オンステージ! ~アンサンブル・カーテンコール!~

岩谷ゆず

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第6章 みんなでつむぐ物語

(2) はじめてのサイン

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 木曜日は授業が早く終わる関係もあり、特に指示されたわけでもないが舞が自主トレのために早く出勤するのが定例になっていた。梅雨のさなかということもあってか、今日は朝から雲が低く立ち込め、時折雨がぱらつくあいにくの天気だった。トレーニングウェアに着替えて曇り空を反映したうす暗い渡り廊下を歩いていくと、トレーニングルームに明かりがついているのに気が付いた。

 いつもはエンターテイメントオフィスのトレーナーを呼びにいかないといけないので、舞は少し不思議そうな顔をしながら、そっと窓から中を覗いた。
 その中ではトレーナーが一人の若い女の子にボイストレーニングを行っている。女の子は自分と同じ年くらいで、明るい色のロングヘアを後ろでまとめ上げていた。舞には記憶がない子で、少なくともアウローラのメンバーではない。

 よくよく見るとパフォーマンスユニット用のトレーニングウェアを着ているので、なるほど、見たことないはずだ、と舞は思った。

 キーボードを演奏していたトレーナーが舞に気が付いて手招きする。
 それに気が付いた女の子も振り返った。
 女の子の顔は、いずみと同じくらい綺麗な顔で、一瞬舞は息を飲んだ。
 そして、いつもトレーナーを呼びに行くときにエレベーターホールで見るロールアップスタンドの写真を思い出した。パフォーマンスユニットに何人かいるリーダーの人だ!

 そのことに気が付いた舞はドアを開けておずおずと中に入ると、先客の女の子が微笑みかけてきた。

 「アウローラの子だね 自主トレ?」
 「は、はい、この後……」
 「そんな緊張しなくていいって。私も高校生だし、そんなに歳変わんないでしょ?」

 トレーナーが立ち上がって舞に女の子を紹介してくれた。

 「パフォーマンスユニットの、舞からは先輩にあたるわね。"川尻みその"さんよ」
 「よろしくねー」

 先輩、という言葉に舞はあわてて頭を下げた。

 「よ、よろしくおねがいします! 安浦浜 舞です!」

 深々と頭を下げる舞に、みそのは「まあまあ」と手を向けて笑顔を浮かべた。

 「同じ高校生なんだし、仲良くいこーよ」
 「は、はい、仲良くお願いします!」

 トレーナーとみそのが顔を合わせて、ちょっと笑った。
 


 トレーナーは舞にダンスレッスン前のアイソレーションから2人でやるよう指示した。
 そのあと、次のイベントのダンスを一緒に練習し、みそのが先輩らしくいろいろ助言していた。みそのと舞はすっかり打ち解けていて、迎えにきたSVがガラス越しに見たときには二人でボイストレーニングを受けながら楽しそうにしていた。

 ノックしてSVがトレーニングルームに入ると、舞とみそのが振り返った。
 もうすぐ朝礼だと舞に声をかけた。「はい!」と返事した舞の顔はとても明るい笑顔だった。

 トレーナーとみそのに見送られてトレーニングルームを後にしたSVと舞は、雲が少しだけ薄くなり、陽射しが少し戻った渡り廊下をオフィスに向かって歩いていた。 舞の機嫌がよさそうなことに気が付いたらしいSVは、右手に書類を抱えたまま舞に話しかけてきた。

 「なにかいい事あった?」
 「え? そう見えましたか?」
 「ええ。舞、最近表情が穏やかになったわね」
 「そ、そうですか?」
 
 昨日といい、今日といい、「表情がよくなった」と続け様に言われたが、果たしてこれは褒め言葉なのだろうか? 昨日のディレクターさんは褒めてくれていたようだったけど。

 「あの……私、そんなに表情暗かったですか?」

 SVは少し視線を天井に向けて過去を思い出しているようだった。

 「そうね……ステージデビューの時とか、ちょっと怖かったかもね」
 「ええ!? す、すみません!」
 「謝ることじゃないわよ? 誰だってデビューするときは緊張するし」

 SVはそういうと、少し微笑みを浮かべ、優しそうな目を舞に向けた。

 「でも、今は楽しそうでよかったわ。頑張ることも大事。でも、楽しむことだってとっても大事よ? 舞は今、アンバサダーの仕事を楽しんでるかしら?」

 この疑問には自信を持って、舞は答えられた。

 「はい! 楽しいです、とっても!」

 舞の眩しいくらいの笑顔を見て、SVは何かに気が付いたような表情を浮かべた。

 「その顔ね。あの迷子の女の子が舞に打ち解けてくれた理由は」

 なんだか急に恥ずかしくなった舞は、自分の顔が熱を帯びて赤くなるのを自覚した。


 
 さくらが出社して階段を昇っていた時、エンターテイメント棟からの渡り廊下からSVと舞が歩いてくるのが見えた。過去にも何度か舞を呼びにSVがエンターテイメント棟にいっているのは見ているが、今日の2人はなんだか雰囲気が違った。
 
 なんというか楽しそうだった。

 さくらはそう思った。
 オフィスの前まできたSVと舞がさくらに気が付いて足を止めた。舞が穏やかな表情で、「おはよう、さくらちゃん!」と微笑みかけた。


          **


 翌日の金曜日はフローラがグリーティングを行うことになっていた。
 イベントの正式な開始日は土曜日なのだが、「準備が整ったので」という理由で告知なしで今日からスタートしていた。

 とはいっても、この日のステージはすべてパフォーマンスユニットが担当することになっていた。平日やアウローラが事情で出演できない時はパフォーマンスユニットで対応することになっていたので、その訓練のためでもある。
 もともと本職であるパフォーマンスユニットのメンバーにとっては、このショーのステージはそれほど難易度は高くない。しかし、子供向けとはいえ「お子様向け過ぎない」レベルのちゃんとしたショーは久しぶりで、キャストたちはいつもより少しテンション高めにステージに飛び出していった。



 フローラのメンバーは雑誌などへの提供写真の撮影も兼ねて、アドベンチャー・ラグーンステージ周辺で例の探検隊コスチュームでグリーティングを行っていて、少し蒸し暑い風が漂う中、写真を撮ったり、ちょっとしたパフォーマンスをしたりしてゲストの対応をしていた。
 予告なく、なのがミソなのだが、いったいどういうわけか美咲たちが歌うシーンが予定されている場所には最初から何人かのゲストが待っているという現象が起きていた。

 外部に漏らした覚えもないし、もちろん宣伝したわけでもないのだが、なんにでも「マニア」というものは存在するらしく、ゲストコントロールキャストや「キャラクター・ハンドラー」と呼ばれる誘導役のキャストの動きで予測したようで、完全な不意打ち公演を実施するのはどうやら無理の様だった。まあ、多くのゲストはそこまで観察しているわけではないので、SVは「こればかりはしょうがないわね……」とあきらめることにした。
 
 アトモスファの後に行うグリーティングも終了し、SVとハンドラー・キャストに誘導されてバックステージに戻ろうとしていた。
 木戸のそばまで来て、ハンドラー・キャストが扉を開けて待っていた。

 見送る何人かのゲストに手を振って挨拶してバックステージに戻ろうとしたその時に、大学生くらいの男の子が一人、最後尾のさくらに「すみません」と声をかけてきた。すぐにSVが気が付いて、男の子に「どうかなさいましたか?」と声をかけた。

 さくらが自分ですぐに対応しなかったのは保安上の理由で、ハンドラー・キャストかSVがワンクッション置いてから対応するよう指導されていたからだ。
 男の子は鞄からCDケースを取り出し、SVとさくらを見ながらそれを差し出した。
 
 「あの、よかったらサインをいただけませんか?」

 サイン……?

 さくらは笑顔を浮かべたままSVに視線を送った。さくらは今までサインをしたことはなかったし、そんな練習もしてなかったので、どうしていいのかわからなかった。
 SVはさくらの視線にうなずいて答えた。ゲストの要望なら断る理由はない。 男の子が差し出したCDはさくらたちが出演していた「キッズフェアリーズ」のものだった。あのステージを見てくれていたゲストなんだ。そう思ったさくらは、快く引き受けるべきだと考えた。

 「わかりました。ショーをご覧になっていただけたんですね」
 「あ……はい! 初めて見たショーだったんですけど、それで……」
 「ありがとうございます。サイン、このCDでよろしいですか?」
 「は、はい! おねがいします」

 さくらは意識してアンバサダーとしての役に入っていたので、話し方もいつもと違って流暢だった。そして、両手でCDとペンを受け取り……どうしよう、と一瞬悩んだ。

 SVがそっと耳打ちした。

 「……フルネームはダメよ? さくら、てだけにしてね」

 さくらはこくんとうなずくと、"さくら"と書き込み、その脇に小さく"応援ありがとうございます"と書き添えた。

 対応を終えて、フローラたちが木戸を抜けてバックステージからオンステージ側に振り返ると、木戸が閉まるまで男の子が何度もお辞儀していた。


          **


 さくらたちがトレーニングウェアに着替えてエンターテイメント棟のブレイクエリアに休憩に行くとフェアリーリングのメンバーがお菓子を分け合っていた。

 美咲がさくらのサインの件を話題にすると、舞はクッキーを口に放り込む手を止めて、すごいなーと喜んだ。

 「私たちの事、ちゃんと見てくれる人がいるんだ」

 向かい側に座る広森と藤森もうんうんとうなずいた。

 「やっぱり、さくらちゃん人気あるんだねー! 絶対人気出ると思ってたよー!」
 「ややや、あの、そんな、まだ一人だけで……」

 舞の言葉をあわあわ否定するさくらをみて、ココのぬいぐるみストラップをぶら下げたスマホを操作しながら、いずみが優しい表情を浮かべた。

 「一人でもファンだといってくれる人がいるなら、素直に喜んでいいと思うよ?」

 美咲はいずみの言葉に感銘をうけたらしく、いつになく瞳をキラキラさせて少女漫画みたいな表情で口を開いた。

 「そうだよー! いいなぁ……私にもファン、できるかなぁ?」



 
 さくらたちがトレーニングを受けるためにブレイクエリアを後にした。空調の音が微かに聞こえる部屋の中で、舞は片手に紙コップを持ちながら、視線を入り口側に向けた。

 そこにはブレイクエリアの掲示板があり、ユニバーシティでトレーナー役だった田所さんがモデルの「ゲストはいつでも見ていますよっ」という啓発ポスターが貼ってあった。
 舞がそこに視線を固定させていると、広森と藤森もポスターに目を向けた。
 
 そっか……そうだよね。私がステージに上がるのは、ゲストのためなんだよね……

 舞が小さな声でそうつぶやいた。藤森がポスターから舞に視線を向けなおしたとき、舞はほんの少しだけ何かを決意したような、そんな笑顔を浮かべていた。
 広森がいつもの優しい表情で、舞に尋ねた。

 「どうしたの、舞ちゃん?」
 「うん。さくらちゃん達の話を聞いて……私、なんか自分のために一生懸命になりすぎてた気がして」

 藤森が不思議そうな顔をした。

 「でも、舞ちゃんが頑張ってたの、ショーをちゃんとやるためですよね? それってゲストのためになってるんじゃないですか?」

 困ったような声で小さく笑った舞は、首を少しだけゆっくり振った。

 「今思うと、自分が失敗したらはずかしいとか、二人に迷惑がかかるとか……あ、もちろん、それも大事なことだと思うんだけど。でも、ステージって何のためになるのかなって考えたら…… さくらちゃん達、ファンができて喜んだでしょ?」

 二人の視線が集中しているせいか、それに気が付いた舞は少し顔が赤くなった。

 「……私も、あの女の子の手紙、うれしかったし。でも、手紙をくれる人だけがステージを見てるわけじゃないんだよね。さくらちゃん達がファンの事で喜んだりできるの、やっぱり見てくれるゲストの事、思ってるからだと思うんだ」

 広森と藤森が互いに顔を見合わせて、うん、とうなずいた。舞の言いたいことがわかったんだろう。広森が目を細めて、さっき以上にやさしそうな顔を浮かべた。

 「そうね。私たちもがんばらないとね。見てくれるゲストのために」

 藤森と舞が嬉しそうに「はいっ」と返事をした。
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