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第二部
スタートライン 2
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一限も半分が過ぎたころに生徒がひとり入ってきた。無言で俺のとなりに腰をおろし、鞄に上体を預けてまぶたを閉じる。いつものことだ。終わったら起こす。そうやって西川は午前中の授業はほとんど寝て過ごす。西川は受験が終わってから建設工事のバイトをしていたが、大学に入ってからはコンビニのバイトも始めた。家賃や生活費はほとんど不自由していないはずだが、そんなに金が必要なのは学費が関係しているのかもしれなかった。詳しい理由はわからない。俺もあえて聞こうとはしなかった。
午前の授業が終わって、西川の背中をいつもより強く叩いた。
「おい、終わったぞ、」
むくりと体を起こしたのを見て俺は席を立つ。その腕を西川にゆるく掴まれた。
「なに」
「怒ってんの、」
「は、」
何を言ってるのかわからない。
「この前から、なんか気まずい雰囲気じゃない?」
西川の言うこの前とは、あれか。俺が拒んだ日のことだ。それ以外特になにかあったわけもない。そもそも、西川と喧嘩などほとんどしたことがない。質問の意図がまだるっこしくて、いらいらしてくる。受け答えが億劫になって、俺は西川を払って席を立った。
「あ、ちょ。あとでプリントコピーなっ、ノートも、」
ノートやプリントを貸すのも毎度のことだが、今日は少し腹が立った。誰が見せてやるか、落第しろ。と胸の中で吐き捨てて無言で教室をあとにした。
早歩きで廊下を進んでいるうちに、鞄がかさばる感じを思い出した。中を見て立ち止まる。教室に来る前に購買で買ったパンとおにぎりだった。一人分にしては明らかに多い。
「くそ、」
こんなに食べきれない。けれど、引き返して渡しに行くのも癪に障る。
「なにしてんだ、俺」
いつからこんなに女々しくなった?甲斐甲斐しく世話する女中のように、飯を用意して、あいつに一喜一憂して。求められると怖気付いて。
全部出してゴミ箱に捨てた。食べ物に恨みはこれっぽっちもありはしないが、これを食べながらまたあの日のことを思い出すのが嫌だった。
日差しが入り込んで室内があたたまるとさすがに睡魔に襲われる。最後の授業が終わると大きなあくびがでた。今日は四限までしかない。早く帰ってゆっくりしようと机に広がる筆記用具を片付けていたら、声をかけられた。数回見たことのある。西川の知り合いだった。
「もう帰るところ?」
「ああ」
「ちょうどよかった。あのさ、西川に今日のクラス会のこと言っておいてくれないかな」
「メールしておけば、」
「まったく反応なし。あいついつも欠席なんだよ。今日はほとんど集まれるんだ、教授も何人か来るしさ、都合つけて来てくれないかって時枝から言ってくれないかな。バイトあるからっていつも言われるんだけど、言うだけ伝えてくれないか。頼むよ」
「俺が言っても同じだと思うけど」
「ちゃんと本人に連絡したってことにしないと教授がうるさいんだよ~」
本人が行かないと言ってるのだから、たぶんダメだろう。それでも言うだけ言ってくれと必死に頼み込まれるので、俺はしぶしぶうなずいた。
あれがクラス委員というやつなのだろうか。俺と西川は同じ経営学部だが、学科が違う。被る授業は複数あっても、クラス会や教授会、大学のイベントなどで動くクラスは別々だった。俺には絶対勤まらない役職だなと思いながら西川の友人と別れた。
鍵を回すと、開くはずのドアが開かない。反対に回し、玄関にあがる。西川の靴があった。怪訝に思いながら奥へ進むと、リビングのソファに大きな図体が転がっていた。
「お、トキおかえり」
「鍵は閉めろよ」
「ん、ごめん、気をつける……」
テレビをつけたまま寝そうになっていたのか、目を擦りながら背中だけ起こした。少し声がかすれているように聞こえた。
何を考えているのかわからない西川の顔を見ると、昼前のことが思い出され話しにくい。俺は鞄を置くのもそこそこに西川の傍らに立った。伝言の件があるから仕方ない。
「バイトは?」
「おう、ひさびさの休み。どっちも。トキも四限までだろー、だから、」
「休みならクラス会に行ってやれよ。お前のクラス委員のやつに頼まれた。お前いつも欠席だから今日だけでも来て欲しいって、」
「あー、あれねー」
「バイトないんだったら行ってくれば、」
幾分とげのある声色になってしまったかもしれない。西川は俺の顔と携帯を交互に見やってから、ソファから腰をあげた。
「……わかったよ。じゃあ、行くよ、」
すれ違うとき、肩が軽くぶつかった。向こうのほうがでかいのに、よろめいたのは西川だった。なにか見落としている気がしたのは一瞬で、俺は西川に触れたくなくて身体を避けた。
「悪い、」
ぶつかったことを謝って、西川は自室へ向かう。俺はソファに体を投げ出した。肘にあたったリモコンに苛立って、床に放り投げる。
期待していた?なにを?自分でもよくわからない。よくわからないのにいらいらする。
やがて、廊下を歩く足音がして、ドアが開け閉めされた。
行ったのかと認識して、意識を飛ばすために目を閉じた。実際眠りにつけたのはその四時間後だった。
午前の授業が終わって、西川の背中をいつもより強く叩いた。
「おい、終わったぞ、」
むくりと体を起こしたのを見て俺は席を立つ。その腕を西川にゆるく掴まれた。
「なに」
「怒ってんの、」
「は、」
何を言ってるのかわからない。
「この前から、なんか気まずい雰囲気じゃない?」
西川の言うこの前とは、あれか。俺が拒んだ日のことだ。それ以外特になにかあったわけもない。そもそも、西川と喧嘩などほとんどしたことがない。質問の意図がまだるっこしくて、いらいらしてくる。受け答えが億劫になって、俺は西川を払って席を立った。
「あ、ちょ。あとでプリントコピーなっ、ノートも、」
ノートやプリントを貸すのも毎度のことだが、今日は少し腹が立った。誰が見せてやるか、落第しろ。と胸の中で吐き捨てて無言で教室をあとにした。
早歩きで廊下を進んでいるうちに、鞄がかさばる感じを思い出した。中を見て立ち止まる。教室に来る前に購買で買ったパンとおにぎりだった。一人分にしては明らかに多い。
「くそ、」
こんなに食べきれない。けれど、引き返して渡しに行くのも癪に障る。
「なにしてんだ、俺」
いつからこんなに女々しくなった?甲斐甲斐しく世話する女中のように、飯を用意して、あいつに一喜一憂して。求められると怖気付いて。
全部出してゴミ箱に捨てた。食べ物に恨みはこれっぽっちもありはしないが、これを食べながらまたあの日のことを思い出すのが嫌だった。
日差しが入り込んで室内があたたまるとさすがに睡魔に襲われる。最後の授業が終わると大きなあくびがでた。今日は四限までしかない。早く帰ってゆっくりしようと机に広がる筆記用具を片付けていたら、声をかけられた。数回見たことのある。西川の知り合いだった。
「もう帰るところ?」
「ああ」
「ちょうどよかった。あのさ、西川に今日のクラス会のこと言っておいてくれないかな」
「メールしておけば、」
「まったく反応なし。あいついつも欠席なんだよ。今日はほとんど集まれるんだ、教授も何人か来るしさ、都合つけて来てくれないかって時枝から言ってくれないかな。バイトあるからっていつも言われるんだけど、言うだけ伝えてくれないか。頼むよ」
「俺が言っても同じだと思うけど」
「ちゃんと本人に連絡したってことにしないと教授がうるさいんだよ~」
本人が行かないと言ってるのだから、たぶんダメだろう。それでも言うだけ言ってくれと必死に頼み込まれるので、俺はしぶしぶうなずいた。
あれがクラス委員というやつなのだろうか。俺と西川は同じ経営学部だが、学科が違う。被る授業は複数あっても、クラス会や教授会、大学のイベントなどで動くクラスは別々だった。俺には絶対勤まらない役職だなと思いながら西川の友人と別れた。
鍵を回すと、開くはずのドアが開かない。反対に回し、玄関にあがる。西川の靴があった。怪訝に思いながら奥へ進むと、リビングのソファに大きな図体が転がっていた。
「お、トキおかえり」
「鍵は閉めろよ」
「ん、ごめん、気をつける……」
テレビをつけたまま寝そうになっていたのか、目を擦りながら背中だけ起こした。少し声がかすれているように聞こえた。
何を考えているのかわからない西川の顔を見ると、昼前のことが思い出され話しにくい。俺は鞄を置くのもそこそこに西川の傍らに立った。伝言の件があるから仕方ない。
「バイトは?」
「おう、ひさびさの休み。どっちも。トキも四限までだろー、だから、」
「休みならクラス会に行ってやれよ。お前のクラス委員のやつに頼まれた。お前いつも欠席だから今日だけでも来て欲しいって、」
「あー、あれねー」
「バイトないんだったら行ってくれば、」
幾分とげのある声色になってしまったかもしれない。西川は俺の顔と携帯を交互に見やってから、ソファから腰をあげた。
「……わかったよ。じゃあ、行くよ、」
すれ違うとき、肩が軽くぶつかった。向こうのほうがでかいのに、よろめいたのは西川だった。なにか見落としている気がしたのは一瞬で、俺は西川に触れたくなくて身体を避けた。
「悪い、」
ぶつかったことを謝って、西川は自室へ向かう。俺はソファに体を投げ出した。肘にあたったリモコンに苛立って、床に放り投げる。
期待していた?なにを?自分でもよくわからない。よくわからないのにいらいらする。
やがて、廊下を歩く足音がして、ドアが開け閉めされた。
行ったのかと認識して、意識を飛ばすために目を閉じた。実際眠りにつけたのはその四時間後だった。
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