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第12章 手をつなごう
(2) さくらの不安
しおりを挟むさくらは歌がうまい。
これはアウローラのメンバー全員が知っている共通事項だ。
だが、これには条件が付く。
"さくらが歌うことに感情移入していれば"
これが前提なのだ。
もし、その前提が崩れていると、トレーニングルームの隣にある小さい部屋のBルームから流れている歌声のようになる。今はボーカルトレーニングなので、振り付けを踊らずにフローラの3人で歌っているのだが、さくらの歌声はスコア通りのはずなのに、聞いている人には微妙に音程がずれていて、さらに、美咲もいずみもその声に引きずられて音程がずれ始める。その歌声はガラス越しにみんなのいるトレーニングルームにも漂ってきた。
ダンスの自主練としながら待っていたSTARのメンバーは、リズムが狂い、ステップが止まった。
つばさが「おお……リサイタル……」とつぶやいた。田澤にはアンバサダーとかアイドルの歌声というより、まるでどこかの空き地の土管の上でガキ大将が歌っているかのように思えた。
ただ、ガキ大将とは異なり、さくらにも自分の歌声には自覚があるので歌い終わった後また顔を赤くしてうつむいてしまった。気分がいまいちのらないのは、ようはさっきの言い争いが原因ということだろう。
気分転換しておいでとトレーニングルームに戻されたさくらは、美咲といずみに挟まれて気まずそうにしていた。入れ替わりに指導を受けるフィギュアの3人がトレーナーに呼ばれる。佐竹も先ほどの言い争いの件が気になっていたのか、さくらと目が合うと微妙に視線をそらしながら「気の乗らない時ってあるよね……」と変に気を使った言葉をかけた。それで返って恥ずかしくなり「うう……」と美咲のあまりない胸に顔をうずめてしょげてしまった。
美咲はさくらをあやしながら「さくらは気分が乗れば超歌うまいから! 私より上手だから!」とわかばたちに向かって本人に成り代わって弁解していた。
全員がトレーナーから歌唱について指導を受け、この日のトレーニングはすべて終了した。さくらは、今日のトレーニングで自分が上達したとはどうしても思えず、貴重な1日を無駄にしたような気がして、その自覚で余計に気をずーんと重くさせた。
退勤時間が近づくと、オフィスでSVや城野と一緒に打ち合わせしていたプロデューサーがフィギュアを見つけ、3人とプロデューサーはみんなに挨拶した後に帰って行った。SVが差し入れに用意していたお菓子と缶ジュースをパークの袋(イベント期間を終えて社内用にリサイクルしたクリスマスのもの)に入れて佐竹に持たせていた。
アウローラのメンバーたちは着替えたり、トレーニングの自己評価のレポートを書いたりしながらタイムレコーダーを使える時間まで待っていた。さくらもいずみも学校から直接通勤したので学校の制服に着替えていた。
さくらは麦茶の入った猫の絵のマイカップを手にしながら「自分の魅力、かぁ……」と考えていた。佐竹の言っていたことに反発はしたもの、アイドルとしての考えだと思えば間違っているとも思えない。でも、だからと言ってアンバサダーである自分の立場はどうなんだろう? と思ったのだ。
もちろん、ステージに上がれば立場など関係ない。お互いに助け合うべきだというのは以前のライブステージで体験して学んだ。だが、一緒に同じ曲で歌いダンスするとなると話が違ってくる気がするのだ。
いずみはさくらの隣に座り、白い無地のマイカップに入った麦茶を口にしながら視線をさくらに向けた。
「個性も大事だし、テーマショーの維持も大事だと思うよ。あとは、どこに自分の軸足を置くかだけだと思うよ」
「うん……わかってるんだけど……」
いずみは、向かい側でパックのいちごみるくを口にして「むふふん」と嬉しそうにしているこまちに顔を向けた。
「ほら、こっちにも個性の塊もいるし」
「いやーぁ むふふん」
なぜか照れているこまちに、後ろに立っていた田澤が「いや、褒めてるわけではないと思うぞ」とツッコミを入れていた。田澤は暑いからか珍しくデニムのショートパンツに薄手のカーディガンをアウターに羽織っていた。
いずみは田澤に顔を向けて口を開いた。
「STARは個性強めだと思うけど、どんな感じ?」
「私はそんな個性強めではないけど、まあ、つばさもこまちもわかりやすいよね。だから逆に私は動きやすいかな」
田澤はそう答えたんだが、その答えに異議があるらしい子が一人いた。
つばさがパーテーションの影から「田澤さんだってキャラたってるじゃんかー」とつぶやいた。つばさに気が付いた田澤が視線を送った。
「トレーニングの自己評価レポート、ちゃんと書いた?」
つばさがすす……と姿を隠した。
「あ! またさぼってたね!」
「次にまとめて出すから~」
そういって逃げていくのを視線で追いかける。田澤はしみじみと「あれで、大学の成績いいんだから謎だよなぁ」と不思議そうにつぶやいた。実際、成績だけで言えばつばさは上位クラスで高校時代も全県模試でトップグループにいた。こまちもやはり高校では成績上位なので、STARはお勉強に関して言えばかなり「頭がいい」グループなのだが、二人の個性がこんな感じなのであまりそういうイメージを与えない。もっとも田澤だって成績は悪くない。天才となんとかは紙一重というが、そのこまちとつばさを制御し得ているのも田澤の一種の才能だろう。
つばさがブレイクエリアに逃走したようなので、お姉さんの顔をしながら少し呆れた田澤は、いずみに視線を戻した。
「フローラは金曜から合宿するんでしょ?」
「うん。やっぱり、メインの曲でフィギュアと組んで歌うからね。ほら、微妙に文化が違うでしょ? まだ、しっくりこないところもあるからね」
合宿自体は前から計画されていて、スケジュールは決まっていた。他の曲のダンスや歌唱はだいたい揃ってきていたが、一番重要なアウローラのテーマ曲のメダンスと歌唱の統一感にまだばらつきがある。そのことはやはりフローラの3人にも認識がある。だから、ちょうどよかったといえるし、練習の時間が増えたことは喜ばしいことだった。
それになにより、美咲やわかば、それにさつきにとって一緒に一晩過ごすというのは楽しみなことでもあった。特にフィギュアはアイドル活動のために部活はやっていないし、まだまだ弱小な白井プロにはあまりほかに所属アイドルはおらず、こんな風に泊りがけで練習するなんて体験があまりないのだ。
いずみは、あまり気にしていないようだったが、佐竹とさくらが微妙に気乗りしていないのは感じていた。とはいっても佐竹はリーダーであることもあって不満は口にしていない。帰る前にいずみと話した時も「何事も経験だから」といっていた。
さくらも、「聞き分けのよいいい子」なので「嫌だ」とは口にはしていない。それでも、いずみの家に泊まった時と違い、会社の、それも何となくしっくりきていない外部の人間と一晩過ごすというのは、おそらく相当の精神値を削る事態なのだというのは経験上わかる。
だから、さくらが不安そうな顔をしていたのをいずみは見過ごさなかった。
「大丈夫。修学旅行よりはマシなはず」
「え!?」
「修学旅行とか森林研修とか苦手な方でしょ?」
「……うん」
「今度の合宿は知ってる子ばっかりだし、それにほら、フィギュアの子たちともっと呼吸というか、そういうの合わせられるようにしておきたいじゃん?」
「そ、そうだね。本番も、近いし、井川さくら、ガンバリマス!」
「……無理しないでね、それ、なんか危険なにおいがする台詞だから……」
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