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とある奴隷の話

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 はっはっはっ

 1人の薄汚い子供が息を切らしながら必死に森の中を裸足で逃げている。首に奴隷の首輪を付けられ、足首には鎖が千切れた足枷が彼の足を遅らせる。

「糞!何処へ行きやがった!」
「向こうを探せ!俺はこっちを探す!!」
「絶対に逃がすな!」

 もう1歩も動けない。小さな岩の隙間を見つけその奥へ身を潜ませた。奴隷となって一体どれくらいの月日が経ったのかも自身にもわからない。

「おい!見つけたか!?」

 ビクッと身を震わせ、息を潜ませた。
 彼が岩に入った隙間に、追手の足が見える。
 悲鳴を上げそうになる口を押さえ更に奥の暗闇へ身を縮ませた。

「おい!まさかこの隙間に入り込んだか?」

『ヒイィ』

 悲鳴を、口で必死で押さえた。
 
「ちょっと見てみろ。」

 入口で誰かがうつ伏せになって覗いたが、中は暗く何も見えない。手を挿し込み中を探すも、彼の元迄には届かなかった。
 と、甲高い笛の音が響いた。

「ヤバい!!」
「憲兵だ!」

 笛の音は盗賊達の警戒の合図だったのだ。奴隷商人に売る前に憲兵達に気付かれ蜘蛛の子を散らす様に逃げて行く。

 馬の駆ける音と男達の怒声や断末魔、その喧騒にますます身を縮ませた。



 静かになって どれくらい時間が経ったのか彼にはわからない。けれど、彼は空腹に耐えきれなくなり、そぉっと岩から顔を出した。
 
 岩に潜り込んだ時はまだ昼間で明るかったのが、今はすっかり暗く空は満天の星。
 その星を見た彼の双方の目から涙が溢れ出て止めどもなく流れた。何故涙が出るのかその訳も自身にもわからない。声を押し殺したが嗚咽が溢れる。


「そこに誰かいるのか?」


 はっと振り返る事もせず先程の岩の隙間へ入り込んだ。そして自分の迂闊さに激しく後悔をした。これでは逃げられない!!

「お前は、あいつらに捕まっていたのか?」

 彼は答え無い。否、答える術が無いのだ。盗賊に捕まった時に恐怖の余り言葉を発せられ無くなったのだ。そして今の彼は誰も信じられないのだ。

 彼に声を掛けたのは憲兵の団長だったのだがその事も彼にはわからない。先程の盗賊の残党狩りをしている。団長は40才位の人生経験が深い者だったのが彼には幸いした。無理矢理彼を引き摺り出す様な真似をしないで、じっくり懐柔する事にした。
 まぁ早い話、食べ物で釣った訳だ。

 岩の入口で、火を起こし、温かいスープを作ると、その匂いに釣られ出て来た。


 最初見た時は残党だと思った。しかし足枷の鎖の音、薄暗く良く見えなかったが、布切れを被った様な成り、そして岩の中から怯えた様な息使い、何よりも空腹だと言う様な腹の音。
 
 良く逃げたな。

 それが、団長の感想だった。岩の前で食事を仕度をしてみれば、案の定岩から這い出て来た。その姿はとても憐れだ。焚き火の灯りを頼りに省みれば、体を覆う布切れは薄汚れ所々破け服の役割を辛うじて果たしている程度。其処からはみ出した手足は痩せ細り、暴力を振るわれたのか大きな痣が出来ている。団長から見てみれば生きているのが不思議な位だ。

 奴隷だった彼にしてみれば、団長の行動が不思議であった。だが、また捕まったのだと言う事実が彼の上に重く突き刺さる。自由になりたい、只それだけの思いで逃げたけれど、また捕まった。『また売られるんだ。』だが、先程が盗賊達の扱いよりはきっと"まし"だろうと思う事にした。ご主人様に依存して来た彼に生活の基盤は無い。
  奴隷生活の長い彼は深く考える事は苦手だ。言われるままに作業をし、ご主人様の顔色を伺い、少しの失敗でも鞭を振るわれる。本来ならば、3度の食事も、穀潰しと朝晩しか貰えない。それも粗末な硬いパンと野菜屑が浮かぶスープのみ。運が良ければ一欠片の肉が入る。その程度の扱い。だから、団長から施しを受けたそのパンの柔らかい事!スープには干し肉を良く煮込んで、沢山の肉と野菜が入っている!その美味しい事!生まれて初めての豪華な食事だ。

 ガツガツと飢えた様に、実際に飢えているのだが、瞬く間に無くなった。が、食べて暫くするとお腹の具合が悪くなり吐き気がしてきた。
 今まで録な食べ物をしか無かったのにいきなり食べたので胃が拒否反応を出したのだが、吐き出す選択は彼には無い。次に食べ物を食べる保証は無いのだ。慌てて口を押さえ無理矢理胃の中へ押し戻す。

 それに慌てたのは団長の方だった。

「馬鹿野郎!出せ!また飯は出してやる!だから胃の中の物は出せ!」

 団長は彼が何日も食事を取って無いのに気付かずいきなり普通の食事を出した事に後悔した。
 指を口に無理矢理突っ込み胃の中の物を吐かせた。
 暫く気持ち悪そうにしていたが落ち着いた様子だったので、蜂蜜と塩を溶かした水を飲ませた。一気にに飲み干しそうだったので、時間を掛けて飲ます為に皿に移し匙で掬わせた。

 焚き火で体が温かくなり眠気が出て来たようだ。うつらうつらとしている内にいつの間にか、彼は眠っていたので毛布を掛けてやる。自分は寝袋に入り、見張りは近くにいる部下に任せた。

 朝になり彼は目を覚ました。相変わらず首には奴隷の印の首輪。そして足枷を見ると鎖は根元迄短く切断していた。

「おっ!目が覚めたか。今朝はスープにパンを浸してやったのを食え。良いか?ゆっくり食うんだ。」

 そう言われてスープを受け取った。匙を使い不器用に食べた。朝食の後、余りに汚いので川に行き汚れを落とせと言われて服を脱ぎ全裸となる。
 彼の体には無数の鞭や火傷の痕、そして明らかに栄養状態の悪い肋が浮き出た胸。

 団長は内心、厄介な拾い物をしたと溜息を吐いたが、これも仕事だと諦めた。
 体を洗い終えた彼に団長の予備の着替えを着させた。がっしりとした体躯の団長の服は奴隷で子供の彼には大き過ぎ、とても見れた物では無いが、それでも彼が着ていた服とも言えないボロ切れよりは格段に良い。初めて着る上等な(と言っても普通の綿生地)に目を輝かせた。

 団長はズボンがずり下がらない様に腰を紐で縛り、シャツの袖が長すぎるので何重にも捲った。近くに待機している部下を呼ぶと、彼は途端に警戒をし団長の後ろに隠れたが、人懐こい部下の明るい笑顔におずおずと顔を出した。



 ピーーー

 突然、団長が指笛を吹いた。


 パカラ パカラと、何処からが黒い馬が現れた。
 部下の話によると、夜の野営には野犬や狼が出てくるから、馬は繋がないのだと言う。馬は賢いのでちゃんと自衛する術を知っているのだそうだ。コクンコクンと頷いているが、勿論、彼には部下の言っている事の半分も理解出来ていないのだが、喋れないので問題は無いと思っている。

 団長が馬に跨がり、彼は当然歩いて付いて行くのだろうと思っていた。

「ほら!手を出せ!」
「?・・・!」

 意味もわからずに、差し出された手の方へ彼は手を伸ばした。すると手首を掴まれグイっと引っ張られたと、サッと団長の跨がる前に座らされた。
 流石にここまで良い待遇をされると、もしかしたら奴隷で無くなるかもしれないと期待をしてしまう。


 馬に乗せられ半日、休み休み町へ進んで行くのだが、奴隷として、また虐待をされていた彼には体力が無い。まだ昼の中時間だと言うのに町に着く頃にはすっかり疲れきって馬の首に持たれ掛かっていた。
 馬に持たれ掛かったまま気を失う様に意識を飛ばした彼の様子に、今日は休ませたほうが良いとの団長の判断で、駐屯所に行った。

 駐屯所には、夜番の憲兵がいた。団長に敬礼をしたが、団長が抱えている薄汚い奴隷を見てサッと控え室の仕度をした。
 予備のベッドにシーツを敷き彼を起こさない様に横たえ、毛布を掛けてやる。





 あれから5年の歳月が過ぎ、奴隷だった彼は、レオンと言う名前を貰い、あの時の団長の部下の義弟になった。
 栄養不足で小柄だったレオンは、義母となった人に甘やかされ、義父となった人に人の道理を教えられ、義兄となった人に人としての付き合いを教えられた。義妹は・・・

 暮らしに慣れるにしたがって、精神が落ち着いたのか、言葉も出る様になり、表情も豊かになった。
 極普通の生活を与えられ極普通の幸せに日々感謝する。
 
 今ではあの頃の様な貧弱な体では無く立派な体躯になった。
 人として生きる。その切っ掛けをくれた団長ももう引退した。だから・・・俺も人の役に立つ仕事をする。
 



1人の 憲兵として────




    
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