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第3章
茶会
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「茶会のお誘いとのことです」
ドールから渡された手紙の差出人を見ると、予想通りの人物の名前があった。
「早いね」
到着してまだ三日目になるが、恐らくエレナの振る舞いは既に王宮中に広がっているだろう。
王妃が動けば要らぬ憶測を呼ぶし、第一側妃は他国からの政略結婚だが発言権が弱い。動くなら二番目の側妃であるエカテリーナ、この国の宰相であるレバノン侯爵の娘だとエレナは考えていた。
他国から輿入れした姫の様子を窺うべく父親から命じられたか、もしくはただの暇つぶしか。
「承諾の返事を出して」
どのみち新参者であるエレナが断るのは得策ではない。
(どうせ一時のことだ。お姫様方は穢れを嫌う)
後ろ盾もなく身分の低さから嫌がらせは日常で、事あるごとに軽んじられ嘲笑されていた。姉達は武術を学ぶエレナのことを野蛮だと非難していたが、エレナが戦場に参加してからは近づくことを止めた。
『人を殺すなどおぞましい』
その言葉を聞いた時には思わず笑ってしまった。王族や貴族が安穏と暮らせているのは兵士たちが命懸けで戦っているからだが、それすらも理解せず自分たちを守る騎士の前でそう言い放てる傲慢さ。
(エカテリーナ妃が面倒な方でなければいいけど)
溜息をついてエレナはお茶会に参加すべく、支度を始めた。
(まあ想定内と言えば想定内なんだけど)
ドレスこそ薄紅色を基調にした品のある落ち着いた装いだが、薄紫色を多用した貴金属を身にまとったエカテリーナ妃は柔らかな微笑みをたたえている。ただしその瞳には蔑みの色を帯びており、カールの瞳の色を身に付けていることからも寵姫であることを匂わせている。
内容はどうあれカールの興味を引いたことが、エカテリーナ妃の不興を買ったようだ。
エレナが緊張しないようにと同年代の貴族令嬢を同席させて、さも配慮しているような言動を取るが、実際にはエレナをあげつらうための要員にすぎない。
口に含んだハーブティーに馴染みのある苦みを感じて、溜息と一緒に飲み込んだ。
嫌がらせのために腐りかけの食材や毒を盛られたおかげで、毒への耐性は付いている。薬と毒は表裏一体、幼い頃野山で食材を調達する際に身につけた知識と実体験は王宮で生き延びる上では非常に有益だった。
「エレナ様は幼少の頃、平民として暮らしていたと伺いました。市井の暮らしなど私たちには想像もできませんわ。ぜひお話をお聞かせくださいませ」
取り巻きの令嬢Aが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「まあ、そんなこと言っては可哀そうよ。私だったら恥ずかしくて耐えられないわ」
取り巻き令嬢Bがすかさずそう返した。一見庇っているように見えて貶めている、貴族お得意の嫌がらせだ。
(本当面倒だけど、あの人だったらきっとこうする)
エレナは背筋を伸ばしてただ微笑みを浮かべた。
一度だけほんの短い時間だったのに、彼女の存在はエレナの中で鮮明に残っている。
貴族令嬢でありながら、武術に秀でているという噂の女性は立ち姿も振る舞いも優美で他の令嬢とは一線を画していた。毅然とした表情がほころべば慈愛に満ちた優しい表情に一転する。
彼女の周囲だけ空気が違っているようだった。
「エレナ様は変わった特技を持っていらっしゃるとか」
しばらく静観していたエカテリーナ妃が口を開くと、周囲の令嬢は静かになった。
「……武術のことでしょうか」
昨日のことを聞いているのなら、それぐらいしか思い当たるものがない。
「ええ、どのようなものか興味がありますわ」
演武として人前で披露することはあるが、今の盛装姿で出来るものではない。だが断り方を間違えればさらに不興を買うことは必至だ。
日を改めてもらえないか許可を得ようと口を開きかけた時、背後からざわめきが起こった。
視線を動かすより前にエカテリーナ妃が立ち上がったのを見て、エレナもすぐさま後にならって深々と頭を下げる。
「楽にしていい。女性だけのお茶会に不躾だったかな?」
「とんでもございません。陛下にお越しいただき光栄ですわ」
促されて顔を上げると、気品のある笑みをたたえたカールの姿があった。
通りがかっただけで長居しないと茶の支度を断るが、さすがに席を用意しないわけにはいかない。
(嫌がらせでしかない)
カールはエレナの隣に席を用意させ、気にかけるようにこちらを見つめている。当のエレナはカールが自分に好意を抱いているなどと欠片も思っていないが、周囲はそう勘違いしてもおかしくはない。
「ではそろそろ失礼するよ」
五分ほど見せかけの談笑という心理戦を繰り広げたあと、カールは席を立とうとした。いなくなってくれることに安堵しかけた瞬間、カールは信じられないことを口にしたのだ。
「ああ、少し喉が渇いた。エレナ姫、その紅茶をもらっていいかな」
真っ先に反応したのはエカテリーナ妃だ。
「陛下!そのようなものを、いえ新しい紅茶をすぐご用意させますので」
周囲の様子を窺うと、みな一斉に青ざめている。
(全員グルか)
なかなか危険な真似をする。知っている人間が少ないほどバレにくいし、後腐れがないのに、とエレナは冷静に考えてしまう。
とはいえ毒入りの紅茶をこのままカールに飲ませてしまえば、さらに厄介な事態になるのは目に見えている。
(この借りはいつか返してもらうからな!)
エレナの取るべき行動は一つ。カップを手に取ると中身を一息に飲み干した。呆気に取られる周囲と異なり、カールだけは面白そうな瞳でエレナを見ている。
(本当に底意地の悪い)
悪態を胸にしまって、エレナはカールに向かって答えた。
「申し訳ございません。卑しい血が混じっているせいか、自分に与えられたものを他者に分け与えることができない性分でございます。すぐに新しい物をご準備させますので」
そう言って侍女に視線を送ると慌てて支度に取り掛かる。
「ふふ、それは悪かった。侍従に用意させるからもういいよ。エレナ姫、貴女のお披露目は三日後に決まった。それまで体調を整えておいてね」
ついでのように告げられた本題と明確な悪意に、エレナは嫌悪感を抑えてカーテシーで答えた。
ドールから渡された手紙の差出人を見ると、予想通りの人物の名前があった。
「早いね」
到着してまだ三日目になるが、恐らくエレナの振る舞いは既に王宮中に広がっているだろう。
王妃が動けば要らぬ憶測を呼ぶし、第一側妃は他国からの政略結婚だが発言権が弱い。動くなら二番目の側妃であるエカテリーナ、この国の宰相であるレバノン侯爵の娘だとエレナは考えていた。
他国から輿入れした姫の様子を窺うべく父親から命じられたか、もしくはただの暇つぶしか。
「承諾の返事を出して」
どのみち新参者であるエレナが断るのは得策ではない。
(どうせ一時のことだ。お姫様方は穢れを嫌う)
後ろ盾もなく身分の低さから嫌がらせは日常で、事あるごとに軽んじられ嘲笑されていた。姉達は武術を学ぶエレナのことを野蛮だと非難していたが、エレナが戦場に参加してからは近づくことを止めた。
『人を殺すなどおぞましい』
その言葉を聞いた時には思わず笑ってしまった。王族や貴族が安穏と暮らせているのは兵士たちが命懸けで戦っているからだが、それすらも理解せず自分たちを守る騎士の前でそう言い放てる傲慢さ。
(エカテリーナ妃が面倒な方でなければいいけど)
溜息をついてエレナはお茶会に参加すべく、支度を始めた。
(まあ想定内と言えば想定内なんだけど)
ドレスこそ薄紅色を基調にした品のある落ち着いた装いだが、薄紫色を多用した貴金属を身にまとったエカテリーナ妃は柔らかな微笑みをたたえている。ただしその瞳には蔑みの色を帯びており、カールの瞳の色を身に付けていることからも寵姫であることを匂わせている。
内容はどうあれカールの興味を引いたことが、エカテリーナ妃の不興を買ったようだ。
エレナが緊張しないようにと同年代の貴族令嬢を同席させて、さも配慮しているような言動を取るが、実際にはエレナをあげつらうための要員にすぎない。
口に含んだハーブティーに馴染みのある苦みを感じて、溜息と一緒に飲み込んだ。
嫌がらせのために腐りかけの食材や毒を盛られたおかげで、毒への耐性は付いている。薬と毒は表裏一体、幼い頃野山で食材を調達する際に身につけた知識と実体験は王宮で生き延びる上では非常に有益だった。
「エレナ様は幼少の頃、平民として暮らしていたと伺いました。市井の暮らしなど私たちには想像もできませんわ。ぜひお話をお聞かせくださいませ」
取り巻きの令嬢Aが意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「まあ、そんなこと言っては可哀そうよ。私だったら恥ずかしくて耐えられないわ」
取り巻き令嬢Bがすかさずそう返した。一見庇っているように見えて貶めている、貴族お得意の嫌がらせだ。
(本当面倒だけど、あの人だったらきっとこうする)
エレナは背筋を伸ばしてただ微笑みを浮かべた。
一度だけほんの短い時間だったのに、彼女の存在はエレナの中で鮮明に残っている。
貴族令嬢でありながら、武術に秀でているという噂の女性は立ち姿も振る舞いも優美で他の令嬢とは一線を画していた。毅然とした表情がほころべば慈愛に満ちた優しい表情に一転する。
彼女の周囲だけ空気が違っているようだった。
「エレナ様は変わった特技を持っていらっしゃるとか」
しばらく静観していたエカテリーナ妃が口を開くと、周囲の令嬢は静かになった。
「……武術のことでしょうか」
昨日のことを聞いているのなら、それぐらいしか思い当たるものがない。
「ええ、どのようなものか興味がありますわ」
演武として人前で披露することはあるが、今の盛装姿で出来るものではない。だが断り方を間違えればさらに不興を買うことは必至だ。
日を改めてもらえないか許可を得ようと口を開きかけた時、背後からざわめきが起こった。
視線を動かすより前にエカテリーナ妃が立ち上がったのを見て、エレナもすぐさま後にならって深々と頭を下げる。
「楽にしていい。女性だけのお茶会に不躾だったかな?」
「とんでもございません。陛下にお越しいただき光栄ですわ」
促されて顔を上げると、気品のある笑みをたたえたカールの姿があった。
通りがかっただけで長居しないと茶の支度を断るが、さすがに席を用意しないわけにはいかない。
(嫌がらせでしかない)
カールはエレナの隣に席を用意させ、気にかけるようにこちらを見つめている。当のエレナはカールが自分に好意を抱いているなどと欠片も思っていないが、周囲はそう勘違いしてもおかしくはない。
「ではそろそろ失礼するよ」
五分ほど見せかけの談笑という心理戦を繰り広げたあと、カールは席を立とうとした。いなくなってくれることに安堵しかけた瞬間、カールは信じられないことを口にしたのだ。
「ああ、少し喉が渇いた。エレナ姫、その紅茶をもらっていいかな」
真っ先に反応したのはエカテリーナ妃だ。
「陛下!そのようなものを、いえ新しい紅茶をすぐご用意させますので」
周囲の様子を窺うと、みな一斉に青ざめている。
(全員グルか)
なかなか危険な真似をする。知っている人間が少ないほどバレにくいし、後腐れがないのに、とエレナは冷静に考えてしまう。
とはいえ毒入りの紅茶をこのままカールに飲ませてしまえば、さらに厄介な事態になるのは目に見えている。
(この借りはいつか返してもらうからな!)
エレナの取るべき行動は一つ。カップを手に取ると中身を一息に飲み干した。呆気に取られる周囲と異なり、カールだけは面白そうな瞳でエレナを見ている。
(本当に底意地の悪い)
悪態を胸にしまって、エレナはカールに向かって答えた。
「申し訳ございません。卑しい血が混じっているせいか、自分に与えられたものを他者に分け与えることができない性分でございます。すぐに新しい物をご準備させますので」
そう言って侍女に視線を送ると慌てて支度に取り掛かる。
「ふふ、それは悪かった。侍従に用意させるからもういいよ。エレナ姫、貴女のお披露目は三日後に決まった。それまで体調を整えておいてね」
ついでのように告げられた本題と明確な悪意に、エレナは嫌悪感を抑えてカーテシーで答えた。
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