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第2章
大切な愛しい存在
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※第2章はシュルツ&ミア視点です
もう誰かに呼ばれることもないと思っていた名前。彼女が口にするたびに温かいものが心に灯る。
「……シュルツ、これは…ちょっと恥ずかしいです」
「何故だ」
「その、距離が近すぎるし」
膝の上に乗せた途端に落ち着かない素振りを見せているのは分かっていたが、何故恥ずかしく思うのか分からない。もっとそばにいたいと思うのは自分だけなのだろうか。
「距離が近すぎると嫌なのか」
「そういうことではなくて…えっと…もういいです」
そう言ってユナは諦めたようにため息をついた。
「そういえば、姫でないと知っていたのならどうして私を姫と呼んでいたのですか?」
「他にどう呼び掛けてよいか分からなかったからだ」
「……アーベルさんが勘違いしたのは、私のせいだけじゃないと思う」
ユナは薬湯を飲んだときのように顔を顰めながら、小声で呟いた。
何故か彼女はアーベルに同情的だが、シュルツはまだあの時のことを許していない。だいぶ傷は癒えたとはいえ、少しでも遅れていれば失われていたかもしれない命。自然と背中に回した手に力がこもった。
「あ、それでは姫じゃないと知っていたのはどうして?グレイス姫のことを以前から知っていたんですか?」
「……そのようなところだ」
侵入する前に目撃していたことを告げるのが、何となく躊躇われた。気づかぬうちに見られていたなどと知ったら、気分の良いものではないだろう。
「?」
首を傾げる様子も可愛らしい。顎に手をかけ顔を近づける。
「ちょっと、待って…んっ」
顔を赤らめて抗議の声を上げるが、そのまま口を塞ぐ。ややあってユナが首に手を回したので、合意を得たとばかりに更に激しく求めることにした。くぐもった嬌声に体が熱を帯びていくのが分かるが、まだ駄目だ。不用意に欲を見せれば、彼女を怯えさせてしまうかもしれない。
唇を離して抱きしめる腕に力を込める。初めてできた大切な愛しい存在。
(ずっとこのままでいられれば良いのだが)
そう思った時、ドアをノックする音が聞こえた。
陛下が人間の姫君を連れて帰ってからミアの生活は一変した。アーベルの命令で姫の侍女を任された時は不安で仕方なかった。今までお目にかかる機会もほとんどなかった陛下とも顔を合わせる機会が増えるのだ。何か粗相をしでかしたら良くて追放、最悪その場で処刑ということもあり得る。
初日は部屋に入った瞬間、その魔力に当てられて逃げ出したくなった。震えそうになる手をなだめながらお茶を淹れるだけで精一杯だったのだ。陛下がいなくなったあと思わず座り込みそうになったが、姫様がごく自然に話しかけてくれたことにびっくりした。
『このお茶とても美味しいですね。ありがとうございます』
攫われたというのに魔物である自分を見る目に嫌悪の色はない。それどころかお礼を言う姫様は変わった人間だと思った。だけど姫様のことを知っていくうちにその人柄を好ましく思うようになり、今ではお茶の時間に会話を交わすことが楽しみになっている。相変わらず緊張はするものの陛下が部屋にいても、動じることが少なくなった。何より陛下の雰囲気が以前に比べて柔らかくなったように思う。そしてそれはきっと姫様のおかげだ。
ミアはワゴンを押しながら陛下の私室へ向かっていた。今日のお茶は昨日買ってきたばかりの新茶だ。
(姫様が気に入って下さるといいな)
そう思いながらノックをしてドアを開けると、ソファーに腰かけた陛下と何故かその前で顔を真っ赤に染めた姫様が立っていて、ミアは首を傾げた。
「大丈夫よミア、何でもないわ」
不思議に思うミアにそう告げて姫様はそそくさと席に着いた。その態度に何でもなくないのだろうなと思ったが、姫様がそう言うならと気を取り直してお茶の準備に取り掛かる。
「あ、その髪留めかわいいね」
姫様がすぐに気づいてくれたのは、小さな花びらの形をした薄紅色の髪飾りだった。
「ありがとうございます。昨日街に出かけたときに見つけて一目で気に入ってしまって、つい買ってしまいました」
今日のお茶も新作ですよ、とミアは言葉を続けようとした。
「いいな」
思わずといったような言葉が姫様の口から漏れた。無意識だったらしく、はっとした顔になってすぐに言葉を継いだ。
「綺麗な色ね。ミアによく似合っているわ」
(…無神経なことを言ってしまった)
すっかり失念していたことだが、姫様がここにいるのは陛下に攫われてきたからだ。城から出られないに決まっている。それなのに何も考えずに外の話などしてしまった。何事もなかったかのように振舞う姫様に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
結局お茶は喜んでもらえたものの、落ち込んだ様子に気づいた姫様に逆に気を遣わせてしまった。
翌朝、ミアはアーベルに呼ばれて執務室へ向かった。昨日の不用意な会話のことでお叱りを受けるのかもしれない。恐る恐る部屋に入ると、アーベルは作業の手を止めてミアへ目を向けた。
「悪いが、お前に買い物を頼みたい」
どうやら別件だったようだ。ほっと胸を撫でおろして質問をする。
「分かりました。何を買ってきましょうか?」
「その髪留めを買った店で、似たようなものをいくつか見繕って買ってきてくれ。…陛下のお話では姫が珍しく興味を示したそうだが」
間違いないか、とアーベルは言外に問いかける。
「…いえ、それは多分違います」
昨日やたらと陛下に見られている気がしたのは、そういうことだったのか。ミアは昨日の経緯をアーベルに説明した。
もう誰かに呼ばれることもないと思っていた名前。彼女が口にするたびに温かいものが心に灯る。
「……シュルツ、これは…ちょっと恥ずかしいです」
「何故だ」
「その、距離が近すぎるし」
膝の上に乗せた途端に落ち着かない素振りを見せているのは分かっていたが、何故恥ずかしく思うのか分からない。もっとそばにいたいと思うのは自分だけなのだろうか。
「距離が近すぎると嫌なのか」
「そういうことではなくて…えっと…もういいです」
そう言ってユナは諦めたようにため息をついた。
「そういえば、姫でないと知っていたのならどうして私を姫と呼んでいたのですか?」
「他にどう呼び掛けてよいか分からなかったからだ」
「……アーベルさんが勘違いしたのは、私のせいだけじゃないと思う」
ユナは薬湯を飲んだときのように顔を顰めながら、小声で呟いた。
何故か彼女はアーベルに同情的だが、シュルツはまだあの時のことを許していない。だいぶ傷は癒えたとはいえ、少しでも遅れていれば失われていたかもしれない命。自然と背中に回した手に力がこもった。
「あ、それでは姫じゃないと知っていたのはどうして?グレイス姫のことを以前から知っていたんですか?」
「……そのようなところだ」
侵入する前に目撃していたことを告げるのが、何となく躊躇われた。気づかぬうちに見られていたなどと知ったら、気分の良いものではないだろう。
「?」
首を傾げる様子も可愛らしい。顎に手をかけ顔を近づける。
「ちょっと、待って…んっ」
顔を赤らめて抗議の声を上げるが、そのまま口を塞ぐ。ややあってユナが首に手を回したので、合意を得たとばかりに更に激しく求めることにした。くぐもった嬌声に体が熱を帯びていくのが分かるが、まだ駄目だ。不用意に欲を見せれば、彼女を怯えさせてしまうかもしれない。
唇を離して抱きしめる腕に力を込める。初めてできた大切な愛しい存在。
(ずっとこのままでいられれば良いのだが)
そう思った時、ドアをノックする音が聞こえた。
陛下が人間の姫君を連れて帰ってからミアの生活は一変した。アーベルの命令で姫の侍女を任された時は不安で仕方なかった。今までお目にかかる機会もほとんどなかった陛下とも顔を合わせる機会が増えるのだ。何か粗相をしでかしたら良くて追放、最悪その場で処刑ということもあり得る。
初日は部屋に入った瞬間、その魔力に当てられて逃げ出したくなった。震えそうになる手をなだめながらお茶を淹れるだけで精一杯だったのだ。陛下がいなくなったあと思わず座り込みそうになったが、姫様がごく自然に話しかけてくれたことにびっくりした。
『このお茶とても美味しいですね。ありがとうございます』
攫われたというのに魔物である自分を見る目に嫌悪の色はない。それどころかお礼を言う姫様は変わった人間だと思った。だけど姫様のことを知っていくうちにその人柄を好ましく思うようになり、今ではお茶の時間に会話を交わすことが楽しみになっている。相変わらず緊張はするものの陛下が部屋にいても、動じることが少なくなった。何より陛下の雰囲気が以前に比べて柔らかくなったように思う。そしてそれはきっと姫様のおかげだ。
ミアはワゴンを押しながら陛下の私室へ向かっていた。今日のお茶は昨日買ってきたばかりの新茶だ。
(姫様が気に入って下さるといいな)
そう思いながらノックをしてドアを開けると、ソファーに腰かけた陛下と何故かその前で顔を真っ赤に染めた姫様が立っていて、ミアは首を傾げた。
「大丈夫よミア、何でもないわ」
不思議に思うミアにそう告げて姫様はそそくさと席に着いた。その態度に何でもなくないのだろうなと思ったが、姫様がそう言うならと気を取り直してお茶の準備に取り掛かる。
「あ、その髪留めかわいいね」
姫様がすぐに気づいてくれたのは、小さな花びらの形をした薄紅色の髪飾りだった。
「ありがとうございます。昨日街に出かけたときに見つけて一目で気に入ってしまって、つい買ってしまいました」
今日のお茶も新作ですよ、とミアは言葉を続けようとした。
「いいな」
思わずといったような言葉が姫様の口から漏れた。無意識だったらしく、はっとした顔になってすぐに言葉を継いだ。
「綺麗な色ね。ミアによく似合っているわ」
(…無神経なことを言ってしまった)
すっかり失念していたことだが、姫様がここにいるのは陛下に攫われてきたからだ。城から出られないに決まっている。それなのに何も考えずに外の話などしてしまった。何事もなかったかのように振舞う姫様に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
結局お茶は喜んでもらえたものの、落ち込んだ様子に気づいた姫様に逆に気を遣わせてしまった。
翌朝、ミアはアーベルに呼ばれて執務室へ向かった。昨日の不用意な会話のことでお叱りを受けるのかもしれない。恐る恐る部屋に入ると、アーベルは作業の手を止めてミアへ目を向けた。
「悪いが、お前に買い物を頼みたい」
どうやら別件だったようだ。ほっと胸を撫でおろして質問をする。
「分かりました。何を買ってきましょうか?」
「その髪留めを買った店で、似たようなものをいくつか見繕って買ってきてくれ。…陛下のお話では姫が珍しく興味を示したそうだが」
間違いないか、とアーベルは言外に問いかける。
「…いえ、それは多分違います」
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