93 / 132
93 白い花の下
しおりを挟む
エリア・アマゾンから北西に数時間、こぼれ落ちんばかりの満天の星空を背に、見渡す限りの草原の真ん中にヘリは着陸した。サーチライトが四方を照らす。所々に背の低い樹が生えている。タラップから下りて来たのはマヤウェル・マルソ。その鼻をかすかな甘い香りがくすぐる。
「花が咲いてる」
種類まではわからない。だがおそらくは、あの樹に花が咲いているのだろう。
「何の花かわかる?」
後ろから声がする。振り返ると、カルロがタラップを下りたところ。
「花の種類には詳しくなくて」
「コカの花だよ」
カルロは神妙な顔でそう言った。
「白い五弁の小さな花。人間が世話をしなくなっても、ちゃんと咲くんだ」
「へえ。どんな麻薬も、人間が居なくなれば用なしなのにね」
立ち止まっているマヤウェルをカルロが追い越し、手にライトを持って草原を進む。マヤウェルはその後ろに続いた。
「もう少し交通の便のいい場所に隠せば良かったのに」
「そう何度も使う事になるとは思ってなかったからね」
と言いながらも、カルロの歩みに迷いはない。目的地に真っ直ぐ進んで行く。マヤウェルは苦笑した。
「まあ確かに、あの酸の雨には参ったよ。どうしたらいいのか、お手上げだったもの」
「雲に何らかの攻撃が加えられるだろうとは思っていた。でもまさか、あんなムチャクチャな事をするヤツが居るなんて、想定外だった」
酸の黒雲が沸き立つ中心に、高熱を発する巨大質量を突っ込ませるなど、頭で考えつく者はいても、普通の神経ならば実行はしない。失敗すればエリア・アマゾンの中心部は壊滅するし、自分の命まで失うのだから。
「デルファイの3J。案山子の帝王。この名を覚えておきなさい、必ず私たちの前に立ちはだかるはず」
マヤウェルの言葉に、カルロは無言でうなずいた。その足が止まる。
カルロのライトが照らす先に、樹が倒れていた。どうやら根元で折れたらしい。
「どうしたの」
「前に来たときは折れていなかった」
二人は用心深くその樹に近付く。カルロは地面に張った根の脇に手を当てて、ホッとため息をついた。
「無事みたいだ」
そのまま手で地面を掘り始める。二、三分は掘っただろうか。カルロは何かを取り出した。ライトを当てると、それは小さなガラス瓶。中には錠剤らしきものが五つほど。
そのとき。
「よーし、動くな」
闇の中から声が聞こえた。マヤウェルとカルロの姿が白くかすむ。強いサーチライトが当てられたのだ。その光を背に、大柄なでっぷりとした影が、こちらに猟銃を向けているのが見えた。
「て、手ぇ上げてこっちに来い。変な気は起こすなよ。お、俺たちゃ十人で囲んでる。逃げる隙なんかねえぞ」
マヤウェルとカルロは両手を頭の上に上げ、ゆっくりと光の方に近付いて行った。猟銃を持つ影は、カルロに向けて手を差し出す。
「そ、そいつを渡せ」
「これが何だか知っているのですか」
マヤウェルが笑顔でたずねる。影は少し動揺したかに見えた。
「う、うるせえ! お、おめえは後で遊んでやるよ、お嬢ちゃん」
その返事に、マヤウェルは明らかにつまらなそうな顔をした。
「そう、知らないの。だったらもう結構」
「な、何」
するとカルロがこう告げた。
「彼は一人だ。仲間は居ない」
マヤウェルはうなずく。
「二、三人くらいは居るかと思ってたのに」
そして後ろを振り返った。
「処分します」
「て、てめえ!」
銃声が響いた。
影は後ろに飛ばされた。おそらくその目は見ただろう。サーチライトの光に長く伸びたマヤウェルの影の中から、次々に姿を現わす軍服姿の男たちを。総勢二十名の武装した兵士が、マヤウェルの向こう側に立っていた。
「私に銃口を向けたのですから、それなりの覚悟はあったのですよね」
マヤウェルは三脚の上に立つサーチライトを、倒れた影に向けた。そこに居たのは髪もヒゲもボサボサの、むさ苦しい男。四十代くらいか。彼の落とした猟銃は、すでに兵士が踏みつけている。
「か、勘弁してくれぇ」
男は情けない声を上げた。
「ほ、ほんの、ほんの出来心だったんだ。か、金目の物だと思ったから、つい。あ、謝る。謝るから、こ、殺さないで」
右肩を撃ち抜かれた男は、左手だけで拝んだ。
「でも、私たちが何かを掘り出すところを見ましたよね」
マヤウェルは笑顔で小首をかしげる。男は慌てて首を振った。
「み、見てねえ、オレは何も見てねえ!」
「そうですか、それは良かった」
男の顔に希望がよぎる。だがそれはマヤウェルの一言により、一瞬で消え去った。
「証拠を残さないように殺しなさい」
「ま、待ってくれ!」
「そうだ、ちょっと待ってくれ」
それはカルロの言葉。マヤウェルは意外そうな顔で振り返った。少年は男にたずねる。
「あの樹を倒したのは、あんたか」
男はこのチャンスにすがった。無理矢理に作った、引きつった笑顔でカルロにうなずく。
「あ、ああ、オレが倒した」
「何のために」
「こ、コカの葉を集めるんだ。樹はいっぱいあるし、た、倒すのが、手っ取り早いから」
「コカインを作るのか」
「そ、そうだ」
「作ったコカインはどうする」
「自分で使ったり、え、エリア・アマゾンで売ったり」
「何ですって」
マヤウェルが目を剥いて食いついてきた。
「あなた、そんな事してたの」
「す、すまねえ、謝るから、勘弁してくれぇ」
「謝って済む問題じゃありません!」
エリア・アマゾンで麻薬が流通しているなど、言語道断である。直ちに清浄化プログラムを立ち上げないと。しかしそんな事など気にならないのか、カルロは質問を続けた。
「精製したコカインは、どこに隠してあるんだ」
「や、山の上の小屋に、全部」
撃たれた肩は痛むだろうに、それを感じさせないほど、何から何までペラペラと男は喋る。沈黙すれば殺されると思っているのは明らかだった。それを見てカルロは言う。
「これを飲んでみないか」
カルロの手には、カラカラと振られるガラスの小瓶。
「……へ?」
男には意味がわからない。カルロは続ける。
「彼の生への執着は、上手く行けば、それなりに使えるものだと思う」
そう言ってマヤウェルを見る。しかし彼女は困惑顔で「えぇ」と声を漏らした。
「まあ、あなたがそう言うのなら、試してみてもいいですけど」
カルロはズボンで手を拭き、ガラスの小瓶の蓋を開けた。中の錠剤を一つ取り出し、手のひらに乗せて、男の顔の前に差し出す。
「じゃ、これを飲んで」
しかし男の顔は不信感と恐怖でいっぱいだ。
「な、何だ、何だよこの薬」
「痛み止めさ」
「う、嘘を言うな! 嫌だ! こ、こんな薬は飲めない!」
立ち上がろうとする男を、兵士たちが押さえ込む。その口がこじ開けられ、そこにカルロが錠剤を一つ放り込んだ。次に口が閉じられ、口と鼻が押さえられる。ゴクリ、のどが音を立てた。
「な……ジュピトルじゃと」
グレート・オリンポスの二百九十七階。ジュピトル・ジュピトリスの部屋にジュピトル・ジュピトリスが立っていた。当たり前のようだが当たり前ではない。もしこれが当たり前の状況なら、ムサシの金属製の手のひらに空いた銃口が、ジュピトルに向けられるはずがないのだ。
偽物だ。撃て。
ムサシの白髪頭の中で、理性が叫ぶ。しかし感情がそれを許さない。その躊躇いを見て取ったのだろう、ムサシの目の前にいたジュピトルは、寝室に飛び込んだ。
「しもうた!」
慌てて後を追ったものの、明らかに事態は悪化していた。ムサシは絶句した。
寝室の中には二人のジュピトル。同じ顔、同じ驚きの表情で、同じ服装の。二人とも部屋の対角線の隅で、言葉を失ったように沈黙している。
本物が先に言葉を発すれば、偽物が真似をするだろう。偽物が先に言葉を発すれば、ボロが出るかも知れない。それを理解すればこそ、二人とも声を出せないのだ。
「ジュピトル様、ご無事ですか!」
双子のナーガとナーギニーが寝室の入り口に駆けつけたが、中の様子にムサシ同様、絶句する。けれど、本物と偽物を見分ける手段は得られた。双子に二人のジュピトルの頭の中を読み取らせれば、どちらが本物かは判別出来る。ムサシは言った。
「この二人の頭の中を読め」
「えっ」
双子は同時に驚いた。ムサシは少し苛立たしげに続ける。
「驚いとる場合か。この状況では、そうでもせねば埒が明かんだろう」
「でも……」
ナーギニーはナーガを見た。ナーガも困惑した顔でうなずく。双子が戸惑うのは当然である。偽物の頭の中を読む事には何の支障も問題もない。だが、本物の心に土足で踏み込むような真似など、出来るはずがない。たとえジュピトルが許しても、自分自身が許せないのだ。
「僕は構わないよ」
向かって左側のジュピトルが言う。
「僕も構わない。読んでくれ」
もう一人の、右側のジュピトルも言う。二人とも優しい笑顔だ。
「ほれ、本人もこう言うとるのだ。やってしまえ」
ムサシの軽い言葉に、ナーギニーはムッとした顔で言い返す。
「そんな簡単な事ではありません!」
「そもそもムサシが付いていながら、何でこんな事になってるんですか」
ナーガの指摘に、ムサシは言葉を濁した。
「それは、じゃな。その、アレだ」
そこに、窓の外から聞こえる爆発音。ムサシと双子が振り返ると、部屋の中には輝く人影。灰色のポンチョを着た、銀のマスクのサイボーグ。
「ジンライ。お主、いったいどうした」
ムサシの問いかけに返事をせず、ジンライは寝室に入ってくる。そこには二人のジュピトル・ジュピトリス。
「なるほど。これが狙いだったのか、ファンロン」
ジンライのその言葉に、二人のジュピトルは反応しない。
「外に居たおまえの部下は、全員斬った。逃げ場はないぞ」
それでも二人のジュピトルは何も言わない。ジンライは続ける。
「正体を明かせば、命だけは助けてやる。拙者に斬って捨てられたいのなら、好きにしろ」
すると向かって右側のジュピトルは、微笑んでこう言った。
「ジンライ、君になら斬られても仕方ない」
ところがもう一人、左側のジュピトルは首を振った。
「僕は斬られるのは困るな」
そしてこう続けた。
「3Jに怒られるからね」
銀光一閃、超振動カッターがきらめく。ジンライの右側にいた、先に答えた方のジュピトルが倒れ込んだ。左の肩に傷が付いている。恐怖と悲しみに満ちた顔。
「どうして、僕だよ、わからないの」
「わかっていないのは貴様の方だ」
ジンライは静かに見つめる。
「本物のジュピトル・ジュピトリスに、拙者の剣をかわせる訳がなかろう」
「違う、これはたまたま」
「たまたまが通用する相手かどうか、本物なら理解している」
もう一人のジュピトルが声をかける。
「待って。殺しちゃいけない。誰が糸を引いているのか、確かめないと」
しかし、ジンライはそれを無言で拒絶した。再び銀光が奔る。右側のジュピトルは大きく跳んだ。だが着地は出来ない。両脚が切断されたからだ。床に肩から落ちながら、それでも懐から銃を抜いた。けれどその腕も切断された。そして。
ジュピトルは息を呑み、ナーガとナーギニーの双子は目をそらした。ムサシが一つ、ため息をつく。
床に転がる首。それはジュピトルの顔から、酷薄な笑いを浮かべた金髪の女へと変化した。
「花が咲いてる」
種類まではわからない。だがおそらくは、あの樹に花が咲いているのだろう。
「何の花かわかる?」
後ろから声がする。振り返ると、カルロがタラップを下りたところ。
「花の種類には詳しくなくて」
「コカの花だよ」
カルロは神妙な顔でそう言った。
「白い五弁の小さな花。人間が世話をしなくなっても、ちゃんと咲くんだ」
「へえ。どんな麻薬も、人間が居なくなれば用なしなのにね」
立ち止まっているマヤウェルをカルロが追い越し、手にライトを持って草原を進む。マヤウェルはその後ろに続いた。
「もう少し交通の便のいい場所に隠せば良かったのに」
「そう何度も使う事になるとは思ってなかったからね」
と言いながらも、カルロの歩みに迷いはない。目的地に真っ直ぐ進んで行く。マヤウェルは苦笑した。
「まあ確かに、あの酸の雨には参ったよ。どうしたらいいのか、お手上げだったもの」
「雲に何らかの攻撃が加えられるだろうとは思っていた。でもまさか、あんなムチャクチャな事をするヤツが居るなんて、想定外だった」
酸の黒雲が沸き立つ中心に、高熱を発する巨大質量を突っ込ませるなど、頭で考えつく者はいても、普通の神経ならば実行はしない。失敗すればエリア・アマゾンの中心部は壊滅するし、自分の命まで失うのだから。
「デルファイの3J。案山子の帝王。この名を覚えておきなさい、必ず私たちの前に立ちはだかるはず」
マヤウェルの言葉に、カルロは無言でうなずいた。その足が止まる。
カルロのライトが照らす先に、樹が倒れていた。どうやら根元で折れたらしい。
「どうしたの」
「前に来たときは折れていなかった」
二人は用心深くその樹に近付く。カルロは地面に張った根の脇に手を当てて、ホッとため息をついた。
「無事みたいだ」
そのまま手で地面を掘り始める。二、三分は掘っただろうか。カルロは何かを取り出した。ライトを当てると、それは小さなガラス瓶。中には錠剤らしきものが五つほど。
そのとき。
「よーし、動くな」
闇の中から声が聞こえた。マヤウェルとカルロの姿が白くかすむ。強いサーチライトが当てられたのだ。その光を背に、大柄なでっぷりとした影が、こちらに猟銃を向けているのが見えた。
「て、手ぇ上げてこっちに来い。変な気は起こすなよ。お、俺たちゃ十人で囲んでる。逃げる隙なんかねえぞ」
マヤウェルとカルロは両手を頭の上に上げ、ゆっくりと光の方に近付いて行った。猟銃を持つ影は、カルロに向けて手を差し出す。
「そ、そいつを渡せ」
「これが何だか知っているのですか」
マヤウェルが笑顔でたずねる。影は少し動揺したかに見えた。
「う、うるせえ! お、おめえは後で遊んでやるよ、お嬢ちゃん」
その返事に、マヤウェルは明らかにつまらなそうな顔をした。
「そう、知らないの。だったらもう結構」
「な、何」
するとカルロがこう告げた。
「彼は一人だ。仲間は居ない」
マヤウェルはうなずく。
「二、三人くらいは居るかと思ってたのに」
そして後ろを振り返った。
「処分します」
「て、てめえ!」
銃声が響いた。
影は後ろに飛ばされた。おそらくその目は見ただろう。サーチライトの光に長く伸びたマヤウェルの影の中から、次々に姿を現わす軍服姿の男たちを。総勢二十名の武装した兵士が、マヤウェルの向こう側に立っていた。
「私に銃口を向けたのですから、それなりの覚悟はあったのですよね」
マヤウェルは三脚の上に立つサーチライトを、倒れた影に向けた。そこに居たのは髪もヒゲもボサボサの、むさ苦しい男。四十代くらいか。彼の落とした猟銃は、すでに兵士が踏みつけている。
「か、勘弁してくれぇ」
男は情けない声を上げた。
「ほ、ほんの、ほんの出来心だったんだ。か、金目の物だと思ったから、つい。あ、謝る。謝るから、こ、殺さないで」
右肩を撃ち抜かれた男は、左手だけで拝んだ。
「でも、私たちが何かを掘り出すところを見ましたよね」
マヤウェルは笑顔で小首をかしげる。男は慌てて首を振った。
「み、見てねえ、オレは何も見てねえ!」
「そうですか、それは良かった」
男の顔に希望がよぎる。だがそれはマヤウェルの一言により、一瞬で消え去った。
「証拠を残さないように殺しなさい」
「ま、待ってくれ!」
「そうだ、ちょっと待ってくれ」
それはカルロの言葉。マヤウェルは意外そうな顔で振り返った。少年は男にたずねる。
「あの樹を倒したのは、あんたか」
男はこのチャンスにすがった。無理矢理に作った、引きつった笑顔でカルロにうなずく。
「あ、ああ、オレが倒した」
「何のために」
「こ、コカの葉を集めるんだ。樹はいっぱいあるし、た、倒すのが、手っ取り早いから」
「コカインを作るのか」
「そ、そうだ」
「作ったコカインはどうする」
「自分で使ったり、え、エリア・アマゾンで売ったり」
「何ですって」
マヤウェルが目を剥いて食いついてきた。
「あなた、そんな事してたの」
「す、すまねえ、謝るから、勘弁してくれぇ」
「謝って済む問題じゃありません!」
エリア・アマゾンで麻薬が流通しているなど、言語道断である。直ちに清浄化プログラムを立ち上げないと。しかしそんな事など気にならないのか、カルロは質問を続けた。
「精製したコカインは、どこに隠してあるんだ」
「や、山の上の小屋に、全部」
撃たれた肩は痛むだろうに、それを感じさせないほど、何から何までペラペラと男は喋る。沈黙すれば殺されると思っているのは明らかだった。それを見てカルロは言う。
「これを飲んでみないか」
カルロの手には、カラカラと振られるガラスの小瓶。
「……へ?」
男には意味がわからない。カルロは続ける。
「彼の生への執着は、上手く行けば、それなりに使えるものだと思う」
そう言ってマヤウェルを見る。しかし彼女は困惑顔で「えぇ」と声を漏らした。
「まあ、あなたがそう言うのなら、試してみてもいいですけど」
カルロはズボンで手を拭き、ガラスの小瓶の蓋を開けた。中の錠剤を一つ取り出し、手のひらに乗せて、男の顔の前に差し出す。
「じゃ、これを飲んで」
しかし男の顔は不信感と恐怖でいっぱいだ。
「な、何だ、何だよこの薬」
「痛み止めさ」
「う、嘘を言うな! 嫌だ! こ、こんな薬は飲めない!」
立ち上がろうとする男を、兵士たちが押さえ込む。その口がこじ開けられ、そこにカルロが錠剤を一つ放り込んだ。次に口が閉じられ、口と鼻が押さえられる。ゴクリ、のどが音を立てた。
「な……ジュピトルじゃと」
グレート・オリンポスの二百九十七階。ジュピトル・ジュピトリスの部屋にジュピトル・ジュピトリスが立っていた。当たり前のようだが当たり前ではない。もしこれが当たり前の状況なら、ムサシの金属製の手のひらに空いた銃口が、ジュピトルに向けられるはずがないのだ。
偽物だ。撃て。
ムサシの白髪頭の中で、理性が叫ぶ。しかし感情がそれを許さない。その躊躇いを見て取ったのだろう、ムサシの目の前にいたジュピトルは、寝室に飛び込んだ。
「しもうた!」
慌てて後を追ったものの、明らかに事態は悪化していた。ムサシは絶句した。
寝室の中には二人のジュピトル。同じ顔、同じ驚きの表情で、同じ服装の。二人とも部屋の対角線の隅で、言葉を失ったように沈黙している。
本物が先に言葉を発すれば、偽物が真似をするだろう。偽物が先に言葉を発すれば、ボロが出るかも知れない。それを理解すればこそ、二人とも声を出せないのだ。
「ジュピトル様、ご無事ですか!」
双子のナーガとナーギニーが寝室の入り口に駆けつけたが、中の様子にムサシ同様、絶句する。けれど、本物と偽物を見分ける手段は得られた。双子に二人のジュピトルの頭の中を読み取らせれば、どちらが本物かは判別出来る。ムサシは言った。
「この二人の頭の中を読め」
「えっ」
双子は同時に驚いた。ムサシは少し苛立たしげに続ける。
「驚いとる場合か。この状況では、そうでもせねば埒が明かんだろう」
「でも……」
ナーギニーはナーガを見た。ナーガも困惑した顔でうなずく。双子が戸惑うのは当然である。偽物の頭の中を読む事には何の支障も問題もない。だが、本物の心に土足で踏み込むような真似など、出来るはずがない。たとえジュピトルが許しても、自分自身が許せないのだ。
「僕は構わないよ」
向かって左側のジュピトルが言う。
「僕も構わない。読んでくれ」
もう一人の、右側のジュピトルも言う。二人とも優しい笑顔だ。
「ほれ、本人もこう言うとるのだ。やってしまえ」
ムサシの軽い言葉に、ナーギニーはムッとした顔で言い返す。
「そんな簡単な事ではありません!」
「そもそもムサシが付いていながら、何でこんな事になってるんですか」
ナーガの指摘に、ムサシは言葉を濁した。
「それは、じゃな。その、アレだ」
そこに、窓の外から聞こえる爆発音。ムサシと双子が振り返ると、部屋の中には輝く人影。灰色のポンチョを着た、銀のマスクのサイボーグ。
「ジンライ。お主、いったいどうした」
ムサシの問いかけに返事をせず、ジンライは寝室に入ってくる。そこには二人のジュピトル・ジュピトリス。
「なるほど。これが狙いだったのか、ファンロン」
ジンライのその言葉に、二人のジュピトルは反応しない。
「外に居たおまえの部下は、全員斬った。逃げ場はないぞ」
それでも二人のジュピトルは何も言わない。ジンライは続ける。
「正体を明かせば、命だけは助けてやる。拙者に斬って捨てられたいのなら、好きにしろ」
すると向かって右側のジュピトルは、微笑んでこう言った。
「ジンライ、君になら斬られても仕方ない」
ところがもう一人、左側のジュピトルは首を振った。
「僕は斬られるのは困るな」
そしてこう続けた。
「3Jに怒られるからね」
銀光一閃、超振動カッターがきらめく。ジンライの右側にいた、先に答えた方のジュピトルが倒れ込んだ。左の肩に傷が付いている。恐怖と悲しみに満ちた顔。
「どうして、僕だよ、わからないの」
「わかっていないのは貴様の方だ」
ジンライは静かに見つめる。
「本物のジュピトル・ジュピトリスに、拙者の剣をかわせる訳がなかろう」
「違う、これはたまたま」
「たまたまが通用する相手かどうか、本物なら理解している」
もう一人のジュピトルが声をかける。
「待って。殺しちゃいけない。誰が糸を引いているのか、確かめないと」
しかし、ジンライはそれを無言で拒絶した。再び銀光が奔る。右側のジュピトルは大きく跳んだ。だが着地は出来ない。両脚が切断されたからだ。床に肩から落ちながら、それでも懐から銃を抜いた。けれどその腕も切断された。そして。
ジュピトルは息を呑み、ナーガとナーギニーの双子は目をそらした。ムサシが一つ、ため息をつく。
床に転がる首。それはジュピトルの顔から、酷薄な笑いを浮かべた金髪の女へと変化した。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる