案山子の帝王

柚緒駆

文字の大きさ
36 / 132

36 夢のまた夢

しおりを挟む
 最初に植物に興味を持ったのは、おそらく子供の頃、『ジャックと豆の木』の絵本を読んだときだろう。その日のうちに、庭に何かの種を撒いた事を覚えている。それ以来、植物の事ばかりを考えて、やがて学者になってしまった。


 車を降りると冷たい風が吹いた。曇り空に星はない。どこかでまだ虫が鳴いている。古さと広さくらいしか目立つところのないレンガ造りの屋敷の玄関には、暖かい明かりが灯っていた。

「お父様!」
「お帰りなさい!」

 二つの声がドアの内側で私を出迎えた。もうすぐ十歳になる双子の娘。どちらがどちらなのか、親ですら間違うほどにそっくりな顔。だが幸い、服装の好みが違うので見分けがつく。マリーはいつも大きなリボンを頭に飾り、キキはフリルのドレスが大好きだ。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 老執事のハイムにうなずき、コートとカバンを手渡す。受け取ったハイムは、心持ち小さな声でこう告げた。

「ハンター様がおいでです」


 書斎のドアを開くと、私の椅子に座ったハンターがグラスを持ち上げて「やあ先生」と言った。書棚のスコッチを勝手に飲んだのだろう。亡くなった妻の弟だが、政府関係の仕事をしているらしいという事しか知らない。

「私に用があるなら、大学の研究室に来てくれないか」
「それも考えたんですがね、先生」

 ハンターは立ち上がると、上着のポケットに手を入れた。

「これは信用出来る人間にしか話せない事なんで」

 ポケットから取り出したのは、小さく透明なガラスの薬瓶。中にはうっすら金色に輝く粉末が。それを机の上に置き、ハンターは探るように私を見つめた。

「十グラムあります」
「何だね、それは」

 まさか私を相手にドラッグを売りつける訳でもあるまい。困惑した私をしばらく見つめると、ハンターは思い切ったようにこう言った。

「先生も知ってるでしょう。金星の開拓団が壊滅した話は」
「連絡が取れない事は知っているが、壊滅したというのは噂の域を出ていないだろう」

「いえ、事実です。金星開拓団は壊滅しました」
「……何だって?」

「金星を脱出した宇宙船はすでに地球に帰還しています。公表はされていませんが」

 彼は何を言っているのだろう。私に何が言いたいのだろう。その戸惑いを理解するかのようにハンターはうなずく。

「噂を知っているなら、金色の巨大な人型が現われた事も知ってるんじゃないですか」
「『黄金の神人』というヤツかね。馬鹿馬鹿しい。そんなオカルトめいた話がある訳が」

「あるんですよ、それが」

 そして小瓶を指さした。

「これがその、黄金の神人の破片の一部。開拓団の生き残りが持ち帰った物です」
「いったい何の話をしてるんだ」

「信じられませんか」
「信じる信じない以前の問題だ。私にそんな事を話して何の意味がある」

 ハンターは口元を歪める。だが目は笑っていない。

「政府からのご指名です」
「政府が? 私に何を」

「先生は我が国を代表する植物学の権威です」
「権威などになった覚えはないが」

「その知識を貸していただきたい」

 私はイライラが募り、癇癪を起こしそうになっていた。

「回りくどいにもほどがあるぞ! つまりどういう事なんだ。ハッキリ言ってくれ」
「この粉末が植物に与える影響を知りたいんですよ。動物に与える影響や人体に与える影響は、別の専門家がすでに調べ始めています」

「調べて何をどうするんだ」

「黄金の神人は、地球にも現われるかも知れない。そのときどうやって戦うか、どう攻略し、どう殲滅するか、その方法を政府は、いや世界中が知りたがっています。この粉末は世界各国に分配され、一斉に、しかも秘密裏に研究が始まってるんです。我が国だけが後れを取る訳には行かない」

 そういう事か。ようやく彼の言いたい事がわかってきた。

「それがもし事実だとするなら、公表して世界中のネットワークを駆使すべきなんじゃないか」
「ところがなかなかそうも行かない」

「兵器として使える可能性があるからか」

 ハンターは沈黙した。どうやら正鵠を射たようだ。

「金星からの宇宙船が漂着したのが、アメリカでもロシアでも中国でもなかった。だからその粉末を独占する事が出来ず、我が国にまでおこぼれが回ってきた。そういう事か」

「先生のそういうところに、政府は目をつけた訳です」

 断る。そう言ってやりたかった。こんなややこしい研究になど構っていられない。イロイロな面でリスクが高すぎる。だが。

「大学の補助金も年々減ってるんです、研究室の予算だって足りないんじゃないですか」

 ハンターの言葉に、今度は私が沈黙した。

「この研究に関しては、政府は支出の上限を決めていません。当分の間、予算の心配はなくなりますよ。それに」

 ハンターは部屋を見回した。

「いくら田舎で安いとは言え、家の維持費は馬鹿にならんでしょう。マリーとキキの今後の事だってある。確か借金もあるんですよね? 金は邪魔にならんと思いますが」

 断る事など出来はしない、最初からそういう前提で私を指名してきたのだろう。苦々しい顔でうなずくのが、精一杯の抵抗だった。


 こんな研究に学生を巻き込む訳にも行かない。実験は一人で開始した。

 まず粉末の一部を十万倍の純水に溶かし、植物の根元に散布する。実験の最初はそこから始めた。普通に考えて、こんな量で目に見える効果など出るはずがない。だが効果のない事を確認するのも実験なのだ。ところが。

 この溶液を散布された植物は、種類によらず、どれも明らかに体積が増加した。一日で三割以上樹高が上がった樹もあった。とんでもない成長促進効果である。さらには季節に関係なく花が咲き、実がなった。まるでエデンの園のように。

 私はいつしか研究に熱中して行った。毎日毎日可能な限りの植物に水を撒き、その成長を記録し続けた。二年など、あっという間に過ぎ去ってしまった。


 私は体調に変化を覚えるようになっていた。食事が摂れないのだ。研究中はもちろん何も食べない。娘たちと夕食を食べるのは家族の決まりだったので、仕方なく口には入れたが、気付かれないように後ですべて吐いてしまった。もしやこの変調は、あの溶液に触れているせいではないのか。そこに気付いたときには、もう手遅れだった。

 私が口に出来る物は、たった二つに限られていた。一つは水。そしてもう一つは果物。それもただの果物では無理だ。そう、あの溶液で成長した樹から取れた果実しか体が受け付けない。

 当初は医者にも診てもらったが、検査結果に問題はなし。数値上は至って健康体だった。やがて私は病院から遠ざかった。もうそんな必要はないという事を理解したのだ。

 水と果物しか摂らないにもかかわらず、私の体重は増加した。やがてある日、自分の体の皮膚が、樹皮のようになっている事に気付いた。ああ、もうすぐ『そのとき』がやって来る。それは確信だった。私は大学に辞表を提出し、部屋に閉じこもり、それを待った。


 何度目だろうか、部屋の外でハンターの声がしている。粉末を返せと叫んでいる。だがそれは無理だ。もう彼に返すべき粉末など存在していない。小さな薬瓶の中には、オレンジ色のカプセルが二つあるだけ。それが誰に与えられるべきなのかは明白だった。

 そして、『そのとき』はやって来た。

 それは意識の爆発。この惑星上に、巨大な、あまりにも巨大な知性が降臨した。黄金の神人。炎に焼け落ちる都市。空を覆うキノコ雲の列。それは絶叫を上げながら、こちらにまっすぐ向かって来る。逃げる場所など、もうどこにもない。

 私は部屋から出た。パニックになっている娘たちを、ハイムが懸命になだめていた。すがりついてくる娘たちを抱きしめ、私はこう言った。

「マリー、キキ、おまえたちは生きなければならない。たとえ私が居なくなっても、生き続けなければならない」

 そして二つのカプセルを手のひらに出した。

「これを飲みなさい」

 顔を見つめ合い、当惑している娘たちに、私は微笑みかけた。

「大丈夫、私が何とかする。父様を信じておくれ」

 マリーとキキはカプセルを手にし、口に入れた。

「いい子だ。二人とも仲良くするんだよ」

 頭をなでようとしたその瞬間、マリーとキキの姿は消えた。いや、溶けてなくなった。液体となって混ざり合い、突如膨張し、ハイムを飲み込む激流と化して窓を破壊すると、家の外へと流れ出して行った。

「もう大丈夫」

 私は破れた窓から身を乗り出した。感じる。地球上のすべての植物が、自分の体とつながっている感覚。根を張れ、幹を太らせろ、葉を茂らせ、蔓を伸ばせ。上に上に、高く高く、大きく大きくなるのだ。そう、『ジャックと豆の木』のように。

 迫り来る黄金の神人。倒さねばならない。ここで私が倒すのだ。この惑星の未来に希望を残すために。


 目が覚めた。居眠りをしていたようだ。夢を見ていた気がする。遠い昔の夢を。ロッキングチェアを揺らしながら、もう火の消えてしまったパイプの灰を捨てた。

 深い森の奥で、魔人ウッドマン・ジャックは一人、物思いにふけっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜

深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。 処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。 なぜなら彼女は―― 前世で“トップインフルエンサー”だったから。 処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。 空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。 タイトルは―― 『断罪なう』。 王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。 すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、 国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。 そして宣言される、前代未聞のルール。 支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。 処刑台は舞台へ。 断罪はエンタメへ。 悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。 これは、 処刑されるはずだった悪役令嬢が、 “ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。 支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、 それとも――自由か。

処理中です...