をした。

「何だ、知らんかったのか。篠生院長は元々堅物の仕事人間だったのだが、先般娘が自殺してな。それ以来、人が変わってしまったらしい。一時期マスコミにも取り上げられたんだが」
「娘が自殺、ですか」

 人が変わったとは、どう変わったのだろう。昨日会った篠生幸夫は、別におかしな人間ではなかったが。もしかして、元がおかしかったのだろうか。

「『悪魔の羽根』を知っとるかね」

 芦則の言葉を聞いて、自分の顔が重苦しくなっていることに気付く。まあ嫌いな種類の名前だ、仕方ない。

「いえ。その、悪魔の羽根って何ですか」
「自殺サイトだよ。これも話題になっとるはずだ」

 自殺サイト。笹桑ゆかりの言っていたのは、これのことだったのだろうか。しかし公式サイトも持ってないくせに、よく自殺サイトなど知っているな。そんな俺の思いを余所に、芦則は続けた。

「つまり自殺する前に悪魔が見られるという噂のある、悪魔の羽根という名の自殺サイトに関わって篠生院長の娘が自殺し、その後、彼は『自殺サイト撲滅キャンペーン』を立ち上げたという訳だ。このキャンペーンには県の政財界も注目しておって、いずれ近いうちに大きな波になる可能性があるそうだ。まあ、マスコミ情報だがな」

 ああ、タバコが吸いたい。頭に血が上っている。俺の絞り出した声は、少し息苦しそうに響いたかも知れない。

「そりゃあまた……何というか、篠生院長は悲劇のヒーローですね」
「まあそうなるな」

「篠生院長の娘さんは、海蜃学園高校の生徒だったんですよね」
「ん? そうだっけか。学校名までは覚えとらんかったが」

 そしてその海蜃学園高校の理事長は海崎志保であり、海崎志保のかかりつけ医が篠生幸夫なのだ。何だ、この妙に出来過ぎた組み合わせは。単なる偶然なのか?

「篠生院長が海崎志保さんのかかりつけ医だというのはご存じでしたか」
「そうなのかね。テレビではやっていなかったが」

 芦則医師は目を丸くした。

「……ところで、カウンセリングってのは、先生もやるんですか」

 質問の方向が急に変わって、芦則は少し戸惑ったようだった。

「ん? ああ、ごくたまにだな。普段は薬物治療が中心だ。専門のカウンセラーが雇えればいいのだが、それほどの余裕もない。だからどうしても詳しい話を聞かねばならん場合は、自分でやらにゃならん」
「カウンセリングで話す内容ってのも、イロイロなんでしょうね」

「イロイロだな。人によりけりだ」
「法に触れるような内容ってのもあるんでしょうか」

 ようやく腑に落ちた、芦則はそんな顔をした。

「カウンセリングは懺悔ではないよ。もちろん絶対にないとは言い切れないが、そこまで医者を信用する者も少ないのではないかな」
「そんなもんですかね」

「ああ、そんなもんだ」


 ジローを連れて診察室から出たときも、支払いを済ませているときも、待合室に患者の姿はなかった。この診療所は大丈夫なのか、何となくそんなことを思った。

 クラウンに乗り込んだ時点でまだ午後二時にもなっていない。だが一旦事務所に戻るとしよう。連絡をしておきたいところもある。俺はアクセルを踏み込んだ。

「今度賄賂を持ってくるときは、もう少し高いのがいいのだがな」

 そんな芦則佐太郎の言葉を思い出しながら。
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