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The first cup はちみつ色の町
3 不思議な出会い
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櫨取(はぜとり)美観地区は車の進入が禁止されているので、訪れる人は櫨取駅から美観地区の入り口までシャトルバスに乗っていく。
若葉は改札を出て、長い階段を下りていた。
手すり越しに見下ろすと、真下に大きな六角形をピラミッド状に並べたような変わった建物があった。
その向かいには何十台と停められる広い駐車場がある。平日だったが、駐車場には多くの車があった。
駐車場から続く道路の先には、点々と古い民家が見える。コンクリートの道路の脇にすぐ畑があるのも、若葉にとっては目新しい。その先はぐるりと高い山が連なっていた。
「ママー、ジュースー」
前を歩いていた幼い男の子が、母親の方を振り返り言った。
「ここ降りたら道の駅だからね。着いたら、おいしいお茶を飲もうね」
親子は楽し気な足取りで下りていった。
道の駅か。バスの時間に余裕があれば寄ってもいいな、と若葉は思った。
どこからか、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。他にも何か分からない鳥や虫の鳴き声も。
田舎は静かなのだとばかり思っていたが、聞きなれない音がシャワーのように降りそそぎ、学園よりずっと賑やかに感じた。
階段を下りるとすぐにバス停があった。石造りのシンプルなバス停だ。
停留所の名前は『はちみつ広場』。
若葉は、先ほど上から見た六角形の建物が蜂の巣をイメージしていることに気づいた。さすが、観光地。
時刻表を見ると、意外にもバスは三十分に一本あったので、たちまちの一便は見送ることにした。
「私も道の駅で飲み物でも――」
ゴソッ
「ん?」
若葉は目の端で、なにか動くものを見た気がした。
来た方の階段脇から伸びる雑木林は、バス停からは木の柵で区切られている。
今は裸枝なので光が差しているが、初夏にもなれば頭上の線路まで覆い隠してしまうだろう。
その藪の中を、茶色い動物が走っていた。
何?ネコ…?もしかして、タヌキ?
ずっと校舎と寮の往復だった若葉は、野生の動物の存在に緊張した。
木々の間、立ち止まったその後姿をじっと見ていると、その動物とわかる特徴的な部分がこちらを向いた。
「ウサギだ…」
ペットショップのウサギのように、モコモコとしていない。しなやかで筋肉質な背中はネコと見間違えても仕方ない。けれど、最大の特徴である長い耳は間違いなくウサギのものだった。
「野生のウサギ…いるんだ」
ウサギは若葉を見ていた。逃げもせず、じっと。
黒々とした瞳に、自分の頭の中をのぞかれている気がした。
急に時間が巻き戻りはじめたかのように、若葉は不思議な感覚に包まれた。
今朝、旅立った学園寮。毎日着ていた学生服。卒業式。友人との別れ。朝の教室、夕暮れの校舎。大好きだった中庭。育てていた鉢。スケッチブック。鮮やかな刺繍糸を真っ白いキャンバスに縫い付けていく。祖母の笑った顔。それに両親。小さな手でマグカップを支えて、ふーっと息を吐いて湯気を散らす。口に含むと、とろけるほど甘いミルクティーの味。
同時にウサギの頭の中にある、ふかふかした腐葉土のにおいや、木の実の味、雨に濡れた毛皮の感触や、なぜか懐かしく響く教会の鐘の音まで確かに感じて、若葉はそれを受け取った。
そう思った瞬間、ウサギは踵を返して藪の中に消えてしまった。
若葉は改札を出て、長い階段を下りていた。
手すり越しに見下ろすと、真下に大きな六角形をピラミッド状に並べたような変わった建物があった。
その向かいには何十台と停められる広い駐車場がある。平日だったが、駐車場には多くの車があった。
駐車場から続く道路の先には、点々と古い民家が見える。コンクリートの道路の脇にすぐ畑があるのも、若葉にとっては目新しい。その先はぐるりと高い山が連なっていた。
「ママー、ジュースー」
前を歩いていた幼い男の子が、母親の方を振り返り言った。
「ここ降りたら道の駅だからね。着いたら、おいしいお茶を飲もうね」
親子は楽し気な足取りで下りていった。
道の駅か。バスの時間に余裕があれば寄ってもいいな、と若葉は思った。
どこからか、ウグイスの鳴き声が聞こえてくる。他にも何か分からない鳥や虫の鳴き声も。
田舎は静かなのだとばかり思っていたが、聞きなれない音がシャワーのように降りそそぎ、学園よりずっと賑やかに感じた。
階段を下りるとすぐにバス停があった。石造りのシンプルなバス停だ。
停留所の名前は『はちみつ広場』。
若葉は、先ほど上から見た六角形の建物が蜂の巣をイメージしていることに気づいた。さすが、観光地。
時刻表を見ると、意外にもバスは三十分に一本あったので、たちまちの一便は見送ることにした。
「私も道の駅で飲み物でも――」
ゴソッ
「ん?」
若葉は目の端で、なにか動くものを見た気がした。
来た方の階段脇から伸びる雑木林は、バス停からは木の柵で区切られている。
今は裸枝なので光が差しているが、初夏にもなれば頭上の線路まで覆い隠してしまうだろう。
その藪の中を、茶色い動物が走っていた。
何?ネコ…?もしかして、タヌキ?
ずっと校舎と寮の往復だった若葉は、野生の動物の存在に緊張した。
木々の間、立ち止まったその後姿をじっと見ていると、その動物とわかる特徴的な部分がこちらを向いた。
「ウサギだ…」
ペットショップのウサギのように、モコモコとしていない。しなやかで筋肉質な背中はネコと見間違えても仕方ない。けれど、最大の特徴である長い耳は間違いなくウサギのものだった。
「野生のウサギ…いるんだ」
ウサギは若葉を見ていた。逃げもせず、じっと。
黒々とした瞳に、自分の頭の中をのぞかれている気がした。
急に時間が巻き戻りはじめたかのように、若葉は不思議な感覚に包まれた。
今朝、旅立った学園寮。毎日着ていた学生服。卒業式。友人との別れ。朝の教室、夕暮れの校舎。大好きだった中庭。育てていた鉢。スケッチブック。鮮やかな刺繍糸を真っ白いキャンバスに縫い付けていく。祖母の笑った顔。それに両親。小さな手でマグカップを支えて、ふーっと息を吐いて湯気を散らす。口に含むと、とろけるほど甘いミルクティーの味。
同時にウサギの頭の中にある、ふかふかした腐葉土のにおいや、木の実の味、雨に濡れた毛皮の感触や、なぜか懐かしく響く教会の鐘の音まで確かに感じて、若葉はそれを受け取った。
そう思った瞬間、ウサギは踵を返して藪の中に消えてしまった。
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