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第2章
あの日の記憶④
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実戦と訓練は天と地ほどの差があった。
つい先ほどまで軽口を交わしていた仲間が無残な死体で転がっていることも、死を目前にして取り乱すこともここでは日常だった。
元来自分の命に執着していないギルバートだったが、死ねばケイトに二度と会えない。ケイトとは別の部隊のため、彼女が戦場にいる間は不安で胸が押しつぶされそうになる。
「ギル、そんなのお互い様よ」
何度も死と隣り合わせだということは理解していたが、そこにケイトがいることに耐えらずみっともなく懇願するも相手にされない。
彼女の夢を応援したいと言ったのは自分だ。
それ以上どうすることもできず、唇を噛んでいるとケイトが腕を首に回して触れるだけの口づけをした。
幼子をあやすかのような態度にますます機嫌が悪くなるが、ケイトは気にすることなく、それどころか笑みを深くする。
「心配してくれているのは嬉しいのよ。家族や恋人が戦場にいるのに何もできずに遠くでヤキモキするしかないのが普通なのに、私は一緒に戦ってくれる恋人がいるんだもの」
ケイトは俺の扱いが本当に上手だ。そんなこと言われて怒り続けることができない。
何度も何度もキスをする。身体を重ねたのはあの時の一度きりだけだ。
男が圧倒的多数の場所で女を意識させることはケイトの身を危険に晒すことになる。抑圧された空間の中、それを発散させることが出来るのは戦場だというのは皮肉な話だ。
「じゃあせめてこれを持っていてくれ」
小さな包みをケイトに渡す。
「ギル、これ……」
ケイトの手には小粒なルビーが填め込まれたシルバーリングがあった。
「一年後にはもっといいやつを用意する。その時は俺と結婚してくれるか?」
泣き笑いのような表情を浮かべてケイトが何度も頷いた。
思いの外緊張していたようで、安堵の吐息が漏れた。指に填めれば邪魔になるため、鎖に通して首にかけてやる。これなら普段は服に隠れて見えない。
不安な気持ちは変わらないが、未来の約束は少しだけギルバートの心を宥めてくれた。
けれどそんな日々は長く続かなかった。
目の前の彼女はただ眠っているだけのように見えた。だが服のあちこちにべっとりとこびり付くどす黒く変色した染みがそうでないことを物語っている。
自分が目にしている光景は現実感がなく、ただひんやりとした彼女の手を取り茫然としていたため部屋に別の人物が現れたことに気づかなかった。
肩と顔に強い衝撃を感じた時には壁に身体を叩きつけられていた。
「娘に触るな!!」
その言葉にギルバートは言い知れぬ怒りを感じた。
掴みかかろうとしたが、いつの間にか姿を見せた上官たちに取り押さえられる。
「やめろ!グレイス中佐、申し訳ございません!」
ギルバートを羽交い絞めにしたまま部屋から追い出そうとするが、フランク・グレイス中佐はギルバートをその場に残したまま人払いを命じた。
上官から釘を差されたが命令を聞く気はない。絶縁したはずのケイトに今更何の用だと反感を覚えていたし、ケイトが兵士を目指したきっかけは父親だと聞いていた。父親の姿を見て大切な家族や友人を守れる人間になりたいと思うようになったのだ。
『そのせいで縁を切られてしまったけど、それでも尊敬しているわ』
もっと違う人生を歩んでいればケイトは死ななかった。理不尽なことは理解しているが目の前の男に向ける激しい怒りは収まりそうになかった。
「お前のせいでケイトが死んだ」
心の中で思っていた言葉を投げつけられて、一瞬何を言われたのか分からなかった。
「卒業後は家に戻るという約束だったからこそ士官学校への入学を許したのに、卒業を前に好きな人と一緒にいたいから令嬢には戻らんなど馬鹿なことを言いだした。…お前のことだろう」
言葉を理解するのに時間がかかった。
(――俺といるためにケイトは戦場を選んだ?)
目の前が暗くなる。自分がいたせいでケイトが死んだ、頭の中でその言葉だけが繰り返される。
「ギルバート・エーデル、私はお前を一生許さない」
憎しみがこもった視線も言葉も気にならなかった。自分の中の何かが壊れたのだとぼんやりとした頭で分かったが、何もかもがどうでも良かった。
つい先ほどまで軽口を交わしていた仲間が無残な死体で転がっていることも、死を目前にして取り乱すこともここでは日常だった。
元来自分の命に執着していないギルバートだったが、死ねばケイトに二度と会えない。ケイトとは別の部隊のため、彼女が戦場にいる間は不安で胸が押しつぶされそうになる。
「ギル、そんなのお互い様よ」
何度も死と隣り合わせだということは理解していたが、そこにケイトがいることに耐えらずみっともなく懇願するも相手にされない。
彼女の夢を応援したいと言ったのは自分だ。
それ以上どうすることもできず、唇を噛んでいるとケイトが腕を首に回して触れるだけの口づけをした。
幼子をあやすかのような態度にますます機嫌が悪くなるが、ケイトは気にすることなく、それどころか笑みを深くする。
「心配してくれているのは嬉しいのよ。家族や恋人が戦場にいるのに何もできずに遠くでヤキモキするしかないのが普通なのに、私は一緒に戦ってくれる恋人がいるんだもの」
ケイトは俺の扱いが本当に上手だ。そんなこと言われて怒り続けることができない。
何度も何度もキスをする。身体を重ねたのはあの時の一度きりだけだ。
男が圧倒的多数の場所で女を意識させることはケイトの身を危険に晒すことになる。抑圧された空間の中、それを発散させることが出来るのは戦場だというのは皮肉な話だ。
「じゃあせめてこれを持っていてくれ」
小さな包みをケイトに渡す。
「ギル、これ……」
ケイトの手には小粒なルビーが填め込まれたシルバーリングがあった。
「一年後にはもっといいやつを用意する。その時は俺と結婚してくれるか?」
泣き笑いのような表情を浮かべてケイトが何度も頷いた。
思いの外緊張していたようで、安堵の吐息が漏れた。指に填めれば邪魔になるため、鎖に通して首にかけてやる。これなら普段は服に隠れて見えない。
不安な気持ちは変わらないが、未来の約束は少しだけギルバートの心を宥めてくれた。
けれどそんな日々は長く続かなかった。
目の前の彼女はただ眠っているだけのように見えた。だが服のあちこちにべっとりとこびり付くどす黒く変色した染みがそうでないことを物語っている。
自分が目にしている光景は現実感がなく、ただひんやりとした彼女の手を取り茫然としていたため部屋に別の人物が現れたことに気づかなかった。
肩と顔に強い衝撃を感じた時には壁に身体を叩きつけられていた。
「娘に触るな!!」
その言葉にギルバートは言い知れぬ怒りを感じた。
掴みかかろうとしたが、いつの間にか姿を見せた上官たちに取り押さえられる。
「やめろ!グレイス中佐、申し訳ございません!」
ギルバートを羽交い絞めにしたまま部屋から追い出そうとするが、フランク・グレイス中佐はギルバートをその場に残したまま人払いを命じた。
上官から釘を差されたが命令を聞く気はない。絶縁したはずのケイトに今更何の用だと反感を覚えていたし、ケイトが兵士を目指したきっかけは父親だと聞いていた。父親の姿を見て大切な家族や友人を守れる人間になりたいと思うようになったのだ。
『そのせいで縁を切られてしまったけど、それでも尊敬しているわ』
もっと違う人生を歩んでいればケイトは死ななかった。理不尽なことは理解しているが目の前の男に向ける激しい怒りは収まりそうになかった。
「お前のせいでケイトが死んだ」
心の中で思っていた言葉を投げつけられて、一瞬何を言われたのか分からなかった。
「卒業後は家に戻るという約束だったからこそ士官学校への入学を許したのに、卒業を前に好きな人と一緒にいたいから令嬢には戻らんなど馬鹿なことを言いだした。…お前のことだろう」
言葉を理解するのに時間がかかった。
(――俺といるためにケイトは戦場を選んだ?)
目の前が暗くなる。自分がいたせいでケイトが死んだ、頭の中でその言葉だけが繰り返される。
「ギルバート・エーデル、私はお前を一生許さない」
憎しみがこもった視線も言葉も気にならなかった。自分の中の何かが壊れたのだとぼんやりとした頭で分かったが、何もかもがどうでも良かった。
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