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19話 タルドマン・バストーリア
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これでいいのか。本当にこれでいいのだろうか。ハースガルド公爵家から届いた書面を見て、父君も母君も大喜びだ。子爵の息子とはいえ家督を継げぬ三男坊、それも剣を振るしか能のなかった朴念仁が公爵家のお目にかなったというのだからめでたい話だ。それが真実ならば。
しかし実際は公爵家の離れに間借りする占い師の護衛である。いや、仕事に不満がある訳ではない。自分のような単細胞に職を与えてくれるというだけで、心底ありがたいとは思っている。思っているのだが。
どうにも両親を裏切っているような罪悪感がぬぐえない。やはり正直に本当のことを伝えるべきだろうか。
しかしなあ、タルドマン・バストーリアよ。嘘も方便と言うぞ。あの両親の喜びようを見て、実は嘘でしたなどといまさら言えるか? そもそも嘘を告白して心休まるのは誰だ。おまえだけだろう。おまえは嘘をつきたくないという自己満足のために両親を傷つけようとしている。それは正しいことなのか。
心の中のもう一人の自分の指摘は至極もっともだと思う。私は自分勝手でワガママなのだ。嘘は正しくないことだが、正直が常に何でもかんでも正しい訳ではない。それはわかっている。わかっているのだがなあ。
明日は初めての出仕の日だ。はあ、気が重い。
そんなこんなを考えているうちに眠ってしまったのだろう、気付けば朝だった。もうため息をついていても仕方ない。ヒゲを剃って髪を整え、出かける用意をしよう。
「タルドマン! 誠心誠意、粉骨砕身仕事に取り組め。公爵閣下の信頼を厚く獲得するのだ、決して気を抜くでないぞ」
「ハースガルド家の皆様に、くれぐれも失礼のないようにね」
父君と母君の声に背を押されて、私は馬で出発した。
街を抜けてしばらく街道を走れば麦畑の広がる穀倉地帯、そこから農道として使われている細道に馬を入れ、左右に緑の風景が広がる中を風に吹かれながら少し進めば、三階建てのハースガルド家の屋敷が見えてくる。周囲には他に背の高い建物もないし、よく目立つ。
この地域では比較的大きな建物だが、街にある金持ちの平民の邸宅より小さいのではないか。敷地面積もさほど広くない。貴族の別邸として見ても小さ過ぎるくらいのこの屋敷、しかもそのさらに離れが私の職場となる。
やれやれ、到着してしまった。離れの厩舎に馬を置き、さて警護対象にして我が上役となる占い師殿に挨拶をしようか、と離れの入口に向かえば人の列。先日は自分もこの列の中にいたのだが、恥ずかしながらそのときは酔っぱらっていたためによく覚えていない。もう当分酒は飲まないでおこう。
そんなことを考えていると、目の前で離れの扉が開いた。
「次の方、中にお入りください。……あ、タルドマン様」
確か名前はステラと言ったか、小柄な下女が私を見つけて笑顔で声をかけてくれた。
「本日からお仕事でしたね。先生もお待ちですよ、どうぞお入りください」
助かった。どう中に入ったものかと迷っていたのだ。挨拶もそこそこに私は離れに足を踏み入れた。
通されたのは占いを行っている部屋の隣。
「もうすぐお昼休みですので、それまでここでおくつろぎください」
ステラにはそう言われたものの、何もないこの部屋でどうくつろいだものか。壁はさほど厚くないのだろう、隣からはボソボソと声らしきものが聞こえてはくるのだが、何を話しているのか聞き取れない。何か起こったとき気付くことができるだろうか。
しかし実際のところ何が起こるというのだろう。占い師の護衛とはいったい何からどのように護ればいいのだ。普通に考えられるのは、占いの結果に満足できない客が暴れるなどだろうが、それはどの程度の頻度で発生するのか。
いや確かに私はその暴れる客だった訳だが、自分を棚に上げれば、そうそうあることでもないような気がする。占い師は先日「面倒ごとに巻き込まれる」と言っていた。どんな面倒ごとだ。護衛が本当に必裕なのだろうか。
そもそも占い師は自分の未来を占えないと聞いたことがある。なのにここのタクミ・カワヤは自分自身に起こることがわかっているようだ。それは彼の独自性なのか、それとも何かインチキがあるのか。私がそんなことをボンヤリと考えているときだった。
「ふざけるなぁっ!」
壁の向こうから明確に聞こえた怒鳴り声。私は自分でも驚くほどに素早く立ち上がった。剣を鞘ごと握り、扉を抜けて隣の部屋へと走る。入口を開き剣を構えようとした私に、中から声がかかった。
「剣を抜くな!」
部屋の中には怒りに髪を逆立てた屈強な男が立ち上がっている。その向かいで小柄な黒髪の占い師は、平然と椅子に座っていた。
屈強な男は占い師をにらみつけながら震える声を漏らす。
「俺は……俺は信じんぞ」
「それはあなたの自由ですよ、ムランさん」
「女房は、俺の女房はそんな女じゃねえ」
「あなたにとってはそうなのでしょう。ただあなた以外の人にとってはそうじゃないというだけです」
ムランと呼ばれた男は歯を食いしばり、占い師をにらみ殺さんばかりに見つめている。だが不意に体の力を抜き、転がっていた椅子を立てるとそこに座った。
「……俺はどうすりゃいい」
「それについて僕は正しい答えを用意できません。お子さんたちとよく話し合ってください」
ムランは再び立ち上がった。しかしその背はもう怒りを放ってはいない。静かにため息をつくと振り返り、私に視線さえ向けずトボトボと横を通り抜けて行った。
「いまのは、いったい」
つぶやいた私に顔を向け、タクミ・カワヤは笑顔を浮かべる。
「さあて、キリのいいところで昼休みにしますか」
「いや、いまのは」
「とにかく腹ごしらえですよ。タルドマンさんも付き合ってください」
占い師はそう言うと立ち上がって一つ伸びをした。
ハースガルド公はいかにも公爵然とした厳めしさを見せず、私にも気さくに席を勧めてくれた。しかしこちら側に気後れがあるためか、少しばかりの近寄り難さは感じる。対して占い師殿は何の気後れもないのだろう、平然と食事中の公爵閣下に話しかけるのだ。
「ご領主様からはあれから何か?」
これにハースガルド公は気難しげな顔でにらみつけ、口の中の物を飲み込んでからこう答えた。
「特に何も連絡はないが、捕縛した盗賊を王宮から派遣された役人に引き渡したことは街でも話題になっているようだな」
「いやあ、それはお手柄お手柄」
「リメレ村からは籠三つ分の野菜が届いた」
「いやあ、それは楽しみ楽しみ」
占い師の言葉に公爵閣下はいささか呆れ気味だ。
「そういうおまえは自分の手柄を主張せんのか」
「いやだなあ、占い師が手柄を主張し始めたら終わりですよ」
「何だ、珍しく分相応とでも言いたいのか」
「と言いますか、僕はもう次のことに頭を切り替えてますので」
この言葉を聞いて、ハースガルド公の顔には不安が浮かんだ。
「次だと。次にいったい何が起こるというのだ」
「ああ大丈夫です、旦那様に骨を折ってもらうようなことではないので」
「そういうことを言っているのではない。そもそもおまえの大丈夫はまったく当てにならん」
「いやだなあ、ちゃんと対策はしてますから。ここにこうやってタルドマンさんに来てもらってますし」
公爵閣下の目が私を見つめる。しかし私は何も聞かされていない。動揺した様子が伝わったのだろう、閣下は再びタクミ・カワヤに目を向けた。
「彼に何をさせる気だ」
「もちろん護衛ですから、護衛してもらうんですよ」
「何からだ」
すると占い師殿は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「今日の夕方、僕は襲われることになっているようなので」
しかし実際は公爵家の離れに間借りする占い師の護衛である。いや、仕事に不満がある訳ではない。自分のような単細胞に職を与えてくれるというだけで、心底ありがたいとは思っている。思っているのだが。
どうにも両親を裏切っているような罪悪感がぬぐえない。やはり正直に本当のことを伝えるべきだろうか。
しかしなあ、タルドマン・バストーリアよ。嘘も方便と言うぞ。あの両親の喜びようを見て、実は嘘でしたなどといまさら言えるか? そもそも嘘を告白して心休まるのは誰だ。おまえだけだろう。おまえは嘘をつきたくないという自己満足のために両親を傷つけようとしている。それは正しいことなのか。
心の中のもう一人の自分の指摘は至極もっともだと思う。私は自分勝手でワガママなのだ。嘘は正しくないことだが、正直が常に何でもかんでも正しい訳ではない。それはわかっている。わかっているのだがなあ。
明日は初めての出仕の日だ。はあ、気が重い。
そんなこんなを考えているうちに眠ってしまったのだろう、気付けば朝だった。もうため息をついていても仕方ない。ヒゲを剃って髪を整え、出かける用意をしよう。
「タルドマン! 誠心誠意、粉骨砕身仕事に取り組め。公爵閣下の信頼を厚く獲得するのだ、決して気を抜くでないぞ」
「ハースガルド家の皆様に、くれぐれも失礼のないようにね」
父君と母君の声に背を押されて、私は馬で出発した。
街を抜けてしばらく街道を走れば麦畑の広がる穀倉地帯、そこから農道として使われている細道に馬を入れ、左右に緑の風景が広がる中を風に吹かれながら少し進めば、三階建てのハースガルド家の屋敷が見えてくる。周囲には他に背の高い建物もないし、よく目立つ。
この地域では比較的大きな建物だが、街にある金持ちの平民の邸宅より小さいのではないか。敷地面積もさほど広くない。貴族の別邸として見ても小さ過ぎるくらいのこの屋敷、しかもそのさらに離れが私の職場となる。
やれやれ、到着してしまった。離れの厩舎に馬を置き、さて警護対象にして我が上役となる占い師殿に挨拶をしようか、と離れの入口に向かえば人の列。先日は自分もこの列の中にいたのだが、恥ずかしながらそのときは酔っぱらっていたためによく覚えていない。もう当分酒は飲まないでおこう。
そんなことを考えていると、目の前で離れの扉が開いた。
「次の方、中にお入りください。……あ、タルドマン様」
確か名前はステラと言ったか、小柄な下女が私を見つけて笑顔で声をかけてくれた。
「本日からお仕事でしたね。先生もお待ちですよ、どうぞお入りください」
助かった。どう中に入ったものかと迷っていたのだ。挨拶もそこそこに私は離れに足を踏み入れた。
通されたのは占いを行っている部屋の隣。
「もうすぐお昼休みですので、それまでここでおくつろぎください」
ステラにはそう言われたものの、何もないこの部屋でどうくつろいだものか。壁はさほど厚くないのだろう、隣からはボソボソと声らしきものが聞こえてはくるのだが、何を話しているのか聞き取れない。何か起こったとき気付くことができるだろうか。
しかし実際のところ何が起こるというのだろう。占い師の護衛とはいったい何からどのように護ればいいのだ。普通に考えられるのは、占いの結果に満足できない客が暴れるなどだろうが、それはどの程度の頻度で発生するのか。
いや確かに私はその暴れる客だった訳だが、自分を棚に上げれば、そうそうあることでもないような気がする。占い師は先日「面倒ごとに巻き込まれる」と言っていた。どんな面倒ごとだ。護衛が本当に必裕なのだろうか。
そもそも占い師は自分の未来を占えないと聞いたことがある。なのにここのタクミ・カワヤは自分自身に起こることがわかっているようだ。それは彼の独自性なのか、それとも何かインチキがあるのか。私がそんなことをボンヤリと考えているときだった。
「ふざけるなぁっ!」
壁の向こうから明確に聞こえた怒鳴り声。私は自分でも驚くほどに素早く立ち上がった。剣を鞘ごと握り、扉を抜けて隣の部屋へと走る。入口を開き剣を構えようとした私に、中から声がかかった。
「剣を抜くな!」
部屋の中には怒りに髪を逆立てた屈強な男が立ち上がっている。その向かいで小柄な黒髪の占い師は、平然と椅子に座っていた。
屈強な男は占い師をにらみつけながら震える声を漏らす。
「俺は……俺は信じんぞ」
「それはあなたの自由ですよ、ムランさん」
「女房は、俺の女房はそんな女じゃねえ」
「あなたにとってはそうなのでしょう。ただあなた以外の人にとってはそうじゃないというだけです」
ムランと呼ばれた男は歯を食いしばり、占い師をにらみ殺さんばかりに見つめている。だが不意に体の力を抜き、転がっていた椅子を立てるとそこに座った。
「……俺はどうすりゃいい」
「それについて僕は正しい答えを用意できません。お子さんたちとよく話し合ってください」
ムランは再び立ち上がった。しかしその背はもう怒りを放ってはいない。静かにため息をつくと振り返り、私に視線さえ向けずトボトボと横を通り抜けて行った。
「いまのは、いったい」
つぶやいた私に顔を向け、タクミ・カワヤは笑顔を浮かべる。
「さあて、キリのいいところで昼休みにしますか」
「いや、いまのは」
「とにかく腹ごしらえですよ。タルドマンさんも付き合ってください」
占い師はそう言うと立ち上がって一つ伸びをした。
ハースガルド公はいかにも公爵然とした厳めしさを見せず、私にも気さくに席を勧めてくれた。しかしこちら側に気後れがあるためか、少しばかりの近寄り難さは感じる。対して占い師殿は何の気後れもないのだろう、平然と食事中の公爵閣下に話しかけるのだ。
「ご領主様からはあれから何か?」
これにハースガルド公は気難しげな顔でにらみつけ、口の中の物を飲み込んでからこう答えた。
「特に何も連絡はないが、捕縛した盗賊を王宮から派遣された役人に引き渡したことは街でも話題になっているようだな」
「いやあ、それはお手柄お手柄」
「リメレ村からは籠三つ分の野菜が届いた」
「いやあ、それは楽しみ楽しみ」
占い師の言葉に公爵閣下はいささか呆れ気味だ。
「そういうおまえは自分の手柄を主張せんのか」
「いやだなあ、占い師が手柄を主張し始めたら終わりですよ」
「何だ、珍しく分相応とでも言いたいのか」
「と言いますか、僕はもう次のことに頭を切り替えてますので」
この言葉を聞いて、ハースガルド公の顔には不安が浮かんだ。
「次だと。次にいったい何が起こるというのだ」
「ああ大丈夫です、旦那様に骨を折ってもらうようなことではないので」
「そういうことを言っているのではない。そもそもおまえの大丈夫はまったく当てにならん」
「いやだなあ、ちゃんと対策はしてますから。ここにこうやってタルドマンさんに来てもらってますし」
公爵閣下の目が私を見つめる。しかし私は何も聞かされていない。動揺した様子が伝わったのだろう、閣下は再びタクミ・カワヤに目を向けた。
「彼に何をさせる気だ」
「もちろん護衛ですから、護衛してもらうんですよ」
「何からだ」
すると占い師殿は満面の笑みを浮かべてこう言った。
「今日の夕方、僕は襲われることになっているようなので」
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